本来ならこの時期のプロ野球はキャンプ情報からそろそろ始まるオープン戦の話題であふれるところだが、今年について言うと、どうしても清原覚醒剤問題が影を落としている。今の報道では、巨人時代から常用していた疑いが濃く、清原一派にも波及しているのではとか、当時の堀内監督が悪者のように言われているが実は逆だったとか、まだまだきな臭い話が続いている。ただここまで来ると清原一人の問題ではなく、球界全体のイメージダウン、逆風である。
一時、自民党が地方創生の一環としてプロ野球の球団増設を提案していた。ただ、賭博に覚醒剤と来れば、これも一気にトーンダウンしそうだ。
もっとも、球団を増やすのはいいが経営が成り立つのかという声は結構あった。札幌や仙台は盛り上がっているが、これから増やすとなるとこれより市場が小さなエリアになる。球団が身の丈に合った経営ができればいいが、年俸の相場がここまで高騰する中ではどうだろうか。自民党の私案では新潟、静岡、松山、那覇が挙がっていたと思う。もし私ならどこに増やしたいかとなると、新潟、静岡と来て、京都、岡山を挙げたい。この京都は京都市だけでなく、大津や奈良といった関西東部を拠点とし、岡山は中四国の交通の中心として、倉敷や高松、その先の松山を含めたエリアとするのはどうか。どちらも既存球団のえりあとかぶるところはあるが・・・・。
かつて、実際に球団増設が行われたことがある。当初7球団でスタートしたパ・リーグで、1954年~56年まで8球団になったことがある。7球団では日程が組みにくく、球団を一つ減らそうという声がある中で、当時の大映・永田雅一オーナーの発案として、リーグを盛り上げるために8つ目の球団ができた。それが高橋ユニオンズ。
この高橋というのが、大日本麦酒(今のアサヒとサッポロ)の元社長で、財界の長老だった高橋龍太郎。永田オーナーの説得で、自らの資財を投入する形で参入した。ただ、新球団に集まったのは他球団から押し付けられたロートルと呑兵衛ばかりだとか、本拠地が川崎ということで地域色が薄いとかの要因もあり、ほとんど人気はなかった。観客も20~30人という試合もあったとか。2年目はトンボ鉛筆がスポンサーとなり「トンボ・ユニオンズ」と名乗ったことも。選手といっても、史上初の300勝を達成したスタルヒンとか、後に「プロ野球ニュース」のキャスターとして親しまれた佐々木信也が目立つくらい。高橋龍太郎は、選手を自分の子どもや孫のように可愛がり、励ましたが現実は厳しい。新球団も弱すぎるとリーグのお荷物になる話で、結局は3年で消滅、他球団に引き取られた選手もいたが、多くはそのまま引退となった。
巨人や阪神、南海や西鉄といった当時の人気チームや強豪チームとは全く対照的だが、それでも「ユニオンズ」という球団で、わずかの期間でもプロ野球選手として、それぞれの青春をおくった選手たちにはそれぞれの歴史がある。この記事のタイトル「最弱球団~」(長谷川晶一著、彩図社 文庫版)は、そんな人たちを追い、古き良き時代の一端を表現した一冊である。巨人やセ・リーグ中心の野球史観ではまず出てこないところを押さえていて、当時の情景が浮かんでくる(かと言って、私が当時の野球ファンの子どもだったら、高橋球団を応援しただろうか。もしくは、近鉄パールスを応援しただろうか)。
この一冊は、当初から今に至るまで日本のプロ野球を貫いている「球団は企業の広告塔」という一面にも問いかけをしている。今でこそ地域名をつけている球団は多いが、現実は企業の子会社である。単体の運営となると、独立リーグが苦しんでいるように、NPB と言えども球団だけでは厳しいのが現実。
・・・そんな中で球団増設か・・・。
この記事も、最後はどこを目指すのか自分でもよくわからないのだが、景気のいい話だけではなく、先の歴史のマイナス面、暗い面もきちんと見ないとわからないことが多いのだろうな・・・・。
一時、自民党が地方創生の一環としてプロ野球の球団増設を提案していた。ただ、賭博に覚醒剤と来れば、これも一気にトーンダウンしそうだ。
もっとも、球団を増やすのはいいが経営が成り立つのかという声は結構あった。札幌や仙台は盛り上がっているが、これから増やすとなるとこれより市場が小さなエリアになる。球団が身の丈に合った経営ができればいいが、年俸の相場がここまで高騰する中ではどうだろうか。自民党の私案では新潟、静岡、松山、那覇が挙がっていたと思う。もし私ならどこに増やしたいかとなると、新潟、静岡と来て、京都、岡山を挙げたい。この京都は京都市だけでなく、大津や奈良といった関西東部を拠点とし、岡山は中四国の交通の中心として、倉敷や高松、その先の松山を含めたエリアとするのはどうか。どちらも既存球団のえりあとかぶるところはあるが・・・・。
かつて、実際に球団増設が行われたことがある。当初7球団でスタートしたパ・リーグで、1954年~56年まで8球団になったことがある。7球団では日程が組みにくく、球団を一つ減らそうという声がある中で、当時の大映・永田雅一オーナーの発案として、リーグを盛り上げるために8つ目の球団ができた。それが高橋ユニオンズ。
この高橋というのが、大日本麦酒(今のアサヒとサッポロ)の元社長で、財界の長老だった高橋龍太郎。永田オーナーの説得で、自らの資財を投入する形で参入した。ただ、新球団に集まったのは他球団から押し付けられたロートルと呑兵衛ばかりだとか、本拠地が川崎ということで地域色が薄いとかの要因もあり、ほとんど人気はなかった。観客も20~30人という試合もあったとか。2年目はトンボ鉛筆がスポンサーとなり「トンボ・ユニオンズ」と名乗ったことも。選手といっても、史上初の300勝を達成したスタルヒンとか、後に「プロ野球ニュース」のキャスターとして親しまれた佐々木信也が目立つくらい。高橋龍太郎は、選手を自分の子どもや孫のように可愛がり、励ましたが現実は厳しい。新球団も弱すぎるとリーグのお荷物になる話で、結局は3年で消滅、他球団に引き取られた選手もいたが、多くはそのまま引退となった。
巨人や阪神、南海や西鉄といった当時の人気チームや強豪チームとは全く対照的だが、それでも「ユニオンズ」という球団で、わずかの期間でもプロ野球選手として、それぞれの青春をおくった選手たちにはそれぞれの歴史がある。この記事のタイトル「最弱球団~」(長谷川晶一著、彩図社 文庫版)は、そんな人たちを追い、古き良き時代の一端を表現した一冊である。巨人やセ・リーグ中心の野球史観ではまず出てこないところを押さえていて、当時の情景が浮かんでくる(かと言って、私が当時の野球ファンの子どもだったら、高橋球団を応援しただろうか。もしくは、近鉄パールスを応援しただろうか)。

・・・そんな中で球団増設か・・・。
この記事も、最後はどこを目指すのか自分でもよくわからないのだが、景気のいい話だけではなく、先の歴史のマイナス面、暗い面もきちんと見ないとわからないことが多いのだろうな・・・・。