まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第4番「水間寺」~新西国三十三所めぐり・28(隠れた桜の名所)

2017年04月10日 | 新西国三十三所
山門の代わりに入り口の役割のある石橋を渡り、水間寺の境内に入る。参詣者を出迎えるのは三重塔と、その奥の本堂である。いずれも立派な造りである。

この三重塔には、井原西鶴の『日本永代蔵』に、「利生(りしょう)の銭」として紹介されるエピソードがある。初午詣で「利生の銭」として水間寺でお金を借り、翌年の初午詣の時には倍にして返すということがあった。貸すほうも人のため、また返すほうもそれだけ利子をつけるのだから人のためである。ある時、一人の男が1貫の銭を借りたのだが、翌年の初午詣に返しに来なかった。その翌年も来ない。これは踏み倒されたかと思っていたところ、13年後になって返しに来た。その額、8192貫。この男は江戸で船問屋を営んでいて、借りた1貫を「水間観音のありがたい銭じゃ」と、漁師たちに貸していた。安全や豊漁などでそのご利益があるとして口コミで広がり、後は次々に借りる人が現れる。それで大金を得たことの御礼ということで寄進したのがこの三重塔の由来である。現存の塔は後に建て替えられたものだが、商売の才覚についてのネタとして西鶴の作品に取り上げられたものである。当時の寺は「利生」の名目で金貸しもやっていたのかな。

そして本堂である。どっしりとした安定感がある。江戸時代後期に再建されたものだが、スケールとしては大阪で1、2を争うという。中に収められている本尊の聖観音像は1寸8分しかないのだが・・。外陣にてお勤めをする。この水間寺は祈祷の申し込みが結構あるのか、内陣には祈祷を受ける人たちが入れ替わり立ち替わりする。その都度、観音経や般若心経を読む僧侶の声が内陣に響く。私もそのリズムに便乗させていただく。

そして本堂の一角にある納経所で朱印をいただく。改めて納経帳を見返すと、やはりその前の2番、3番の頁が空白なのが気になる。まあこれは私なりのルールの影響で、そうなるのは仕方がない。

さて、その後も内陣での祈祷、あるいは本堂前でのクルマの安全祈願の声を聞きながら、やはりここは次へのサイコロである。

1.大阪市内(太融寺、鶴満寺)

2.龍野(斑鳩寺)

3.高槻(安岡寺、神峯山寺)

4.京都市内(大報恩寺、誓願寺)

5.比叡山(横川中堂)

6.西神明石(太山寺)

・・・ここに来て、サイコロの選択肢が6個になっているのに気づく。最後の瑠璃寺を除く各札所をエリアに分けたのだが、ようやくサイコロの目に全てが収まるところまで来た。そして出たのは、「4」。今度は京都市内。これからが本格的な混雑期になるわけで、さてどのように回ろうか・・・。

もう少し境内を回る。「聖観音出現の滝」というのがあり、境内の一角を抜けると滝を見下ろす場所に出る。この地で行基が龍神から聖観音像を授けられ、それ以後、水間寺が長く信仰されるようになったという。

さて境内はここまでだが、裏手にはさまざまな神仏が安置されている。奥の院に当たる南ノ院に虚空像菩薩がいるのをはじめとして、さまざまなお堂がある。

また、水間寺の裏手は水間公園として整備されている。芝生広場でキャッチボールやサッカーのパスのやり取りをしている人も目立つが、公園全体は花見会場。敷地にシートを広げて盛り上がるグループも多い。まあ、これまでなかなかスッキリしなかった開花状況も、この日は一気に花開いたかのようである。私も今季ここまでゆっくり花を見ていなかったが、この日にここに来ることができて面白かった。そして人の多さに、近隣でも知られたところなのかなと思う。

水間寺の参詣、そして水間公園の花見ということで、この日に多少無理しても出かけてよかったと思う。ここで水間観音駅に戻り、次の列車で貝塚に出てボチボチ帰ろうかなとしたのだが・・・。
コメント