まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第16番「延暦寺横川中堂」~新西国三十三所めぐり・37(豪華メンバー登場)

2017年07月06日 | 新西国三十三所
比叡山上のシャトルバスで横川に到着。比叡山の中でも奥に位置するためか、ここまで来る人はそれほど多くないようだ。

入口にて京阪の巡拝チケットを提示すると、各エリアの境内図が書かれたパンフレットを渡される。これにスタンプが押してあり、これが拝観券代わりとなる。

延暦寺といえば天台宗を開いた伝教大師最澄が創建した・・・と、学校の歴史の時間には習うかと思うが、これだけの規模の寺院が全て最澄一代でできたわけではない。この横川は第3代の天台座主である慈覚大師円仁の手で開かれた。その後は比叡山の修行の場としても受け継がれている。

境内の参道には、さまざまな宗派の開祖たちがこの横川で修行したと、パネルが紙芝居のように並ぶ。鎌倉時代に興った宗派では、曹洞宗の道元、浄土真宗の親鸞、そして日蓮宗の日蓮というそうそうたるメンバーである。座禅、念仏、法華経という、大乗仏教のオールラウンド的な天台宗から興ったもので、各分野の中からこれらの逸材が出ているわけだ。

参道を抜けると、石垣の上に舞台造りの土台が組まれていて、朱塗りの建物がある。これが横川中堂。遣唐使船をモデルにしたそうで、現在の建物は昭和の再建である。こうした舞台造りの本堂、西国三十三所めぐりの札所でもいくつかあったように思う。それらの札所はいずれも天台宗系で、横川中堂を真似たのか、あるいは天台の教えにそのようなものがあるのか。

靴を脱いで外陣に入る。ここは聖観音を真ん中にして、左右に毘沙門天と不動明王が安置されている。内陣の扉にお参りの作法が書かれていて、これら三種の真言を唱えるとある。一段下がったところで懺悔文、開経偈、般若心経、真言をモゴモゴとお勤めする。横川中堂の中は一巡できるが、それぞれに奉納された観音像が並ぶ。長年の信仰の積み重ねであろう。これらの観音像があることも、横川中堂が新西国の一つに選抜された要因だろう。

横川エリアはさらに奥に広がるので回ってみる。参道は木々に覆われていてなかなかの雰囲気である。やって来たのは恵心堂。阿弥陀如来を祀り、平安時代に浄土信仰、南無阿弥陀仏を広め、後の浄土宗や浄土真宗のベースを作った恵心僧都源信も祀っている。ここは毎日扉を開けているわけではないようで、「本日公開しています」との貼り紙があった。お堂の外には源信が書いた『往生要集』の一節が掲示されたり、中には案内の方もいる。このお堂の存在価値をアピールしているかのようである(帰りに近鉄駅にて、奈良国立博物館での源信展のポスターを見かけた。浄土信仰の源を見るという意味では興味深い)。

さらに奥に進むと、元三大師堂に出る。元三大師良源は、第18代の天台座主で、天台宗の中興の祖と称される。一方で「角大師」「豆大師」「おみくじの起源」などさまざまの異名を持つ。いや、「元三大師」というのも異名と言える。さまざまな超人的な逸話や伝説を持ち、乱暴な言い方をすれば、生真面目キャラの多い天台宗にあって、唯一真言宗の弘法大師と力の真っ向勝負ができるのでは?と思わせるところがある。横川エリアに来る人の中には横川中堂よりも元三大師堂がお目当てという向きもあるそうだ。お堂の扁額にも元三大師信仰が現れていて、比叡山の奥地によく似合うように思えた。

こうした諸堂を回る参道には西国三十三所の各本尊の石像が置かれている。横川を一回りするだけでもさまざまな祈りができる仕組みである。

さて横川の門前に戻る。新西国については、この後は金剛城寺(リベンジ)~瑠璃寺と、回る順番は決まっているのでもうサイコロで行き先を決める必要はないが、比叡山全体がさまざまな札所めぐりのポイントになっている。またここに来る日があるだろう。

山内のシャトルバスに乗り、今回は西塔エリアはそのまま通過して、ただ根本中堂には行こうとバスセンターまで戻る。昼を回って食事がまだだったが、バスセンターの休憩所に、延暦寺御用達、坂本の本店が有名な鶴喜そばのカウンターがある。ここで昼食のせばをいただき、土産物も購入してさて根本中堂に向かおうとしたのだが、外はえらいことに・・・。
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