まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第20番「智積院」~近畿三十六不動めぐり・31(三十三間堂へ立ち寄り)

2019年03月02日 | 近畿三十六不動
近畿三十六不動めぐりも残り6ヶ所となり、平成のうちに最後の番号である高野山に向かうつもりである。何回か触れているが、四国八十八所のお礼参りで奥の院に向かうのと合わせてである。

今回のエリアは鴨川の東に並ぶ聖護院、青蓮院、智積院である。当初は1日で一気に回ろうかと思っていたが、同じ東エリアでも結構南北に離れている。まあ、都度来ればいいかと3つを回ることは見送り、札所番号は最も後になる第20番の智積院に向かう。訪ねたのは2月24日、なぜ智積院から回ることにしたかについては後ほど触れようと思う。

札所めぐりで京都に向かう定番になっている京阪特急に乗り込む。今回はプレミアムカーは利用せず、ダブルデッカー車の下段席に座る。目線がちょうどホームの足元に来るのだが、下手にカメラを構えていると何だか疑わしい行為に見えないかと思う。

線路に近いぶんスピードをより感じるし、車輪の振動も心なし静かに感じる。天井が低いのは仕方ないとして結構落ち着いて過ごせる空間である。

七条で下車する。目指す智積院は七条通をまっすぐ東に進み、東山通と交差する突き当たりにある。歩いて10分という距離。

智積院を前にして、その七条通の両側には2つの有名スポットが並ぶ。左手(北)には京都国立博物館、右手(南)には国宝三十三間堂である。京都の場合、有名なスポットや寺社がそこかしこに存在していて、全てを回るとなるとどれだけ時間がかかるやらというところである。まあ、どちらか片方に入ろうとまず博物館の特別展の案内板を見たが、私としてそこまで気を引くものではなかった(その後4月から開催される一遍上人絵伝のほうが面白そうだ)。

ということで、三十三間堂に向かう。ここもいつ以来かというところで、少なくとも拙ブログに登場するのは初めてである。

三十三間堂は正式には蓮華王院といい、その本堂を三十三間堂と呼んでいる。なお「三十三間」とは距離ではなく、お堂の中の柱間が33あるという造りから来ている。さらに、観音菩薩が33の変化身を持つという教えにもつながっている。中に千体の観音菩薩像が並ぶ様子は実際に見たことがなくてもテレビや歴史の教科書でご存知の方も多いだろう。

拝観料を払って境内に入る。まずは遊歩道に従ってお堂を外から眺める。元々は後白河法皇の御所として建てられたが、火災により焼失、その後鎌倉時代に復元されたものがベースである。豊臣秀吉も境内を整備したそうだ。その時の門や土塀が残されている。

今は柱も重厚な感じの色合いだが、当初は朱塗りの柱で内装も極彩色だったという。

外側を一周して中に入る。この先は撮影禁止のため、その様子はネットの中の画像をご覧いただくとして、千体の観音像がステージの上で規律正しく並んで手を合わせている姿は、正にここでしか見ることはできない。

観音像は全部で1001体。本尊の千手観音を中心として両側には500体ずつ並ぶ。またその前段には二十八部衆、風神雷神像も立ち、勢揃いで拝観者をお出迎えしているように見える。拝観者それぞれに感心しながらお堂の通路を歩く。千体といってもそれぞれ少しずつ表情や手にしたものの形が異なっているが、五百羅漢ほどの表情の差は見られない。また、通路近くに立つ観音像はじっくり見ることができるとして、奥の上段に立つ観音像などはいつまでも「その他大勢」の扱いなのかな。どうせ拝観者にはわからないのだら時々立ち位置を入れ換えてやってもいいのではとも思う・・。

ただその中でも湛慶作のものなどトップクラスの観音像があるそうで、以前は東京や京都の国立博物館に寄贈されていたが、千体の観音像が国宝に指定されたのを機に昨年「里帰り」した。

まずは千体観音を見たが、その後ろとなると「通し矢」の舞台である。成人の日にちなんで新成人が矢を射る行事だが、これが行われるようになった江戸時代には、全長121メートルの軒下を通す武芸の競技だった。何本矢を通したというのを記念して額を奉納したとあり、今も残されている。ちなみに弓道は的までの距離は28メートル、長いので60メートルだという(現在の新成人の「通し矢」は60メートル)。いずれも戦場での実戦から算出された距離だそうで、121メートル通すというのは一つの独立した種目だと言っていいだろう。ゴルフのドラコンとか、野球の遠投みたいなものかな。

お堂の外、そして中をそれぞれ一巡する形で三十三間堂の拝観は終わり。これから智積院に向かう・・・。
コメント