まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第1番「霊山寺」~四国八十八所「満願」

2019年03月18日 | 四国八十八ヶ所
高徳線の板東駅から霊山寺を目指す。駅からは道路に緑のラインが引かれている。霊山寺まで続いており、まず第1番を目指す人たちへの道案内である。これも広い意味での「お接待」と言ってもいいのかな。

午後の時間帯、今から歩き遍路をしようという人はいないだろう。どころか、地元の人を含めた歩行者の姿を見ない。

「四国第一番」の石柱に出る。この道を歩くと突き当りで霊山寺である。88の札所を回り、何だか懐かしい思いを持って正面に見える山門に向かう。境内は白衣、笈摺姿の人もあるが、「第1番」というのは普通に観光地的要素もあるようで普通に参詣する人も多い。

気持ちをリセットさせるつもりで手水を使い、右手の大師堂は後にして正面の本堂に向かう。本堂の外陣に吊るされた灯篭にも懐かしいものを感じる。改めてのお勤めである。これまで回ってきた数々の札所のことも思い出すところだ。

確か本堂の中に納経所があり、かつて巡拝した時は夏だったこともあり冷房に当たったのも覚えている。しかし現在は空きスペースになっており、納経所は外の駐車場にある遍路用品売り場と統合したとある。

不動堂、十三仏にも手を合わせた後、大師堂に向かう。お堂の前に池があり、橋を渡って着くのも演出的だ。

ちょうどこの記事を書いているところで、NHKの土曜夜の「ブラタモリ」で鳴門編というのをやっていた。鳴門が四国の玄関であること、中央構造線の断層によってできた吉野川流域の撫養街道を行くことで霊山寺が「第1番」になったこと、遍路へのお接待文化も玄関ならではのこと、そしてお接待文化がひいては第一次大戦でのドイツ兵の板東捕虜収容所での手厚い保護~第九の演奏につながったこと・・・と、タイムリーで楽しめた。

それはさておくとして、駐車場にある納経所に向かう。前回の朱印は本堂内の納経所で受けたし、その後は寺の西側にある「門前一番街」に行ったため、この建物に入るのは初めてである。ここで遍路用品一式が揃うということで「どれにしようかな」と選ぶ人の姿もある。身軽な出で立ちなのでクルマで回るのかな。

奥が朱印受付のコーナーとなっていて、「お礼参りで来ました」と納経帳を差し出す。係の人は納経帳をパラパラとめくり、他にいくつかいただいた朱印のページも見た後で、一番最後のページを開く。そしてサラサラと筆を走らせる。中央の宝号も通常の「釈尊」とは違い、また通常どこの札所でも入れない日付も入る。これで納経帳としては「満願」となった(高野山奥の院が残っているが)。そして、「これはお接待です」と、菩提樹の実で作ったという腕輪念珠もいただく。

88番の大窪寺では「結願証明書」をいただいたのだが、ここ霊山寺は「満願之証」を出している。納経所でサンプルも大々的に貼られているので寺としても書く気満々であろう。また、これから八十八所めぐりを始めようという人にも、「ここまで戻って来てな」というPRにもなるのかな。お礼参りをするに当たってこの証明の存在を知ったのだが、こちらもいただくことにする。

申し込み用紙を渡され、名前と満願の回数、そしてどのサイズにするかを記入する。「満願之証」はA4サイズで1000円。なお価格もいくつか設定されていて、A4サイズで連名なら1500円、A3サイズで1名なら2000円、A3サイズで連名なら2500円となっている。持ち運びのこともあるのでA4サイズを選択する。

そして「ご苦労様でした」と押し頂いて渡されたのがこちら。「第一回」とあるのは、この先第二回、第三回と続くことを期してのことだろうか。

私もこれで八十八所めぐりを一巡させたわけだが、改めて第2回を行うかどうか。今終わったばかりということもあるが、現在のところその予定はない。大窪寺を回った時も、それまでの道中で「ああすればよかった」「ここにも行ってみたい」という「煩悩」が出てきたのが皮肉だと感じたのだが、時間が経つとまた行ってみたい気になるのかもしれない。ひょっとしたらまたいつの日か、四国を歩くこともあるだろう。

駅に戻り、次の徳島行きに乗る。次は鳴門線との分岐がある池谷。最初に霊山寺を訪ねた時は板東ではなく池谷で下車し、ここから歩いて一番前談義所の十輪寺にお参りした。そういう意味では出発点と言っていいところだった。

徳島に到着。この駅に降り立つのも、阿波の札所を打ち終えて以来である。帰りのバスまで時間があるので、改めての「打ち上げ」としよう(お礼参りと言いつつもこれが目的だったというフシもあるが・・)。

ということで来たのは駅前の「安兵衛」。郷土料理を楽しむなら隣にある姉妹店の「味祭」だが、「創業昭和40年」の大衆酒場で地元の味を楽しむほうを選ぶ。こちらも吉田類さんの「酒場放浪記」で紹介された店である。夕方の時間帯、カウンターは地元のおじさま方で結構埋まっていて、テーブルもグループ客で賑わっている。さすがは人気店だ。

四国八十八所の満願を祝しての大ジョッキ。

焼き鳥も「かたい」と「やわらかい」の二種あり、それぞれ一皿ずつ注文。また短冊にほたるいかがあったので注文すると、スーパーで売られているパックのラップをはがしたままと思われるものがドンと出てきた。これも大衆酒場らしい。

また三芳菊の燗酒、おでんなどをいただき、これで「締め」と相成った。よい心持ち。

順番が逆かと思うが、ホテルサンルートの中にある「びざんの湯」につかる。ホテルの宿泊者だけでなく、外来でも有料で入浴ができる。窓の外に眉山を眺めながらの一浴というのも「締め」にふさわしい。

18時45分発のJRバスに乗車する。この日はガラガラの乗車率で、徳島市街を抜け、松茂、鳴門と順調に進む。さすがにこの後は眠っていたようだ。特に渋滞もなく定刻より10分ほど早く湊町バスターミナルに戻ってきた。

これで残すは高野山の奥の院へのお参りとなった・・・。
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