まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第18番「聖護院」~近畿三十六不動めぐり・32(聖護院◯◯とかありますな)

2019年03月31日 | 近畿三十六不動
平成30年3月31日、年度でいえば最終日。翌日の4月1日には新たな元号が発表される。時代の移り変わりをひしひしと感じる時である。
 
この数年、関西を中心として札所めぐりであちこち出歩いているが、「平成」の終わりまでで一つの区切りをつけようと思う。西国三十三所めぐりは2巡目を終えたところで充電期間だし、残るのは近畿三十六不動めぐりと、四国八十八所めぐり。不動めぐりの結願と、四国めぐりのお礼参りを兼ねて4月中に高野山には行く予定である。
 
不動めぐりでその前に残る札所は3ヶ所。31日に、くじ引きとサイコロで決めた順番に従い、京都市街にある18番の聖護院と、19番の青蓮院を回ることにする。
 
先に聖護院を訪ねようと、京阪電車の快速特急「洛楽」と準急を乗り継いで、神宮丸太町で下車する。丸太町通を東にてくてくと歩く。少し北には京都大学がある一帯で、通り沿いには熊野寮というのもある。京大の寮って立ち退きだ何だとか言われてなかったかなと思うが、4月の新入学を控えて侵入の寮生募集の看板も出ている。中の運営がどうなのかは知らないが。
 
熊野神社の前を通る。通りにも桜の枝が伸びてきているが、結構咲いている。4月を前にして春の景色である。
 
これから目指す聖護院だが、京都の銘菓「八ッ橋」の老舗である聖護院八ッ橋の建物がある。またそれと張り合うように西尾八ッ橋という店もある。まあ、地元の銘菓とされるものには複数の老舗が並ぶものだが、八ッ橋、聖護院というと、確か訴訟が起こされていなかったか。要は、「誰が、いつ、八ッ橋を初めに売り出したか」という争いである。井筒八ッ橋が聖護院八ッ橋を訴えている(逆だったかな?)そうだが、八ッ橋に限らず甘い菓子を避ける私にとっては別にどっちがどうでもいいことである。京都の人もヒマどすなあ・・・てなもんである。
 
さて聖護院に到着。八ッ橋は別に聖護院が作っているわけではなく、聖護院を中心とした一帯の地名から取られた名前である。門をくぐったところの枝垂れ桜が開花しており、訪ねる人たちが次々に撮影していた。
 
正面に参拝入口があり、靴を脱いで上がる。一般の参拝順路ということだがそのまま奥に通り、階段で2階に上がるように案内板が出ている。え、2階? しかも近代的な建物で、普通に階段を上がる。
 
現れたのは仏間ということだが、畳何畳敷きの広間の奥に仏像が祀られている。近畿三十六不動の札所で不動明王像もあるし、役行者像、阿弥陀如来像も祀られている。あら、これで近畿三十六不動の札所でございと言うつもりかな。こういうのって、歴史あるお堂にあるものではないのかな。
 
改めて聖護院の歴史について触れてみる。聖護院を開いたのは平安中期の増誉という僧とされている。智証大師円珍の弟子で、大峯山にて修行したことがあるが、白河上皇の熊野詣の先達を務めた功績により寺を開くことを許されたという。聖護院は後に修験僧を集めるようになり、現在では本山修験宗という天台宗系の総本山でもある。
 
先ほど参詣した本坊とは別に境内への入口がある。修復されて間もない宸殿と不動堂が並ぶ。ロープで仕切られていて入れるのはごくわずかな範囲だけで、遠くから見るだけである。公開されるのは春と秋の限られた時季だが、2月3日には節分行事もあり、前日から見物することができる。2月3日か・・・今年は西国三十三所2巡目の最後として姫路の圓教寺に参詣していた。当日節分の豆まきが行われるからというのもあったが、実は聖護院でも同じような行事があったという。うーん、先に聖護院に来てもよかったかもしれない。
 
外から見ればこういう建物だったのだなと納得して聖護院を後にするが、これは他の門跡寺院と同じく、寺に参詣したという実感がわきにくい。まあ、聖護院の場合はここにお参りするというよりは、ここを起点として各地の修行に旅立つためのスポットと言えるのかもしれないが。
 
さて、この後は第19番の青蓮院を目指して歩く。その前に立ち寄りスポットしては平安神宮がある。神宮に続く疎水沿いの桜も少しずつ開花する中を歩く。
 
神宮の手前には2017年にオープンした土産物店、レストランが集まる「京都・時代祭館 十二十二(トニトニ)」がある。いわゆるインバウンド客向けの建物だが、日本人も普通に入ることができる(こういう書き方、ひねくれてないかな?)。何か土産ということだが、聖護院といえば・・・ということで、ラベルに「聖護院かぶらを使用」と書かれていた老舗・大安の千枚漬を購入する。聖護院かぶらとは、聖護院の周りで栽培されていたかぶらで、千枚漬を仕込む風景は京の冬の風物詩としても有名である。
 
しかしながら、聖護院の周りは京都の市街地である。現在はそのブランドは残しつつも、かぶらそのものは亀岡などの丹波地区で栽培されているのだとか。近年では京野菜のブランド化も進められていると聞くが、実態としては「京都」の範囲を拡大しなければならないのかなと、大人の事情を探ってしまう。まあ、丹波でもオリジナル、あるいはそれ以上の質のかぶらが育ち、都に供給されているのであれば悪いことではないが。
 
せっかく来たので平安神宮にも手を合わせることにする・・・。
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