高徳線にて四国満願の旅。三本松から2駅、この列車の終着である引田に到着した。12時27分着で次が14時19分発。ちょうど町歩きにいい間隔かと思う。
引田は先ほどと同じ東かがわ市だが、香川県の最東部に位置する。播磨灘に面した港町で(そういえば三本松の港もそうだが、「播磨灘」という言葉が出ると、四国から関西に戻りつつあるのを感じる)、醤油の醸造で栄えた歴史を持つ。古い町並みも残っているので散策しよう。
まず立ち寄ったのが積善坊(しゃくぜんぼう)という寺。駅前に看板があったので訪ねたところ、目立つのは山門に立つ仁王像で、赤や青に彩られているのにうなる。これまで何体も仁王像に出会ったがここまでカラフルなのは初めてだ。
また「讃岐成田山」ということで、千葉の成田山不動尊の分身を祀っているとある。
境内にある由来によると、積善坊は奈良時代に行基がこの地を訪ねた折、漁師たちの営みを見て地蔵菩薩を祀ったのが始まりとある。その後、源義経が屋島に進軍した時に地蔵菩薩に勝利を祈願したともある。このことから地元では「つりあげ地蔵」として親しまれている。江戸時代には高松藩の保護を受け、先ほどの仁王像は文化・文政の頃のものだという。そして、昭和の初めに成田山不動尊の分身を勧請したとある。結構さまざまな歴史を持つ寺のようだ。
また、西行が讃岐で亡くなった崇徳上皇を偲んで訪ねた際に詠んだ歌の石碑もある。積善坊という寺があること自体、現地に来て初めて知ったのだが、こうした歴史に触れるのも面白いものである。
引田では毎年町家の雛祭りが行われるそうで、祭りの期間は終わったが、通りではあちこちで人形を公開している。こうした景色に本格的な春の訪れを感じる。昔ながらの商家や、かつての郵便局の建物を利用した喫茶店など、初めて歩く引田の町に感心する。
「讃州井筒屋敷」というのに出る。江戸時代に栄えた醤油醸造の井筒屋(佐野家)のかつての屋敷や蔵を修復したものである。母屋の公開や、かつての蔵を土産物店、食事処、体験工房などにリニューアルしたスポットだが、屋敷は・・別にいいかな。食事も昼時で、海鮮ものがある、生ビールもあるが、見送る。普段の鉄道旅行ならビールだが、この後で霊山寺にお礼参りなので飲むわけにもいかない(ここまでの心境は、高徳線の途中下車の旅がメインで、霊山寺へのお礼参りが付け足しかという感じだが)。まあ、土産物店でいくつか土産物を買い求めたことで良しとする。
ビールはさておき食事をどうするか。訪ねたのは讃州井筒屋敷から少し歩いた「かめびし屋」。ベンガラ色の壁がインパクト感じる建物だ。江戸時代から続く醤油醸造の老舗だが、新しい感覚のビジネスも取り入れていて、讃州井筒屋敷と並ぶ引田の代表的なスポットという。
ここでうどんが食べられるというので、昼食とする。醤油の老舗だから、うどんに生醤油を垂らす醤油うどんだ!・・というつもりだったが、イチオシは「もろみうどん」と勧められる。もろみ・・液体の醤油を搾り出す前段の固形物である。
うどんができるまで少し時間を要するとのことで、待ち時間は物販コーナーを見て回る。一口に醤油といってもさまざまで、醸造のやり方次第で濃口、薄口それぞれのモノができる。いろいろ試食できるようになっていて、小さなスプーンですくった一滴を手の甲に落としてなめる。中には他社の醤油の試食もある。「かめびし屋の醤油は他のとはちゃうぞ」というアピールなのかな。
さて「もろみうどん」。うどんの上の黒い物体がもろみで、丼の底にある出汁と絡めるように全体を混ぜる。できたのは味噌煮込みうどんのような色合いのもの。それでもしつこい感じがなく、ちょいと濃い目の醤油うどんというところ。
また付け合わせには醤油を塗った焼きおにぎり。醤油どころの引田らしさを味わうことができた。
まだ時間があるので、誉田八幡宮にお参り。
その麓にあるのが中世から風待ち港として栄えた引田の港である。往時は醤油の積出港だったそうだが、今は静かな漁港である。小型漁船が停泊し、防波堤では地元の人らしいのが釣糸を垂らす。のどかな雰囲気だ。
海の対岸は讃岐と阿波の境目の山地。大坂峠というのがある。先ほど訪ねた與田寺からさらに歩いて霊山寺に向かう場合はあの山を越すことになる。今の私はこの後で高徳線で山越えだ。
河口には結構大きな魚が群れをなして泳いでいる。何の種類だろうか。ちょっと不気味な見た目だし、あまり食用に適していないのかもしれない。
途中下車を楽しんで駅に戻り、14時19分発の徳島行きに乗る。次の讃岐相生が香川県最後の駅で、少しずつ上りに差し掛かる。木々の間から青い播磨灘も見る。長いトンネルの中で県境を越えた。
徳島県に入って最初の阿波大宮を過ぎると、次は板野である。私の四国八十八所めぐりにて、第1回の初日、第3番の金泉寺で打ち止めとしてこの駅から徳島に戻り、翌日はこの駅から第4番の大日寺に向けて歩いた。結局この第1回は、第7番の十楽寺まで行ったところで暑さのためにギブアップ、早々に路線バスで徳島に戻り、そのまま帰阪した。ちょっと苦い思い出でもあるが、その時と比べて少しでも気持ちの落ち着き、余裕というのは出てきたのかなと思う。それだけでも四国を回ってのプラスがあったのかな。
板野駅から大日寺へ歩いた時に渡った踏切を通過する。あの時、踏切の脇に建てられた何かの石碑と、その向こうの線路を見たなと、当時の映像が浮かぶ。
板野を過ぎ、阿波川端、板東と続く線路の左手には霊山寺から続く遍路道がある。ここは「逆打ち」の感覚だ。
板東に到着。ホームには菜の花、そして桜?が咲いている。すっかり春の景色で、お礼参りの歓迎かなと思う。
待合室で笈摺を取り出し、ブルゾンの上から羽織る。ようやく霊山寺へのお礼参りである・・・。
引田は先ほどと同じ東かがわ市だが、香川県の最東部に位置する。播磨灘に面した港町で(そういえば三本松の港もそうだが、「播磨灘」という言葉が出ると、四国から関西に戻りつつあるのを感じる)、醤油の醸造で栄えた歴史を持つ。古い町並みも残っているので散策しよう。
まず立ち寄ったのが積善坊(しゃくぜんぼう)という寺。駅前に看板があったので訪ねたところ、目立つのは山門に立つ仁王像で、赤や青に彩られているのにうなる。これまで何体も仁王像に出会ったがここまでカラフルなのは初めてだ。
また「讃岐成田山」ということで、千葉の成田山不動尊の分身を祀っているとある。
境内にある由来によると、積善坊は奈良時代に行基がこの地を訪ねた折、漁師たちの営みを見て地蔵菩薩を祀ったのが始まりとある。その後、源義経が屋島に進軍した時に地蔵菩薩に勝利を祈願したともある。このことから地元では「つりあげ地蔵」として親しまれている。江戸時代には高松藩の保護を受け、先ほどの仁王像は文化・文政の頃のものだという。そして、昭和の初めに成田山不動尊の分身を勧請したとある。結構さまざまな歴史を持つ寺のようだ。
また、西行が讃岐で亡くなった崇徳上皇を偲んで訪ねた際に詠んだ歌の石碑もある。積善坊という寺があること自体、現地に来て初めて知ったのだが、こうした歴史に触れるのも面白いものである。
引田では毎年町家の雛祭りが行われるそうで、祭りの期間は終わったが、通りではあちこちで人形を公開している。こうした景色に本格的な春の訪れを感じる。昔ながらの商家や、かつての郵便局の建物を利用した喫茶店など、初めて歩く引田の町に感心する。
「讃州井筒屋敷」というのに出る。江戸時代に栄えた醤油醸造の井筒屋(佐野家)のかつての屋敷や蔵を修復したものである。母屋の公開や、かつての蔵を土産物店、食事処、体験工房などにリニューアルしたスポットだが、屋敷は・・別にいいかな。食事も昼時で、海鮮ものがある、生ビールもあるが、見送る。普段の鉄道旅行ならビールだが、この後で霊山寺にお礼参りなので飲むわけにもいかない(ここまでの心境は、高徳線の途中下車の旅がメインで、霊山寺へのお礼参りが付け足しかという感じだが)。まあ、土産物店でいくつか土産物を買い求めたことで良しとする。
ビールはさておき食事をどうするか。訪ねたのは讃州井筒屋敷から少し歩いた「かめびし屋」。ベンガラ色の壁がインパクト感じる建物だ。江戸時代から続く醤油醸造の老舗だが、新しい感覚のビジネスも取り入れていて、讃州井筒屋敷と並ぶ引田の代表的なスポットという。
ここでうどんが食べられるというので、昼食とする。醤油の老舗だから、うどんに生醤油を垂らす醤油うどんだ!・・というつもりだったが、イチオシは「もろみうどん」と勧められる。もろみ・・液体の醤油を搾り出す前段の固形物である。
うどんができるまで少し時間を要するとのことで、待ち時間は物販コーナーを見て回る。一口に醤油といってもさまざまで、醸造のやり方次第で濃口、薄口それぞれのモノができる。いろいろ試食できるようになっていて、小さなスプーンですくった一滴を手の甲に落としてなめる。中には他社の醤油の試食もある。「かめびし屋の醤油は他のとはちゃうぞ」というアピールなのかな。
さて「もろみうどん」。うどんの上の黒い物体がもろみで、丼の底にある出汁と絡めるように全体を混ぜる。できたのは味噌煮込みうどんのような色合いのもの。それでもしつこい感じがなく、ちょいと濃い目の醤油うどんというところ。
また付け合わせには醤油を塗った焼きおにぎり。醤油どころの引田らしさを味わうことができた。
まだ時間があるので、誉田八幡宮にお参り。
その麓にあるのが中世から風待ち港として栄えた引田の港である。往時は醤油の積出港だったそうだが、今は静かな漁港である。小型漁船が停泊し、防波堤では地元の人らしいのが釣糸を垂らす。のどかな雰囲気だ。
海の対岸は讃岐と阿波の境目の山地。大坂峠というのがある。先ほど訪ねた與田寺からさらに歩いて霊山寺に向かう場合はあの山を越すことになる。今の私はこの後で高徳線で山越えだ。
河口には結構大きな魚が群れをなして泳いでいる。何の種類だろうか。ちょっと不気味な見た目だし、あまり食用に適していないのかもしれない。
途中下車を楽しんで駅に戻り、14時19分発の徳島行きに乗る。次の讃岐相生が香川県最後の駅で、少しずつ上りに差し掛かる。木々の間から青い播磨灘も見る。長いトンネルの中で県境を越えた。
徳島県に入って最初の阿波大宮を過ぎると、次は板野である。私の四国八十八所めぐりにて、第1回の初日、第3番の金泉寺で打ち止めとしてこの駅から徳島に戻り、翌日はこの駅から第4番の大日寺に向けて歩いた。結局この第1回は、第7番の十楽寺まで行ったところで暑さのためにギブアップ、早々に路線バスで徳島に戻り、そのまま帰阪した。ちょっと苦い思い出でもあるが、その時と比べて少しでも気持ちの落ち着き、余裕というのは出てきたのかなと思う。それだけでも四国を回ってのプラスがあったのかな。
板野駅から大日寺へ歩いた時に渡った踏切を通過する。あの時、踏切の脇に建てられた何かの石碑と、その向こうの線路を見たなと、当時の映像が浮かぶ。
板野を過ぎ、阿波川端、板東と続く線路の左手には霊山寺から続く遍路道がある。ここは「逆打ち」の感覚だ。
板東に到着。ホームには菜の花、そして桜?が咲いている。すっかり春の景色で、お礼参りの歓迎かなと思う。
待合室で笈摺を取り出し、ブルゾンの上から羽織る。ようやく霊山寺へのお礼参りである・・・。