9月7日、まだ外は暑さを感じる中で岡山の法界院に向かう。中国バスの法界院参道口というバス停も近くにある。本数は1時間に1本というところで、タイミングが合えば帰りに乗ってみよう。
バス停からは最近新たに建てられた感じの住宅が並び、その先に山門がある。
法界院は正しくは金剛山遍照院法界院という名前である。奈良時代に報恩大師により開かれたとされていて、戦国時代に現在の場所に移ってきた。江戸時代には岡山藩の池田氏の保護を受け、現在の本堂や山門は江戸末期の建造という。
山門をくぐる時にふと見上げると、天井に動物が描かれている。見たところでは鳳凰、獅子、麒麟である。またこの時は気づかなかったのだが、奥には孔雀も描かれているそうだ。仏教とも縁深い動物たちである。
石段を上がると中門と手水がある。ここに「五つの願い」がある。菩薩の「五つの誓い」というもので、読み下し文が書かれている。
衆生無辺誓願度(衆生は無辺なれども誓って度わんことを願う)
福智無辺誓願集(福智は無辺なれども誓って集めんことを願う)
法門無辺誓願覺(法門は無辺なれども誓って学ばんことを願う)
如来無辺誓願事(如来は無辺なれども誓って事えんことを願う)
菩提無上誓願證(菩提は無上なれども誓って証らんことを願う)
シンプルな造りのテンプル、もとい寺である。駅の名前になるくらいだから由緒ある場所には違いないのだが、休憩スペースがあるくらいで観光スポットというわけでもなさそうだ。さらに石段を上がると本堂がある。まずは扉の前でお勤めである。扉には地元の子どもたちが毎月21日には弘法大師の縁日で賑わうと描いた手作りの絵が貼られている。
棟続きで大師堂がある。四国八十八所の札所でもたまに見られる造りである。中国観音霊場以外の何かの札所というわけではないが、ここでもう一度お勤めである。
この先に道が延びている。奥の院があるようで、それは四国八十八所のお砂踏みのルートにもなっている。帰りの交通機関まで時間もあるのでたどってみる。大正時代に設けられたものだそうで、第1番はいったん境内の入口まで戻り、大師堂の横は第3番。ご丁寧に杖が置かれているが、まあ大丈夫かとそのまま進む。
広がるのは墓地。その合間にお砂踏み霊場がある格好だ。歴史的には墓地のほうが後からできたと思うが、これを見ると法界院は観光や札所めぐりのための寺というよりは、菩提を弔い、墓地の世話をするのが主たる寺なのかなと思う。
墓地の周囲を回るように四国八十八所を回るが、その奥の院の場所に来た。ここには高野山からいただいた砂が埋められていて、手形に手を触れることでご利益をいただけるとある。
合間では丘の下の景色も見える。遠くに旭川が流れ、その橋梁を新幹線が通るのも見える。
一周して元の大師堂まで戻ってきた。各本尊と弘法大師像のセットの前で軽く手を合わせただけだが、これを一つ一つ丁寧に回ると結構な時間がかかりそうだ。そのぶんご利益はありそう。
本坊にある納経所に向かう。窓口に人がいないのでインターフォンを鳴らし、出てきた女性に納経帳を差し出す。
すると女性は困った顔をする。そして発したのは「書けません」というもの。話では住職が法事で本堂に行ってしまい、私はただの留守番なので書くことはできないという。
その法事は11時から始まったという。今は11時を数分回ったところ。つい先程だ。法事なので1時間くらいは戻れないそうだ。これがこの後が融通効く行程なら待つこともできる。ただ、この日は列車ツアー参加で12時には岡山駅にいなければならない。一瞬、ツアーをドタキャンしようかとも思ったが、それも無駄なことである。
「住職が置いてったようですが、これではダメですか?」と差し出されたのは、書き置きの朱印。バインダー対応のようで穴が開いている。その1枚を取って私の蛇腹式の納経帳に当ててくれるがサイズは合わない。いや、合ったところでそれはいただけない。
中国観音霊場の納経帳には蛇腹式で直に書くタイプと、書き置きのバインダー式の両方がある。確かにバインダー式は書き置きが可能だし、住職がいなくても最悪代用となるし、いちいち納経帳本体を持って行かなくてもよいので便利なのは便利である。現に、先程まで回っていた近畿三十六不動めぐりや進行中の西国四十九薬師めぐりは、バインダー式が公式納経帳になっている。ただ、これまで回った中では書き置きですらなく印刷物だったところもあり、何だかありがたみも薄い。
だから、これまで5つだけとはいえ直筆で埋めてきた納経帳がここで崩れるのは良しとしない。
どうしようもないので「ご縁がなかったと思って帰ります」と納経帳もリュックにしまった。
女性は私が逆ギレしたと見たのか、「隣の札所なら代筆できる仕組みがありますよ」とか「申し訳ないのでジュースをご馳走しますよ」とか言うが、そういうことではない。ここはもう1回出直せということだろう。前回、「津山線シリーズ」とかいいながら法界院を通過して誕生寺だけ訪ねたことの報いかもしれない。「住職には言っておきます」と言われたがそれには答えずそのまま寺を後にする。世の中「言っておきます」はあくまで社交辞令で本当に話が伝わることなどない。
納経帳の法界院のページは白紙のまま。この先、岡山県には児島と新倉敷の2ヶ所があり、これらは次回10月に訪ねるつもりなのでその時に出直すか。西国三十三所や四国八十八所のように巡拝者が多くなかば観光の要素もある札所とは違い、中国観音霊場ではこの先同じようなことが起こるかもしれない。まあ、そうなったらその時だ。
参道口からのバスには少し時間があり、津山線の列車とは時間が合わない。確か法界院の駅前に出れば別系統のバスがあるはずと行ってみると、果たして本数が増えていた。その中で先にやってきた宇野バスに乗り込む。津山線よりは多少時間はかかるがそれでも岡山駅まで15分ほどで到着した。
さてここからはクラブツーリズムの旅となる。しばらく駅周辺をぶらつくうちに集合時間である・・・。