九州西国霊場めぐりが続く中、福岡に泊まった時にふと始めることになった九州八十八ヶ所百八霊場めぐり。キャッチコピーには「弘法大師ゆかりの地を巡る全国最大規模の霊場会」とある。1984年、弘法大師入定1150年の記念として、真言宗各派の寺院が集まって開創したという。
博多にある東長寺が第1番で、以後福岡近郊から時計回りに進む。九州全域が対象ということで、九州西国霊場にはなかった熊本県の八代・球磨地方や宮崎・鹿児島両県も含まれ、南は指宿や枕崎まで至る。なかなか壮大なものだが、88番で終わりかと思いきや、ところどころに89番以降、108番までの寺が点在する。これはもともと88ヶ所だったのが、四国の別格二十霊場に合わせてもう20ヶ所追加して、合わせて百八霊場としたものと思われる。
なお、四国八十八ヶ所の場合、一定数の「歩き遍路」というのが存在しており、区切り打ちにせよ歩いてめぐることを勧める向きもあるが、九州については最初からクルマ等で回ることを前提としている。公式サイト内にも「巡拝モデルコース」が掲載されているが、九州の観光地をめぐりながら楽しむ巡拝の旅として、道中の温泉、自然、名所旧跡も楽しんで・・ということも推奨している。考え方もいろいろあるものだが、世の中は広いので九州八十八ヶ所百八霊場を全て歩きで巡拝したという方もいらっしゃることだろう。
いずれにしても数年がかり、どのくらいの期間がかかるかはわからないが、これもご縁だとして始めることにしよう(かつて、中国観音霊場めぐりをやっている最中に私自身が広島に異動となったのだが、まさか九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの途中で九州に異動することはなかろう)。
今回は初日ということもあり、第1番の東長寺を訪ねた後、西鉄、JRを使って筑紫野から鳥栖にかけて点在する第4番の不動院まで行くことにする。なお、原則札所番号順に訪ねるが、そのシリーズ内で順番を入れ替えることは可として、89番以降の札所が近くにあるケースではその時に一緒に訪ねることにする。手段はもちろん歩きにはこだわらず、例のごとく公共交通機関、レンタカーをいろいろ使うことにする。
5月5日、天神の平和台ホテルをチェックアウトする。この日も快晴で、日中は夏日の予報も出ている。朝8時頃だが、天神駅に向かう親不孝通りは前夜に騒いでそのまま朝を迎えたらしい若者のグループがあちこちにいる。前夜からのテンションそのままで朝を迎えて奇声をあげるのもある意味すごい。日曜朝の繁華街でよく見られる光景だ。こういうのを見ると「またコロナが広まって・・・」と嫌悪する向きもあるだろうが。
かく言うおっさんも、いろいろ奇声を発したくなる場面はありますが・・・。
地下鉄で博多まで出て、荷物をコインロッカーに預ける。九州八十八ヶ所百八霊場のスタートが、九州の玄関口である博多駅からというのもよい。第1番の東長寺は地下鉄で次の祗園駅にあるが、両駅はそれほど離れていないのでそのまま歩いていく。
祗園近辺は博多の寺社町エリアとしての歴史がある。そのウエルカムゲートとして建つのが「博多千年門」。地元住民、企業、行政が一体となり、2014年に完成したとある。かつて博多から大宰府を結ぶ官道にあった辻堂口門をイメージしたもので、門扉の木材は太宰府天満宮から寄贈された「千年樟」が使われ、扁額の「博多千年」の揮毫は太宰府天満宮の宮司による。その大宰府近くには九州西国霊場めぐりの第33番である観世音寺(および、元号「令和」ゆかりの坂本八幡宮)があり、いずれ訪ねることになる。
博多千年門をくぐって右手にあるのが承天寺。鎌倉時代、聖一国師弁円が日宋貿易で栄えた博多に宋の商人の援助を受けて開いた寺である。
本堂は檀信徒のみしか入れないようだが、手前の庭には「饂飩蕎麦発祥之地」、「御饅頭所」などの石碑が建つ。日本におけるうどん、そば、饅頭といった粉食文化発祥の地としている。あれ、うどんを中国から持ち帰ったのは弘法大師と言われてなかったかな・・。案内によると弁円は水車による製粉技術を宋から持ち帰ってうどん、そばの作り方を広めたという。別に讃岐うどんと九州うどんの違いではなく、弁円のうどんのほうが現在の一般的なうどんの形に近いということなのかな。承天寺には他にも、博多山笠発祥の地とか、日本近代演劇発祥の地(川上音二郎の墓があるそうだ)とか、いろいろな発祥の地とされている。
承天寺からほど近く、大博通りに面して立派な門構えに出会う。ここが東長寺である。
山門の脇に「弘法大師開基 密教東漸日本最初霊場」の石碑が建つ。揮毫したのは西安・青龍寺の住持とある。青龍寺とは、弘法大師が唐で密教を学んだ寺院で、本家お墨付きの密教寺院であることがうかがえる。
唐から帰国した弘法大師は都に戻る前にしばらく博多に滞在したとされ、密教が東に長く伝わるようにと祈願して寺を建立した。弘法大師が開いた日本最古の密教道場寺院ということで、歴史的には高野山や東寺よりも前になる。大陸からの文化がまず九州北部にもたらされることの現われである。
後に兵火に遭って荒廃するが、江戸時代に福岡黒田藩の菩提所として再興され、現在にいたる。寺で現存するもっとも古い建物は六角堂で、江戸末期のものだという。
本堂はコンクリート造りで、横幅も広く一度に大勢の人が参拝できる。広間の奥には本尊千手観音、不動明王、弘法大師が祀られている。まずはここで九州八十八ヶ所百八霊場最初のお勤めとする。近所の人か、散歩がてらにちょこんとお参りする姿も見かける。
本堂の横には2011年完成の五重塔が建つ。総檜造りで、周囲のビル群との対比が面白い。
東長寺のシンボルとしてもう一つ、「福岡大仏」というのがある。制作に4年あまりの年月をかけて1992年に完成した釈迦如来像で、本堂に隣接する大仏殿に祀られている。この大仏を目当てに参詣する人の姿もちらほら見える。博多にこうしたスポットがあるとは初めて知った。
大仏の高さは10.8メートル、光背と合わせると高さ16.1メートルとある。光背やその後ろの壁には5000体以上もの小仏が祀られている。木像の大仏(坐像)としては日本最大級という。一応拝観料50円とあったが、ろうそく、線香を受け取るよう案内があり、実質はそれらの代金である。火をつけてお供えしてから中に入る。
この大仏では「地獄極楽めぐり」が体験できる。大仏の下をくぐるものだ。まずは地獄絵図の紹介があり、その先に真っ暗な戒壇めぐりがある。左手で手すりを持ち、右手で腰のあたりの高さの壁を探りながら歩くと輪のようなものに触れる。これで極楽往生間違いなしということで・・。
一通り回ったところで納経所に向かい、これから九州八十八ヶ所百八霊場をめぐるための納経帳を所望する。バインダー式ではなく帳面方式とのことで、何せ108ヶ所もあるから納経帳もそれなりの厚さかなと思いきや、案外それほどでもない。
それよりも驚いたのが、あらかじめ各札所の本尊の墨書が「印刷」されているのである。この上から札所番号、ご宝印、寺の印を押していくという、私にとって初めてのパターン。東長寺では寺の方に押していただいたが、やはりローカル線ならぬ「ローカル札所」で、この先住職がお留守という寺にもちょくちょく出会うのだろうと思われる。その場合、書き置きをいただくのではなく自分でこの帳面に印を押すことになるわけだ(そうなると余計にスタンプラリー感が出るわけだが、仕方ない)。
天神から西鉄電車で南下する。ホームには西鉄のグルメ列車「レールキッチンチクゴ」が停車中で、ちょうど太宰府行きの朝の便の予約客の乗車案内が行われていた。土日中心に朝、昼、夕方とそれぞれの場面にあった料理が供されるそうで、またこうした列車にも乗ってみたいものだ。
九州八十八ヶ所百八霊場(この名前も長いので何か省略できればと思うが・・)で次に向かうのは、第2番般若院。最寄り駅である高宮は普通のみ停車ということで、のんびり行こう・・・。