5月15日、北野天満宮から平野神社を経て、西大路通を北上して到着したのは神仏霊場京都13番の鹿苑寺。正式名称は鹿苑寺だが、つまりは金閣寺である。このブログではどちらの名前で呼ぶか。札所めぐりなのだから金閣寺より正式名称の鹿苑寺がふさわいいと思うが、ただ正式名称にこだわるなら、前回の壷阪寺の時点でアウトである。壷阪寺という名前も通称で、正式には南法華寺という。今後も含めて、寺社の呼び方は時と場合によることにする。
ここも修学旅行生であふれていた。制服姿からして中学生だと思うが、先ほど北野天満宮にいたグループかどうかはわからない。他にもガイドに引率された私服の学生グループもいる。
拝観受付の手前に「平和の鐘」というのがある。一突き200円というのはお志として、ここは世界平和を願って鐘を鳴らす。
拝観料は400円。京都を代表する寺院の一つにしては案外安いなと思った。入場券の半券がお札の形をしており、「金閣舎利殿御守護」と記されている。
金閣寺に来たのは小学校、中学校の遠足以来ではないかと思う。そうなると30年以上前のことだ。私はどこかへそ曲がりなところがあって、あまり有名すぎる観光スポットには行きたがらないところがある。京都市内の有名寺院もその中に含まれている。最近でこそ、札所めぐりで有名どころを訪ねる機会が増えたが、金閣、銀閣はこれまでの札所めぐりには含まれていないこともあり、すっかりご無沙汰だった。まあ、これら札所は真言宗、天台宗の寺院が多く、臨済宗というのはほとんどなかったためだが、このたび、神仏霊場巡拝の道にそれらも参加したことで、私も訪ねることになった。
早速、池の向こうに金閣が見える。この先含めて境内には「集合写真禁止」の立て札があちこちにあるが、池の周りにはスマホで記念撮影する人の姿がずらり。外国人の姿もちらほら見える(インバウンドの客ではなく、ビジネス等で滞在している人が休日の息抜きに訪ねた様子だが)。修学旅行生も数人ずつのグループで同行のカメラマンに撮影してもらっている。まあ、ここでいう集合写真とは、団体客が何列にも並んでカメラの人がシャッターを切る・・というスタイルを指すのだろう。
鹿苑寺は足利義満が北山に築いた別荘で、将軍職を子の義持に譲った後もここで政務を執っていたことから「北山殿」と呼ばれた。義満の死後、北山殿は臨済宗の大本山である相国寺の塔頭寺院となり、義満の法号から鹿苑寺という名前になった。
その金閣だが、1950年に放火により焼失した。若狭地方から鹿苑寺に学僧として入っていた男によるもので、この事件を扱った作品として三島由紀夫の「金閣寺」や水上勉の「金閣炎上」などがある。よく、両者の比較対照の材料にもされる作品である。美意識がどうだとか、金閣に対する複雑な思いとか、寺院の拝金主義がどうだとか・・。私はその両方を読んだことがあるが、ノンフィクションに近い形で書かれた水上作品のほうが興味深く読めた。水上自身も若狭の出身で、幼い頃に京都の寺に修行に出されていたから、この男を自分に近い存在としてこの事件をとらえることができたと評されている。
金閣放火事件を取り上げた両者を評した一冊に、酒井順子さんの「金閣寺の燃やし方」というのがあり、これも手にしたことがあるが、私が感想を持ったのは、三島由紀夫と水上勉の対比というのは、プロ野球でいうなれば長嶋茂雄と野村克也のようなものかと・・。
金閣はその後5年ほど経て創建当時に近い形で再建され、私が遠足で見に行ったのはその時の姿だが、金箔がはがれてボロボロだったのを覚えている。「昭和の大修復」が行われたのはその後で、金箔や漆の貼り替えが施され、現在その鮮やかな姿が保たれている。保全技術も進んだことだろう。
金閣はあくまで舎利殿ということで、本堂に当たるのは金閣の手前にある方丈。鹿苑寺としての本尊は方丈に祀られる聖観音像であるが、この方丈自体立ち入ることができないし、手を合わせて拝むという雰囲気ではない。さすがにここで経本を開いてお勤めというのははばかれる。金閣もその美しさに歓声があがるものの、そちらに手を合わせる人は誰もいなかった。鹿苑寺じたい、そういう寺ではないということかな。
多くの拝観客、修学旅行生とともに順路に従って歩く。寺といっても境内を自由に歩き回ることもなく、庭園を見て回る感じだ。足利義満がお茶の水や手洗いに使ったとされる泉や、夕佳亭という茶室などもある。その合間から金閣の遠景を望むこともできる。
そして最後に出たのは不動堂。ここに来て急に雰囲気が変わり、一般的な寺の感じがする。ローソク、線香も多くお供えされ、鰐口を鳴らして手を合わせる光景が広がる。不動堂は安土桃山時代に宇喜多秀家が再建したもので、鹿苑寺に現存する最古の建物だという。神仏霊場の本尊は聖観音だが、代役ではないが不動明王相手にお勤めとする。これで鹿苑寺が普通に手を合わせることができる寺であることを再認識?して、ほっとする。
不動堂の前に朱印所がある。金色を施した金閣オリジナルの御朱印帳もあるが、私が取り出すのは神仏霊場の分厚い一冊である。列を整理していた係の人から「ここに来るまで大変だったでしょう」と声をかけられる。確かに和歌山から札所順で回っていれば100番超で大変だっただろうが、こちらはあみだくじで行き先を決め、結構早い場面で平野神社とのセットでの参詣で・・。ちなみに、朱印帳の真ん中の印は「鹿苑禅寺」、墨書は「舎利殿」「金閣寺」とあった。
ここまで北野天満宮、平野神社、鹿苑寺と西大路通を北上し、昼頃まででもう1ヶ所行けそうだ。この近くなら、西に行けば京都12番の仁和寺、東に行けば京都16番の今宮神社がある。仁和寺なら他の花園、嵯峨方面とのセットとなるが、今宮神社が他の札所と少し離れているので、今回は今宮神社を押さえることにしよう。もうしばらく歩いて行く・・・。