まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第21回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第57番の続編「誕生寺奥之院」(本院よりも立派だった・・)

2025年02月03日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは熊本県の札所をコンプリートして、荒尾、大牟田にある三池炭鉱の産業遺産を見物するところだが、その前に時間もできたことから、前回訪ねることがなかった第57番・蓮華院誕生寺の奥之院に行ってみることにする。札所めぐりとしては本院を訪ねたからクリアしているのだが、やはり気にはなっていた。ここはレンタカー移動の利点である。

カーナビ、そして道路の案内板に従って走り、両側に灯籠が並ぶ坂道に差し掛かる。途中には広い敷地と玉名から有明、雲仙、天草を見渡せるという庭園墓地の蓮華院御廟がある。

坂を上り切り、誕生寺奥之院に到着。それなりの数のクルマが停まっているし、食堂・売店もある。玉名の街中にある本院は巨大な南大門や五重塔、多宝塔があったが、むしろこちら奥之院のほうが本院であるかのようである。訪れる人も誕生寺といえば奥之院という認識のように見える。

円形の心経門をくぐり、入山料として200円を納める。

そして左手に見えるのが、あの大梵鐘「飛龍の鐘」の実物である。重量は一万貫(約37.5トン)あり、京都で鋳造された鐘はトレーラーに積まれて瀬戸内海を渡り、最後は海抜250mのこの地まで、最後の急な坂を一夜で運び上げられたという。当時、そこまで巨大なものを一夜で運べるとは思っておらず、真言密教の加持祈祷のおかげとされ、その様子が天空を飛ぶように感じられたことから「飛龍の鐘」の名がつけられた。

この「飛龍の鐘」、毎朝午前6時と、そして正午には希望する参詣者の中から6名が代表で撞くとある。除夜の鐘の行事も毎年盛大に行われるという。うーん、大牟田でレンタカーを借りた後、荒尾の札所を後回しにして先に奥之院を目指したならば、ひょっとしたら正午の鐘を撞くチャンスがあったかもしれない。

ここで高くそびえるのが、本院よりも大規模な五重塔。この一層が奥之院の本堂にあたるので訪ねてみる。

ちょうど中では祈願が行われており、内陣には数人の方が上がっている。般若心経があり、最後には蓮華院誕生寺の本尊ご宝号である「南無皇円大菩薩」を何度も唱える。

現在の蓮華院誕生寺は昭和のはじめ、川原是信大僧正が皇円大菩薩の夢告を得たことから復興されたが、ここ小岱山の中腹に奥之院を建てることを発願し、1978年に皇円大菩薩の入定800年御遠忌を記念して建立された。この五重塔は各層が修行の道場となっており、最上層からは遠くの景色を望むこともできるという。ただそこまではいいかな・・。

その周りには庭園が広がる。

護摩供が行われるスペースを抜け、女厄、そして男厄の石段を上がる。

この上には堂々とした大仏が鎮座している。こちらが皇円大菩薩である。先ほどのお堂の中だけではなく、こうした大仏にあるとは、どこまでこの大菩薩に対する信仰心が篤いのかと思う。真言律宗の修行の場であり、怪しげな新興宗教と違うのはわかるが、独特である。

それにしても、本院といい奥之院といい、玉名にこうした仏教都市を彷彿とさせるスポットがあるとは、そして誕生寺の場合、本院より奥之院のほうが規模も大きかったとは・・改めて訪ねてよかった。

この皇円大菩薩の大仏の先も境内が続いており、川原是信を祀る開山堂がある。

そして最後は、「縁結びの鐘」である。家族、恋人、隣人という3つの縁結びの鐘があり、あまり人との縁を感じないな・・と思いつつ3つとも鳴らす。

ここから荒尾、大牟田方面の景色。先ほど訪ねたグリーンランドのあたり、そしてその向こうの大牟田の町並み、さらに有明海を望むことができる。ここまで見せてくれるとは、思わずうなってしまう。

境内を一回りしてそろそろ後にしようかというところ、横綱土俵入りの写真パネルが掲げられているのを見つける。白鵬、鶴竜、そして照ノ富士である。照ノ富士については「令和6年奉納土俵入り」とある。大相撲の九州場所は11月だから、その場所前か、あるいは場所後の巡業の時か。なお照ノ富士は令和6年九州場所は初日から休場した。

・・ちょうどこの日(1月12日)は、大相撲初場所の初日。琴櫻、豊昇龍の綱取りがかかる中、その壁となるべく照ノ富士も出場した。しかし初日に力なく敗れ、その後も序盤に黒星がついたことから場所中に引退を表明。初場所で巴戦を制して優勝した豊昇龍が場所後に第74代横綱に昇進した。

検索すると、照ノ富士の土俵入りが奉納されたのは九州場所前の11月3日、奥之院の秋の大祭の時とのことで、皇円大菩薩の大仏を見上げる護摩供のスペースで行われた。またこの日は土俵入りのほか、境内の土俵にて照ノ富士、熱海富士、翠富士の力士が子どもたち相手に稽古するという催しもあったとのこと。ここ蓮華院誕生寺はかつて横綱・初代若乃花と親交があったことから秋の大祭の時に横綱土俵入りが奉納されるようになったそうで、2024年はコロナ禍での中断を経て5年ぶりに執り行われたとのこと。

照ノ富士に稽古をつけてもらった子どもたち、その直後に引退してしまっただけにより思い出深いものになったかな。

参詣後、売店をのぞいてみようと向かうと、入口には「第251代 大関正代」のパネルがお出迎え。八代と玉名、県の南北ではあるが熊本出身の現役力士として特に地元では人気の正代である。初場所では綱取りを目指す豊昇龍に土をつけ、元大関の意地を見せた。

観光地・・とは少し違うが、熊本の最後にこうしたスポット寺院に出会えたことに満足して、山を下りる。このまま、まずは荒尾にある世界文化遺産の万田坑に向かうことに・・・。

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