まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

年越しは飛騨の山中にて

2011年01月06日 | 旅行記D・東海北陸

大晦日の鉄道紀行、富山までやってきた。これから乗る高山線の列車まで時間があるので、少し街に出てみる。幸い雪もやんでいる。

Dscn6780_6 乗ったのは路面電車のセントラム。開業1周年を迎え、すっかり富山の街のシンボルになった感がある。中心部にてセントラムのある風景の写真コンテストの入選作品の展示をやっていると聞いたが、やはり年末のこととて施設そのものが休業のようである。私もこの1月に訪れた際にお気に入りの1枚を撮影したのだが(このコンテストに応募はしていないが)、それと比べてやはり美しいであろう作品を見ようと思ったのだが残念。

Dscn6785_2 富山城では年越しイベントを行うようでその準備に余念がないようである。年越しの宿泊は高山線を入った山間の民宿であるが、富山の街で一日過ごすのもいいかなと思ったりもする。夜の店はどこか開いているだろうし・・・。でもまあ、宿は予約しているから先に進むことに。

Dscn6792 結局総曲輪の書店を冷やかしたりした後、駅に戻る。ここからキハ120系の列車で高山線を南下する。この時期日が暮れるのは早く、乗り換え駅となる猪谷に到着したのは17時過ぎにもかかわらずもう真っ暗である。列車の明かりがいっそう暖かく感じられる。

ここから富山県と別れ、岐阜県に入る。外はもう夜の風情であるが、雪の白いのがはっきりと見て取れる。そんな国境の峠を越えること10分で次の杉原に到着。

Dscn6795 この日の宿はここが最寄り駅。降り立ったのは私一人で、気動車が行ってしまうと静寂に包まれる。飛騨最北端の駅は無人駅で、しんしんと雪の舞う山間の駅である。

ここから雪道を歩くこと3分で、宿となる民宿「ほら」に到着。民宿ではあるがこざっぱりした感じの風情で、若夫婦の出迎えを受ける。列車で来た旨を話すと「高山の方から来られると思って駅までお迎えに行ったんですが」と言われる。高山方面からだと30分ほど前に着く列車があり(つまりそれが猪谷で折り返しているのだが)、当日の迎えのお願いはしていなかったが却って恐縮である。

大晦日の夜に山間の民宿を訪れる人などいるのかと思ったが、宿帳を見るに家族連れ、カップル、一人客も含めて7~8組は宿泊しているようだ。こういう静かなところで過ごそうという人気があるのだろうか。

到着が遅かった(といっても17時半を回ったところだが)ということで、他の客が18時夕食開始のところをずらしてもらい、先に浴場へ。宮川温泉という天然温泉が湧いており、小ぶりながらも岩風呂風にこしらえられた浴場で一人のんびりつかる。大晦日の夜に温泉、一年の疲れを落とすにはよろしいものである・・・・。

Dscn6802 さて料理、広間で他の客と一緒に楽しむ。山間の宿であるが充実した盛り合わせである。通年1泊7500円プラス消費税でこの味を楽しめるのは良心的。そのメインとなるのは飛騨牛。

Dscn6803 飛騨牛の刺身に朴葉味噌焼き。氷見牛とはまた違った柔らかさを楽しむことができる。

Dscn6804 また鮎の塩焼きもあり、一年最後の食事として何ともいえない巡り合わせである。今回の旅行はいずれも2食つきの宿で、街の居酒屋にでかけることはないがこれで充分に満足。

Dscn6800 さて食事が終わると後は部屋でのんびりとくつろぐ。6畳の和室であるが、早速にふとんを敷き、こたつに入りながら富山で買った酒をチビチビとやりながらテレビを見る。うーん、こういうマッタリとした時間を過ごすというのもなかなかなく、これでいいのだと思ってしまう。

残念ながらイーモバイルの受信圏外のために持参のパソコンを使うことができず、テレビのチャンネルを適当にハシゴしたり、携帯でツイッターを追いかけながら時間を過ごす。そうするうちに23時45分となり、NHKの「ゆく年くる年」を見る。紅白歌合戦の賑やかなフィナーレの後、画面が急に変わって寒々とした夜に除夜の鐘が響く・・・この対照が面白い。

そして迎えた0時。そのタイミングに合わせて携帯からツイッターに投稿。これまでにない面白い形で迎えた2011年、何だか印象に残る年になりそうな予感がする。今年も(この記事を書いている時点でもう6日経過しているが)よいことがありますように・・・・。

コメント

大晦日は乗り鉄にて・・・

2011年01月05日 | 旅行記D・東海北陸

Dscn6707 氷見のホテルで迎える大晦日の朝。ホテルの窓の向こうにはわずかだが海も見える。夜明け前は海の上にどんよりした雲が広がるものの東の空は白んでいるなという感じだったが、すぐにしんしんと雪が舞い、暗い感じになった。これが日本海の冬の空かと感心するような、ため息をつくような。

1階の割烹にて朝食。テレビでは鹿児島の大雪の模様を映していた。この年末年始、中国や九州でも大雪を記録しており、おかみさんも「氷見でもこれだけ積もるのはそうないんですけどね」と言っていた。スキーをする人にとってはホクホク顔なんだろうが。

Dscn6708 さて朝の氷見線に乗るべく出発する。ただ氷見の中心部も結構雪が降っており、商店街の人たちも歩道の雪かきに余念がない。また車道では融雪用の水が出ており、水溜りもできている。そんな中、駅までの10分あまりの道のりを歩いたわけだが全身雪まみれになり、バッグにも雪がたまる格好となった。

Dscn6711 駅にたどり着き、やってきた気動車に乗り込んでボックス席におさまった時は朝一番なのにどっと疲れがでたような感じだ。このくらいで音をあげるのならとうてい雪国には住めないなとすら思う・・・。

Dscn6714_2 8時18分発の高岡行きで氷見を後にする。途中も吹雪く感じで前日の夕方とは打って変わった車窓である。当初の計画では雨晴で途中下車して・・・とも思っていたのだが、この天候の下で海岸べりに出るのもアホとしか言いようがない。結局そのまま雪見列車ということで高岡まで乗車する。

Dscn6723 高岡発9時09分の富山行きは前日も乗車した寝台電車改造の「食パン列車」こと419系。前日と違って乗客も少なく、今度はボックス席を独占する。

Dscn6727 この車両も北陸新幹線開業でなくなるのかと思うと、この後乗る機会は何回あるかなと指折り数えてしまう。

Dscn6728 富山到着。大晦日の宿泊地は高山線の杉原駅が下車駅であるが、まだ午前中、時間はある。大晦日ということでハコモノや商店も休業のところが多く、富山で時間をつぶすには余りにも長い。ということで、「青春18」の特徴を生かす形でもう少し乗ることにする。ならば、このまま東へ、糸魚川、直江津あたりまで行こうか。そこで見つけたのが、隣のホームに停車していた直江津行き。国鉄急行型車両で、塗装もオリジナル仕様。よし、これで直江津まで2時間乗車することにしよう。

Dscn6742_2 富山まで来ると雪もほとんど降らなくなり、平野を東へ走るにつれて積雪量も少なくなってきた。同じ富山県でも東と西で微妙に違うのかな。そんなことを思ううちに空も少しずつ明るくなってきた。右手を見ると立山連峰も薄っすらとではあるが見えてきた。これは意外な展開。こういう雪をかぶった立山を見るのも実に久しぶりのことで、今回の旅行、天気がいいんだか悪いんだか、それだけ移り変わりが激しいのかなと思う。

Dscn6744 越中宮崎からは日本海も見える。さすがに波は高いようだが、荒波が打ちつけるとまではいかない。これもたまたま天気のいいタイミングに訪れたからだろうか。イヤホンを耳にあて、だんだん乗客が少なくなるボックス席でぼんやりと車窓を眺める。何をするというということもない時間が過ぎていく。こんな感じで「乗り鉄」をする感触、悪くない。

Dscn6758 新潟県に入ると雪もなくなり、逆に晴れ間すら出てくる。これほどまでに天気が変わりやすいとは。

直江津に到着。鉄道の要衝、一番端のホームに到着する。時間的にここからどこに行こうというのはなく、再び富山に戻ることにする。ならば直江津に何しにきたか。

・・・それは「駅弁調達のため」と言ってもいいだろう。鉄道の要衝として伝統ある直江津は駅弁の美味しいところで、駅前のホテルハイマートとホテルイカヤがそれぞれレベルの高い駅弁を日替わりか週替わりかでホームで立ち売りしていた。ただ聞くところではイカヤのほうが経営合理化のために駅弁から撤退したとかで、現在はハイマートが頑張っているという。

Dscn6767一旦改札を出てエチゴビールやら魚沼の地酒「八海山」の冷酒ビンを買い求め、改札内側の駅弁販売のカウンターをのぞく。と、酒の入ったビニール袋を見た店員が「お兄さん、酒のアテならこれがいいよ」と勧めてくれる。

Dscn6766 それが「磯の漁火」。日本海、新潟の味覚が二段重ねになっており、おかずのほうはイカの丸焼きにサザエの壷焼き、ニシンの昆布巻き、もずく酢、エビ焼きなどの居酒屋メニューが並ぶ。いずれも磯の香り満点で、酒とよく合う。もちろん、日本海の車窓というのも大きな魚である。おむすびはもちろん新潟コシヒカリ。これともう一つ、直江津の駅弁で外せないのが「鱈めし」。さすがにご飯まで食べてしまうといっぱいなので、上のおかずを酒のアテとする。鱈の甘露煮に生のタラコである。いやこれもよろしいもんで・・・。

Dscn6772 直江津を出てから結構長い時間をボックス席での昼食に当てていたが、列車のほうは新潟県内の強風の影響で特急列車に若干の遅れがでていたようである。こういう時に割を食うのが鈍行列車で、私の乗った富山行きも15分ほど遅れたようだが別に気にしない。ただこの大晦日、山陰地方は大雪でダイヤが乱れ、列車の中で年越しを迎える人を出す事態になったそうだが・・・・。

かくして、直江津までの「乗り鉄」を終えて富山着。ここでもまだ時間はあるので少し街中に出ることにする・・・。(続く)

コメント

氷見の夜

2011年01月04日 | 旅行記D・東海北陸

30日の夜は氷見の中心部にあるホテル「信貴館」に宿泊。ビジネスホテルのシングルルームであるが、実質はご家族で経営されている民宿のようなアットホームな雰囲気である。

夕食は1階の割烹にて。包丁を握るのはここのご主人。フロントで受付してくれたおかみさんはホール係もこなす。他に宿泊客らしい姿は見えなかったが、地元の人たちの忘年会場にもなっているようで座敷や宴会場に向かう人も。

Dscn6683 さてこの日の宿泊プランが「おすすめ氷見づくし膳と天然氷見ブリしゃぶ」の2食つき。まずはブリや白エビの刺身、バイ貝の煮付、ズワイガニの酢の物。これに大振りなアジの塩焼きがつく。普段の夕食ならこれだけでも十分な量である。

Dscn6684 そこにメインで出されるのがこのブリしゃぶ。この時期が旬のブリ、ご主人によれば12キロのモノが手に入ったとのことで、通常が8~10キロというから大物である。これを5ミリほどに切り、鍋でしゃぶっとやる。初体験の味だがほどよく脂が乗っており、一方でツルッと口に入ってくる。

Dscn6685 今回の料理で注文したのが氷見の地酒「氷の舞(ひのまい)」。ツルッとした飲み口で、脂の乗ったブリの味を軟らかくしてくれる感じである。

Dscn6688 氷見づくし膳はこれで終わらず、ブリしゃぶを食べ終えたその後のコンロに乗せられたのは、氷見牛の陶板焼き。もうこれは堪りません。

Dscn6689 締めには氷見コシヒカリのご飯と腰のある氷見うどん。いや、これだけいただければ十分満足である。一流の温泉旅館ではもっとしゃれた料理が出るのだろうが、ここ信貴館は盛り付けや器ではなく、実の味で勝負しているなという感じがした。今回の目的地、宿泊地を氷見にしてよかった。

Dscn6692 さて食後、少し外に出る。ホテルにも近い湊川周辺の街路樹にはイルミネーションがあり、厳しい冬の氷見の夜を暖かく照らしてくれる。

Dscn6696 イルミネーションといえば神戸ルミナリエや大阪・中之島の大掛かりなものが有名で人も集まるが、こういう小ぢんまりとした、町の人の手作り感あふれるものもなかなか素敵な感じだ。他に誰もおらず独り占めである。

Dscn6704 ここで再び駅方面に向かう。ホテルに来るまでに、駅前ロータリー横にスーパー銭湯「有磯の湯」というのを見つけており、入浴とする。天然温泉ではなく光明石を使った人工温泉ではあるが、こちらも地元の人たちが日常的に使う銭湯らしく賑わっていた。入浴料480円だが、露店風呂もサウナも休憩スペースもあり、これは鉄道旅行者にもお勧めである。

身も心も温まったところでホテルに戻る。今夜はぐっすりと眠れそうである・・・。(続く)

コメント

高岡から氷見へ

2011年01月03日 | 旅行記D・東海北陸

12月30日、金沢から東へコマを進める。金沢駅にもいろいろな形式の列車がやって来て、ホーム上にも一応乗車案内表示もあるのだが、電光掲示板には表示されないし放送も詳しくない。帰省客とおぼしき客も多いのだがどこに並んでいいかどうか戸惑っているようである。結局2扉の表示にヤマを張って並ぶ。

Dscn6722 そこへやってきたのは寝台電車改造の419系。小松発の黒部行きである。このタイミングでまさかこの形式に当たるとは思わなかった。何とかボックス席を確保。満席で立ち客も多く出たが、座る分には前の客の膝も気にならない。それだけ、座れればゆったりできる車両である。おそらく北陸新幹線開業の折には廃車(というか、JR北陸線および枝分かれする在来線も第三セクター移行もしくは廃止の予定らしい)になるとあって貴重な乗車機会である。

金沢を出ると再び天候も悪くなり、雪というかみぞれが降る天候。コロコロと変わる。

Dscn6642 高岡到着。この後は氷見線に乗車するが、時間があるので改札を出る。しばらく街歩きするということで、まずは折りたたみの傘を買い求める。

すでにシャッターを閉める店も多いうら寂しい商店街を抜ける。国道沿いの郊外に行けば大型店舗があって賑わっているという構図のようだが、天候もあいまって余計に寂しい感じがする。富山県には何度となく訪れているが、まだ高岡には宿泊したことがない。一度泊まって夜の風情がどんなものか見てみようかなという気はあるのだが・・・。

Dscn6646そんなことを思いつつ商店街を抜けてやってきたのは高岡大仏。奈良、鎌倉と並ぶ日本三大大仏と称されるが、「大仏」にしては小ぢんまりとした感じ。鋳物の街、銅製品の街として知られる高岡のシンボル的存在であり、雨の中傘を差しながらではあるが手を合わせて今後のことについてお祈りする。

Dscn6650この後、昔ながらの風情を残す山町筋の土蔵造りの町並みを歩く。

Dscn6655 年末年始のこととて住宅の公開はやっていなかったが、明治に起こった大火の後を受けて建てられたということで、防火性に優れた構造になっているという。当時の繁栄ぶりを連想させるところである。

Dscn6661 残念ながらここから先の金屋町の千本格子の町並みまで足を伸ばす時間はなくなり、駅に戻る。途中に出会った路面電車の万葉線。次の機会にはこれにも乗ってみたいものである。

高岡16時14分発の氷見線に乗車。新幹線の工事にともない、氷見線のホームも改札口前に移っていた。ここでしばし列車の入線を待つ。・・・・と、そこにやってきたのは旗を持ったガイドを先頭にした数十人の集団。そう、頭文字が「ク」の中高年に大人気の旅行会社である。

最近この旅行会社などが「ローカル線に部分的に団体で大挙して乗車する」というので、鉄道会社にとってはうれしいお客さんなのだろうが、それに乗り合わせた乗客からすればたまったものではないということを聞く。案の定、この団体は入線するや否や、先に並んでいた(といっても乗車口が明示されておらず、私も車両限界の表示などで大体の見当をつけて立っていたのだが)一般客を押しのけるようにして割り込み乗車し、座席を占領した。まあ、2両編成で立ち客もさほど出なかったのはよかったが、添乗員もちょっと配慮が足りないのではないかと思う。

Dscn6665 さてこの氷見線、1両は地元出身の藤子A不二雄氏による「忍者ハットリくん」のキャラクターと、氷見特産の氷見ブリをコラボしたイラスト車両である。

Dscn6669 件の団体の人気もこちらのようで、記念撮影に余念がない。このブリのイラスト車両、個人的には「ブルートレイン」ならぬ「ブリートレイン」と呼んでいるのだが、氷見線のイメージアップに一役買っている。

この路線、高岡の市街地を抜けると富山湾に面した工場群に出る。能町にはかつてコンテナ基地があり、北前船の寄港地でもあった伏木は現在も物流の拠点である。夏季にはウラジオストク向けの定期航路も就航しており、私としては機会があればこのルートで大陸に渡ってみたいという気持ちがある。その伏木から越中国分にかけてはかつての越中国府のあったところで、大伴家持も赴任したところ。それがゆえに万葉集ゆかりの地でもある。古い町並みも残る。

Dscn6677 そして路線のハイライトが、越中国分を過ぎてからの氷見の海。雨晴海岸である。ただこの日はどんよりと重い雲が垂れ込めており、波はそれほど高くないものの暗い色をしている。旅行前の計画では雨晴で途中下車して海岸に佇む、などということも可能性として考えていたが、この車窓を見て早々とあきらめる。逆に雨晴で下車していったカップルがいたが、彼らはこの後どのように時間を過ごしたのだろうか。

Dscn6680 終点氷見に到着。30分足らずの時間であるがさまざまな車窓を見せてくれる氷見線は私のお気に入りの路線の一つである。それが新幹線の開業とともに廃止になるのは、いかに経営の効率化といっても残念な話である。地元の人たち全てが新幹線の恩恵を受けるわけではないのにな・・・・。

やってきたツアー客は記念撮影をすると駅前に待機していた観光バスに乗り込んでいく。おそらく氷見の温泉旅館に行って今晩は氷見の魚三昧であろう。同じく移動するならローカル線にもちょっと乗って・・・いや、客を呼び込むのは上手いなと思う。まあこういう方たちからも氷見線廃止反対の声を挙げていただければ強力な助っ人になるかな。

さて私はといえば、ここから徒歩10分ほどの町の中心部の商店街の中にあるビジネスホテル「信貴館」がこの日の寝床である。当初は3~4キロほど離れたところに新しくできた「ホテルグランディア」にしようかと思ったが、ホテルの宿泊プランや行程などをいろいろ考えるに、前者のほうが適しているかなということで予約したのだ。

ともあれ、雪の残る中を中心部に向けて歩くことにする・・・・。(続く)

コメント (2)

年末年始鉄道紀行~北陸へ

2011年01月03日 | 旅行記D・東海北陸

話を一旦昨年の年末に戻す。

29日で仕事納めとなり、30日から年末年始休み。そうなるとさてどこに行こうかということになるが、12月の初めには「日本海の魚を食べに行こうか」ということであっさりと北陸方面に行き先決定。12月30日、31日と2食つきの宿を押さえ(いつもの感じで普通の居酒屋にすると、特に魚料理は入荷がなかったり、店そのものが閉まっていることも)、だいたいのプランを立てる。

ただこの冬は大雪に見舞われる地域が多く、12月の下旬には会津地方でクルマ300台が雪の中で立ち往生したり、時期は前後するが鳥取でも列車の中に2日間閉じ込められ、列車の中で年越しなどという事故もあった。年末年始にかけて大荒れの予報もあり、自然と重装備となって荷物も増える。2泊3日というのに家出人のようないでたちで出発する。

さて30日、大阪からは5時57分発の長浜行きで出発。前日の忘年会をオールで過ごしたとおぼしき客の姿も多い。ハイテンションが続いているのか、朝の列車であるが結構大きな話し声もする。一方でお疲れモードかぐっすり寝込んでしまい、(おそらく毎日繰り返しで設定しているのであろう)携帯電話のアラーム音が鳴っても気づかず起きようとしない人も。アラーム音がグリーグの「ペール・ギュント/朝」だったからまだ周りの乗客も我慢していたようだが・・・。

Dscn6621 米原到着。気温3度とさすがに冷える。この先北陸線に向かうため一旦下車し、8時03分米原始発の敦賀行きに乗り換え。小雪もちらつくがまだ本格的な積雪とまではいかない。段々と車窓が寒くなっていくのを感じる。

Dscn6627 敦賀到着。ここで1時間ほどのインターバルをとっており、待合室で遅めの朝食。敦賀ということでにしんそばにおぼろ昆布を巻いたおにぎり。この敦賀、本来であれば昨年末に「混戦BB会」の一泊旅行でも訪れる予定だったが私の仕事のために中止となったところ。また季節を変えて訪れたいところである。

Dscn6628 ここからは9時53分発の金沢行きに乗車。金沢方面に向かうのに「青春18」利用者が好んで利用する列車で、確か以前は急行型のボックス席の車両で運転されていた。しかしやってきたのは新型の521系の4両編成。まあ、転換クロスシートということで相客に気を使うこともないのだが、東海道・山陽線を走る新快速車両と内装がほとんど同じということもあり、何だか滋賀県の続きを走るような心持ちだ。

敦賀を出るとすぐに北陸トンネル。そのトンネルを抜けると・・・

Dscn6631 一面の雪景色。同じ県内でも嶺北、嶺南でガラリと風景が変わるものだ。昔の越前、若狭の国境といえばそれも納得なのだが・・・。

鉄道好きとしてはボックス型のほうがいいなと思いながらも、地元の人にとっては新車、それも新快速と同じようなクロスシートのほうが快適であろう。今後、金沢以南を中心に置き換えが進んでいくようである。

北陸トンネルを出たあたりでは大雪だったが、平野部に下りるに連れて雪の量も減り、石川県に入るとほとんどなくなった。雪から雨になったようである。冬の天気は変わりやすいのか、全国的な天気予報が大雑把なのか。

Dscn663912時25分、金沢到着。今回の旅行では金沢は昼食のための通過点と割り切る。ということで、駅構内のレストラン街へ。向かうのは「魚菜屋」。

Dscn6637 こちらで、いしるをしみ込ませて焼いたアジの干物の定食に加えて味わったのが金沢の「香箱ガニ」。ズワイガニのメスで、関西では「セコガニ」と呼ばれるものである。小さな身であるが内子、外子と呼ばれる卵と身の部分が珍味であり、熱燗によく合う。最後は甲羅をおちょこ代わりに飲んで・・・。

今回の旅行は「食」がメインかもしれない。まずはその一つを押さえたことで落ち着き、さらに東を目指すことにする・・・。(続く)

コメント

謹賀新年

2011年01月01日 | ブログ

2011年、新たな年の始まりです。

年末年始は30日には氷見、大晦日は奥飛騨にてそれぞれ海の幸、山の幸を楽しみ、元日の夜に帰宅しました。

ニュース番組では相変わらず先行き不透明な景気、外交問題、混沌とする政局の行方など、なかなか明るい話題が出てこないのですが、うさぎ年ということで跳ねる一年になることを祈りたいものです。

私としてもいろいろなことを考え、取り組まなければならない年になりそうですが、充実した一年になるよう、一日一日を大切にしていきたいものです。

このブログでもまた旅の話、野球の話などを書き綴ることになりますが、これを読んでいただいた方と少しでも楽しみや価値観を分かち合うことができればと思います。

今年一年、どうぞよろしくお願いします!

コメント (2)