まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

『シミズ式 目からウロコの世界史物語』

2011年03月10日 | ブログ

引越を機会に職場までの通勤を電車とバスの乗り継ぎ中心に変えている(まあ、どうしても業務が遅くなりそうな時はクルマということになるのだが)。

電車通勤の場合、移動の時間の使い方の幅は広がる。読書をしてもいいし、携帯電話をいじくっていてもいい。疲れている時は眠ることもできる。また、間にJRもはさむので鉄道や旅行の情報なども得やすい。所要時間はかかるし、特にバスの本数が限られているので仕事の時間にも制約はあるが、トータルで考えれば電車通勤のほうがいいかなと思ったりする。

さてそんな通勤の中で読んだのがこの一冊。

415k7wjml__sl500_aa300__3  『シミズ式 目からウロコの世界史物語』。清水義範著、集英社文庫版。

清水義範は数々のパスティーシュによる作品もそうだが、「どうころんでも社会科」などの教科ものの作品も多く、その独特の視線とわかりやすい解説的な文章(解説というよりは、物語風に絵解きをしてくれるようなわかりやすさ)で私の好きな作家の一人である。それがふと目についたのが「世界史」である。

学生時代は日本史のほうが好きで、大学時代は模試の日本史の採点のアルバイトをしていたくらいであるが(このバイトで知り合った人たちと15年以上経過しても未だに年に一回くらいは飲み会を開いているのだから驚きの縁である)、一方の「世界史」となるとあまり食指が動かなかった。時代のつながりがよくわからないのと、ヨーロッパ史が中心でカタカナの登場人物の名前を覚えるのがしんどかったのとで、あまり面白い科目とは思わなかった。

そんな世界史を「シミズ式」に、著者がこれまでに手掛けてきたさまざまな技法で取り上げてみた小編集がこの一冊である。池上彰の解説本とはまた一味違い、物語風、ノンフィクション風、講釈風などいろんな手法を使ってその時代のトピックを明らかにしようというもの。

著者はこのところイスラム社会に深く興味を持っており、実際にイスラム諸国を訪問している。そのこともあってか、結構「ヨーロッパに攻められたイスラム」「モンゴルから攻められたイスラム」「一時代の大帝国を築き上げたトルコなどのイスラム帝国」という、イスラムの視点で書かれた作品が多い。これは、ともすればヨーロッパや中国側の視点に立って書かれることの多い教科書に対抗してのことだろうか。あるいは、それらイスラム、あるいは中南米の国から歴史を見てこそはじめて「世界史」と言えるのではないかというメッセージである。

それだけ、奥の深い学問なんだろうな。世界史というのは。ただその入り口に立つための一冊としてこれは面白いと思う。やはり歴史の学習というのは単に年号や人名を暗記するだけではいけない。一本の筋として理解しなければ、何のための学習かわからないだろう。そのためにはこういう物語風の一冊はありだと思う。現役の高校生にも息抜きと参考書代わりでお勧めしたい一冊である。

コメント

懐かしいマークに出会いました

2011年03月08日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

NPBプロ野球のオリックス・バファローズに今季から登場する兄妹の新キャラクターの名前が「バファローブル」に「バファローベル」に決まったそうな。うーん、どっちがどっちかよくわからないし、初めてこの名前を聞いた時にはフランスかどっかのお菓子のような名前やなと思ったものである。一方でNFLに「バッファロー・ビルズ」という名前のチームがあったよな・・・とも思う。まあ、耳に馴染むまでは少し時間がかかるかなと。

さて、このブログにも時折コメントをいただくhansさんから、私の引越についての記事にコメントをいただいた。その内容が、近鉄の阿部野橋駅で見つけたある懐かしいマークのこと。

本日から通勤経路が変わったわけだが、帰りはクルマを会社に置いたまま、バスと電車を乗り継いで帰宅することに。そして阿部野橋駅の東口に向かい、見つけましたよそのマーク。

2011030820320000 それがこちら。近鉄南大阪線沿線のスポットが金属製のレリーフに収まっている中で「バファローズスタジアム(藤井寺)」の文字が光る。そしてマークは先のバファローブルでも、大正ドームの時のバフィーでもなく、「バッファ君」。おお、こんなところにこんなものがあったとは。

これまで阿部野橋駅は何度となく通っているが、正直このマークの存在には気付かなかった。東口の地下出口ができた時に作られたものがそのまま残っていたのだろう。

それにしても改めて思うのが、「バファローズのスタジアム」と名乗れていたのは藤井寺だけだったんだな・・・という事実。現在の本拠地・大正ドームはどうもドーム側が「バファローズ」とどこか距離を置きたがっているようにも見えるし(阪神や巨人の主催試合のPRのほうに熱心なような気もする)、スカイマーク改めほっともっとスタジアムは「ブルーウェーブのスタジアム」の雰囲気が強い。ドーム球場ができた時は「これで近鉄も立派な球場が持てた」と喜んだものだが、今にしてみれば藤井寺が本当のホームグラウンドだったんだなと懐かしく思う。

巨人の優勝セールを率先してやるようになった近鉄百貨店のある阿部野橋にあって、このマークはたまたまその後の工事を逃れたのか、あるいは心ある近鉄の人たちがあえて残そうとしたのか。ぜひ後者であると信じたいし、これからこの先阿倍野地区の再開発が進んでも残してほしいものである。

発見のきっかけとなるコメントを寄せていただいたhansさん、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました!

コメント

この国の外交はどこに行ってしまうのか。

2011年03月07日 | ブログ

昨日の夜からの大きなニュースといえば、前原外相が「外国人」から政治献金を受け取っていたのが違法であるとして、その「責任」を取る形でその職を辞任したというもの。

外国人からの政治献金というから、例えば欧米の外資系企業とか何千万という献金を受けていたのかと思ったら、それが外相の地元・京都で焼き肉店を営んでいた在日韓国人の方で、額にして年に5万円を5年に渡っての個人献金だったとか。この方も普段は日本の通名で生活しており、おそらく知っている人でなければ(外相がそれを知っていたかはどうか別として)外国人とはわからないのではないかと思う。

それにしても、在日韓国・朝鮮人の方はある時は日本人、ある時は外国人として扱われ、社会の都合に振り回される存在だなと思うが、この記事はその人権問題について書くのが目的ではないのでここでは置いておく。

まあ、小沢問題で「政治とカネ」がいろいろと言われており、また民主党の政策には在日外国人の参政権を認めようという動きがあり、それをよく思わない(私もそれはよく思わない)野党勢力からの追及を避けるための辞任だろう。一方では自身の立ち位置を計算してのこととも言われているが、それはどうだろうか。個人的には「鉄ちゃん」ということもあり親近感を持っている政治家なので残念に思うが。

ただ、ここで簡単に辞めてしまうのもどうかと思う。やはり日本の外交・安全保障ということを考えた時、この国の外交というのは本当にどうなるんやろうな、と心配になる。内閣改造ということで前任の岡田幹事長から引き継いだというものの、わずか半年で辞めるとはね・・・。まあ、首相も毎年のように交代しているから外相も交代ということになるが、これは外国の目にはどのように映っているのだろうか。

環日本海諸国のロシア、韓国、北朝鮮、中国・・・それぞれの国とも領土問題をはじめとした外交問題を抱え、日米関係も沖縄の基地問題が決着していない。また、中東問題も決して日本とは無縁のものではない。そんな中で日本の外交での発言力というのはどんどん低下し、そのうちモノも言えなくなってしまうのではと危惧される。実務は官僚がやるにしてもやはり看板がコロコロ変わるようではよろしくないだろう。

「政治とカネ」の追及も結構だが、本当にこの国の進むべき道、取るべき姿勢をはっきりさせる、そのような政策に向けて与野党が一致団結して取り組むということはないのかね・・・。

コメント

Nゲージ車両はディスプレイへ

2011年03月06日 | ブログ

引越荷物の整理もだいぶ進み、インターネットやケーブルテレビのほうも開通。これを機にネットも「光」回線を導入し、パソコンもリニューアルさせた。少しずつ新生活の基盤もできてきたかなというところ。

ところで、荷物の中で半ば残念な形で持ってきたものがある。かつて、「今度こそはNゲージ模型のレイアウトをつくろう」ということで、レイアウトボードに車両、線路、ストラクチャーも買い求めていたのだが、結局旧国鉄でいうところの「未成線」ということになり、線路は解体。今度の部屋で車両を走行させるのはまず無理である。

そうなると問題なのは行き場のなくなった車両たち。捨てるのも忍びなく、何両かの形式を選定して移動させることにした。

さて部屋が片付いて、何かをインテリアとして飾ってもいいなと思ったところだったがそこで浮かんだのがこれらの車両。津山の扇形機関庫ではないが、観賞用ということで並べてみるというのはどうだろうか。ちょうど身の回りの小物類を買いに100円ショップに行ったところ、200円ながらディスプレイ用のケースが売られていた。まさにこれだ、と思った。

Dscn7400 そしてまず並べてみたのがこの3両。キハ20、キハ58、キハ40。決して走ることはないが、これまではずっと段ボールで眠っていたのがようやく日の目を見たのである。実際にこれらの車両に乗って旅をした時の光景などを思い起こさせてもくれるし、心なごませるものである。

この方式でこれからもう少し「展示車両」をい増やすとするかな・・・・?

コメント

引越ししました。

2011年03月05日 | ブログ

拙ブログ「まつなる的雑文~a place in the sun~」をご覧いただきありがとうございます。

このたび、2年あまり生活を送った尼崎を離れ、実家のある大阪・藤井寺に転居しました。

別に仕事を変えるとか、転勤になったとか、あるいは誰か一緒に暮らす相手が見つかったというわけではありませんが・・・・。

実は尼崎で暮らしていたのが勤務先の社宅施設だったのですが、このたび老朽化により閉鎖することとなり、入居者はそれぞれに住まいを求めることとなりました。で、私の場合は健康上のこともあるし、住環境を変えることで心機一転ということも考えたわけです。というわけで、学生時代までを過ごした藤井寺に戻ることにして、実家近くのマンションの一室を借りることにしました。

本日無事に引越を完了し、荷物を引っ張り出しましたが、尼崎を出る際に結構処分したつもりが、まだまだ荷物が多いですな(収納スペースがあまりないということもありますが)。これから少しずつ片付けていくことにして。

人生の新たな局面、これからは河内の地からよしなしごとを書いていくこととします。新幹線も開通することですし、また旅行記も続けていきたいですね。

今後ともごひいきのほどよろしくお願いします!

コメント (1)

3月になりました。

2011年03月02日 | ブログ

1月は行く、2月は逃げる、そして3月は去る・・・。4月以降にはこのような言い方があるのか知らないが、ついこの間新年を迎えたかと思えばあっという間に4分の一を過ぎるとともに、4月の新年度に向けた最後の時期ということで何かとバタバタするうちにもう3月に入って・・・という雰囲気をよく表していると思う。

さて3月に入り、私の転居まであとわずかとなった。そういうこともあるために余計に「2月が逃げて・・・」という思いである。仕事のほうもバタバタしているし、そんな時期にブログを書いていていいのかというところだが、ようやく片付けも形になってきたかな。

それにしても、これまでにゴミの日のたびにどのくらいの量を捨てただろうか。

先の記事で、昔懐かしい手紙が出てきて思わず読みふけったということを書いたが、今度はかつて所属していた旅サークルの会報が出てきて、そこに投稿した紀行文を読み返したことである。現在はセミプロの形で旅行記を世間に上梓している方である編集人からの高評のコメントが最後に載せられているのはくすぐったいような。この会報は捨てるわけにもいかず引越し荷物へ。

さてこれから寝るまでの少しの間、またも小物整理である・・・・。

コメント