5月4日の神仏霊場巡拝の道めぐり。奈良国立博物館から東大寺大仏殿に向かい、そのまま二月堂方面に来た。先ほど、東大寺ミュージアムとのセット券を購入したのだが、大仏殿からそのまま二月堂に向かったので結局フイにする結果に。
そのまま、手向山八幡宮を過ぎる。東大寺に大仏を建立するにあたり、鎮守神として宇佐八幡を勧請したのが始まりである。後に、菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山」と詠んだのはこちらのこと。
そのまま出たのは若草山。こちらに来るのも久しぶり。ちょうどその名のとおり若草の緑が青空に映えている。こちらの周りも鹿であふれている。
そのまま、次に参拝する春日大社の境内に入る。方角でいえば水谷神社の方向から入る形だ。
そして一言主神社。「一つだけ願いを叶えてくれる」というご利益で知られる。「古事記」に出てくる一言主を祀る神社は全国にあるが、「言行一致」をいう言葉も出てくる。やはり願いを叶えてくれるには、言行一致、言葉と行動がともなう誠実さが必要ということのようだ。
そして春日大社の本殿のエリアに到着。やはり多くの参拝者でごった返している。慶賀門から入ったところに「砂ずりの藤」という藤棚があるが、早くも見頃は過ぎたようである。
春日大社は奈良時代の創建、中臣氏・藤原氏の氏神である武甕槌命、経津主命などの春日神を主祭神としている。
藤棚を抜けて参拝の窓口となる幣殿に向かうと、ショックな看板に出会う。昔の「アメリカ横断ウルトラクイズ」で視界の福留功男さんが「これを何と読む!」と解答者に叫ぶシーンを思い出した。
「本日は混雑が予想されますので 『紙の御朱印』の授与となります 御朱印帳への書入れは行っておりません」
・・参拝の証ということであれば書き置きの御朱印でもご利益には変わりない。また、これまで回った札所めぐりでも最初から専用の書き置きをバインダーに綴じるところもあり、それはそれですっきりしている。しかし、神仏霊場については専用の分厚い朱印帳(納経帳)を持ち歩いている。やはり書入れでなければすっきりしない。以前、中国観音霊場めぐりの時、コロナ禍の最中だったり冬季で納経所じだいが閉まっていた事情で書き置きを朱印帳に貼りつけたことがあったが、満願後に改めて帳面を見て惜しい気になった。
・・・ということで、本来なら102ヶ所目となるはずの春日大社だったが、本日はカウントせず後日出直しとした。まあ、関西にある札所だから簡単に「またの機会」としてしまうのだが・・。
ただ、このまま引き返すのも惜しい。ふと見ると、回廊内の特別参拝に次々と内外の参拝者が入っていく。500円ということで、けっかくなので入ることにする。中門・御廊を間近で見ることができるだけも価値がある。
順路に沿って歩くが、まずは東回廊から外に出て、御蓋山(三笠山・みかさやま)の遥拝所に向かう。春日大社の湯祭神である武甕槌命が白鹿の背に乗って舞い降りたのが御蓋山の頂上である浮雲峰とされる。まあ、そこは藤原氏の祖・中臣氏が常陸の鹿島をルーツにしていたとの説と結びついているのだろう。
再び回廊に戻り、ようやく中門の前にて手を合わせる。回廊には多くの灯籠が奉納されており、中には戦国武将・大名によるものもある。春日大社にはこうした釣り灯籠の他、外にある石灯籠も含めて古くから数多くの灯籠が奉納されている。また、春日大社の使いとされる鹿も奈良公園を中心に多数見かける。落語の「鹿政談」のマクラだったか、春日大社の灯籠と鹿の数を数えた者は長者になるといわれていたそうだが、いまだにそれで長者になったという話は聞かない。「灯籠の数はとうろう(とうとう)わからん、鹿の数は確か(しか)とわからん・・」。
すべての灯籠に灯りをともす「万灯籠」を再現した「藤浪之屋」も入る。
回廊に戻り、南門から外に出る。このまま西方向に参道をぶらぶら歩く。
この後残るのは奈良30番・元興寺と奈良3番・興福寺。道順なら元興寺から行くことになるかな。せっかくなら元興寺の周囲に広がる「ならまち」を訪ねるのがよいが、そろそろ時間も気になってきたところで・・・。