まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

奈良2番「春日大社」~神仏霊場巡拝の道(境内特別参拝するも・・)

2024年05月13日 | 神仏霊場巡拝の道

5月4日の神仏霊場巡拝の道めぐり。奈良国立博物館から東大寺大仏殿に向かい、そのまま二月堂方面に来た。先ほど、東大寺ミュージアムとのセット券を購入したのだが、大仏殿からそのまま二月堂に向かったので結局フイにする結果に。

そのまま、手向山八幡宮を過ぎる。東大寺に大仏を建立するにあたり、鎮守神として宇佐八幡を勧請したのが始まりである。後に、菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山」と詠んだのはこちらのこと。

そのまま出たのは若草山。こちらに来るのも久しぶり。ちょうどその名のとおり若草の緑が青空に映えている。こちらの周りも鹿であふれている。

 

そのまま、次に参拝する春日大社の境内に入る。方角でいえば水谷神社の方向から入る形だ。

そして一言主神社。「一つだけ願いを叶えてくれる」というご利益で知られる。「古事記」に出てくる一言主を祀る神社は全国にあるが、「言行一致」をいう言葉も出てくる。やはり願いを叶えてくれるには、言行一致、言葉と行動がともなう誠実さが必要ということのようだ。

そして春日大社の本殿のエリアに到着。やはり多くの参拝者でごった返している。慶賀門から入ったところに「砂ずりの藤」という藤棚があるが、早くも見頃は過ぎたようである。

春日大社は奈良時代の創建、中臣氏・藤原氏の氏神である武甕槌命、経津主命などの春日神を主祭神としている。

藤棚を抜けて参拝の窓口となる幣殿に向かうと、ショックな看板に出会う。昔の「アメリカ横断ウルトラクイズ」で視界の福留功男さんが「これを何と読む!」と解答者に叫ぶシーンを思い出した。

「本日は混雑が予想されますので 『紙の御朱印』の授与となります 御朱印帳への書入れは行っておりません」

・・参拝の証ということであれば書き置きの御朱印でもご利益には変わりない。また、これまで回った札所めぐりでも最初から専用の書き置きをバインダーに綴じるところもあり、それはそれですっきりしている。しかし、神仏霊場については専用の分厚い朱印帳(納経帳)を持ち歩いている。やはり書入れでなければすっきりしない。以前、中国観音霊場めぐりの時、コロナ禍の最中だったり冬季で納経所じだいが閉まっていた事情で書き置きを朱印帳に貼りつけたことがあったが、満願後に改めて帳面を見て惜しい気になった。

・・・ということで、本来なら102ヶ所目となるはずの春日大社だったが、本日はカウントせず後日出直しとした。まあ、関西にある札所だから簡単に「またの機会」としてしまうのだが・・。

ただ、このまま引き返すのも惜しい。ふと見ると、回廊内の特別参拝に次々と内外の参拝者が入っていく。500円ということで、けっかくなので入ることにする。中門・御廊を間近で見ることができるだけも価値がある。

順路に沿って歩くが、まずは東回廊から外に出て、御蓋山(三笠山・みかさやま)の遥拝所に向かう。春日大社の湯祭神である武甕槌命が白鹿の背に乗って舞い降りたのが御蓋山の頂上である浮雲峰とされる。まあ、そこは藤原氏の祖・中臣氏が常陸の鹿島をルーツにしていたとの説と結びついているのだろう。

再び回廊に戻り、ようやく中門の前にて手を合わせる。回廊には多くの灯籠が奉納されており、中には戦国武将・大名によるものもある。春日大社にはこうした釣り灯籠の他、外にある石灯籠も含めて古くから数多くの灯籠が奉納されている。また、春日大社の使いとされる鹿も奈良公園を中心に多数見かける。落語の「鹿政談」のマクラだったか、春日大社の灯籠と鹿の数を数えた者は長者になるといわれていたそうだが、いまだにそれで長者になったという話は聞かない。「灯籠の数はとうろう(とうとう)わからん、鹿の数は確か(しか)とわからん・・」。

すべての灯籠に灯りをともす「万灯籠」を再現した「藤浪之屋」も入る。

回廊に戻り、南門から外に出る。このまま西方向に参道をぶらぶら歩く。

この後残るのは奈良30番・元興寺と奈良3番・興福寺。道順なら元興寺から行くことになるかな。せっかくなら元興寺の周囲に広がる「ならまち」を訪ねるのがよいが、そろそろ時間も気になってきたところで・・・。

コメント

奈良1番「東大寺」~神仏霊場巡拝の道・101(奈良はやはり大仏さん)

2024年05月10日 | 神仏霊場巡拝の道

5月4日の神仏霊場巡拝の道めぐりは奈良の王道シリーズ。先に奈良国立博物館で開催中の「空海」展を鑑賞した後、ほど近い東大寺の南大門に向かう。参道の両側には土産物店や食べ物の屋台が並び、洋の東西の人たちが行き交う。かつて平城京から派遣された遣唐使が向かった長安は当代一の国際都市で、様々な人種の人たちが行き交っていたという。こうした歴史の光景を想像してみる。

南大門では金剛力士像がお出迎え。先ほど、奈良国立博物館に出張中の吉野・金峯山寺の金剛力士像を間近で観たのだが、囲いに覆われているとはいえ、やはり東大寺の金剛力士像のほうがあらゆる「力」を感じる。

東大寺に来るのも久しぶり。これまでは大仏が中心の「観光地」として訪ねた感があったが、「札所」として訪ねるのは初めてである。

「東大寺ミュージアム」というのがある。東大寺の宝物を総合展示する施設であり、「東大寺は大仏だけではない」といったところだろう。建物の前には大仏の実物大の両手の複製が置かれていて、撮影スポットにもなっている。大仏殿とのセット券が1200円(大仏殿、東大寺ミュージアムそれぞれ単独だと各800円)というので購入する。今思えば、先にミュージアムを見学してから大仏殿に向かえばよかったのだが、この時はまず寺の本尊が先というので、行列の末にセット券を購入してそのまま大仏殿に向かった。

そして大仏殿に向かう。何やかんやいっても、やはり奈良のシンボルといえば東大寺の大仏ということになる。

大仏殿の内外は洋の東西からの多くの参詣者でごった返す。とても大仏殿の中でお勤めをする雰囲気ではない。

その中、大仏殿の中を一周。四天王が護り、歴代の大仏殿の模型もある。

また大仏殿といえば「柱の穴くぐり」でも有名である。ちょうど大仏の鼻の穴と同じサイズだが、これをくぐろうという長い行列ができていた。ちょうど小柄な男性が挑戦しかけたが、それでも断念した。昔の日本人ならともかく、現代では子どもでなければくぐるのは難しいだろう。

その「柱の穴くぐり」の先に納経所がある。窓口は6つあるがそれぞれ長い列である。東大寺の朱印というのを初めていただいたが、大仏殿としては「華厳」の一種のみ。東大寺は日本における華厳宗の総元締め・大本山であり、気軽に「奈良の大仏さん」と呼んでいるのは華厳宗の本尊である廬舎那仏である。・・・まあ、そうした宗派がどうのこうのと意識して大仏さんに手を合わせる人はほとんどいないだろうが。

大仏殿を回った後、先ほど通過した東大寺ミュージアムに行くべきところだが、道順としてそのまま春日大社に向かうことにした。神仏霊場巡拝の道めぐりとして、奈良1番・東大寺から奈良2番・春日大社に向かうことにした。その途中に東大寺に二月堂もあれば、手向山八幡宮もある。「手向山神社」に向かう石柱、鳥居が建ち、こちらにも多くの外国人と鹿がたむろしている。

そして二月堂に着く。春の「お水取り」で知られるところ。さすがに大仏殿ほどの混雑はなく、学問としての華厳宗の本山というよりは、庶民による観音信仰の寺という、東大寺の違った一面が感じられるところである。お勤めをするならこちらのほうが落ち着いているし、似合っているように思う。

二月堂からの眺めもよい。

さらに進み、手向山八幡宮にも参拝。東大寺、大仏の建立にあたり、宇佐八幡を勧請したのが始まりとされる。かつては東大寺と一体とされたが、明治の神仏分離で別にされた。明治政府の連中もさすがに東大寺の大仏を廃仏毀釈することはできなかったようだ・・・。

コメント

神仏霊場巡拝の道~奈良国立博物館で「空海」展を鑑賞

2024年05月09日 | 神仏霊場巡拝の道

今回の連休は法事が目的で大阪に帰省したのだが、それに合わせて5月3日は野球観戦、そして4日は神仏霊場巡拝の道めぐりとした。前回のあみだくじで出たのが奈良3番・興福寺。周囲には奈良1番・東大寺、奈良2番・春日大社、そして奈良30番・元興福寺があり、これらを回るというのは奈良観光の王道である。それも、5月の連休の真っただ中に行こうというのだから混雑覚悟、気持ちはお上りさんである。

その中でも行こうというのは4月13日~6月9日の間に奈良国立博物館で開催されている「空海」展。弘法大師空海の生誕1250年記念の特別展で、密教のルーツとマンダラ世界というのがテーマである。神仏霊場めぐり、そして法事は高野山真言宗の寺で営むということで、空海の世界に触れるのもいいだろう。父が存命であれば絶対に見物に行っていたはずだ。今回、まずは奈良国立博物館を訪ねよう。

藤井寺の実家から大阪阿部野橋~鶴橋経由で近鉄に乗り、近鉄奈良に到着。やはり国内外の観光客でごった返している。

地上に出て奈良公園方面に向かう。天気も良く暑いくらいだ。ここまで大勢の人が集まる奈良というのも久しぶりで、奈良公園の鹿も鹿せんべいや観光客の食べ物目当てにそこかしこあふれている。もっとも最近、鹿を見ると「ジビエ」という単語が頭に浮かぶ。いや別に、奈良公園の鹿を焼肉にしていただこうなどというおは恐れ多くて思わないのだが・・。

そして奈良国立博物館に到着。入口の外には当日券(2000円)を求める列ができている。私も、博物館に来ると決めていたのだから事前にプレイガイドで予約し、コンビニで発券すればよかったのだが、結局そのまま来てしまった。

20分ほど並び、いよいよ入館である。

数多くの展示があるが、これらはもちろん撮影禁止のため文章のみでの紹介。また、各展示室もごった返していてじっくり鑑賞するのは無理。ただ腰を据えるなら丸一日楽しめる特別展であった。

この展示でテーマとされているのが曼荼羅。金剛界・胎蔵界という密教の二つの思想、これを文章で表すのが難しいため、絵画や仏像として配置して視覚的にわかりやすくしたものだが、その説明書きを目にしても私のようなものにはわかったようなわからないような世界である。

第1室の真ん中には京都・安祥寺の五智如来像が配置されているが、この展示室も大日如来を中心とした曼荼羅を意識した並びだとある。

密教はインドからシルクロードを経て中国に伝わり、そして空海により日本にもたらされたのだが、ここにもう一つ、海のシルクロードを経由して中国に入った流れがあるという。それが唐の恵果により融合され、それが空海に受け継がれた。今回の特別展で目を引いたのが、インドネシアのジャワ島東部のガンジュク地区から出土した数十体の青銅製の小型の仏像群。19世紀頃の作とされ、小型ながら精巧に造られており、ミニチュアとして一体部屋に置いてみたいという気にもなった。

その後は空海の入唐~帰国、そして神護寺(高雄山寺)、東寺、高野山金剛峯寺などに伝わる数々の文化財が並ぶ。この日のためにオールスターが集まったようなものである。

展示室の一角では、NHKの8K画像のPRコーナーもある。この特別展はNHKも主催者に名を連ねており、モニターでは神護寺の両界曼荼羅や東寺の仏像群などの細部まで鮮やかに映し出す「BS8K」のPRが行われていた。博物館に展示された実物よりもはっきりきれいに見えるというアピール・・。

人が多くて近くでじっくり鑑賞できないのは仕方なく、空海と密教の雰囲気を楽しめただけでもよしとする。展示品の詳細はNHKBS8K・・ではなく、図録(3000円)を購入してじっくり見ることにする。

さて、奈良国立博物館には「なら仏像館」もある。こちらは明治時代、奈良で最初の本格的西洋建築だる。かつてはこちらが奈良国立博物館の本館だった。

こちらでは奈良時代~鎌倉時代を中心とした数々の仏像が常時展示されている。何十体に一体、紹介文で「OK」印のある仏像は撮影可とあるが、撮影可と撮影不可の線引きはどこにあるのかなと思う。

特別公開として、ホール部分に建つのは吉野・金峯山寺の金剛力士像。現在修復中の仁王門から搬出され、現在は奈良に長期滞在中といったところ。その間を利用して金剛力士像そのものも修復が施され、写真撮影もOKとして来館者のカメラ、スマホに収まっている。彼らにすれば、仁王門の狭いスペースから解放され、あの巨大な蔵王権現がにらみを利かす吉野の山奥から奈良の街中に出て、しばしの憩い、鬼の居ぬ間に洗濯・・?

結局奈良国立博物館だけで午前中は終了。札所めぐりはこれからである。ここまで来れば東大寺のほうが近く、東大寺~春日大社~元興寺を経て、目的地の興福寺は最後になる。例によって昼食抜きで回ることになりそうだ・・・。

コメント

観戦記~バファローズ対ファイターズ@大阪5月3日(オリっこデーに力なく零敗)

2024年05月08日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

5月のバファローズのスケジュールはなかなか大変なスケジュールである。1日の神戸から始まり、神戸~大阪~仙台~秋田~宮崎~鹿児島~那覇~大阪~北広島~所沢~広島~大阪。移動日込みの2連戦ながら3カード続けての地方巡業、そして交流戦も始まる。気候のよい5月だからいいが、同じ月で北海道、東北、南九州、沖縄で試合が組まれるとは、前年まで3連覇のチームにちょっとハンデをつけたのかなとすら思う。

さて、1日の神戸での敗戦(この日はリードして9回表を迎え、マウンドには平野があがったが、平野大乱調、安達の1イニング3失策もあり一挙5点を取られて逆転負け)を受けて、3日~5日は京セラドーム大阪でのファイターズ戦である。大型連休後半は父の一周忌もあり大阪の実家に戻ったのだが、その前に「立ち寄り」での観戦である。

5月3日、広島から大阪に移動する。大型連休期間中「のぞみ」は全席指定となったが、朝の広島始発の便ということで十分空席もあり、2人席ながら新大阪まで隣の席は空いたままだった。

早朝に大阪に移動したのは混雑を避けるためでもあったが、スタンドにてバファローズの練習見学ツアーに参加することにした。一般の開門時間だとホームチームの打撃練習はすでに終わっているので、早出してこうした光景を観るのも貴重な機会である。

その合間で身体を動かすのも間近で見られる。

ファイターズの選手もベンチ前に姿を見せる。そこに近づくのはかつて所属していた石川。

45分の見学時間はあっという間に過ぎ、ドームの外に出ると早くも大勢の観客が入場を待っている。この日も満員御礼は確実だろう。

大型連休、こどもの日もあるということで、3日~5日は「オリっこデー」として行われる。ユニフォームの文字がカタカナで「バファローズ」、そして帽子も「バ」の文字。背中もローマ字ではなくカタカナで、選手自身が考えた愛称が入る。こども向けのイベントではあるが、当のこどもたちの目にはどのように映っているのかな。

スタメン発表の選手たちもいつもとは違った笑顔である。

中嶋、新庄両監督のガッチリした握手でいよいよ試合開始。

バファローズの先発はファイターズに相性のよいコーヘー・東。右手のマメをつぶしたため登板間隔が空いた中での登板。山本由伸、山﨑福也が抜けたバファローズの先発陣だが、新加入や復帰組を含めて先発ローテーションは日程に余裕を持たせた組み立てである。

その東、まずは先頭の加藤、松本を打ち取ったが、3番に入った売り出し中の田宮にストレートの四球とする。続くマルティネスは詰まりながらも力でライト前にヒットを放つ。

ここで、5番に回った万波が左中間を破るタイムリー二塁打。いきなり2点を先制る。レフトスタンドが大いに沸く。

そして続く郡司がレフトへのタイムリー。本塁でのギリギリのプレーだったが、これにはレフトを守っていた西川のプレー、返球が緩慢だという声も出たようだ。初回から3対0となったが、さて、どうなるか。

ファイターズの先発は鈴木。先発、中継ぎといろいろこなす下手投げ。今季も開幕当初は中継ぎだったが、前週に続き先発に起用されている。

その鈴木に対し、スタメン復帰の帝国華撃団・福田がレフトへのヒット。1番が似合うというか、1番しか打てないというか・・。この後、森の四球もあって一死一・二塁とするが、4番・頓宮が最悪の併殺打・・。

2回表は珍しいプレーが生まれる。二死一塁の場面で、一塁ランナーの水野が牽制球の時に飛び出して一・二塁間で挟まれる。しかし一塁の頓宮がタッチの時にボールを落としてセーフ。記録上、ランナーの水野は盗塁死、そしてボールを落とした頓宮にエラーがついた。

後味が悪い中、続く松本のライト前への当たりを二塁のゴンザレスが回り込み、一塁でアウト。追加点を許さないプレーに大きな拍手が起こる(前の試合で、あのベテラン内野手が1イニング3失策というのがあったためか・・)。

ここで奮起したいバファローズ打線だが、鈴木の緩急交えた投球に翻弄される。最速140キロないながら、90キロ台のスローボールが有効。一方の東も2回以降は立ち直っているだけに、何とか点を取りたいのだが・・。

その鈴木、6回一死、79球で降板。左打者が続くし、球数からみてノックアウトではなく予定通りの降板のようだ。ここまで無失点で来ただけでもファイターズとしては上出来だろう。マウンドには左腕の北浦があがるが、て二死から宗、森の連打で二・三塁と同点のチャンスを迎える。

ファイターズはロドリゲスに交代。打者頓宮だが・・・力のないファウルフライで得点ならず。

ファイターズのラッキー7も東は三者凡退。初回だけが悔やまれるところで、結局8回途中、113球被安打5の内容だった。

終盤のバファローズにはチャンスが続いていた。7回裏は一死一・二塁で代打・セデーニョが登場するも空振り三振。

8回裏、ファイターズ5人目のマーフィーに対し、先頭の福田が四球で出塁。四球ではあるが小さくガッツポーズも出た。続く宗も四球で無死一・二塁。クリーンアップ、大いに期待だ。

しかし続く森がレフトフライ。そして頓宮が・・セカンドへのライナー。二塁から出ていた福田が戻れず併殺打。頓宮も悔しい表情。試合後、中嶋監督はこの場面の福田の走塁(帰塁)に苦言を呈していたようだが・・。ただ、打順の巡り合わせだと、いい場面で頓宮のところに回って来て、ことごとく潰してしまった形だ。それが4番といえば4番なのだろう・・・。

9回裏はファイターズ抑えの田中が登板。バファローズ打線には反撃の力なく、最後は「ドラゴン」杉澤が三振に倒れて試合終了。

お立ち台は今季初勝利の鈴木。参りました・・。

ファイターズとの3連戦、翌日4日の第2戦は先発・エスピノーザ、そして平野に代わって抑えを務めることになったマチャドの好投でバファローズが勝ったが、5日の第3戦は8回に登板した宇田川が崩れて逆転負け。5月も苦しい立ち上がりとなった。まだ序盤戦とはいえ、打撃不調は続くし、これまでチームを支えてきた投手陣にも陰りが見える。いやまだまだこれから・・・。

コメント

木次線「あめつち」復路と旧国鉄特急色「やくも」に乗車

2024年05月07日 | 旅行記F・中国

木次線の出雲横田まで乗り入れた観光列車「あめつち」。しばらく滞在して、後続の列車で出雲坂根や備後落合を経由すれば広島に戻ることができるが、今回は復路の列車にも乗ることにする。復路の乗客が減って空席が目立つが、木次線を乗り通す客のほか、出雲横田を起点にして周囲の観光スポットをタクシーで回るオプションコースの利用客もいるようだ

帰りは先ほどとは逆サイドの2人向かい合わせの座席。またも速度を落として走る。往路に続いてガイドからは「キハ47は力が弱いので、出雲横田から先の険しい区間を走ることができない」という案内がある。あの三段式スイッチバックの区間に観光列車を走らせることはもうないのだろうか。ならば「奥出雲おろち号」を牽引していた機関車を接続すればよいではないか・・・昨年、芸備線の「呑み鉄」列車に乗った時にそうした会話もあったし、往路の車内でもそうした声を聞いた。当然、JR西日本内部でもそうした声があったと思いたいが、プロの目からみて技術的に難しいのか、それとも、それはコストに見合わないことなのか。「木次線部分廃止への布石だ!」という一部の声が実は当たっていた・・ということも考えられなくもない。

復路でも乗車記念の斐伊川和紙のコースターをいただく。

さて、ここで昼食である。「奥出雲おろち号」の時は、亀嵩駅のそばをはじめとした地元商店のそばや仁多牛の弁当などを事前に各自で予約し、停車中に受け取っていたのだが、「あめつち」になってからは、山陰線走行時と同様に事前にネット予約した限定の弁当を客室乗務員が配膳することとなった。

その一品が幕の内「たたら」。島根牛の奥出雲天然醸造味噌煮、奥出雲産椎茸のアヒージョ、奥出雲産の野菜の炊き合わせなどが並ぶ中、ごはんは「奥出雲葡萄園のワイン寿司」。ワインで炊いた寿司というのも妙なもので、自家製焼き鯖やしじみ、紅ズワイ蟹などが載るが、うーん・・。郷土の食材で高級感を出そうというのはわかるが、個人的にはシンプルな出雲そばや牛めしという選択肢があったもよいように思う。

ここで一献は奥出雲の「七冠馬」。20世紀最強の競走馬とされるシンボリルドルフからつけられた名前で、ルドルフのオーナーが島根県出身であることがご縁で、牧場の次期当主と蔵元(樋上酒造)との間で縁談がまとまった。そうした意味でおめでたい一品である。

往路は通過した出雲三成に停車。備後落合行きとも行き違う。この間は駅舎内の産直コーナーでの買い物タイムである。せっかくなので亀嵩のそばと、仁多米の2キロ袋を購入。わざわざ2キロ以上荷物を増やした形だが、後は列車を乗り継ぐだけなので・・。

「次へつなごう、木次線」「き」プラスハートマーク・・。木次線も生き残りがかかる局面である。このキハ120は出雲坂根の難所を走る現役車両だが、例えば他の第三セクター鉄道がやっているように、車両の真ん中にテーブルを設けるなどして、臨時の「呑み鉄」列車や「郷土料理」列車などを運転するのはいかがだろうか。トイレ付車両というのも安心である。ただ、これも当然、JR西日本内部でもそうした声があったと思いたいが、プロの目からみて技術的に難しいのか、それとも、それはコストに見合わないことなのか(以下略・・)。

のんびりした車窓を抜け、木次に到着。ここで下車する客もいて、車内ガイドも名残惜しそうに手を振る。「奥出雲おろち号」は車掌のみの乗車だったが、「あめつち」でこうしたガイドや客室乗務員が加わったのはプラス面である。なかなか、評価が難しい・・。

宍道に到着。このまま米子まで乗ってもいいのだが、旧国鉄特急色車両の「やくも24号」に始発の出雲市から乗るべく、ここで下車する。1.5往復乗った形だが、木次線沿線の人たちが新たな「あめつち」を歓迎しようという気持ちを感じることができた。現在できる最大限の形というのかな・・。

「あめつち」については、新たに鳥取~城崎温泉という新たな区間での運行も始まっている。餘部鉄橋を渡るというのが最大の売りのようだが、こちらもぜひ乗ってみたいものだ。

後続の列車で出雲市に移動。15時35分発の「やくも24号」に乗る。

4月にデビューした273系の新型「やくも」への置き換えが順次進み、この6月中には完了するという。私のスケジュールを見ても、おそらく今回が381系「やくも」の乗り納めだろう。そして乗るなら旧国鉄特急色、宍道~出雲市の往復運賃が発生するが、そこはやはり始発~終点まで乗り通したい。

新型「やくも」の車内メロディには「ヒゲダン」の曲が使われているが、旧国鉄特急色は「鉄道唱歌」のオルゴールである。引退までまだ1ヶ月あまりあるためか、今は新型車両のほうに乗客の目が行っているようで「やくも24号」には十分空席があった。もっとも、最終運行となると乗り鉄、撮り鉄どもにごった返すのだろうが・・。

米子から伯耆大山を過ぎ、伯備線に入る。大山の稜線も捉えることができた。

・・・ただその後は、気づけば岡山だった。あれ? この前に新型「やくも」に乗り、やはり乗り心地がよかったと感じたが、かつて乗り物酔いが相次ぎ、「ぐったりはくも」とも揶揄された381系と比べてどうか・・ということを体感しようと思ったが、結局伯備線の多くの区間を寝て過ごしたようだ、いや、途中起きていたところもあったが、車窓にカメラを向けるわけではなくぼんやりしていたというのが正確なところか。ただいずれにしても、381系が極端に乗り心地悪いわけでなかったということかな・・・(個人の感想です)。

「あめつち」と「やくも」。山陰の鉄道旅は新たな1ページである・・・。

コメント

「あめつち」で木次線を楽しむ

2024年05月06日 | 旅行記F・中国

4月28日、山陰線から木次線に入る観光列車「あめつち」の旅である。前年秋に引退した「奥出雲おろち号」の後継列車であるが、まずは木次線内をゴトゴトは室。「奥出雲おろち号」の時はほぼ全ての駅に停車していたが、「あめつち」の出雲横田行きの途中の停車駅は木次のみである。座席が全席快速グリーン車というのも関係しているだろう。

木次線に入ると観光案内が始まる。マイクを握るのは「銀河鉄道999」の「メーテル」ならぬ、木次線の「ナーテル」。普段は途中の出雲大東で委託駅長を務める南波さんという方で、こうしたイベント時には「ナーテル」としてガイドに出ているという。この先、雲南市の魅力についてのトークが繰り広げられる。

一方、相方としてガイドを務める奥出雲町の担当の方がパンフレットと、オリジナルの「斐伊川和紙」のコースターを配る。江戸時代からの伝統工芸とのことだが、こうした工芸品があるとは初めて知った。斐伊川といえばたたら製鉄の原料となる砂鉄や木材のイメージが強かったのだが、和紙の原料も産出していたとは。

南宍道を経て、加茂中に到着。昔ながらの町並みが広がり、コウノトリの繁殖地としても知られる地区で、家の窓からや、農作業の手を止めて「あめつち」に向かって手を振る人が多い。斐伊川の土手は桜の名所でもある。「奥出雲おろち号」が走らなくなり、「あめつち」も木次線に乗り入れるのは月に4日ほどだが、木次線の新たな顔として歓迎しようという思いは伝わってくる。

「ナーテル」の勤務場所?である出雲大東駅を通過。ここまで、駅にはいったん停車するものの扉の開閉はなく、あくまで通過の扱いである。

木次に到着。本来なら10時18分の発車まで10分停車のところ、遅れのため停車時間も短縮されるとのこと。地元の人たちがブラスバンドの演奏や手旗を出迎えるが、慌ただしく時間が過ぎる。以前の「奥出雲おろち号」では木次牛乳などの販売もあったと思うが・・。

木次を出ると、次は終点・出雲横田。ノンストップではあるが、営業キロと所要時間で計算すると平均時速は30キロしか出ない。ただそれ以上にスローペースである。「奥出雲おろち号」の時は動力はディーゼル機関車だったからそれなりの出力があったが、キハ47とはここまで出力の弱い形式だったっけ。まあ、その分沿線の人たちと手を振り合う光景は見られるのだが。

「奥出雲おろち号」の時は乗降者の数はともかく、各駅に停車して駅ごとでの地元の人たちのお出迎えがあったし、予約が必要なものもあるが途中駅からの乗り込みやホーム上で弁当やスイーツの販売も行われていた。「あめつち」はこれらの駅は通過扱いで、駅舎を利用したそば屋で有名な亀嵩も、停止することなくそのまま通過する。

木次線最長、2241メートルの下久野トンネルを抜ける。「奥出雲おろち号」の時はトンネルの冷気が漂い、トロッコ客車内では天井の手作りのイルミネーションの演出もあったが、「あめつち」は気動車が走り抜けるだけである。そもそも、窓じたい開けられないし・・。

出雲三成を過ぎ、次の亀嵩ではホームに10人以上の客が「あめつち」を待ち構えていた。しかし列車は通過扱い。普通列車でも事前に予約すれば「そば弁当」を受け取れるのだが、通過してしまうとは・・。乗客の乗り降りという視点だと、木次~出雲横田間で下車する人はほとんどいないということで通過扱いにするのもわかるが、観光列車なのだから従前のように沿線の人たちとの触れ合いやグルメがあってもよいのではないかな。

終点・出雲横田に到着。神殿を意識した駅舎をくぐる。

駅前では地元の「仁多乃炎太鼓」のメンバーによる和太鼓の演奏でお出迎え。

出雲横田で1時間50分待ちの13時11分発の木次線備後落合行きに乗れば1日3往復の区間を通り、出雲坂根の三段式スイッチバックを楽しみ、終点の備後落合では芸備線の新見行き、三次行きと「落ち合う」。広島に戻るならさすがにそちらのルートのほうが早いのだが、この先、復路の車窓と、山陰線~伯備線の381系旧国鉄特急色車両への「お別れ乗車」と組み合わせているため、出雲横田から木次方面に折り返す。

備後落合方面に抜ける客もそれなりにいるようで、「あめつち」の乗客はいくらか減ったようだ。12時03分、太鼓のメンバーをはじめ、地元の人たちの見送りを受けて発車・・・。

コメント

木次線乗り入れの「あめつち」に乗る

2024年05月05日 | 旅行記F・中国

4月28日、今回の旅のメインである観光列車「あめつち」に乗車する。米子8時17分発で、宍道から木次線に入り、終点・出雲横田には11時21分着。約3時間の乗車となる。

始発の米子駅に向かうと、列車の運行情報の案内が流れる。伯耆大山駅で車両トラブルだという。そのため、山陰線の倉吉~米子、伯備線の上石見~米子で運転を見合わせているという。岡山行きの新型「やくも」も身動きが取れず停車したままである。山陰線と伯備線が接続する駅でのトラブルというのは結構痛い。米子から松江、出雲市方面はほぼ定刻での運転というが、ひょっとしたら東側から「あめつち」に間に合うよう移動するところだった客がいるかもしれない。

すでに入線していた「あめつち」に乗り込む。「あめつち」じたいはこれまで複数回乗ったことがあるが、キハ47の改造車両のため、なかなか座席と窓がドンピシャの配置になるのが難しい。「e5489」でも座席番号を指定しての予約ができないため、予約を取っては変更して・・ということを何回か繰り返した。その結果、進行方向右側のカウンター席を確保して落としどころとしたのだが、いざ乗り込んでみるとかつてのドア横の車体部がデンと目の前にある。まあ、目線を少し斜めにやれば問題ないのだが・・。

こちらは定刻で発車。2両編成の車内はほぼ半分くらいの乗車率である。

実は朝食がまだだったので、車内でいただくことにする。米子で購入した駅弁「伯耆物語」。米子の駅弁といえば「吾左衛門鮓」が有名で、前日の一献の後、ホテルの部屋で締めの一品としていただいた。「伯耆物語」は幕の内弁当だが、焼き鯖、鰻の蒲焼き、鱒の唐揚げ、しじみ、野菜の煮物などバラエティに富む。これから奥出雲に向かうのに「伯耆物語」とはこれいかにで、列車はすでに出雲に入ったが、美味しくいただく。

中海から宍道湖に続く景色を楽しむ。

その中、客室乗務員が乗車記念の「神様おみくじ」の箱を持って回る。大吉小吉ではなく、神話に登場するいずれかの神様が現れるのだが、私が引いたのは一言主神。添えられた言葉には「めざすは、小さな巨人」とある。オロナミンCかいな。

松江に到着。9時05分の発車までしばらく停車する。松江といえばこの日(4月28日)は衆議院島根1区の補欠選挙の投票日。この先「あめつち」が走る区間はずっと島根1区のエリアである。選挙戦は当初から立憲民主党候補の優勢が伝えられる中、心配なのは投票率である。結局、多くの国民が政治に対して「どっちらけ」になっているという事実にこそもっと目を向けるべきではないかと思う。

さて青空の下、宍道湖に沿って走る。BGMとして「あめつちのテーマ」も流れる。

木次線に入る前の松江、玉造温泉で下車する客もいる。もったいないようにも思うが、ちょうどよい時間の特急に乗るような感じでの利用だろう。一方で車内も木次線が近づき、乗客のテンションも上がってきたようだ。

宍道に到着。木次線が出る3番乗り場に到着する。ホームでは木次線の法被姿の人たちがお出迎え。この後、沿線ガイドを務めるようだ。合わせて、武将姿の人たちも横断幕で出迎える。

・・・と、そこに現れたのは「フーテンの寅さん」。

そういえば、昨年の秋に津山から因美線で運転された「みまさかスローライフ列車」で見かけた方ではないかな。他の乗客からもそうしたリアクションがあった。松江在住で、本業で自動車整備会社を経営するかたわら、「寅さん」に扮してこうした地域イベントに登場し、人々に笑顔を届けている。さすがにこの日は「あめつち」の見送りのみで、「寅さん」が木次線を旅することはなかったが・・。

その宍道で、出雲市方面からの客も含めてほぼ満席となった。ここからがメインの木次線の旅。ちょうどカウンターに「木次線写真集」があり、昨年引退した「奥出雲おろち号」やキハ120の四季の車窓や地元の人たちの表情を捉えた一冊を見やりながらの旅である。

伯耆大山駅での車両トラブルの影響で、山陰線でのダイヤに乱れがあり、「あめつち」との行き違い列車にも若干遅れが出たため、宍道発車は定刻の9時30分を少し回った。キハ47は宍道駅の3番線からそのまま分岐し、木次線に向けて進む・・・。

コメント

米子にて一献

2024年05月04日 | 旅行記F・中国

4月27日、皆生温泉でひとっ風呂した後、米子駅に戻る。宿泊先の米子シティガーデンズホテルの部屋でしばらく休む。

そして米子での一献は、ホテルの真向かいにある「炉端かば」。日本海の幸を味わえるチェーン店で、鳥取・島根両県のほか、三次、津山、加西といった中国道沿いにも展開している。この米子駅前店にも一度入ったことがある。

グランドメニュー以外に当日のおすすめが多いのが「炉端かば」の特徴で、この日は「米子駅前店 春の陣」と銘打った手書きのメニューが並ぶ。せっかくなのでこの「春の陣」を中心に一献を組み立てる。

今日は飲もう!まずはビールでのどを潤す。いや実は、先ほど湯上がりに海岸を眺めながらちょっと飲んでいたのだが・・。

おすすめの地魚三種盛り。サワラ、ヨコワ、あともう一種は何だったかな・・。米子といえば日本海側有数の漁港である境港が近い。

イカ醤油卵黄のせ。いや、これは濃厚・・。丼ご飯にかけても美味いことだろう。

宍道湖に近いということで、しじみはぜひいただきたい。あさりとしじみ蒸し。どちらかだけでも十分美味しい一品だが、一度に両方をいただく。酒蒸しだがバターも入り、味に深みが出る。

さらには、かにみそ天婦羅。かにみそをどうやって天ぷらにするのやらと思ったが、出てきたのはかにみそを海苔でくるんだ一品。特に鳥取の郷土料理というわけではなく、大葉を使った包み揚げのレシピもあるそうだが、かにみそのこうした食べ方もあるのかなと感心する。

さて、飲みのほうだ。ビールの後はレモンサワーに行ったが、メニューを見て目に留まったのが「やわたの本青汁割り」。テレビの通販番組やCMでは青汁をはじめとした健康食品がいろいろ紹介されるのだが、その中で「元気を増やそ~ やわた!」で知られるのが八幡物産。なぜ「炉端かば」で「やわたの青汁」がメニューに大きく載っているのかなと調べると、実は八幡物産の本社および工場があるのが米子だという。思わず「へぇ~」となる。さすが青汁、緑茶よりも緑の味わい深く、しかも栄養も摂れるとは、青汁割りは米子に限る・・。

そろそろ終盤である。青汁割りもいいが、最後は地酒だろう。ここ米子駅前店では「イロハニ升」として、升を4つに区切り、山陰の地酒を「からくち」、「うまくち」、「はなやか」の各セットで吞み比べができる。

どのセットも魅力的なのだが、熟考の末、今回は「からくち」の「イロハニ升」を所望。右下から反時計回りに「イ 八郷」、「ロ やまたのおろち」、「ハ 開春」、「ニ 瑞泉」と並ぶ。どのセットも鳥取・島根が二種ずつ並ぶ。どのセットの「イロハニ」の順番も、店としては考えがあってのことだろう。

そのアテとなるのが、グランドメニューであるのどぐろの一夜干し。鳥取・島根に来るとやたら目につくのがのどぐろ。のどぐろといえば高級魚だが、一方ではこうして小ぶりな一夜干しで供されたり、さまざまな加工品にもなっている。「春の陣」メニューの煮つけ、焼きだったらもっと高価だが、一夜干しでも満足できるのは地元ならではである。

予定を繰り上げて入店したこともあり、満足して店を出た後もまだ完全には日が暮れていなかった。とはいうもののここからどこかに出かけることもなく、ホテル1階のローソンでいろいろ買い求め、ご飯物は昼に米子に着いた時に購入した「吾左衛門鮓」として、部屋で一人二次会。

さて翌朝は「あめつち」乗車である・・・。

コメント

皆生温泉にて日帰り入浴

2024年05月02日 | 旅行記F・中国

新たに木次線を走る観光列車「あめつち」に乗るため、米子に前日入りした私。ホテルに入るにはまだ早いのでどこかに憩う。

例えば境線で境港で行く手もあったが、駅前からバスで向かったのは海べりの皆生温泉。大阪勤務時代、山陰への1泊旅行時の宿として一度だけ泊まったことがある。今回は日帰りだが、ひとっ風呂浴びることにしよう。

向かったのは、皆生温泉観光センターのすぐ南にある「OU(おーゆ)ランド」。ホテルと日帰り浴場を兼ねたところで、日帰り入浴は450円と安い。浴室内にはシャンプー、ボディソープ等の備え付けがない分、町の銭湯価格といえる。

建物に入ると薬師像が出迎える。温泉といえば薬用効果もあるということで、薬師像が祀られているところが多い。この像も、皆生温泉のいくつかの場所を転々として今はここに安息の地を得ているとのことだ。

「OUランド」の玄関では「坂内義雄翁像」がお出迎え。皆生温泉は明治時代に発見され、大正時代に温泉地として開発されたが、昭和の戦前に一層発展させたのがこの人物である。紹介文には「皆生温泉の育ての親」とある。ここ「OUランド」は皆生温泉の「元湯」的な歴史もあるようだ。

浴室は「おー風呂」「ゆー風呂」の2種類が男女週替わりで、それぞれ「O」と「U」の形の大浴槽を中心に露天風呂や炭酸泉などが並ぶ。しばしのんびり浸かる。

せっかくなので海岸まで行こう。海べりの景色を楽しめるホテルも並ぶ。ちなみに、皆生に一度だけ泊まったというのが「シーサイドホテル海の四季」で、海側のシングルルームに泊まった。さすがに夕食つきは高いとして米子で駅弁を買って、波の音を聴きながらいただいたのではないかな。朝食は玉子が食べ放題で、何種類もの醤油で食べ比べた。

朝の広島では小雨が残っていたが、午後の米子に来て青空が広がるようになった。海岸の入口に建つのは「有本松太郎翁像」。先ほどの坂内義雄が皆生温泉の「育ての親」だったのに対し、有本松太郎は「生みの親」である。大山の雄姿を望む海岸に温泉が湧く地に可能性を見出し、現在の温泉地の原形を築いた。

鳥取県は東西に満遍なく温泉地が並ぶ印象である。東部の鳥取温泉、吉岡温泉。中部のはわい温泉、三朝温泉。そして西部の皆生温泉。

しばらく海岸べりのベンチでくつろぐ。

そろそろということで観光センターのバス停に向かう。途中どこかで下車することなくそのまま米子駅に戻る。

この日の宿泊は「米子シティガーデンズホテル」。「あめつち」の指定席を早々に確保できたのはよしとして、大型連休初日ということで、米子のホテルも他の都市同様に早々に満室、あるいは価格高騰となっていた。その中で一応許容範囲の価格ということで確保したところ。

建物じたいは年季が入った様子だが、ロビーや客室内は最近リニューアルされたとのことで、1泊には十分である。素泊まり専用ではあるが、そこは1階がローソンということで、何か買う物があればそこで調達・・。

さてこの後は、米子での一献である・・・。

コメント

高速バスで米子入り~「あめつち」に乗車

2024年05月01日 | 旅行記F・中国

2023年10月、木次線を走る観光列車「奥出雲おろち号」が25年の運行の歴史の幕を閉じた。私はその夏に「お分けれ乗車」し、最後にその車両を目にしたのは備後落合駅。ちょうど芸備線でクラウドファンディングによる「呑み鉄鈍行ちどり足号」というのが運行され、終点の備後落合にて「奥出雲おろち号」と「落ち合った」。廃止ということで多くの沿線の人たち、また鉄道ファンが別れを惜しんだ。

それから春が来て、後継の観光列車として起用されたのがキハ47の「あめつち」。これまで山陰線の出雲市~鳥取間で運転されており、私も複数回乗車したことがあるが、一部の日程で米子~出雲横田間で運転されることになった。しかし、三段式スイッチバックや延命水がある出雲坂根や、その先の備後落合にも行かない。この区間の急勾配に対して、キハ47では力不足というのが理由である。

その一方、「あめつち」は一部の日程で鳥取~城崎温泉間でも運転される。兵庫県に入るというのもすごいが、こちらは山陰ジオパークへのアクセスや、餘部鉄橋を渡るのが見どころである。

さて、新たに木次線を走る「あめつち」に乗ってみよう。運行初日となった4月7日は満員御礼で、車内や途中駅でのおもてなしもさまざまあったという。運行カレンダーを見ると、次は4月28日、29日とある。そして、往路は米子8時17分発、復路は出雲横田12時03分発とある。広島から乗りに行くとしても、出雲横田発には間に合わない。結局前泊して、米子から乗ることになる。もっとも、終点の出雲横田で1時間50分後に木次線の備後落合行きの定期列車(1日3便のうちの1便)が来るので、それに乗れば出雲坂根から備後落合に抜けることができ、芸備線で広島に戻ることができる。

当初はこれで広島に抜けようかと思ったが、結局出雲横田からの復路の指定席も購入した。山陰線からの分岐駅である宍道で下車し、出雲市まで移動。そして特急「やくも24号」に乗ることにした。今回、間もなく引退する381系「やくも」の旧国鉄特急色の「お別れ乗車」も兼ねることにした・・・。

ということで、前日の4月27日は米子への移動日とした。旧国鉄特急色の「やくも」に乗るなら往路で行けばよいではないかと思ったが、今回選択したのは広島バスセンター~米子駅行きの高速バス。10時05分発ということでまずは広電でバスセンターに向かう。発車時刻になると多くの客が乗り場に集まり、大型連休初日ということで車内はほぼ満席となる。私の隣にも恰幅のよい男性(私も人のことはいえないが・・)。この路線はネット予約にも対応しているが、予約時点で男性・女性の別を入力するためか、席割もペアでない男女が隣り合わせにならないよう組み合わされている。

西風新都インターから広島道に入る。大型連休中ではあるがこの先も含めて特段渋滞する区間もなく、順調に進む。米子行きは、途中大塚駅に停車後はノンストップだ。

広島便の休憩ポイントである江の川パーキングエリアにて停車。

その後も中国道~松江道~山陰道と順調に走行し、定刻である13時28分よりも10分あまり早く米子駅に到着した。

・・さて、昼過ぎに米子に到着し、この日の宿も米子駅前で確保しているのだが、それまでの時間をどう過ごすかは決めていなかった。山陰線、伯備線、境線とあるのでどこかの列車に乗るか。そういえば、境港の「水木しげる記念館」がこのたびリニューアルオープンしたというニュースもあったような・・。

コメント