ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

そろそろと

2008年10月22日 | ひとりごと
治ってきましたよぉ~、うふふ、もうちょっとの辛抱です。
鼻の奥から濃い色の膿が出て、それとともに痛みが少しずつひいていき、ひりひりしていた頭皮や肌の痛みも無くなってきました。
教えている間につい歌ってしまっても、喉とか鼻の奥とかに、針が刺さったみたいな痛みを感じることもありませんでした。
今夜こそ、朝まで続けて眠れるかも……楽しみです。

3日の辛抱っていうのがわたしのパターンですが、何もしないでただ待っているわけでもありません。
生姜湯を飲んだり蜂蜜レモンを飲んだり、腰湯をしたり、摩擦するといい場所をゴシゴシ擦ったり、塩湯でうがいをしたり、湿ったマスクをつけたり、とりあえずできることはやりながら待ちます。

でも今回はなによりも、励ましてもらえたこと、心配してもらったことが薬になりました。
ありがとう!


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風邪ひきの戯言

2008年10月22日 | ひとりごと
昨日のお昼から今朝の10時まで、なんも食ってないし……。けど、お腹空かへんし……。鼻水いっぱい出るし……。
なんて……最低な1日の幕開けです。鼻と喉の奥、痛いです

まうみ的風邪撃退法は、ただただ出るモノを出し尽くすこと3日、鼻の周りがカパカパになった頃、徐々に楽になり始める、です。
そんな超原始的な治し方を、横で見ている鍼灸師の心は穏やかでなく、僕に治させて~と言いたげな眼差し。
たまに、どうしても治りを急がなくてはならない事態になった時、ちょいとお願いしたりするけれど、
風邪の時はほとんどこの方法で、嵐が通り過ぎるのをジ~ッと待ちます。
3日間はめちゃしんどいけど、治った時は爽快です。なにも残ってないって感じがします
けど、それを小さかった息子達にもさせていて、今から考えると、よく重症とかにならなかったなあと思ったりもします。
あ、なったなった。Tは重篤な肺炎と肋膜炎を併発し、Kは重篤な川崎病。まったくろくな母じゃないわ、わたしは……

基本的に、若い頃から、錠剤とか注射とかに頼るのが嫌な方です。
けれどもわたしにも、そんなこと言ってられない時がありました。3階から転落した時のことです。
落下してから丸1日経って目覚めた時から、傷の治療、後遺症の治療で、4年間検査と手術で薬漬けになりました。
けれども、結局は、「ごめんなさい、手に負えません」という言葉でおしまい。
「あと1年、かな」と、さり気なく余命を宣告されたあの日、病院の玄関を出た所の、貧弱な枝に満開の花びらをつけた桜の木を眺め、すっきり晴れた空を眺め、薬と縁が切れた自分を祝いました。

その後、伯母からの勧めで入信した新興宗教で、良い食べ物を食べ、治るという意思を自分の細胞に訴えかけることを習い、
医者から宣告された余命時期を遥かに超えて、今もこうしてちゃっかり生かせてもらっています。

あの時、なんとか手だてはないものかと、懸命に治療方法を探ってくれた担当医と、宗教で出会った先生や仲間の人達に、
なにも恩返しできないまま今に至っていることを時々思い出しては、情けない気持ちになります。
こんなわたしごときの命のために、やれるだけの事を、祈れるだけの心を与えてくださった大勢の人達。
その人達のおかげでわたしは今もこうして生きて、風邪なんかをひいたりもしているのですね。
なのに医者嫌いで無宗教……ごめんなさぁ~い




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