ピアノを習いたいのですが、という電話を受けた時、わたしが日本人だということを知ると必ず聞かれることがあります。
「スズキメソードで教えているのですか?」
実は、こちらでそう何回も尋ねられるまで、スズキメソードでピアノも学んでいる人がいることを知らないでいました。
あの教法はバイオリンやフルートなどの単一の音(バイオリンは重音演奏も可能ですが)の楽器に適していると思っていました。
スズキメソードでは、基本的に楽譜を読まないで、まず耳で演奏を聞き、それを真似ることで音楽を学びます。
聞く演奏は良いものであることが前提なのでCDを使うことが多く、レッスン中に聞く演奏も教師のものではなくCDを使うと聞いたことがあります。
良い演奏を聞き、あこがれ、それを自分の手で、口で、演奏してみたくなる。
そこには純粋な夢と、希望と、情熱があるので、だから頑張れる、そして演奏できるようになる。
それを聞いて、心から喜んでくれる家族が居る。誇りに思ってもらえる自分が居る。
わたしはその世界にも一理あると思います。そしてまた、全く楽譜を使わないのではなく、
読まなくても読めなくても、とりあえず自分が演奏している曲の楽譜を見ながら演奏するので、
絵のように、なんとなく眺めているうちに音符が読めるようになる人もいると聞いています。
でも、わたしはピアノ教師として、スズキメソードで学んできた子供や大人を教えるたびに、頭を抱えてしまいます。
きっと、自分が全く逆の方法で音楽を学び、苦しみ、楽しんできたからだと思います。
本を読みたくて仕方が無くても、文字が分からない子は読めません。
文字はまず、周りの家族の話し言葉が耳から入り、音で覚えます。
なんだかさっぱり分からないけれど、楽しそうだなあ、真似してみようかなあ。
真似してみたら、びっくりするほど褒められたり、撫でてもらえたり、楽しくて仕方ありません。
しかも、どの家族もみんな、同じようなことを繰り返し言ってくれるので、起きている間中真似っこのチャンスだらけ。
楽しいなあ、楽しいなあと思っている間にどんどん真似できる言葉が増えていって、
そうこうしているうちに、あなたが「あ」と言っているのはこれよ、と音の形を教えてもらいます。
そうして一つずつ覚えていった音の形で、今度は文章が読めるようになり、複数の文章がつながった本が読めるようになります。
スズキメソードの良いところは、その無意識の楽しみを大事にすることだと思います。
楽しんでいるうちに、自分が出したいと思う音が出てくる。こんな素晴らしいことはありません。
ただ、文章(音楽でいうとフレーズ)が多くなってくるにつれ、真似だけではどうしようもない事態に陥ります。
その時に、それはね、君が字を読めないからだよと言われても、その子はただ混乱するかがっかりするだけです。
スズキメソードで音楽を始め、もう少し先に進みたいからというのでうちにやって来る子供達に、わたしはその辛い言葉を言わなければならないことになります。
音符を覚えるのは、文字を覚えるようなものだと言う人がいますが、それはちょっと違います。
文字だと、周りにいる人達が同じ様にいつだって使っているので、起きている間中目にしたり耳にしたりする機会があります。
では音符はどうでしょう?
よほど変わり者の親か、あるいは演奏者とかが居る場合を除いて、音符を暮らしの中で目にすることはありません。
その子が、わざわざ楽器のそばに行き、自分の楽譜を開くまで、オタマジャクシと呼ばれる妙な形の白黒の連中を見ることはないのです。
話している間にドレミを使うこともなく、たった5本の線の中にゴチャゴチャと点々のように記された記号を、いったい誰が読みたいと思えるか……。
初心者が年に必ず数人入ってきます。
真ん中のドから始まって、そこから左右に読める音が3音、5音、そして10音と広がっていき、
気がついたら、両方の手で30音以上の音が書かれている楽譜を読んで弾けるようになっています。
しかも、パソコンを打つ時のように、手元を見ないで弾くことをしつっこく言われ続けるので、彼らの指は鍵盤の幅を覚え、探し当てることもできるのです。
賢い目と指を持つ生徒達を、すごいねえ、頑張ったねえと褒めながら、彼らの音に色をつける手伝いをしている時、
ふと、そうなれるまでに、この子達はいったい、どんなに辛抱したんだろうと愛おしくなったりします。
長年ピアノを教え学んできた者として、たくさんのことを教えたり一緒に学んだりできると思っていますが、
自分がどういうふうにして音符を覚えたのかさっぱり覚えていないので、それだけは教えてあげることはできません。
なので、音符をコツコツ一つずつ読めるようになる子達、あるいは大人達を、ほんとにすごいなあと思います。
今日も一人、スズキメソードの経験者がうちに来てくれました。
彼が、これまでのスズキ仲間の子供達のように、途中で投げ出してしまわないように、
彼の音楽への情熱を大事に、音楽の文字をうまく覚えさせてあげられる方法を考えたいと思っているのですが、
さてさて、今までの方法はすべて失敗の巻だったので、頭を切り替えて、新しいアイディアを考えなければ……

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