ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

関西のおばちゃん

2008年10月13日 | ひとりごと
多分、そうやと思います。
いや、きっとそうやと思います。

今日は久しぶりにミツワ(前に八百半だった日本マーケット)に行ってきました。
うちは皆、焼き魚好きなので、まずは魚売り場に直行。
そこでウロウロしていると、魚売り場の担当をしている背のちっちゃいおばちゃんの声が聞こえてきました。
「えっと、これ、ディス、えっと、アッチッチ、えっと、ほれ、ふぅ~ふぅ~」
おばちゃん、口をとんがらせて息を吹き、大熱演です。
説明してもらっているお客さん(東洋人の母娘)の母親の右手には帆立の刺身、左手には明太子が乗っています。
おばちゃんの熱演はさらに続きます。
「ほんで、これ、ディス、あの、ナマ、このまま、イートイートね」
今度はおばちゃん、手に茶碗持ってお箸で何かをかき込んでるような仕草。

もうすっかりファンになったわたしは、もうちょっと見せてもらおうと、ソロソロと3人の近くに寄って行きました。

すると、目が・になったまま棒立ちしていた娘さんが、わたしに英語で聞いてきました。
「これ、どうやって食べるんでしょう?」
わたしはまずおばちゃんに、彼女達に説明していいかどうか尋ねてからと思い、聞こうとしたら、
おばちゃん、首がもげるで~と心配になるほどコクンコクンと頷いてます。
よっしゃ、まかしとき。

結局、おばちゃんが言おうとしたことは、どれも正しかったのですね。
わたしの説明を聞いて納得した2人は、どちらも棚に戻すことなく、買い物かごに入れ、去って行きました。
おばちゃんは、それでよし、ようやった。とでも言いたげなとても満足そうな目でわたしを見て、
「サンキュ、サンキュ」と言って、さっさと魚の処理場の方に入ってしまいました。
その彼女の後ろ姿は、ほんの少し寂しそうでした。
おばちゃん頑張れ

きっと彼女は関西人です。
関西弁を話す人間は、よく単語を2回繰り返す癖があります。興奮した時や慌てた時なんかは特にその癖が出ます。
わたしは、阪神大震災でびっくり仰天した朝、それをしつっこいほどやって、今だに家族にからかわれています。

独りで行くのつまらんかったけど、おもろい買いもんになったわ。
おおきに、おばちゃん
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表現とわたし

2008年10月13日 | 家族とわたし


朝起きてキッチンに行くと、いつものように、旦那が裏口の階段の踊り場で朝の運動をしていました。
ん?でもなんかちょっと様子が……そぉっと覗き見したら……カメラで景色を撮ってます。

昨日の夕飯時の乾杯直前に「ちょっと待った!これをカメラで撮ってから」と言って待たせたわたしに、旦那と息子は非難囂々。
K「なんでそんなことすんの?」
B「え?知らんのか。あんたのおかあさん、この頃ブログにハマりまくってて、こんなことばっかやってるねんで」
しっ!黙れ、おしゃべり。二重まぶたのこと、記事に書いたってバレたらヤバいやん。
K「そんなことして何の意味あるん?」

写真を無事(焦って撮ったので今イチでしたが)撮り終え、そんなことよりまあ食べましょ、と乾杯。
食事後、わたしはお茶碗を洗いながら考えたのでした。
ほんまに、わたしはなんでこんなことをしてるのかなあ。

もともと、自分の中にある、目に見えない何かを、表現することに興味がある方です。
版画だったり絵だったり、作文だったり演奏だったり、心と強くつながっている何かが、自分の内側から外側に流れ出していく過程が楽しいし、
表現した自分を、どんな形であれ、受け取ってもらえたら、もっともっと楽しい。

旦那の母親は素晴らしい陶芸家です。
彼女はもともと優秀な化学者でしたが、結婚を機に専業主婦に転向、子育てが一段落してから陶芸を学んだ人です。
彼女の家には、彼女の作品がいろんなふうに飾られ、彼女の作った食器は子供達家族も皆が重宝しています。
一度、おかあさんとこんな話をしました。
「おかあさんは、自分の表現した物をこうやっていつでも見たり使ったりして楽しめるからいいなあ」
「わたし達だって、まうみのピアノをいつも楽しませてもらってるわよ」
「けど、わたしの表現はその時その瞬間だけで、あとは煙のように、ちょっとの間そこに漂って消えてしまうもん」
「だからこそ、人の心に深く残る表現でもあるのじゃないの?それに、人には思い出すという能力があるものね」

それからしばらくして、わたしはひょんなことから物語を書き始めました。
何も無い所から、言葉を一つ一つ作り出し、文章にし、何度も何度も練り直し、音読し、そしてまた書き直す。
同じ白黒画面を目の前にして、鍵盤のかわりに文字キーを叩き、何時間も座り続けるのは得意中の得意です。
なんの問題もありませんでした。
書き上げた物語を、おずおずと友人知人に送り、読んだ感想を聞かせてもらう時の興奮ったらありません。
感想には良いこともあり批判もあり、それぞれいろんな意見がありましたが、どれも皆、とてもありがたいものでした。
やっぱり形になって残るっていいなあ。

おかあさんは60代からいろんな分野のマッサージ師としての資格を取り始め、今は脳のマッサージの勉強をしています。
少し前は内蔵でした。
直接手で触れられないそれらを、どんなふうにしてマッサージするのか、とても不思議で興味深い分野です。

さて、話をもとに戻します。
わたしのブログに関わる時間がだんだん長くなってきたのと、家族の話を公共の場にされていることで、
旦那は近頃、なんとなく放っとかれているような、居心地が悪いような気持ちになっていたんだと思います。
なので、表現とわたしについて、少しゆっくりと話を聞いてもらいました。
納得したようなしてないような、けれどもとりあえず「わかった」と言ってくれました。

そして今朝、自分がいつも太極拳をしながら見ている景色を撮っている旦那を発見。
ありがとね。






コメント (2)
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