ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

おぼろげながら、

2008年10月08日 | 世界とわたし
『世界を良くするアイディア』、少しだけ形になってきました
でも、こんなことならきっと、もっと煮詰まった、くっきりと形になったアイディアがすでに存在してる可能性大ですが……

昔むかし、わたしが13才まで暮らした桜ヶ丘の平屋の屋根の上には、ソーラーシステムのパネルがありました。
それで思ったのだけれど、各国の環境庁とかエネルギー省みたいなのに値するところが予算を捻出して、
全国の家という家(持ち家であろうが借家であろうがマンションであろうがアパートであろうが段ボールの家であろうが)に、ちっちゃなソーラーシステムを設置し、
とりあえずその家が使う電化製品の電気量を、その家に住む住人達で賄うっていうのはどうでしょう。

もちろん、その人その家族によって使用量にはかなりの差が生じます。
なので、人よりいっぱい使う人用の、割高なシステムも用意しなければならないけれど、
限りある物だというのが目に見えたり実感できたりすると、無意識に使ってしまう癖も無くなっていくんじゃないかしらん。

環境を良く考えているで賞みたいなのを設けたり、税金の率がそれによって違ったり、
そして頑張ったり工夫した人にはそれなりの褒美を用意すると楽しそうです

なんだかここ最近、途方もない額のお金があっちこっち飛び回っていて、
それが世界の経済危機を救済するためだとか、ウソついて無理矢理始めた戦争に使ってるお金だとか、
わたしにはもう想像もできないことを毎日のようにニュースで読んだりしているうちに、
なんや、国のお金って、動かそうとか使おうとか決めたら決めただけ出てくるやんって思えてきました。
それなら、こんなちっちゃなシステムを各家に設置するぐらい、痛くも痒くもなかろう、ねえ、大統領さん。

地震とか水害とかの災害に遭った人達は、水や電気を分け合って、得た量でなんとか過ごそうとします。
もちろんそういう状況は大変だし面倒だし、かなりのストレスも伴います。
でも、普段からそういうのに慣れていたとしたら……。

この家は180才で、家に居る大人3人が自分の好きな様に電気を使うと、たちまちパンクしてシャットアウト。
大きな電力が必要な物を使う時は、それぞれの部屋に行ってチェックしなければなりません。
最初は面倒だなあと思っていたけれど、今はもうすっかり慣れて平気です。

さあて、もうちょっと無い知恵と脳みそを使って、いろいろ考えてみます。
みんなのアイディアも聞いてみたいなあ
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水先案内人

2008年10月08日 | ひとりごと
それはなんとデイヴだったのです。わたしは今の今まで知りませんでした。

旦那がわたし達と一緒に暮らし始めたのは1992年の初夏のことでした。
その頃は、その日1日が無事に、幼い息子達のお腹に食べ物がちゃんと入るように、それだけで必死な毎日でした。
近くの公園に遊びに行くことだけしかできなかったけれど、5年が過ぎた頃から厳しさが少しずつやわらいで、
7年目を迎えた頃は、旦那が自分の英会話教室を開きたいからと、別にもう1軒、自分達の借家よりもさらにオンボロながらも、一軒家を借りられるようになっていました。
それまで「アメリカに行って暮らそ、おんなじ貧乏するのやったら、あんたの国でしてみたい」と言ってたわたしも、
教室用のエアコンやカーテンを(もちろん激安物ばかり)買い揃えながら、旦那の日本永住を考え始めていました。
その頃、友人から5万円で譲ってもらった車も限界がきて、初めての新車を買ったりもしました。

旦那は教室の運営を潤滑にするには、パソコンを使いこなせることが大事だと思い、
大学時代の1年後輩で、ドイツでネット企業について学び、アメリカに戻って会社を設立し大成功したダンに、
「コンピューターを使いこなせるようになりたいんだけど、どういう所で学んだらいいかな」というメールを送りました。
すると半日も経たないうちに、
「それならうちで働いたらどうだい?人事をやってもらうことになるけど、それをやって日銭を稼ぎながら勉強ってのは?」
予想もしていなかった返事にびっくりしながらも、それからもメールのやり取りは続き、
マンハッタンで高給取りのサラリーマン旦那の像が出来上がったのでした。1年半だけの間でしたが……。
その頃はネット業界のバブル崩壊直前。だから、見習いの旦那にもそういうサラリーを払ってもらえたんでしょうね。

どうも旦那は、バブル崩壊直前に立ち会う運命にあるようです。日本に行った時もそうでした。
そして、その会社の人事を担当していた先輩がデイヴだったのでした。
彼は、どこで暮らしたらいいのか全く分からなかった旦那に、
「モントクレアはいいぞ。ここだと子供の教育にもいいし、奥さんの仕事もきっとうまくいく」と言ったのでした。

わたし達とモントクレアを引き合わせてくれたデイヴ。
人生と仕事の先輩としては、チョイ悪な彼なので、見習わない方がいい部分があったりするけれど、
彼と出会っていなければ、やってきたその日に、ここに骨を埋められたらいいなと思えたこの町とも出会えていませんでした。

町や物や人に出会う時、しばしば自分とそれらとの間に案内役をしてくれる人がいます。
縁ってほんとに不思議です
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10月5日から8日

2008年10月08日 | ひとりごと
大好きな俳優、緒形拳さんが亡くなりました。
家族を愛し、猫と書と絵を愛し、最後の最後まで役者魂を強く持ち続けた拳さん。
ご冥福をお祈りします。


4人の日本人化学者と物理学者が、ノーベル賞を受賞しました。
もう随分前に発表された研究に対して、なぜ今賞が与えられるのか、なかなかミステリーな賞です。
日本から長く離れてアメリカに暮らすお二方のお顔が、英会話的顔筋になられているのが写真からもしっかり見られ、
それがちょっと可笑しかったわたしです。

悲しいニュースと嬉しいニュースの4日間でした。

あ、そや、もひとつ思い出したくないけど思い出した!こらっ阪神!巨人に負けてどないする!頼むし頑張ってぇ~!
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