辻井伸行さん、本当におめでとう!
ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールでの、日本人としては初めての金賞受賞です。
彼のことは、小学生だった彼がショパンのワルツを見事に、力強く、繊細に、一音一音に歌がある演奏をするのを、ビックリ仰天しながら見た覚えがあります。
つい先日、偶然にも、前回のヴァン・クライバーンのコンクールに残った上位入賞者達が、勝ち進んでいく様子をドキュメントで撮った映画を見たところでした。
あの切迫した緊張感、とてつもない重圧感に、なにがなんでも負けるわけにはいかない演奏者達の、歯ぎしりの音が聞こえてきそうな闘いの様子を見て、
やっぱりここまで来られる人達は、ただ人よりうまいとか、環境が恵まれているとか、練習をたくさんしたとかいうことでは済まない、特別な能力と、それを逃がさない努力と、感性と根性と、そして支えがあるのだとしみじみ感じました。
今回の、全盲の若きピアニストが一位に選ばれたことは、いろんな人達にいろんなことを考えさせるいいきっかけになったと思います。
わたしも今日は朝から、気がつくと彼のこと、目の見えない人がピアノを弾くということ、それも、世界の頂点に立つということをずっと考えていました。
彼はこの世の光を見たことがありません。すべてはご両親の言葉から、そして触った感じ、舐めた感じなどから、自分の世界観の中で想像した形です。
とにかくなんでも知ってもらいたくて、バナナは黄色、りんごは赤色などと教えていたおかあさんに、幼い伸行さんはこう言ったそうです。
「じゃあ今日の風、なに色?」
これを読んでじーんとしました。そして、彼の作曲した『川のささやき』を聞いて、彼の世界の豊かさを実感しました。
おとうさんに隅田川に連れていってもらった時の思い出を音にしたというその曲は、懐かしさと嬉しさとがコロコロと混じり合って流れている水の流れそのものでした。彼の世界の中に流れる川、それはわたし達が見るどの川とも違う、彼の川です。
同じ楽器を弾く(といっても、彼とは全く比べものにもなりませんが)者として、あの鍵盤の距離感覚には感嘆してしまいます。
最初っから見えてないんだから、と言ってしまえばそれで終わってしまうのだけど、わたしのような凡人の想像の域を超えてしまっています。
そして暗譜への努力と根気と、その記憶を持続させるための毎日の練習、それを思うだけでクラクラしてしまいます。
また、彼の歴代の先生方、そしておかあさんは、彼のピアノを支え続けてこられました。その忍耐は言葉に表すことができるようなもんではなかったと思います。
それだけではなく、彼に過酷な練習を強いるのではなくて、自由に好きな曲を弾かせてあげる方法を取られたというのを読んで、
ピアノを教える立場の者として、ちょっと歩みを止めて考えるヒントをもらったような気がしました。
今回のコンクールの審査員から非公開に、彼が選ばれたのは純粋に彼の音楽が評価されたからだ、というコメントが出たそうです。
最終予選に加わるオーケストラの指揮者ジェームズ・コンロン氏は、ピアニストとオーケストラの間に立って、非常に公平に、冷静に意見を伝え、なによりも一番に、ピアニストがのびのびと演奏できるように気を配ってくれる素晴らしい音楽家です。
彼もまた、辻井さんの音に対する純粋な情熱と、計り知れない能力に、指揮をしながら全身に鳥肌を立てたひとりでもあります。
目が見えない→暗闇、と連想するのはわたし達であって、彼には暗闇というもの自体が存在しません。
彼が感じる無数の色は、彼の指先からピアノの鍵盤に伝わり、ホール全体の空間に注がれていくのです。
その色彩のシャワーを心地良く浴びながら、彼と一緒に、彼が奏でる音を楽しむことができる観客は、本当に幸せな気持ちになれると思います。
ラッキーなことに、彼はアメリカの聴衆がとても気に入ったようで、またきっとアメリカに戻ってくる、と宣言してくれたそうです。
カーネギーに来てくれたら、絶対絶対行こう!と心に決めながら、またもう少しYouTube巡りをしようと思います。
追伸
高校生だった伸行くんに、ある日おとうさんはこんなことを聞いたそうです。
「もし一日だけ目が見えるようになったらどうする?」
すると伸行くんはこう答えたそうです。
「べつに目が見えなくてもいいけど、そうだな、もし一日だけ目が見えるようになったら、僕はおかあさんの顔が見たい」
ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールでの、日本人としては初めての金賞受賞です。
彼のことは、小学生だった彼がショパンのワルツを見事に、力強く、繊細に、一音一音に歌がある演奏をするのを、ビックリ仰天しながら見た覚えがあります。
つい先日、偶然にも、前回のヴァン・クライバーンのコンクールに残った上位入賞者達が、勝ち進んでいく様子をドキュメントで撮った映画を見たところでした。
あの切迫した緊張感、とてつもない重圧感に、なにがなんでも負けるわけにはいかない演奏者達の、歯ぎしりの音が聞こえてきそうな闘いの様子を見て、
やっぱりここまで来られる人達は、ただ人よりうまいとか、環境が恵まれているとか、練習をたくさんしたとかいうことでは済まない、特別な能力と、それを逃がさない努力と、感性と根性と、そして支えがあるのだとしみじみ感じました。
今回の、全盲の若きピアニストが一位に選ばれたことは、いろんな人達にいろんなことを考えさせるいいきっかけになったと思います。
わたしも今日は朝から、気がつくと彼のこと、目の見えない人がピアノを弾くということ、それも、世界の頂点に立つということをずっと考えていました。
彼はこの世の光を見たことがありません。すべてはご両親の言葉から、そして触った感じ、舐めた感じなどから、自分の世界観の中で想像した形です。
とにかくなんでも知ってもらいたくて、バナナは黄色、りんごは赤色などと教えていたおかあさんに、幼い伸行さんはこう言ったそうです。
「じゃあ今日の風、なに色?」
これを読んでじーんとしました。そして、彼の作曲した『川のささやき』を聞いて、彼の世界の豊かさを実感しました。
おとうさんに隅田川に連れていってもらった時の思い出を音にしたというその曲は、懐かしさと嬉しさとがコロコロと混じり合って流れている水の流れそのものでした。彼の世界の中に流れる川、それはわたし達が見るどの川とも違う、彼の川です。
同じ楽器を弾く(といっても、彼とは全く比べものにもなりませんが)者として、あの鍵盤の距離感覚には感嘆してしまいます。
最初っから見えてないんだから、と言ってしまえばそれで終わってしまうのだけど、わたしのような凡人の想像の域を超えてしまっています。
そして暗譜への努力と根気と、その記憶を持続させるための毎日の練習、それを思うだけでクラクラしてしまいます。
また、彼の歴代の先生方、そしておかあさんは、彼のピアノを支え続けてこられました。その忍耐は言葉に表すことができるようなもんではなかったと思います。
それだけではなく、彼に過酷な練習を強いるのではなくて、自由に好きな曲を弾かせてあげる方法を取られたというのを読んで、
ピアノを教える立場の者として、ちょっと歩みを止めて考えるヒントをもらったような気がしました。
今回のコンクールの審査員から非公開に、彼が選ばれたのは純粋に彼の音楽が評価されたからだ、というコメントが出たそうです。
最終予選に加わるオーケストラの指揮者ジェームズ・コンロン氏は、ピアニストとオーケストラの間に立って、非常に公平に、冷静に意見を伝え、なによりも一番に、ピアニストがのびのびと演奏できるように気を配ってくれる素晴らしい音楽家です。
彼もまた、辻井さんの音に対する純粋な情熱と、計り知れない能力に、指揮をしながら全身に鳥肌を立てたひとりでもあります。
目が見えない→暗闇、と連想するのはわたし達であって、彼には暗闇というもの自体が存在しません。
彼が感じる無数の色は、彼の指先からピアノの鍵盤に伝わり、ホール全体の空間に注がれていくのです。
その色彩のシャワーを心地良く浴びながら、彼と一緒に、彼が奏でる音を楽しむことができる観客は、本当に幸せな気持ちになれると思います。
ラッキーなことに、彼はアメリカの聴衆がとても気に入ったようで、またきっとアメリカに戻ってくる、と宣言してくれたそうです。
カーネギーに来てくれたら、絶対絶対行こう!と心に決めながら、またもう少しYouTube巡りをしようと思います。
追伸
高校生だった伸行くんに、ある日おとうさんはこんなことを聞いたそうです。
「もし一日だけ目が見えるようになったらどうする?」
すると伸行くんはこう答えたそうです。
「べつに目が見えなくてもいいけど、そうだな、もし一日だけ目が見えるようになったら、僕はおかあさんの顔が見たい」