ACMAの役員それぞれに、ある男性メンバーからの抗議文が届きました。
役員のひとりであるわたしの所に送られてきたのは、どうやら最後だったようです。
わたしの所に送られてきたメールは、簡単に言うとこんな感じでした。
『ハイ、まうみ。
今回のカーネギーでのコンサート出演をかけたオーディションで、どうして私が満足のいく演奏ができなかったか。
それはプレジデントでもあるアルベルトが、アンサンブルに私を誘ったにも関わらず、どこかの誰かさん(わたしを指している)がネガティブな意見を言い、それに従ったアルベルトが急に私をグループから追い出したからだ。
ACMAはアマチュア演奏者で構成されるクラシック音楽愛好家グループと定義されているにも関わらず、アルベルトのグループで演奏していたチェリストは、音大を出ていて、その後もプロ活動に近い演奏をしている。
こんな不公平極まりない状況で選ばれた人間が演奏することを、カーネギーは知っているのだろうか。もし知る事になったら喜ばないだろう』
他のメールには、その不公平メンバーとして、ジャ・イー(中国人のハーモニカ奏者。音楽学校で指導している)とわたしの名前が書かれていたそうです。
抗議者の男性は、わたしと同じくニュージャージー州の住人で、大学で化学を教えている教授です。
数年前に、わたしが所属していたコミュニティバンドに入ってきて、たまたまわたしの隣に座ってクラリネットを吹いたのがきっかけで知り合い、
わたしがピアノや歌を教えている教師だと知ると、「音楽のことをもっと学びたいので個人レッスンをして欲しい」と頼んできました。
彼は別に、マンハッタンの音楽学校で、クラリネットの個人レッスンを受けているということだったので、わたしとしては彼が選んできた曲の伴奏をしながら、彼に欠けている音楽的なことを教えていくことになりました。
半年ほど経って、リズムやテンポ、そして音楽を歌うこと、良い音色を求めることに彼がいかに無頓着で、自身の演奏を聞こうとしないかがわかり、
それでも習いに来てくれていて、わたしはそのことで報酬をいただいているのだから、重たい気分ながらもなんとかがんばっていました。
ところが、レッスン中や、玄関からの別れ際に、彼が挨拶代わりにギュッとわたしを抱きしめるようになり、それが嫌になって一度はっきりと言おうと思ってた頃、レッスンを始めようとしたわたしに彼が、「ねえまうみ、ずっと言いたかったんだけど、僕と浮気しないか?」と言ってきたのです。
わたしは仰天して、呆れて、腹が立って、「そんなことできません」と即断ると、「どうして?いいじゃないか」とさらに重ねて頼んでくる彼……。
この男、頭がどうかしてるんちゃうか?と思いながらも「わたしには夫がいるし、あなたにも奥さんがいらっしゃるでしょ?」と言うと、
「もちろん。けど、そんなことは僕たちには関係無いじゃないか」……あかん、こいつ、狂ってる……。
「とにかく、わたしは夫を愛していて、他の男性と付き合いたいなんてこれっぽっちも思ったことがありません。今回のことは聞かなかったことにします。でも、そういう感情を持ち続けるのなら、わたしはあなたをこの先教えたくありません」とはっきりと断りました。
その後も、何度となく気味の悪い接近はあったけれど、それなりに普通の教師と生徒のレッスンを続けていました。
でもやっぱり、誰も居ない家の中に彼を入れるのがいやになってきて、なにかチャンスを作って縁を切ろうと思うようになりました。
それが彼の、ACMAへの加入だったのでした。
このことと、今回の抗議メールとは、多分なんの関連も無いと思うけれど、そういう過程があって、わたしはどうしても彼のことが好きになれません。
公私混同しないように気をつけようと思うのだけど、そういう感情の下地はべったり心に貼り付いてしまって、なかなか冷静にはなれません。
今回のメールに、わたし個人で返事するのはどうかと思われたので、役員にそのメールを転送して、皆の意見を仰ぐことにしました。
すると、このメールはまうみだけが受け取ったのではないのだよ、という返事がきて、ジャ・イーとわたしが名指しで抗議されているのを隠してくれていたことがわかりました。
再び、プロフェッショナルとアマチュアの違い&アマチュアの定義が、メール上で議論され、それぞれの意見が次から次へと画面上に現れました。
数日かかりましたが、ACMAとしてのオリジナル定義がほぼ出来上がり、それをサイト上にも載せることになりました。
『プロフェッショナルという言葉は、それを生業としている人を指します。つまり、それで生計を立てている人です。
演奏をしたときにお礼などを頂くことは、アマチュアでもしばしばありますが、それで生活している人をプロの演奏家と呼びます。
演奏技術、音楽の理解度、指導力が未熟でも、それで生計を立てていれば、立派なプロミュージシャンです。
アマチュアでも素晴らしい演奏をしている人がいますが、本業が別にあって、そちらで生計を立てている場合には、プロとは言いません』
わたしは今回のことに限らず、わたしがメンバーとして居残ることでなにかとこういういざこざが発生する恐れがあるのなら、会を脱会すべきではないかと本気で思っているし、いつでもその心の準備はできていると、ディレクター達に伝えました。
この会はすばらしいエネルギーを持っています。
前向きで、音楽を本当に愛している会員の月例のコンサート演奏は、会を経て行くに連れて向上しています。
でも、それとは別に、こういう不満はどういう団体にも発生することであって、役員は、その意見のひとつひとつに耳をすませ、冷静に公正に受け取り、真摯な気持ちでていねいに話し合い、さらなるステップアップへの足がかりに昇華するべく応対していかなければなりません。
ACMAのディレクターは皆、ユニークで温かで冷静だったりちょっぴり脱線したり……けれども真剣に練られた文章が今夜、抗議者のもとに送られます。
『おい、みんな、ちょっと凹んでるまうみの両脇に立って、ピストルでも構えて守ってやろうぜ』
長文の英単語をいちいち調べながらのメール交換でしたが、感情に流されず、伝えるべきことを、強過ぎる表現にならないよう言葉を選びに選んで書くこと、攻撃的にならないこと、相手をきちんと尊重し、相手の気持ちを推し量りながら語りかけるように書くこと、などを教えてもらった5日間でした。
役員のひとりであるわたしの所に送られてきたのは、どうやら最後だったようです。
わたしの所に送られてきたメールは、簡単に言うとこんな感じでした。
『ハイ、まうみ。
今回のカーネギーでのコンサート出演をかけたオーディションで、どうして私が満足のいく演奏ができなかったか。
それはプレジデントでもあるアルベルトが、アンサンブルに私を誘ったにも関わらず、どこかの誰かさん(わたしを指している)がネガティブな意見を言い、それに従ったアルベルトが急に私をグループから追い出したからだ。
ACMAはアマチュア演奏者で構成されるクラシック音楽愛好家グループと定義されているにも関わらず、アルベルトのグループで演奏していたチェリストは、音大を出ていて、その後もプロ活動に近い演奏をしている。
こんな不公平極まりない状況で選ばれた人間が演奏することを、カーネギーは知っているのだろうか。もし知る事になったら喜ばないだろう』
他のメールには、その不公平メンバーとして、ジャ・イー(中国人のハーモニカ奏者。音楽学校で指導している)とわたしの名前が書かれていたそうです。
抗議者の男性は、わたしと同じくニュージャージー州の住人で、大学で化学を教えている教授です。
数年前に、わたしが所属していたコミュニティバンドに入ってきて、たまたまわたしの隣に座ってクラリネットを吹いたのがきっかけで知り合い、
わたしがピアノや歌を教えている教師だと知ると、「音楽のことをもっと学びたいので個人レッスンをして欲しい」と頼んできました。
彼は別に、マンハッタンの音楽学校で、クラリネットの個人レッスンを受けているということだったので、わたしとしては彼が選んできた曲の伴奏をしながら、彼に欠けている音楽的なことを教えていくことになりました。
半年ほど経って、リズムやテンポ、そして音楽を歌うこと、良い音色を求めることに彼がいかに無頓着で、自身の演奏を聞こうとしないかがわかり、
それでも習いに来てくれていて、わたしはそのことで報酬をいただいているのだから、重たい気分ながらもなんとかがんばっていました。
ところが、レッスン中や、玄関からの別れ際に、彼が挨拶代わりにギュッとわたしを抱きしめるようになり、それが嫌になって一度はっきりと言おうと思ってた頃、レッスンを始めようとしたわたしに彼が、「ねえまうみ、ずっと言いたかったんだけど、僕と浮気しないか?」と言ってきたのです。
わたしは仰天して、呆れて、腹が立って、「そんなことできません」と即断ると、「どうして?いいじゃないか」とさらに重ねて頼んでくる彼……。
この男、頭がどうかしてるんちゃうか?と思いながらも「わたしには夫がいるし、あなたにも奥さんがいらっしゃるでしょ?」と言うと、
「もちろん。けど、そんなことは僕たちには関係無いじゃないか」……あかん、こいつ、狂ってる……。
「とにかく、わたしは夫を愛していて、他の男性と付き合いたいなんてこれっぽっちも思ったことがありません。今回のことは聞かなかったことにします。でも、そういう感情を持ち続けるのなら、わたしはあなたをこの先教えたくありません」とはっきりと断りました。
その後も、何度となく気味の悪い接近はあったけれど、それなりに普通の教師と生徒のレッスンを続けていました。
でもやっぱり、誰も居ない家の中に彼を入れるのがいやになってきて、なにかチャンスを作って縁を切ろうと思うようになりました。
それが彼の、ACMAへの加入だったのでした。
このことと、今回の抗議メールとは、多分なんの関連も無いと思うけれど、そういう過程があって、わたしはどうしても彼のことが好きになれません。
公私混同しないように気をつけようと思うのだけど、そういう感情の下地はべったり心に貼り付いてしまって、なかなか冷静にはなれません。
今回のメールに、わたし個人で返事するのはどうかと思われたので、役員にそのメールを転送して、皆の意見を仰ぐことにしました。
すると、このメールはまうみだけが受け取ったのではないのだよ、という返事がきて、ジャ・イーとわたしが名指しで抗議されているのを隠してくれていたことがわかりました。
再び、プロフェッショナルとアマチュアの違い&アマチュアの定義が、メール上で議論され、それぞれの意見が次から次へと画面上に現れました。
数日かかりましたが、ACMAとしてのオリジナル定義がほぼ出来上がり、それをサイト上にも載せることになりました。
『プロフェッショナルという言葉は、それを生業としている人を指します。つまり、それで生計を立てている人です。
演奏をしたときにお礼などを頂くことは、アマチュアでもしばしばありますが、それで生活している人をプロの演奏家と呼びます。
演奏技術、音楽の理解度、指導力が未熟でも、それで生計を立てていれば、立派なプロミュージシャンです。
アマチュアでも素晴らしい演奏をしている人がいますが、本業が別にあって、そちらで生計を立てている場合には、プロとは言いません』
わたしは今回のことに限らず、わたしがメンバーとして居残ることでなにかとこういういざこざが発生する恐れがあるのなら、会を脱会すべきではないかと本気で思っているし、いつでもその心の準備はできていると、ディレクター達に伝えました。
この会はすばらしいエネルギーを持っています。
前向きで、音楽を本当に愛している会員の月例のコンサート演奏は、会を経て行くに連れて向上しています。
でも、それとは別に、こういう不満はどういう団体にも発生することであって、役員は、その意見のひとつひとつに耳をすませ、冷静に公正に受け取り、真摯な気持ちでていねいに話し合い、さらなるステップアップへの足がかりに昇華するべく応対していかなければなりません。
ACMAのディレクターは皆、ユニークで温かで冷静だったりちょっぴり脱線したり……けれども真剣に練られた文章が今夜、抗議者のもとに送られます。
『おい、みんな、ちょっと凹んでるまうみの両脇に立って、ピストルでも構えて守ってやろうぜ』
長文の英単語をいちいち調べながらのメール交換でしたが、感情に流されず、伝えるべきことを、強過ぎる表現にならないよう言葉を選びに選んで書くこと、攻撃的にならないこと、相手をきちんと尊重し、相手の気持ちを推し量りながら語りかけるように書くこと、などを教えてもらった5日間でした。