ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

なにかが起こったら通報してください

2010年04月17日 | ひとりごと
両親が尖った物を手にして喧嘩するようになったある夜、思い切って警察に電話した。

「コチラハミンジニカイニュウデキマセン。ナニカオコッタラツウホウシテクダサイ」

中学生だったけれど、その事務的な声とミンジ、カイニュウ、ツウホウの言葉の響きをとてもよく覚えている。

19才のある夏の夜、借金の取り立てで毎晩脅迫電話をかけてきていた男が、嫌らしいほど柔らかな声で、「今から刀の切れ具合を試しにお宅に伺う」と言って電話が切られた時も、まるであの夜の録音が流れてきたように「コチラハ……」が聞こえてきた。

最近は多分、もう少し踏み込んだ対応をしてくれるのかもしれないけれど、恐ろしい狂気を抱えた家に住む者には、ナニカガオコッタ時にどうしたらいいのか、できる術もなければ知恵もない。

ナニカガオコッテ、それが記事に書かれる。その家族にとって突然起こったことのように。近所の人達も、まさかこの地域で、などと言う。
突然なんかじゃないのに。みんなもそのことにとうの昔から薄々知っていたのに。

一番くつろげるはずの建物の中で、殺されるかもしれない、と思えてしまうことの苦しさと恐ろしさ。
ベッドの枕の下に防御するための工具を隠し、鍵のかからない部屋のドアを睨みながら、暗闇の中で目を光らせていたあの頃のわたしの心の中には、狂気をたっぷり含んだ闇色の綿がギュウギュウに詰まっていたのかもしれない。

親という名の、とんでもないバケモノに痛みを加えられ続けた子供達は多分、わたしのように、警察に電話をかけることすらできない。
けれども多分、かけたところで、誰も助けになんか来てくれないのだから、その絶望感を味わうことがないだけでもマシなのかもしれない。

民事に介入できない警察と、民事(家族)に殺されていく人達。

狂気から避難できる場所、狂気を隔離できる場所、そういうものを作ったとしても、家族というしがらみとつながりは、そこに足を運びにくくさせる。

ある時期、心がパリパリと壊れてしまいそうなぐらい恐い思いをしていた自分を思い出している。
そして、深く傷ついたり、命を奪われた人達を思いながら祈っている。

コメント (4)
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