仕事帰りに空を見上げると、お月さまがあんまりきれいだったので。もしかして、今日が満月だったんだろうか?
雲が少し切れてきた。
今日の気功のクラスに、旦那が都合で参加できなかったので、メンバーが女性だけになり、急きょ女性のための気功を教えてもらうことになった。
講師のマリアムが、自分の家から『陰と陽』の太極図が描かれた彫刻を持ってきていて、いよいよ近づいてきた祭日前の仕上げとして、『丸』をテーマに教えてくれた。
もともとこの図は、太陽と月のイメージから作られたもので、だから色は白と黒ではなくて、白と金色だったそうな。
けれども、この図を広めようという時に、コピーを重ねていくうちに、金色の部分がいつしか黒になってしまったのだそうな。
そしてまた、ふたつの太極したものが重なっている部分は、Sの形をしているけれど、実はそれと反対側にも同じ逆Sの曲線が隠れていて、それが重なるとインフィニティ=無限になるのだと教えてくれた。
今日は、丹田と命門を中心に、この曲線を描く動きを、いろんなパターンで教えてもらった。
手のひらからもし、絵の具が出てきているとしたら……、
指先からもし、一本の絵筆が出ているとしたら……、
そんなふうに、いろんな想像をしながら、縦に横に、前に後ろに、体全体をゆっくりと動かしながら、曲線を描いていく。
少し汗ばんできたわたし達に、マリアムが言った。
「たくさんの女性が、このシンボルを好んで、いろんなジュエリーや金属で象ったアクセサリーをつけているけれど、いまやわたし達には、そんなアクセサリーは全く必要がなくなったわね。だって、わたし達は今、わたし達自身の中に、このシンボルが象られているんだもの」
怒りも心配も嫉妬も恨みも哀しみも不満も、ゆったりと動きながら息を吸い込んだり吐き出したりしているうちに、細かい気泡になって心や血の中から消えていく。
瞑想に入った時、わたしは突然、広々としたまぁるい湯船の中に浸かっている自分が見えた。
とても気持ちが良くて温かで、うっとりとしていると、そこに次々に、普段ちょっと苦手だと思っている人達がやってきて、足先から湯の中に静かに浸かり始めた。
わたしは彼女や彼の顔を眺めながら、どうしてこの人達のことを苦手だなんて思っていたのだろう……と、妙に不思議な気持ちになった。
すっかり肩まで浸かった皆の顔に、ほのぼのと温かみが差し、まぁるい笑顔だらけになった。
まぁるい湯船の中のまぁるい人々。なんだかとても嬉しくなってきた。
マリアムが言った。
「もしわたし達が、まるい考え方ができたら、まるい話し方ができたら、きっとそれは周りの人の心の中に、温かなまるをあげることになると思う」
夕飯を食べ終わって、さっさと片付けてしまいたかったわたしがお茶碗を洗い始めると、「あ、ボクもちょっとは手伝うし」と旦那。
本当だともともと旦那が洗うべき状況だったので、いつもだとそこでカリカリッと怒ってしまったりするのだけれど、試しに『◯』を強く思い浮かべてみた。
するとあらあら不思議、ふふん、別にええねん、わたしが勝手に片付けたかっただけやねん。などと思っているではないかっ?!
まぁるく考えることは、文字通り、家族の円満に役立つのかもしれない。
追記
かわちゃんが、陰陽を象った太極図は、もともと道教の教えが起源なので、太陽と月(金色と白色)の説はおかしいと指摘してくれました。
わたしもさっそくウィキペディアで調べてみると、そこにも太陽と月説は書かれていませんでした。
いろんな説がそれぞれのグループで語り継がれていっているのでしょうね。
かわちゃん、教えてくれてありがとう。
雲が少し切れてきた。
今日の気功のクラスに、旦那が都合で参加できなかったので、メンバーが女性だけになり、急きょ女性のための気功を教えてもらうことになった。
講師のマリアムが、自分の家から『陰と陽』の太極図が描かれた彫刻を持ってきていて、いよいよ近づいてきた祭日前の仕上げとして、『丸』をテーマに教えてくれた。
もともとこの図は、太陽と月のイメージから作られたもので、だから色は白と黒ではなくて、白と金色だったそうな。
けれども、この図を広めようという時に、コピーを重ねていくうちに、金色の部分がいつしか黒になってしまったのだそうな。
そしてまた、ふたつの太極したものが重なっている部分は、Sの形をしているけれど、実はそれと反対側にも同じ逆Sの曲線が隠れていて、それが重なるとインフィニティ=無限になるのだと教えてくれた。
今日は、丹田と命門を中心に、この曲線を描く動きを、いろんなパターンで教えてもらった。
手のひらからもし、絵の具が出てきているとしたら……、
指先からもし、一本の絵筆が出ているとしたら……、
そんなふうに、いろんな想像をしながら、縦に横に、前に後ろに、体全体をゆっくりと動かしながら、曲線を描いていく。
少し汗ばんできたわたし達に、マリアムが言った。
「たくさんの女性が、このシンボルを好んで、いろんなジュエリーや金属で象ったアクセサリーをつけているけれど、いまやわたし達には、そんなアクセサリーは全く必要がなくなったわね。だって、わたし達は今、わたし達自身の中に、このシンボルが象られているんだもの」
怒りも心配も嫉妬も恨みも哀しみも不満も、ゆったりと動きながら息を吸い込んだり吐き出したりしているうちに、細かい気泡になって心や血の中から消えていく。
瞑想に入った時、わたしは突然、広々としたまぁるい湯船の中に浸かっている自分が見えた。
とても気持ちが良くて温かで、うっとりとしていると、そこに次々に、普段ちょっと苦手だと思っている人達がやってきて、足先から湯の中に静かに浸かり始めた。
わたしは彼女や彼の顔を眺めながら、どうしてこの人達のことを苦手だなんて思っていたのだろう……と、妙に不思議な気持ちになった。
すっかり肩まで浸かった皆の顔に、ほのぼのと温かみが差し、まぁるい笑顔だらけになった。
まぁるい湯船の中のまぁるい人々。なんだかとても嬉しくなってきた。
マリアムが言った。
「もしわたし達が、まるい考え方ができたら、まるい話し方ができたら、きっとそれは周りの人の心の中に、温かなまるをあげることになると思う」
夕飯を食べ終わって、さっさと片付けてしまいたかったわたしがお茶碗を洗い始めると、「あ、ボクもちょっとは手伝うし」と旦那。
本当だともともと旦那が洗うべき状況だったので、いつもだとそこでカリカリッと怒ってしまったりするのだけれど、試しに『◯』を強く思い浮かべてみた。
するとあらあら不思議、ふふん、別にええねん、わたしが勝手に片付けたかっただけやねん。などと思っているではないかっ?!
まぁるく考えることは、文字通り、家族の円満に役立つのかもしれない。
追記
かわちゃんが、陰陽を象った太極図は、もともと道教の教えが起源なので、太陽と月(金色と白色)の説はおかしいと指摘してくれました。
わたしもさっそくウィキペディアで調べてみると、そこにも太陽と月説は書かれていませんでした。
いろんな説がそれぞれのグループで語り継がれていっているのでしょうね。
かわちゃん、教えてくれてありがとう。