ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

心をまるめる

2010年11月22日 | ひとりごと
仕事帰りに空を見上げると、お月さまがあんまりきれいだったので。もしかして、今日が満月だったんだろうか?


雲が少し切れてきた。



今日の気功のクラスに、旦那が都合で参加できなかったので、メンバーが女性だけになり、急きょ女性のための気功を教えてもらうことになった。
講師のマリアムが、自分の家から『陰と陽』の太極図が描かれた彫刻を持ってきていて、いよいよ近づいてきた祭日前の仕上げとして、『丸』をテーマに教えてくれた。


もともとこの図は、太陽と月のイメージから作られたもので、だから色は白と黒ではなくて、白と金色だったそうな。


けれども、この図を広めようという時に、コピーを重ねていくうちに、金色の部分がいつしか黒になってしまったのだそうな。
そしてまた、ふたつの太極したものが重なっている部分は、Sの形をしているけれど、実はそれと反対側にも同じ逆Sの曲線が隠れていて、それが重なるとインフィニティ=無限になるのだと教えてくれた。


今日は、丹田と命門を中心に、この曲線を描く動きを、いろんなパターンで教えてもらった。
手のひらからもし、絵の具が出てきているとしたら……、
指先からもし、一本の絵筆が出ているとしたら……、
そんなふうに、いろんな想像をしながら、縦に横に、前に後ろに、体全体をゆっくりと動かしながら、曲線を描いていく。
少し汗ばんできたわたし達に、マリアムが言った。
「たくさんの女性が、このシンボルを好んで、いろんなジュエリーや金属で象ったアクセサリーをつけているけれど、いまやわたし達には、そんなアクセサリーは全く必要がなくなったわね。だって、わたし達は今、わたし達自身の中に、このシンボルが象られているんだもの」

怒りも心配も嫉妬も恨みも哀しみも不満も、ゆったりと動きながら息を吸い込んだり吐き出したりしているうちに、細かい気泡になって心や血の中から消えていく。
瞑想に入った時、わたしは突然、広々としたまぁるい湯船の中に浸かっている自分が見えた。
とても気持ちが良くて温かで、うっとりとしていると、そこに次々に、普段ちょっと苦手だと思っている人達がやってきて、足先から湯の中に静かに浸かり始めた。
わたしは彼女や彼の顔を眺めながら、どうしてこの人達のことを苦手だなんて思っていたのだろう……と、妙に不思議な気持ちになった。
すっかり肩まで浸かった皆の顔に、ほのぼのと温かみが差し、まぁるい笑顔だらけになった。
まぁるい湯船の中のまぁるい人々。なんだかとても嬉しくなってきた。

マリアムが言った。
「もしわたし達が、まるい考え方ができたら、まるい話し方ができたら、きっとそれは周りの人の心の中に、温かなまるをあげることになると思う」



夕飯を食べ終わって、さっさと片付けてしまいたかったわたしがお茶碗を洗い始めると、「あ、ボクもちょっとは手伝うし」と旦那。
本当だともともと旦那が洗うべき状況だったので、いつもだとそこでカリカリッと怒ってしまったりするのだけれど、試しに『◯』を強く思い浮かべてみた。
するとあらあら不思議、ふふん、別にええねん、わたしが勝手に片付けたかっただけやねん。などと思っているではないかっ?!

まぁるく考えることは、文字通り、家族の円満に役立つのかもしれない。





追記
かわちゃんが、陰陽を象った太極図は、もともと道教の教えが起源なので、太陽と月(金色と白色)の説はおかしいと指摘してくれました。
わたしもさっそくウィキペディアで調べてみると、そこにも太陽と月説は書かれていませんでした。
いろんな説がそれぞれのグループで語り継がれていっているのでしょうね。
かわちゃん、教えてくれてありがとう。




コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『おにいちゃんのハナビ』

2010年11月22日 | ひとりごと
『おにいちゃんのハナビ』


もう日本ではすでに上映されていたんですね。
今朝、ネットで新聞を読んでいる時に、フイフイッと遊びに行った映画情報の中に、『片貝町の花火』という言葉を見つけました。
3才から13才までの間、わたしは三重県の名張市という所で住んでいたのだけど、毎年夏に行われる花火大会が大好きで、打ち上げられる河原まで、浴衣を着て必ず見に行きました。
その頃の花火は、今のように派手ではなく、一発一発、何処そこの誰々奉納というアナウンスが流れた後、みんなが固唾を飲みながら真っ暗な空を見上げていると、ヒュルヒュルヒュル~ッとシッポがついた光の玉が昇っていきドッカ~ンおぉ~という、なんとも悠長な展開でした。
それがいつの頃からか、一度に上げられる花火玉の数が多くなり、花火と花火の間隔が狭くなり、同時にあちこちから上げられたり、やけくそのようにドカンドカンと数えきれない数の花火がいっぺんに上がったり、今ではそういうのが当たり前になっていて、そうでないとがっかりしたりします。

こちらに引っ越してから、花火大会という、花火が主体になった催しに出会えなくなってしまいました。
けれども独立記念日の7月4日には、どんな小さな町でも花火が上げられるので、わたしもいそいそと見学会場に足を運んでみると、が~ん……大昔の名張の花火のノリの、アナウンス無しの、5分待ってトカン(←あまりにしけてるのでドと言えない……)また待ってトカンスカンのお粗末さ。
それでも周りのアメリカン達は「おぉ~!」とか言って喜んでいるし……。こんなん花火ちゃうし……と思いっきり盛り下がっているわたしの横で……。

今年の夏に、ハドソン河から上げられるメイシーズ主催の花火大会を観に行って、久々にすっきりしたわたしですが、今日この、片貝町の花火のことを知り、昔懐かしい、アナウンス付きの、一発一発をわくわくしながら待つ花火を、また観に行きたいと思いました。
特にこの町の方々にとっては、ひとつひとつの花火が、供養であったり、家内安全の願いであったり、お礼であったりするわけで、
その思いがギュウッと込められた花火玉が、真っ暗な夜空を天に向かって真っすぐに昇っていき、パアッと大輪の花を咲かせるその一瞬の絵の美しさは、本当に格別なものだと思います。

この映画にあたっては、撮影時に片貝町の方々にかなりの無理を強いたとか、医療器具の使い方や治療風景にウソが多過ぎたとか、方言が下手すぎだとか、花火大会の在り方をきちんと伝えていないだとか、いろいろと非難もあったみたいだけど、
そしてわたしはこの映画を、予告編を観ただけでちゃんと観ていないけれども、若くして死ななければならなかった妹の望みを叶えるべく、花火を作って上げたお兄ちゃんが実際に居たということを知ることができただけでも、この映画に感謝したい気持ちでいっぱいです。

ビデオ、手に入らないかなあ……。



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする