ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

カッカしない!

2010年11月08日 | ひとりごと
昨日の夜から大荒れに荒れた空が、やっと落ち着きを取り戻してきました。
両側の家の前庭の落ち葉が、右に左に、すごい勢いで吹き流されていく中を、車で走り抜けながら仕事に行きました。
雨でも雪でもなく、葉っぱのためにワイパーを動かしたのは初めてでした。

こんな日は、たとえ車から生徒達の家の玄関までの短い距離でも、温かな帽子が必要です。
息子達が、何年か前のクリスマスに買ってくれた毛糸の帽子。突風が吹いても大丈夫。



今日の気功は、今月からホリデイシーズンに突入したということもあり、人間関係を潤滑に築くための気をたくさん取り入れていました。
感謝祭やクリスマスには、普段遠く離れて暮らしている家族や親戚達が一同に集います。
そして何日か、長い人では1週間以上もの間、同じ屋根の下でいきなり一緒の時間を過ごすことになります。
久しぶりに会った瞬間は皆興奮して嬉しいものですが、その興奮も覚めてくると、我がままが出る人、我慢を強いられる人、マイペースな人、迎える準備をずっとしてきてクタクタな人、すごくストレスを抱えていて、皆と会ったら余計に落ち込む人、などなど、いろんな感情がそこに集います。
そこで、自分の感情、特に負の感情(怒り、心配、恐れなど)を、うまくコントロールしたり、できるだけそのような感情に至らないようにするのは、気功の訓練により可能である、ということで、いろいろな方法を教えてもらいました。

その中のひとつに、ペアを組んでするものがありました。
ペアのうちのひとりは導く者、もうひとりは従う者を担当します。
導く者は軽く握った拳を差し出し、従う者はその拳に軽く手のひらを被せ目を閉じます。
始めてください、という講師の合図で、導く者が拳を好きなふうに動かし、従う者はその動きに合わせて、体全体を移動させていくのです。
パートナーを替えていくと、それぞれに動きの特徴みたいなものが発見できたし、導く時、従う時の自分の動きや思いが微妙に違うことが面白かったです。
講師のマリアムが、「これは一見、導く者に従う者、という構図に見えるけれど、本当はどちらも自分自身を導き、自分自身に従っているのですよ」と言った時、ああ、これは仏教の教えにも通じているなあ、と思いました。

『自分の中にある自分を深く掘り下げ、見つめ、思いに従う。教えはあなた自身の中にある』……この教えです。


あさこから貸してもらった本の中にも、病気を呼び寄せる、または、ある一定の病気にかかり易くする感情は『怒り・心配・恐れ』である、と書かれてありました。
特にすぐにカッカする人は気をつけないといけない。

最近はよくレッスンでもカッカしてるし、鍵盤のことでもカッカしてたし、旦那がやったちっちゃなことでもカッカしてたし、こりゃアカンのではないかと大反省。
そこで、今日のレッスンでは、気功の呼吸法やミニ瞑想などを駆使して、極力穏やかに、自分自身の反省も込めて、冷静に教えることに努めました。
なかなかうまくいって、生徒達もわたしもハッピー。その話を旦那にしたら……、
「そやなあ、まうみ、ここ数年はすぐに怒るようになったもんなあ。まるでモントクレアに住む金持ち女連中みたいに」
「そうかなあ……」
「そやで!日本に居た時はこんなにカッカカッカせんかったし」
「それは我慢してたからやんか」
「まあそれもあるやろけど、昔の方がかっこ良かった。今はちょっとかっこ悪いわ。すぐにちっちゃいことで怒るから、ガキみたいな大人や」
「だから今日から心を入れ替えてんねんやん!」
「あ、あ、またまた!」

深呼吸深呼吸……怒らない怒らない……チ~ン!
コメント (10)
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米国『Baby Shower』の善し悪し事情

2010年11月08日 | 米国○○事情
昨日のお昼過ぎから、ニューヨーク州に住むT&T夫婦一家がやって来た。
旦那の、日本時代の合気道仲間で友人のTが、数日前から首が痛みがどんどん酷くなり、とうとう夜も眠れなくなって(わたしは心の底から同情できる)、それでSOSの連絡があり、急きょ旦那が治療をすることになった。

ミツワに買い物に寄って、それからやってきたTは、ゾンビかロボットか……、かなり痛そう。
運転ができないTの代わりに、慣れない道を、ニュージャージーの荒いドライバーに囲まれながら運転してきたT子もヘトヘトな様子。
お茶で一服して、Tと旦那は車で5分の旦那のオフィスに行き、わたしとT子、そして娘っ子ちゃん達(もうすぐ7才のSちゃん→「え~また車ぁ~」とおかんむりだった……と5才のAちゃん)は、コリアンマーケットに夕飯の鍋の材料を買いに出かけた。

その道中、T子とわたしはお互いの近況を報告し合っていたのだけれど、先日の『Baby Shower』の話になった時、「まうみはBaby Showerのことどう思う?」と聞かれ、う~ん……と黙っていると、T子はこんな話をしてくれた。

彼女の知り合いの話なのだが、極めて健康で順調な妊娠過程を過ごしていたある女性が、もうあと1週間ほどで予定日を迎えるという時に、お腹の中の赤ちゃんが逆子であることが判明した。
そこでその女性は、ある鍼灸師に治療を頼み(これは旦那も何度か治療を施したことがある)、逆子を元の正常な位置に戻してもらった。
それから2日後、それまでずっと元気良くお腹の中で動いていた赤ちゃんが、急に静かになった。
慌てて病院に行き、検査を受けた。
赤ん坊は、へその緒で首を絞められて窒息死していた。
その女性ももちろんBaby Showerのパーティをして、皆からのたくさんのお祝いをもらっていた。
それらは、赤ん坊のために用意されていた部屋ににぎやかに飾られ、家中のあちこちに赤ん坊のための道具が、誕生を当たり前のように待ち受けていた。
死産した赤ん坊を葬り、家に戻った女性は、かなり長い間立ち直れなかったらしい。
出産という、現代の医学をもってしてもなおリスクの高い物事を、必ずうまくいくと能天気に信じて祝うことに、誰も疑問を抱かないのか?というのがT子の疑問。

合理化が好きな人は多い。確かに、赤ん坊が生まれた後は、寝て起きて食べて、その原始的なことをくり返すだけで精一杯の生活が始まる。
そんな時に、やれアレが足りないだの、アレがあったらいいのになどと思っても、買い物に出かけて揃えるだけの時間とエネルギーも無い。
なので、そういう予想される物、経験上あったら絶対に便利だと思われる物が、すでに家の中に備わっているという安心は、それこそ一大事業を控える母親、もちろん父親にとっても、そりゃあ心強いものだとは思う。
けれどももし……T子の知り合いの女性のような事が起こったら……そこまでに至らないにしても、わたしのように大難産で、要る物の内容が通常の物と違ったりしたら……、それはきっと、尖った槍のような物で胸を突かれるような痛みを与える合理的思考になると思う。


『Baby Shower』という行事。少し調べてみる必要がありそうだ。


ちなみに、鍼灸師である旦那に、「出産の1週間前でも、もし頼まれたら逆子治しをする?」と聞いてみた。
「多分」と答えた旦那にこの話をして、「もしその患者から赤ん坊殺しで訴えられたりしたらどうするの?」と聞くと、
「だからボクは今はもうやらないことにした。そういうリスクに備えるための保険は月々十万円ほどかかるし、そもそもそういうことを引き起こす可能性があるようなことはしたくないから」

自然な方法で産みたかったからこその治療だったのだし、その鍼灸師にしても、その気持ちを叶えてあげたかったからこその治療だったのだろう。
でも、いつも当たり前のように思っていることが当たり前でなくなる時はあるし、そしてそれはいつだって、ある日突然にやってくる。
だから慢心してはいけない。臆病になったり心配し過ぎるのもいけないけれど、今あることに感謝する気持ちを忘れずに、いい意味で慎重に、自分がやろうとすることについて考えながら行動しなければ。
そんなことを思った日曜日。

コメント (4)
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