ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

願い八分目

2010年11月28日 | 音楽とわたし
昨日の夜、真剣に神さんにお願いした。

もしわたしが間違いを冒しているんなら、はっきりとそう教えてください。
もしどうしようもないことに悩んでいるんなら、もう悩まずに違う選択ができるよう導いてください。

お願いした限りは、どういう教えが来ようとも、それを受け止めて行動できるよう腹をくくった。

カルロス氏のアパートの部屋に入って行った時、わたしはもうはじめっから、このピアノを引き取ろうと決めていたのかもしれない。
口では、もし状態が良く無かったら買わない、とはっきり断言していたけれど、息子を亡くしたばかりの母親の哀しみと悔しさ、志し途中にして死ななければならなかったカルロス氏の無念がこもる部屋で彼が残したピアノを弾いた時、これをわたしが引き継ごうと思った。

そんなわたしを、センチメンタル過ぎるとか、無謀だったんじゃないか、などと言う人が居る。わたしもそう思う。
けれども、このピアノの、体全体から響いてくる深い音色は、問題をいっぱい抱えていそうな鍵盤という事実を忘れさせてくれるほどにわたしを魅了した。
きっと、もっと良くなる。カルロス氏が自分の健康のことの方が大変になってからずっと、放っておかれたであろうピアノの健康を取り戻してやろう。
そう決心して手に入れた。
考えていた以上に鍵盤の状態は深刻で、いろんな手違いや思い違いから、大きなストレスを抱える毎日が続き、わたしの心の中は揺れに揺れた。
このピアノは手に入れるべきではなかった。と、はっきり断言する人がいて、わたしはその人を尊敬しているし好きなので、その言葉は余計に胸に刺さった。

鍵盤の本格的な修理が始まった。
本当に、とにかくいい状態の鍵盤にしたければ、なんのことはない、古い物を取っ払って、全部新しい物に替えるのが最短の方法。
けれども、それには莫大な費用がかかる。それに、もしかしたら、そのピアノ本来のキャラクターも失われる可能性もある。
なので、とりあえず、その場しのぎ的ではあるけれど、少しずつ、今ある物を残しながら、修理していくことになった。

鍵盤の表面とハンマーの頭の部分だけは新品に替えた。
軸棒などの木の部分の、非常に細かい修正作業は、調律師のアルバートに任せることにした。
その前に、安いからといって、安直に頼んだ調律師やピアノ工場の仕事が、かなりお粗末だったことも判明した。
今までの修理に払った費用が、合計で20万円近くになった。
修理のたびに期待して、お金を払い、そして失望する。また期待してお金を払い、また失望する。
こんなことをくり返して一年近く経った。

先週の日曜日、アルバートが来てくれて、5時間もの時間を費やしてハンマーの修正をしてくれた。
その後、今日の日曜日まで弾いて、感想を聞かせてくれと言われて、わたしはあれやこれやの曲の練習をした。
1オクターブの中に、わたしの要求に的確に応えてくれる鍵盤が数個しか無いことに失望しながら、とりあえず次の修理に向けての問題点を具体的に並べられるように、努めて冷静に弾いた。

そんな毎日を過ごして、やっと踏ん切りがついた。
もしこのピアノが、修復不可能ならば、こだわるのをやめて手放そう。

修理にやって来たアルバートに、仕事に取りかかる前に話をしたいと言った。
これ以上意味のないこと、不毛なことにお金を払いたくない。
これまでの修理の後、満足できる改善が見当たらない。
あなたの、長年の、プロフェッショナルとしての経験から見て、このピアノにこれ以上の手入れが意味のあるものなのかどうか、わたしに気を遣わないではっきりと教えて欲しい。
わたしはこのピアノの響きが好きではあるけれど、ひとつの鍵盤で何百種類もの音色が出せるはずなのに、その手(指)応えが充分でない鍵盤の数が多過ぎて、ひとつのフレーズを練習しているだけで、欲求不満で押しつぶされそうになってしまう。このストレスは辛い。
「例えば……」と、弾きながら細かく説明をした。「ほら、この音とこの音は、同じ弾き方をしているのにこんなに響きが違うでしょ?」
すると、「まうみはもっと柔らかい響きが好きだと思っていた」と驚くアルバート。
もちろん、わたしはどちらかと言うと柔らかな音が好きだけど、ただ柔らかいだけで、いろんな音色を表現できないのは困る。
わたしの指先は、多彩な表現ができるよう、長い長い時間と努力を経て訓練されてきたのだから。

「まうみ、ボクはこのピアノは、修理するに値するいいピアノだと思うよ。今日の修理は仕上げだから今までのとはかなり違う。その結果を見て、それでもまうみの希望から程遠いものだったり納得できないものであるかどうか言ってくれる?」

もう何回目になるのだろう、鍵盤が外されて、修理が始まった。
 

ハンマーのフェルトの部分と軸棒のつなぎ目にはめられているピンのサイズが間違っているのだそうで、それを三回り太めの物に入れ替えた。


黙々と仕事をするアルバート。


「どうしてここ最近、日曜日なの?」と聞くと、奥さんのたっての願いで、12月に1週間休暇を取ってカナダにスキー旅行に行くのだそうな。
「へぇ~、いいねえ」と言うと、「良かないよ!前にも一度同じことをやって、すごく後悔して、もう二度とやらないって決めたのにどうしてもってしつこくて、それで嫌々いいよって言ったんだけど、やっぱりすぐに後悔した。休日もなにも無くなってさ、スキーだって全然好きじゃないし……」とアルバート。
父ちゃんは大変だ。

ハンマーの裏側。黄色い色のカバーが新しい物。新しく付け替えられてはいるけれど、ちゃんと調整がされてないそうな。


調律師の仕事って意外と膝と腰に悪い。わたしのエクササイズのマットがこんなところで役立った?!


そろそろ6時間が経ち、仕上げに入るアルバート。


先週の日曜日と今日とで、合計10時間以上仕事に費やしてくれたのに、請求は500ドルだった。悪いような気がするが、うちにとってはありがたい。

今夜もきれいになりそうな夕暮れ。


写真を撮っている足元で緑が揺れた。青桐の若葉がこんなに大きくなった。根っこから、枯れ落ちた四枚の葉が見守っている。


「もうね、かかるもんはしょうがない。いいピアノになるんやから、気持ち良く払っていこう」
そんなありがたいことを言ってくれる旦那に感謝!
外にぶらりと出てケールを買ってきた旦那。今夜はこれと、ターキーの骨ガラスープを作ってくれるそうな。


旦那の好きなビール。ボトルがデカくてひとりでは飲みきれないのだけれど、わたしはこの味が苦手なのでお助けウーマンにはなれない。


旦那はこれをチビチビ飲みながら、ケールの軸取りの作業をする。もちろんこれはわたしも手伝う。



ピアノは、願い八分目ぐらいまでに甦っていた。音に色と幅が出てきた。指が、心が、耳が、うんうん、これこれ!と喜んでいる。
これが神さんの答なんだと思うことにした。
コメント (10)
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