「ハイロ、僕や、拓人やで。ハイロ、ありがとう。僕がアメリカに来てまだ間がなかった時、学校の教室で独りぼっちやった僕に、一番最初に声かけてきてくれたな。あれはほんまに嬉しかった。僕はほんまに救われた。ハイロ、おまえのおかげや。ありがとう」
昨日の夜7時半頃に、拓人が急に家に帰ってきた。会社からの直行だった。
「どないしたん?」
「ハイロの見舞いに行く」
「それはええけど、今から行くって連絡してあるの?」
「いや、してへん」
「そんなん……今ほんとに難しい状態のときやから、こっちが行きたい時に行くっていうのはあかんのとちゃう」
「そうやな……けど、僕の持ってるのはハイロの携帯の番号だけやねん。かけてもええかな?」
「けど、みんながその番号にかけてるんやろ?」
「うん」
「かけてみたら?他の人が出てくれるかもしれんし」
かけてみた。誰も出なかった。それで電話帳でハイロの実家の番号を調べた。かけてみた。やはり誰も出なかった。イヤな予感がした。
手当り次第に、ハイロの近況を知っていそうな人に電話をかける拓人。
やっと連絡がつき、ハイロはまた、実家から病院に戻っていることがわかった。
やっとわたしも決心がついて、拓人と一緒にマンハッタンの病院にお見舞いに行くことにした。
拓人も、独りで行くのが心もとなかったようで、珍しくわたしが同行することを喜んだ。
拓人の仕事が朝の10時から始まるので、病院の面会時間が始まる朝の9時過ぎに到着するべく、朝早い電車に乗って行った。
ハイロが入院しているのは、全米、いや多分世界中でも、ガンを患った人に最高の医療を提供できることで有名な病院。
けれども、いよいよ死期が迫っている彼にとっては、ただただ、今の状態を少しでも楽にしてもらうための場所に過ぎない。
でも、それでもいいじゃないか。あんなに若い彼が、散々痛い思いをして闘ってきた挙げ句に、苦しみながら最後を迎えるなんてひど過ぎる。
彼の病棟までのエレベーターの中で、拓人は「恐いな、恐いな」とつぶやいていた。
いったいどんな言葉をかけたらいいのか、それがどうしても思い浮かんでこない。
たまたま同乗した神父さんに、「こういう時はどんな言葉をかけたらいいのでしょうか?」などと、バカなことを聞きたいぐらいだった。
階に着き、受付でハイロの名前を伝えると、係の女性が悲し気な微笑みを浮かべながら、「見舞ってあげて」と言った。
部屋の前まで行くと、ドアはしっかりと閉ざされていて、ノックをするのに少しばかりの勇気が必要だった。
思い切ってノックをすると、少し長い時間が経ってドアが開き、中から黒人の女性が顔を覗かせた。
「どちらさま?」
「あの……」
「福祉課の方?」
「いえ、ハイロ君の友人と、その母親です」
部屋に入った途端、ハイロの、想像していた以上に痩せこけてしまった顔が目に入った。
酸素マスクの下に、まるで赤ん坊の頃に戻ったような、キュウッと縮まった鼻が見えた。
ハイロの右横に奥さんが、左横におかあさんが座っていて、彼の両手をずっとさすっていた。
リクライニングで少し起き上がっているような状態の彼のお腹は、腹水が溜まっているのか、ぷっくりと膨れていた。
足先まですっかり浮腫んでしまっていて、まるで贈り物がぎっしり詰まったクリスマスのストッキングのような形をしていた。
目が半分開いたままだったが、見えていないようだった。
けれども、拓人が手を握り、「ハイロ」と彼の名前を呼んだ瞬間、彼の唇がプルプルと震えた。何かを言いたそうだった。
拓人が彼にお礼を言い、わたしも彼にお礼を言った。
一番辛かった時に助けてくれた息子の恩人だ。
人の哀しみがわかる子だった。小さい時に父親を、今回彼が襲われたのと同じガンで亡くしていた。
彼のおかあさんと、言葉を無くしたまま抱きしめ合った。
とても強く抱きしめ合った。
こんなふうに、最愛の夫と息子を看取らなくてはならない彼女のことを、わたしはどんなふうに慰めたらいいのかわからなかった。
だからただただ、彼女の肩を抱き、ハイロに聞こえないように静かに泣いた。
若い奥さんは、本当に憔悴し切っているようだった。
ハイロの脇腹に顔を埋めて、彼の温かみを確かめているように見えた。
病室を出た途端、どうしようもなく辛く、悲しく、腹立たしくなって、叫び出しそうだった。
病院はどこも明るく、さっぱりとしていて、温かみに満ちあふれていたけれど、ロビーの椅子に座ってしばらく泣いた。
拓人も泣いた。けれども彼は、わたしの取り乱し方が酷かったので、わたしのことを心配してくれた。
会社にタクシーで戻る彼に、「一緒に途中まで乗って行く?」と誘われたけれど、しばらく気持ちを落ち着かせたかったので、病院の前で別れた。
ひとりになると、哀しみがまたどっと押し寄せてきた。
だから、遠い駅まで歩きながら、街中の景色を撮ることにした。
なにかしていないと、壊れそうな気がした。
Memorial Sloan-Kettering Cancer Center
病院の向かえ側にある大学。
立ち止まっては適当に撮った写真。わたしはゆっくりとしか歩けなかったし、泣いていたし、ぼんやりしていたので、道行く人達は怪訝な顔をして通り過ぎて行った。
駅に着いた。ハイロはもう、ここには戻って来られない。
雨ですっかり落ちてしまった葉。
ハイロ、あんたは23才の若さで、愛している人達、これからまだまだ楽しい事が待っていそうだった日々と別れなければならない。
その無念さが少しでも軽くなるよう、わたしは祈る。仕事中も、そして多分眠っている間も、ハイロ、わたしは祈るから。
あんたが残していく、大切な家族のためにも祈るからね。
そんなことしかできないおばちゃんをかんにんしてね。
* * * * * * * * *
ハイロが、今日のお昼前に亡くなりました。
まるで、拓人が来るのを待っていてくれたかのような、わたし達が部屋を出てから、ほんの数十分後のことだったそうです。
やっと見舞いに来た拓人の声を聞いて、唇をもごもごと動かしたハイロは、「おまえ、来んの遅いねん!」と文句を言いたかったのかもしれません。
家に戻ってからも、旦那と一緒に少し泣いて、無理矢理昼ご飯を食べて、それから仕事に行きました。
車の中でまた少し泣いて、最初の生徒の家で教えていた時、携帯の呼び出しが鳴りました。
ああ、ハイロが死んだんだなあ……と思いました。
恭平からのメッセージで、ハイロがわたし達が病室から出てしばらくして、亡くなったことを知りました。
おいおい泣いて、泣いて泣いて、次の生徒の家に着いた頃には目が思いっきり腫れてしまっていました。
でも、発表会前の最後のレッスンをキャンセルなんてできません。
父が亡くなった時のことを急に思い出しました。
あの時も、生徒の発表会が週末に迫っていて、通夜の晩に父のそばで居てあげることができなくて、必死で堪えながらレッスンをしたのです。
あの時にできたんだから、わたしは今回もできなければならない。そう自分に言い聞かせて、最後まで仕事をしました。
ハイロが最後の最後まで闘った命の時間は終わったけれど、はにかんで笑っている彼の、少し淋しそうな顔は、これからもずっと忘れません。
彼の優しさと強さもいっしょに。
ハイロ、もう頑張らなくていいね。ほんとによく闘ったね。安らかに。
昨日の夜7時半頃に、拓人が急に家に帰ってきた。会社からの直行だった。
「どないしたん?」
「ハイロの見舞いに行く」
「それはええけど、今から行くって連絡してあるの?」
「いや、してへん」
「そんなん……今ほんとに難しい状態のときやから、こっちが行きたい時に行くっていうのはあかんのとちゃう」
「そうやな……けど、僕の持ってるのはハイロの携帯の番号だけやねん。かけてもええかな?」
「けど、みんながその番号にかけてるんやろ?」
「うん」
「かけてみたら?他の人が出てくれるかもしれんし」
かけてみた。誰も出なかった。それで電話帳でハイロの実家の番号を調べた。かけてみた。やはり誰も出なかった。イヤな予感がした。
手当り次第に、ハイロの近況を知っていそうな人に電話をかける拓人。
やっと連絡がつき、ハイロはまた、実家から病院に戻っていることがわかった。
やっとわたしも決心がついて、拓人と一緒にマンハッタンの病院にお見舞いに行くことにした。
拓人も、独りで行くのが心もとなかったようで、珍しくわたしが同行することを喜んだ。
拓人の仕事が朝の10時から始まるので、病院の面会時間が始まる朝の9時過ぎに到着するべく、朝早い電車に乗って行った。
ハイロが入院しているのは、全米、いや多分世界中でも、ガンを患った人に最高の医療を提供できることで有名な病院。
けれども、いよいよ死期が迫っている彼にとっては、ただただ、今の状態を少しでも楽にしてもらうための場所に過ぎない。
でも、それでもいいじゃないか。あんなに若い彼が、散々痛い思いをして闘ってきた挙げ句に、苦しみながら最後を迎えるなんてひど過ぎる。
彼の病棟までのエレベーターの中で、拓人は「恐いな、恐いな」とつぶやいていた。
いったいどんな言葉をかけたらいいのか、それがどうしても思い浮かんでこない。
たまたま同乗した神父さんに、「こういう時はどんな言葉をかけたらいいのでしょうか?」などと、バカなことを聞きたいぐらいだった。
階に着き、受付でハイロの名前を伝えると、係の女性が悲し気な微笑みを浮かべながら、「見舞ってあげて」と言った。
部屋の前まで行くと、ドアはしっかりと閉ざされていて、ノックをするのに少しばかりの勇気が必要だった。
思い切ってノックをすると、少し長い時間が経ってドアが開き、中から黒人の女性が顔を覗かせた。
「どちらさま?」
「あの……」
「福祉課の方?」
「いえ、ハイロ君の友人と、その母親です」
部屋に入った途端、ハイロの、想像していた以上に痩せこけてしまった顔が目に入った。
酸素マスクの下に、まるで赤ん坊の頃に戻ったような、キュウッと縮まった鼻が見えた。
ハイロの右横に奥さんが、左横におかあさんが座っていて、彼の両手をずっとさすっていた。
リクライニングで少し起き上がっているような状態の彼のお腹は、腹水が溜まっているのか、ぷっくりと膨れていた。
足先まですっかり浮腫んでしまっていて、まるで贈り物がぎっしり詰まったクリスマスのストッキングのような形をしていた。
目が半分開いたままだったが、見えていないようだった。
けれども、拓人が手を握り、「ハイロ」と彼の名前を呼んだ瞬間、彼の唇がプルプルと震えた。何かを言いたそうだった。
拓人が彼にお礼を言い、わたしも彼にお礼を言った。
一番辛かった時に助けてくれた息子の恩人だ。
人の哀しみがわかる子だった。小さい時に父親を、今回彼が襲われたのと同じガンで亡くしていた。
彼のおかあさんと、言葉を無くしたまま抱きしめ合った。
とても強く抱きしめ合った。
こんなふうに、最愛の夫と息子を看取らなくてはならない彼女のことを、わたしはどんなふうに慰めたらいいのかわからなかった。
だからただただ、彼女の肩を抱き、ハイロに聞こえないように静かに泣いた。
若い奥さんは、本当に憔悴し切っているようだった。
ハイロの脇腹に顔を埋めて、彼の温かみを確かめているように見えた。
病室を出た途端、どうしようもなく辛く、悲しく、腹立たしくなって、叫び出しそうだった。
病院はどこも明るく、さっぱりとしていて、温かみに満ちあふれていたけれど、ロビーの椅子に座ってしばらく泣いた。
拓人も泣いた。けれども彼は、わたしの取り乱し方が酷かったので、わたしのことを心配してくれた。
会社にタクシーで戻る彼に、「一緒に途中まで乗って行く?」と誘われたけれど、しばらく気持ちを落ち着かせたかったので、病院の前で別れた。
ひとりになると、哀しみがまたどっと押し寄せてきた。
だから、遠い駅まで歩きながら、街中の景色を撮ることにした。
なにかしていないと、壊れそうな気がした。
Memorial Sloan-Kettering Cancer Center
病院の向かえ側にある大学。
立ち止まっては適当に撮った写真。わたしはゆっくりとしか歩けなかったし、泣いていたし、ぼんやりしていたので、道行く人達は怪訝な顔をして通り過ぎて行った。
駅に着いた。ハイロはもう、ここには戻って来られない。
雨ですっかり落ちてしまった葉。
ハイロ、あんたは23才の若さで、愛している人達、これからまだまだ楽しい事が待っていそうだった日々と別れなければならない。
その無念さが少しでも軽くなるよう、わたしは祈る。仕事中も、そして多分眠っている間も、ハイロ、わたしは祈るから。
あんたが残していく、大切な家族のためにも祈るからね。
そんなことしかできないおばちゃんをかんにんしてね。
* * * * * * * * *
ハイロが、今日のお昼前に亡くなりました。
まるで、拓人が来るのを待っていてくれたかのような、わたし達が部屋を出てから、ほんの数十分後のことだったそうです。
やっと見舞いに来た拓人の声を聞いて、唇をもごもごと動かしたハイロは、「おまえ、来んの遅いねん!」と文句を言いたかったのかもしれません。
家に戻ってからも、旦那と一緒に少し泣いて、無理矢理昼ご飯を食べて、それから仕事に行きました。
車の中でまた少し泣いて、最初の生徒の家で教えていた時、携帯の呼び出しが鳴りました。
ああ、ハイロが死んだんだなあ……と思いました。
恭平からのメッセージで、ハイロがわたし達が病室から出てしばらくして、亡くなったことを知りました。
おいおい泣いて、泣いて泣いて、次の生徒の家に着いた頃には目が思いっきり腫れてしまっていました。
でも、発表会前の最後のレッスンをキャンセルなんてできません。
父が亡くなった時のことを急に思い出しました。
あの時も、生徒の発表会が週末に迫っていて、通夜の晩に父のそばで居てあげることができなくて、必死で堪えながらレッスンをしたのです。
あの時にできたんだから、わたしは今回もできなければならない。そう自分に言い聞かせて、最後まで仕事をしました。
ハイロが最後の最後まで闘った命の時間は終わったけれど、はにかんで笑っている彼の、少し淋しそうな顔は、これからもずっと忘れません。
彼の優しさと強さもいっしょに。
ハイロ、もう頑張らなくていいね。ほんとによく闘ったね。安らかに。