ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

フラッシュバック

2010年11月29日 | ひとりごと
『in Treatment』というドラマに今、旦那とふたりでハマっている。


サイコセラピストとその患者の30分の治療風景が、音響もほとんど無しで、ふたりの会話のみで展開される。
とても重い。時にはすごく緊迫する。観終わった後必ず、胸の中にたまったものを、はぁ~っと吐き出さないとたまらなくなる。

このドラマに出てくる役者さん達は、老若男女問わず、皆さんすごい演技力の持ち主。
それぞれに問題を抱えている。そういう設定で演技をする人は多いのだけれど、彼らの場合、もうそれが演技を超えていて、とても自然で、とても愚かしく、とても哀しく、とても愛おしい人間を見せてくれる。
そんな人達を相手に、孤高の闘いをしなければならないセラピストのポールを演じるこのガブリエル・バーンという俳優の演技力たるや……。

今のシリーズの患者4人も、バラエティに富んでいて、しんどいけれど楽しく?観ていた。

火曜日の患者エイプリルは大学生。深刻な癌に冒されていて、けれどもその事実を家族の誰にも言えないでいる。
父親は医者で家にほとんど居ない。母親は重い自閉症の、自殺未遂をくり返す息子(エイプリルの弟)の世話ですっかり疲弊している。
エイプリルはだから、今までにもずっと、まったく心配をかけない、しっかり者の、家族思いの娘を演じてきていて、そのことに誇りを持っているし、これからもその態度を変えようとは思っていない。
なので、彼女が癌にかかっているという事実は、家族にとって迷惑であり、重荷の他の何ものでもないと信じている。
そして彼女は、家族に伝えないだけではなく、彼女自身も癌という事実を無視しようとしており、治療も拒絶したまま、症状は刻々と悪化している。
ポールは彼女と一週間に一度、火曜日の午後にしか会えない。
それでも懸命に彼女の言葉を聞き、彼女の気持ちに添いながら、なんとか治療を受ける決心をつけさせようと奮闘する。
けれども時間はもうあまり残されていない。

昨日の話の中のエイプリルは、見るからに衰弱していて、けれどもまた騒動を起こした弟の世話を、パニックに陥っている母親の代わりにみようとしていて、それをポールは、どうして母親に頼めないのかと尋ねるのだけれど、彼女は頑なに、こういう時はいつもわたしが引き受けてきたと突っぱねた。
最後の最後になって、弟に電話をかけると、また奇妙な行動をとっていて、彼女は慌ててポールの部屋から出ようとするのだけれど、そこでふと気を失ってしまう。
ポールはそれを見てもう我慢ができなくなり、治療中の穏やかで抑制された物言いをやめ、彼女にその部屋から出ることを強く止めた。
意識がすぐに戻った彼女は、自分はもう大丈夫なのだと言い張って、そこで激しい言い合いになるのだけれど、とうとう彼女も自分がいかに弱っているかを認め、母親に電話をし、彼女に助けを求めた。
娘から初めてそのようなことをされた母親はパニックになり、電話をブツンと切ってしまう。
立ちすくんだままのエイプリルに、ポールが静かに話しかける。
「君は先週、この部屋で、おかあさんに病気のことを話す。そして病院に行く。そう決めたよね。そして君はちゃんとそうしようとした。けれども結局はできなかった。そして今日またここに来て、先週のことは無かったかのようにまた、同じことをくり返している。けれど、先週の君は明らかに存在していた。どうしてあんなふうに思えたの?そのヒントはこの部屋にあるの?」
するとエイプリルは涙を流しながらしばらく考えて、「ポール……あなただと思う」と答えた。
「病院に行こう」
「一緒に行ってくれるの?」
「君がそれでよかったら」
「今すぐに?」
「もちろん」

ここで話は終わった。
突然に胸の奥から大きなうねりのようなものがこみ上げてきて、それと一緒に涙があふれ出た。

三十年以上も前の、「申し訳ないが、あと1年もつかどうか……」と、信頼していた医者から告げられた19才だったわたしが、自分の目の前に立っていた。
小さなことにも動揺する、娘を愛してやまない父親に、こんなことを知らせるわけにはいかないと、なんでもないふりをし続け、けれども刻々と物事は進行していて、新しい不気味な症状が現れるたびに死ぬほど恐い思いをした。
毎日、毎時間、起きている間中、死がすぐ隣に潜んでいたあの頃。
それでも心の奥底の、死んでたまるか!というマグマのような赤い気持ちが、次から次へと、救いの手を差し延べてくれる人のもとへわたしを運んだ。

けれどもやっぱり、本当に恐かったんだなあ。本当に辛かったんだなあ。
少し離れた所から見ている心の中の自分が、テレビの前のソファで、ちっちゃな子供のように泣きじゃくる自分を見て、しみじみとそう思った。

フラッシュバックが起こると、それはそれで苦しかったり辛かったりするけれど、そうやって激しく心の中を揺さぶると、哀しみや苦しみの固い玉の表面が溶けて、また少しちっちゃくなっていくような気がする。

コメント (8)
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旗本もったいない男参上!

2010年11月29日 | ひとりごと
うちの旦那は、日本で暮らした十年を除いては、生まれも育ちもアメリカの生粋のアメリカンだが、食品に関しては、もったいない精神に満ちあふれている。
まあ、別のところでは、妙~に無駄使いをするので、ある意味微妙なバランスをとっているのかもしれない。

その旦那、毎朝一番にコーヒーを入れ、毎夜最終にお茶を入れてくれる。
すっかりそれに甘やかされているわたしは、コーヒーもお茶も、美味しいのを入れることが苦手になってしまったぐらい。

「さて、今夜のお茶は何がいいか?」と聞かれ、ルイボスにはちょっと飽きたし、ジンジャーティっていう感じでもないし、う~んとひと悩みして……カフェイン抜きの緑茶をお願いした。
そのティーバッグが入った箱を探し出し、中を覗いて「あっ!」と叫ぶ旦那に近寄って行くと、袋の上部が破損したティーバッグを掴んでじぃ~っと睨んでいる。
まあ、まだいっぱいあるんだし、中にはそういうのもあらぁ~な、などと思いながら、わたしはその場から離れて片付けに戻った。
食器を洗い終わって、ガスコンロの上に置いてくれてあるお茶を取りに行き、中をのぞくと……ありり?なんかいつもよりティーバッグがちっこいような……。



見えるだろうか……丁度真ん中あたりの銀色の点のようなものが。

まさかと思いながら、お箸でティーバッグを外に取り出してよくよく観察すると……ホッチキスで止めてあるし……。


もちろん、いつものようにありがたく、おいしくいただいたのだけど……。
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冬のいろどり

2010年11月29日 | ひとりごと
今日で気功のクラスと束の間のお別れ。次のシリーズは1月の3日から始まるので、丸1ヶ月お休みになる。
一連の18の動きを、今日は一言のアドヴァイスもなく、ただひたすら流れを途切れさせないようにひとつひとつ続けていく。
足は大地の根っことなり、脳天は天につながる幹となり、指先は真横に延びる枝となり、もはや丹田と命門に宿るわたしという意識のみが中心に残る。

新鮮なエネルギーを指先からコイルのように巻き込みながら身体の中心に入れ、古い、または良くないエネルギーを逆に指先の方に流し出す。

今日のメインはこれ。
そのイメージはできないこともないのだけれど、マリアムが言うように、実際にそれができていると確信できるまでには、まだまだ相当の時間が必要な気がする。
難しいと言う生徒が多かったので、イマジネーションの練習を瞑想に取り入れたマリアム。
彼女の柔らかで低い声が、目を閉じた真っ暗な世界に静かにしみ込んでくる。
「あなたが息を吸い込むと、そこには空間が生まれる。器官に、内臓に、細胞と細胞の間に、骨に、筋肉に。そしてその空間はとても心地良く、皆が自由に開放される。あなたは今、とても心地良い気温の、とても清々しい山の中に居て、そこには小さな滝がある。あなたはその滝の後ろ側を歩いていて、少しずつその清らかな水に打たれていく。その水は、あなたの頭からまず外側の皮膚を洗い清め、そしてさらにはあなたの身体の内側をも洗い清めてくれる。あなたの足の裏からは、洗い清めた後の水が少しずつ滴り落ちている」

わたしはわたしでかなり集中して想像の世界に入り込んでいたのだけれど、ひとつだけ邪魔をするものがあった。
それは……旦那……。

なぜかというと、旦那はこういう種類の話を聞くとシラケる傾向があり、その傾向をしっかり引き継いだ拓人がよく、こういう話の最中に、「ムリッ!」と一言で蹴り飛ばしてしまうマネをして、前のクラスが終わってからだったかに、思いっきり茶化して笑っていたのを思い出してしまったのだった……。
なので、マリアムがなにか言うたびに、わたしの耳の奥にまで、拓人の「ムリッ!」が聞こえてきて、斜め向かいに座っている旦那を薄目で確かめたりする始末……。

なかなかに葛藤が多かった今年最後の気功のクラスなのだった。やれやれ……。


気温8℃。すっかり冬。花の茎も凍ってしまい、いよいよ終わりがやってきた。 


けれども中にはこんな真っ赤があり、


こんな桃色があり、


こんな優しい白もある。


朝から起きて、何時間か毎にピアノを弾いてみる。
昨日のことは夢で、もしかしてあの音がすっかり消えてしまってたらどうしよう……などという不安が、ふと心をよぎる。
けれどもしっかりそれは残っていて、わたしをホッとさせてくれる。
何日かじっくり弾いて、また気がついた問題があればアルバートに伝え、そのための解決策を彼が考える。
こういうことをくり返しながら、少しずつ少しずつ、このピアノ本来の音をとり戻していこう。
そう言ってくれる腕のいい技術者が、偶然引っ越してきた家のすぐ近所に住んでいることの幸運。
これもまた恵みに違いない。感謝!

つい最近、運転途中に遭った、とんでもなく危険な運転をする車に、わたしは初めて怒りを感じなかった。
きっと彼、あるいは彼女は、とても急がなくてはならない物事を抱えていて、自ら危険を冒してあんな危ない運転をしている。どうか彼を、あるいは彼女の身の安全をお守りくださいと、心の中で祈った。

そんな自分にちょっとだけ驚いて、ちょっとだけ嬉しかった。
コメント (4)
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