ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

花冷えの日のオーディション

2012年03月24日 | 音楽とわたし
今年2012年の、ACMAのコンサートは、カーネギーの一番小さなホールを二回使わせてもらうことになった。
去年、一昨年と、地下の一番新しいザンケルという名の中ホールでやったのだけど、
会員が年々、すごい勢いで増え続けていて、その中には、一度でいいからカーネギーで!と、そのためにだけ加入する人達もいるわけで、
そうすると、どんどんどんどん演奏レベルが上がってきてしまい(いいことなのやけど)、1年に1回だけのコンサートでは賄いきれなくなってきた。

それで、チャンスを広げようということで、今年は、使用料が格段に安い、小ホールを借り、そこで二回に渡って演奏会をすることになった。
二回分でも、ザンケルの一回分より安いのだっ?!

今回は初めて、オーディションを受けなかった。
この指の状態ではきっと、満足のいく練習もできないだろうし、余計に症状を悪化させてしまう可能性だってある。
人生、まだまだ先は長い(と思う)。
なので、今回は断念することにした。

すると、これが結構落ち込むのである。
え?わたし、どないしたん?と、自分でもびっくりするほど凹むのである。
なにも、人から強要されたことでもなく、自分の体の調子を一番知ってる自分が考えて選択したことなのにである。

オーディションの審査をする立場にあるので、審査方法についての活発な意見が、メールで交わされた。
いつもなら、必死で読んで、それに対する意見を考え、わたしも下手くそな英語ながら、ガンガン加わるのに、
今回はそれも読む気にもならない……あかん……めんどくさい……。

旦那が、「それならなにも無理して加わらなくても、とにかく当日行って、審査をしっかりしたらええやん」と言う。
それもそやなと、メールをほぼ無視して、三日間過ごした。

こういう時、日本だと、
「あなたね、どういう事情があるのか知らないけれど、審査をする立場上、もうちょっと責任のある態度で望んでもらわないと」
などという、お小言を頂戴する。
こちらでは、なぜだかウンともスンとも言ってこない人間は、全くなんの憶測も気遣いもお小言も無く、普通に無視される。
話し合いに交わりたい者が交わり、交わる必要が無い、あるいは交わりたくない者は交わらない。
よく旦那が、家事をひとりでやりながらムカついているわたしに言う言葉、
「こんな、せっかくの週末の、ものすごく天気のいい日に、そんなふうにバタバタ家のことやってるのは、それはまうみがやりたいからやろ?」
なのである。

アメリカ人は、やりたいからやるのである。
やりたくない、または、やる意味が無いと思われる事は、やらないのである。
ボランティアや学校の役員だって、そういうことで成り立っている。
そこには、誰かに言われたから、しょうがないから、こうした方がいいから、は無いのである。
自分がどう思っているかが、いつも考えの根本であり、その考えに添って動く。


今日は昨日までの夏日とうってかわって、肌寒い花冷えの曇り空になった。


なぜか車だけが異常に少ないマンハッタン。


ビルの中を走る。



さて、オーディションは33組の応募があり、アンサンブルが19組、ピアノソロが14人、という内容だった。
楽器も、スティールドラムとソプラノの組み合わせや、フラメンコダンスとのコラボ、バリバリのクラシックなどなど、
毎年思うことだけど、ほんとに面白い、新鮮なアイディアが登場する。
そして皆レベルが高い。
ここからアンサンブルを12組、ソロを6人選ばなければならない。
審査結果を収集し、プログラムの構成などを含めた話し合いは、来月の7日。
いいコンサートになりそうな気がする。

「まうみ、弾けない間は歌いな♪わたしがレッスンしたげるよ」
「おう、それじゃ伴奏はボク♪

ありがとうみんな。わたしはいい仲間に恵まれている。ちょっと泣いた。

帰りに、旦那と待ち合わせたフレンチの店。
旦那は、わたしを待っている間に、美味しいワインをここで飲んだ。
平日はお酒断ちしているので、週末ぐらいは、ね。

お洒落な天井ファン。


そのまた続きで寄った、お気に入りのフレンチパン屋さんで。
コメント
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