再起の旅1年 福島・双葉町<上>集団生活 町民たちの「最後の砦」 東京新聞 2012年3月29日記事より
『「段差、気を付けてね」。
福島県双葉町民が集団避難する、加須市の旧騎西高校。
補助具に寄り掛かりながら、廊下をゆっくり歩いてきた但野(ただの)恵さん(45)に、顔なじみの福祉ボランティアの女性が声を掛けた。
長男祐貴君(18)と二人で、体育館の剣道場で暮らす恵さん。
両脚に痛みがあり、補助具なしにはほとんど歩けない。
昔から病弱で、同校に避難後も、入退院を繰り返し、祐貴君や介護ヘルパー、福祉ボランティアのメンバーが、交代で介助してきた。
剣道場では、20人弱が生活。
ヒソヒソ声で会話するのが日常で、テレビは1部屋に1台しかなく、なかなか見ることはできない。
夜中に足音が聞こえ、目覚めることも。
段ボールなどで仕切りも作っているが、プライバシーはとても保てない。
祐貴君は、「同じ部屋の人に文句を言われて、口げんかになったこともある」と明かす。
恵さんは、「周りに気を使う」というが、ヘルパーの付き添いが必要なため、「アパートや仮設住宅には移れない」とつぶやく。
4月から、埼玉県内の自動車部品会社で働き始める祐貴君も、「ここがなくなったら、母には施設に入ってもらうしかない」と声を落とした。
■ ■
現在、校舎を利用した、全国で唯一の避難所となった旧騎西高。
町民372人(23日現在)が、教室や体育館で寝起きし、運動場に設置された、仮設風呂やトイレは、共同利用。
1日3食の弁当が配られ、洗濯機や冷蔵庫、テレビは共有して使う。
掃除と弁当配布は、当番制で、午後10時に消灯となる。
同校で約半年間暮らし、福島県白河市の、仮設住宅に移った無職志賀吉浩さん(44)は、
「当番をこなし、もらった弁当を食べるだけの繰り返しで、このままでは自立できなくなる、という焦りがあった。
何をするにも気を使うのがストレスで、仮設風呂には、一度も入らなかった」と振り返る。
同校の避難者に対しては、他の町民から、「食費や光熱費がかからず、不公平だ」との批判も聞かれる。
■ ■
震災後、町のコミュニティー維持を目指して、旧騎西高へ集団移転した、井戸川克隆町長は当初、
「プライバシーの問題で、今の住環境は長くもたない」と、同校近くに、新たな住宅確保など、生活拠点の整備を模索した。
しかし、7000人余りの町民は、全国41都道府県に散らばった。
同校に、今も残る町民の約4割は、65歳以上の高齢者。
ボランティアによる、編み物やミシン教室に参加する人も多く、近くのアパートから、毎日同校へ通う人も。
その一人、石井みゆきさん(74)は、「みんなと一緒にいると安心できる」。
自治会づくりも進み、話し合いに参加する無職男性(63)は、「町がバラバラにならないための、最後の砦(とりで)」と話す。
井戸川町長も、当面は、同校に避難所を存続させる考えだ。
一方、学校や職場などを備えた「仮の町」への、再移転の検討も始めている。
× ×
福島第一原発事故を受け、福島県双葉町民が、さいたまスーパーアリーナ(さいたま市中央区)などを経て、
加須市の旧騎西高校に、役場機能ごと集団避難してから、30日で丸1年を迎える。
町から約200キロ離れた同校には、最大で、1423人の町民が避難したが、現在は、約4分の1に減少。
再起の旅を続ける、町の現状と課題を探った』
この記事を読んで最初に思たこと。
あ、まだ学校の大部屋で、避難生活を送ってる人がいはるんやった……。
阪神淡路大震災の時、散々見聞きしてきた現実をすっかり忘れてしもてる自分にもびっくりした。
あの時、震災の次の年の冬も、直後と変わらんような暮らしを強いられてた人達がどんだけぎょうさんいはったか。
それを知って、どんだけ腹を立ててたか。
あの時と比べもんにならへんほど、毎日ニュースを読み漁り、いろいろと声にしてる、みたいな自己満足がもとで、
現実を知る、現場の人達に思いを寄せるっちゅうことが疎かになってたんかもしれん。
被災地の人は今回、未曾有の地震に加え、大津波に襲われ、原発の重大事故のとばっちりを受けた。
得体の知れん、人の手に負えん、とんでもなく危険な物質が、どこに広がり落ちたのかがきちっと把握できひんっちゅう、
透明で巨大な、それはそれはおぞましい悪魔が、すぐ近くに潜んでるというのに、なんとも解決のしようのない事態になってしもた。
その原因を作った、代々の政治家や官僚、電力会社は、国の保護という甘やかしを受けて、何十年もの間好き放題やってきて、
ほんで事故が起こったら今度は、放射能は無主物で、落ちたとこの所有者に責任があるやの、
こんな事故が起こって経営が成り立たんから、金くれやの、
いつもみたいに、いつの間にかひょろひょろ~っと消えていきそうにない、原発反対の運動の様子を見い見い、
あかんな、ほな、しゃあないから、この手で儲けまひょかと、あっちこっちに手を回し、根を回し、いつもの札束ひらひらの手も使い、
地元で片付けたいと、かなりの数の市町村が、それぞれのアイディアを出して申し出たにも関わらず、
そんなこと、急には法律を変えられへんやの、そういうことには2年かかるやの、適当に理由つけて門前払い。
そうやって、とっくの昔に対処できてなあかんはずの、放射能汚染の心配がある瓦礫を、わざと手つかずで残しておいて、
被災したことだけでも充分辛い目に遭うた被害者の人達の心を、さらに傷つけ、疲弊させ、
もう我慢ならん、なんとかして欲しいと、誰もが思う頃合いを見計ろうて、日本全国バラまき大作戦を打ち出した。
農業もそう。
生きていくのに最低限の保証になる農作業をせざるを得んとこまで追い込んで作らせ、それを全国にバラまく。
なにもかもが、放射能汚染を薄く広く蔓延させて、後々の健康被害の現状をうやむやにさせようっちゅう魂胆。
ああ汚い。とことん腐ってる。人間の皮かぶったバケモンや。
そんな政府にも役人にも国にも、もうとっくの昔に見切りをつけて、なんの期待もしてないけど、
仕事せえよ!ほんまに!
被災地、自分らの足で回って、どこにどんな人達がどんな思いでいはるのか、どんな物が必要で、どこがどれだけ危険なんか、
意見もなんもあらへんのに、きれいな服着て会議室で居眠りしてるぐらいなら、
部屋から外に出て、電車乗って、困ったことありませんか、恐いことありませんかと、ひとりひとり聞いて回ったってよ。
人数多過ぎやねん。意味ないねん。
電力会社の人間かて、別に自分がやったわけとちゃうとか思てるんやろけど、せやからって、なんで普通に出勤して暮らせてるわけ?
ちゃうやん。
被災地はまだ、全然前に進めてへん。
進みようがあらへん。
震災と津波で根こそぎ奪われて、空気も食べ物も、日本のどこの場所より汚されて、汚染まみれの瓦礫もまだ高々と積まれてる。
わたしらもっと、もっともっと、知ろうとせなあかんと思うねん。
もっともっと、現地の様子を自分のことのように、せめて想像せなあかんと思うねん。
まずそれをやってから、言いたいこと言おうな。
正しいと思うことやろうな。
わたしらおんなじ日本人やん。
世界は助けてくれへんねん。
日本人は日本人が助けなあかんねん。
国に棄てられたんやから。
棄てられた国の国民は、棄てられた同士の国民にしか助けられへんねん。
互いにもっと話そうな。
いがみ合うたり、理解の前にあきらめたりすんのは、あいつらの思惑通りやねんで。
わたしはいやや。それだけは絶対にいやや。
助け合おう!
『「段差、気を付けてね」。
福島県双葉町民が集団避難する、加須市の旧騎西高校。
補助具に寄り掛かりながら、廊下をゆっくり歩いてきた但野(ただの)恵さん(45)に、顔なじみの福祉ボランティアの女性が声を掛けた。
長男祐貴君(18)と二人で、体育館の剣道場で暮らす恵さん。
両脚に痛みがあり、補助具なしにはほとんど歩けない。
昔から病弱で、同校に避難後も、入退院を繰り返し、祐貴君や介護ヘルパー、福祉ボランティアのメンバーが、交代で介助してきた。
剣道場では、20人弱が生活。
ヒソヒソ声で会話するのが日常で、テレビは1部屋に1台しかなく、なかなか見ることはできない。
夜中に足音が聞こえ、目覚めることも。
段ボールなどで仕切りも作っているが、プライバシーはとても保てない。
祐貴君は、「同じ部屋の人に文句を言われて、口げんかになったこともある」と明かす。
恵さんは、「周りに気を使う」というが、ヘルパーの付き添いが必要なため、「アパートや仮設住宅には移れない」とつぶやく。
4月から、埼玉県内の自動車部品会社で働き始める祐貴君も、「ここがなくなったら、母には施設に入ってもらうしかない」と声を落とした。
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現在、校舎を利用した、全国で唯一の避難所となった旧騎西高。
町民372人(23日現在)が、教室や体育館で寝起きし、運動場に設置された、仮設風呂やトイレは、共同利用。
1日3食の弁当が配られ、洗濯機や冷蔵庫、テレビは共有して使う。
掃除と弁当配布は、当番制で、午後10時に消灯となる。
同校で約半年間暮らし、福島県白河市の、仮設住宅に移った無職志賀吉浩さん(44)は、
「当番をこなし、もらった弁当を食べるだけの繰り返しで、このままでは自立できなくなる、という焦りがあった。
何をするにも気を使うのがストレスで、仮設風呂には、一度も入らなかった」と振り返る。
同校の避難者に対しては、他の町民から、「食費や光熱費がかからず、不公平だ」との批判も聞かれる。
■ ■
震災後、町のコミュニティー維持を目指して、旧騎西高へ集団移転した、井戸川克隆町長は当初、
「プライバシーの問題で、今の住環境は長くもたない」と、同校近くに、新たな住宅確保など、生活拠点の整備を模索した。
しかし、7000人余りの町民は、全国41都道府県に散らばった。
同校に、今も残る町民の約4割は、65歳以上の高齢者。
ボランティアによる、編み物やミシン教室に参加する人も多く、近くのアパートから、毎日同校へ通う人も。
その一人、石井みゆきさん(74)は、「みんなと一緒にいると安心できる」。
自治会づくりも進み、話し合いに参加する無職男性(63)は、「町がバラバラにならないための、最後の砦(とりで)」と話す。
井戸川町長も、当面は、同校に避難所を存続させる考えだ。
一方、学校や職場などを備えた「仮の町」への、再移転の検討も始めている。
× ×
福島第一原発事故を受け、福島県双葉町民が、さいたまスーパーアリーナ(さいたま市中央区)などを経て、
加須市の旧騎西高校に、役場機能ごと集団避難してから、30日で丸1年を迎える。
町から約200キロ離れた同校には、最大で、1423人の町民が避難したが、現在は、約4分の1に減少。
再起の旅を続ける、町の現状と課題を探った』
この記事を読んで最初に思たこと。
あ、まだ学校の大部屋で、避難生活を送ってる人がいはるんやった……。
阪神淡路大震災の時、散々見聞きしてきた現実をすっかり忘れてしもてる自分にもびっくりした。
あの時、震災の次の年の冬も、直後と変わらんような暮らしを強いられてた人達がどんだけぎょうさんいはったか。
それを知って、どんだけ腹を立ててたか。
あの時と比べもんにならへんほど、毎日ニュースを読み漁り、いろいろと声にしてる、みたいな自己満足がもとで、
現実を知る、現場の人達に思いを寄せるっちゅうことが疎かになってたんかもしれん。
被災地の人は今回、未曾有の地震に加え、大津波に襲われ、原発の重大事故のとばっちりを受けた。
得体の知れん、人の手に負えん、とんでもなく危険な物質が、どこに広がり落ちたのかがきちっと把握できひんっちゅう、
透明で巨大な、それはそれはおぞましい悪魔が、すぐ近くに潜んでるというのに、なんとも解決のしようのない事態になってしもた。
その原因を作った、代々の政治家や官僚、電力会社は、国の保護という甘やかしを受けて、何十年もの間好き放題やってきて、
ほんで事故が起こったら今度は、放射能は無主物で、落ちたとこの所有者に責任があるやの、
こんな事故が起こって経営が成り立たんから、金くれやの、
いつもみたいに、いつの間にかひょろひょろ~っと消えていきそうにない、原発反対の運動の様子を見い見い、
あかんな、ほな、しゃあないから、この手で儲けまひょかと、あっちこっちに手を回し、根を回し、いつもの札束ひらひらの手も使い、
地元で片付けたいと、かなりの数の市町村が、それぞれのアイディアを出して申し出たにも関わらず、
そんなこと、急には法律を変えられへんやの、そういうことには2年かかるやの、適当に理由つけて門前払い。
そうやって、とっくの昔に対処できてなあかんはずの、放射能汚染の心配がある瓦礫を、わざと手つかずで残しておいて、
被災したことだけでも充分辛い目に遭うた被害者の人達の心を、さらに傷つけ、疲弊させ、
もう我慢ならん、なんとかして欲しいと、誰もが思う頃合いを見計ろうて、日本全国バラまき大作戦を打ち出した。
農業もそう。
生きていくのに最低限の保証になる農作業をせざるを得んとこまで追い込んで作らせ、それを全国にバラまく。
なにもかもが、放射能汚染を薄く広く蔓延させて、後々の健康被害の現状をうやむやにさせようっちゅう魂胆。
ああ汚い。とことん腐ってる。人間の皮かぶったバケモンや。
そんな政府にも役人にも国にも、もうとっくの昔に見切りをつけて、なんの期待もしてないけど、
仕事せえよ!ほんまに!
被災地、自分らの足で回って、どこにどんな人達がどんな思いでいはるのか、どんな物が必要で、どこがどれだけ危険なんか、
意見もなんもあらへんのに、きれいな服着て会議室で居眠りしてるぐらいなら、
部屋から外に出て、電車乗って、困ったことありませんか、恐いことありませんかと、ひとりひとり聞いて回ったってよ。
人数多過ぎやねん。意味ないねん。
電力会社の人間かて、別に自分がやったわけとちゃうとか思てるんやろけど、せやからって、なんで普通に出勤して暮らせてるわけ?
ちゃうやん。
被災地はまだ、全然前に進めてへん。
進みようがあらへん。
震災と津波で根こそぎ奪われて、空気も食べ物も、日本のどこの場所より汚されて、汚染まみれの瓦礫もまだ高々と積まれてる。
わたしらもっと、もっともっと、知ろうとせなあかんと思うねん。
もっともっと、現地の様子を自分のことのように、せめて想像せなあかんと思うねん。
まずそれをやってから、言いたいこと言おうな。
正しいと思うことやろうな。
わたしらおんなじ日本人やん。
世界は助けてくれへんねん。
日本人は日本人が助けなあかんねん。
国に棄てられたんやから。
棄てられた国の国民は、棄てられた同士の国民にしか助けられへんねん。
互いにもっと話そうな。
いがみ合うたり、理解の前にあきらめたりすんのは、あいつらの思惑通りやねんで。
わたしはいやや。それだけは絶対にいやや。
助け合おう!