ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

飯舘村の村長は、『までいの村』を『汚泥の村』にする気か?

2012年03月23日 | 日本とわたし
自然農業と田舎暮らしというブログを書かれている福島県在住の方の記事を紹介します。

マンハッタンの教会で、飯舘村の村長が語った基調演説を聞いて、ずっともやもやとしていたことが少しはっきりと見えてきました。
もやもやとしていたのは……。
村長の、村に対する執着心と、『までいの村』というモデルを創り上げたというプライドの強さが、今の東北の現実を拒絶しているような、
なにがなんでもあそこに戻る、あそこで暮らすという執念が、飯舘村の村民の方々の命を、健康を、まずは第一に考えて守らなければならないという責任を、疎かにしてしまっているような、
自分の中の推測に過ぎないけれども、原子力マフィアの連中は、村長のそういう思いにつけ込んで、いろいろとちょっかいを出しているように思えてなりません。

日が経つに従って、彼はやはり、狭くなってしまった視野を広げ、自分の望みの邪魔になるような意見にも耳を傾けるべきだと、

放射能汚染を自分の町や村に運び込もうとしている首長らに共通している、意固地さと無責任さを、この飯舘の村長にも感じています。



飯舘村の真実


2012.3.23 東京新聞『こちら特報部』を、世界中の人に是非読んでもらいたい。
この記事は、きちんと取材したジャーナリストの書いた記事です。
住民の苦悩が、きちんと行間に現れており、事実関係も正確に書かれており、すばらしい。

飯舘村での除染事業が、どのようなスタンスで行われているかも、やんわりと表現されており、これを読んで反論する人は、直接の利権者だけだろう。
道理で、村長は、取材を拒否したわけだ。
多忙のため、断られたことになっているが、産経新聞ぐらい安全安心を安売りしないと、菅野村長は、メディアを相手にしなくなっています。

おもて面だけの取材が多い中、今回の東京新聞は、実に深く、住民の声を聞き出しています。
「帰村したいか?」の様な質問をすれば、10人中10人が「帰りたい」と答えます。
しかし、本当は帰れない情況にあることを、住民はよく知っているのです。
ただ、それではどうするかというときに、移住するとか、自主避難してよそで生活をするという選択を、すぐにできない情況にあることも、十分理解しているため、はっきりとは、移住や避難とは言わないだけなのです。

声を上げたり、経済的支えがあって、移住を決断できる人は、問題ないです。
それができない人々が、大勢、放射能の存在し続ける土地で、うずくまって生活することを、強要されようとしているのです。
菅野村長の決断があれば、除染の予算はたとえゼロになっても、国との交渉のテーブルに、着くことができます。
しかし、今は、絵に描いた餅の補助金に縛られ、経産省の犬に成り下がっています。
この様に、首長の能力によって、住民は、人生を左右されてしまうのです。
恐ろしいことです。

東京新聞の取材力ばかりが目立つ、最近のメディアの傾向ですが、是非、他のメディアも、現地を充分に取材して欲しいものです。
飯舘村では、全村的なアンケートは、一度も取られていません。
どこかのメディアが、力を貸してくれれば、住民の意向は明確になり、村長も国も、考えを改めざる負えなくなります。
どうか知恵と力を貸してください。

よろしくお願いいたします。

なお、明日24日は、飯舘村の除染事業により出た、廃土の仮置き場の公開見学会が催されます。
10:30と13:30の、2回と聞いております。
心あるジャーナリストは、是非、飯舘村のクリアセンターに、集合してください』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さくらのこころ

2012年03月23日 | ひとりごと


一度、結婚に失敗してる。
失敗というより、結婚というものに対する動機がまず不純やった。
若かったし、家なき子やったし、世間知らずやった。

両親は、凄まじい争いの末に、弟が10才、わたしが13才の時に離婚した。
毎晩欠かさず続いてた大げんかが、どんどんエキサイトして、母の体にアザができるようになってからは、
ひたすら、殺し合いに発展する前に、とにかく別れて欲しいと、文字通り手を合わせて祈った。
自分からすると、父であり母であるけれど、彼らは赤の他人やから、
あそこまで憎しみ合ってるのやから、別れた方がお互いのためやのにと思た。

せやのに、実際に、母が最後の大げんかで追い出されるように、着の身着のままで家から出て行った時、
その足音が遠ざかっていくのを聞きながら、膝を抱えて頭をうずめてたら、自分の胸のあたりに、みるみる真っ黒の大きな穴ができて、
その空洞に、ママー、ママーと泣き叫ぶ弟の幼い声が響くのが聞こえてきて、それまで感じたことがないような哀しみがざあざあと襲いかかってきた。

自分も、違う事情で離婚した。



わたしの親族には、問題を抱えた夫婦がやたらと多い。
その中の一組に、わたしは何十年もの間、カウンセラーのような役目をしている。
日本に居た頃は電話や直接に、こちらに引っ越してからは、電話やメール、そして今はスカイプで。

その夫婦は、どちらも悪い人ではない。ある意味、外からは信頼されているし、責任のある立場にもある。
ところが、家の中では、とんでもなく幼い。
特に、夫婦としての関係を築く、という作業に対して。

正直、彼らはとおの昔に、別れてた方がよかった。
何度もそのことを言うてみたりもしたけど、彼らは自分の言いたいことを言えたらそれでとりあえず気が済むらしく、
最初から、自分以外の人間の意見に耳を傾けたり、なにか自分の中で変えてみようか、などとはまるで思わへんのやからしょうがない。

時にはそういう、ぐるぐると回り回って結局は同じ所に戻ってくる、という会話(ほとんど喧嘩)を、3時間近くじっと聞き続けることもある。
いつも、たいていは、「もうええわ!」とどちらかが言うて終わり。
モニターからスカイプの画面が消え、スピーカーがうんともすんとも言わんようになっても、わたしの耳の中には彼らの罵り合う声が残ってる。

どちらの人も、わたしにとってはものすごく大切な人やから、なんとかして役に立ちたいと思うのやけど、
いつもただただ聞くだけで、結局は何も改善されることのない不毛の世界のエネルギーは、わたしの心の中にしばらく居座る。

昨晩もそんな夜やった。
ちゃんと眠れんまま、気功の瞑想クラスに行った。
心臓が、寝不足と落ち込みで、やや不整脈になってた。

ミリアムの家に着き、玄関のドアを開けると、メンバーがすっかり揃てて、会話が盛り上がってるとこやった。
 


ダイアンがなにか、一所懸命に話してる。
「とにかく、自分に戻ること、いつでもここに自分がきちんと居るということ、これが大事よね」
「いろんな人の痛み、問題、辛さを、ザーッと受け取らなければならない職業の人は特に」
「そういう、心身の痛みや苦しみのエネルギーって、ものすごく強いから、仕事がそれを受け取る立場にある人は、
とにかくドアの外に出たら、窓を閉めたら、画面が消えたら、自分の中に居座ろうとする負のエネルギーを、スッと消せることが大事」
「そういう人達こそ、求められてる人として、まず自分を大切に、自分を一番に守って、健康に、幸せにならないといけないから」
「それはもう、ワガママとか利己主義とは全く違う次元のこと。自分を守れない人に他人は守れないのだから」
「自分の周りに、どんなに不幸な人がいても、不幸な事が起こっても、もちろん思いやったり助けることは必要だけど、巻き込まれてはだめ」
「自分が立ってる場所、自分の健康状態、自分の精神状態、それが大丈夫かどうか、まずは自分の中にしっかり入り、観察することが必要」

彼女の、ひとつひとつ、しばらく間を置いて考えながら話す言葉を聞いてるだけで、わたしは、負のエネルギーから解放されるような気がした。


町はこの二日間の夏日で、どの木も大慌てで花を開いてしもた。




ゆっくり咲くしだれ桜もこの通り。まだ4月にもなってへんのに満開……。



この調子やと、うちのポンちゃんも……。


あ~あ……また『坊さんが屁をこいた』遊びできんかった……。


太い幹からの直生え。なんかピアスみたい。


あんまりあっという間やったから、念のために、夕方のポンちゃんも撮っとく。
毎年、玄関ポーチにゆっくり座って、こんなふうにポンちゃんの一番きれいな時を楽しませてもらうのにな。



子供の頃、自分の誕生日に必ず満開になってくれる、それはそれは大きな桜の老木が、住んでた町の電車の駅にあった。
なんか、わたしだけのために、咲いてくれてるような気がして、必ずその日にはそこに行き、両手を回して抱っこしたりした。
その幹の温かさ、満開のあでやかさ、風に乗ってひらひらと舞い落ちてくる花びらの儚さ、
桜の花は、そやから特別。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする