トーマス・エディソン。
↓
ウィキからの抜粋
トーマス・アルバ・エディソン(Thomas Alva Edison, IPA:['tɑməs 'ælvə 'edəs(ə)n][注釈 1], 1847年2月11日 - 1931年10月18日)は、生涯におよそ1,300もの発明を行ったアメリカ合衆国の発明家、起業家。
小学校に入学するも、教師と馬が合わず中退した。
当時の逸話としては、算数の授業中には「1+1=2」と教えられても鵜呑みにすることができず、
「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら、大きな1個の粘土なのになぜ2個なの?」と質問したり、
英語の授業中にも、「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?」と質問するといった具合で、
授業中には事あるごとに「なぜ?」を連発していたという。
その様な好奇心は学校内に止まらず、「なぜ物は燃えるのか」を知りたいと思い立ち、藁を燃やしていたところ、自宅の納屋を全焼させてしまったこともあった。
これらが重なった挙句、最終的には担任の先生から「君の頭は腐っている」と吐き捨てられ、校長からも入学からわずか3ヶ月で退学を勧められたという。
学校だけではなく、父親からも見放されたエディソンは、基本的な勉強は小学校の教師であった(←これは登校拒否児が偉人では都合が悪いという文部省の意向により、日本の伝記作家が創作した設定であるとも言われている)母親に教わった。
母親は教育熱心だったらしく、元々好奇心が旺盛だったエディソンに対して、家の地下室に様々な化学薬品を揃え、エジソン自身もその地下室で科学実験に没頭していたという。
エディソンの偉人伝、よう読みました。
小学校を中退した発明王。
そのエディソンが、うちから車で10分弱のとこで、ずっと研究を続けてた……ちゅうのをつい最近知って、こりゃもう絶対に行かにゃ~ということで、行ってきました。
大興奮して、写真をいっぱい撮りました。
ガンガン並べます。
寝室と書庫のある吹き抜け3階の大部屋。

エディソンはここでなにを考えてはったのか。

映写機の完成品。

これはなんぞな?

こちらも机。

階段までもが美しい……。

こんなちっちゃいベッドで寝てはった。

屋根まで何メートルあるやろか。

では作業部屋に行ってみよう。

化学は超~苦手やったけど、ビーカーやフラスコはだ~い好きやった。

う~ん、これはなんじゃろか……。

設計室。

エディフォン♪

エディフォン全景。

壮大な眺め。

わけワカメでも良し。

このコイルはもしや……。

手洗い場。

かつては大活躍してた方々。

どんなことのために使われてたのか……。

どんなものができてきたのか……。

とにかく圧巻。

こういう色合いが好き。

同じく、撮影に没頭する仲良しさんふたり。

うっとり……。

机に刻まれた歴史。

3階に行く。

音楽室♪!

展示物保管のため、湿度が50%に調整されてる。

じゃ~ん♪

もしかしてこの図は……。

渋すぎっ!録音に使われた、楽器別(多分)ラッパ。


蓄音機の数々。

ピアノかて負けずに渋い!

さてさて、きれいにショーケースの中に展示されてるところには、


弦楽器は、どないしても良い音質の録音ができんかったってんで、楽器に直接つけたそうな……右がヴァイオリン、左がヴィオラ。

ごっついレコード盤?!

このジャバラ、見たような記憶が……。

現像室。

う~ん……。

テープレコーダ~!!

わからんちん。

エディフォンの足踏み。

このレジみたいなレジを絶対に見たことある!と力説するまさこちゃん……マジかっ?!

美し過ぎる……。

バッテリーと真空管?

消防士さんの帽子まで?!

電気アイロンもエディソン?!

ホットサンド作り器やらトースターもエディソン?!

コーヒーメーカーもエディソン?!

マニアの方にはよだれもんかも。


モールス信号か?

怪し気な実験場。

でっかい機具がずらりと並んだ作業所。

ひとつひとつが重々しい。


ここに働きに来た人達の着替え場所。ジャケットと帽子がよいわ~♪

係員のおっちゃんに話を聞く。
1950~1960年の間に、ここにある機械の多くを、日本の企業が買いに来て、それらを持ち帰っては改良し、中国をはじめとする他の国に売ってたらしい。
特に、大きくて分厚い鉄板を薄くする機械に人気があったのやそうな。
おっちゃんは、「アメリカはいろんなことのはじまりを作ったけど、それを改良して広めるのは、日本やらイギリスやらの他の国やった。
そういう知恵と技術を持ち合わせてなかったんやな……」と、ちょっと淋しそうに言うてはった。
「でも、世界はいつもそうやって、人と人、国と国がつながって、いい意味でも悪い意味でも発展していった」とも。
見学者の少ない、静かな、エディソンの『1%のひらめきと99%のしつこさ、もとい、努力』がしみこんだ建物。

また来るしな~。

ここはほんまにお勧めです。

バイバイ。

さて、改めて正面を見ると……こんなんがあった……。



ファンキー仲良し親子の図。

この道路は、生徒の家に毎週通てた道やった……。

あまりに地味で、全く気がつかんかった……。

通りの名前にも電球が。

あの水タンクにもしや……。

やっぱりエディソンっ♪

この春初めてのポカポカ陽気♪家に戻ってきたら……ららら~……ポンちゃんのつぼみにもようやく春♪


このふたり、良い夫婦になる。きっとなる。ほんまに気持ちのよい青年トモくんとミホちゃん。
↓
ウィキからの抜粋
トーマス・アルバ・エディソン(Thomas Alva Edison, IPA:['tɑməs 'ælvə 'edəs(ə)n][注釈 1], 1847年2月11日 - 1931年10月18日)は、生涯におよそ1,300もの発明を行ったアメリカ合衆国の発明家、起業家。
小学校に入学するも、教師と馬が合わず中退した。
当時の逸話としては、算数の授業中には「1+1=2」と教えられても鵜呑みにすることができず、
「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら、大きな1個の粘土なのになぜ2個なの?」と質問したり、
英語の授業中にも、「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?」と質問するといった具合で、
授業中には事あるごとに「なぜ?」を連発していたという。
その様な好奇心は学校内に止まらず、「なぜ物は燃えるのか」を知りたいと思い立ち、藁を燃やしていたところ、自宅の納屋を全焼させてしまったこともあった。
これらが重なった挙句、最終的には担任の先生から「君の頭は腐っている」と吐き捨てられ、校長からも入学からわずか3ヶ月で退学を勧められたという。
学校だけではなく、父親からも見放されたエディソンは、基本的な勉強は小学校の教師であった(←これは登校拒否児が偉人では都合が悪いという文部省の意向により、日本の伝記作家が創作した設定であるとも言われている)母親に教わった。
母親は教育熱心だったらしく、元々好奇心が旺盛だったエディソンに対して、家の地下室に様々な化学薬品を揃え、エジソン自身もその地下室で科学実験に没頭していたという。
エディソンの偉人伝、よう読みました。
小学校を中退した発明王。
そのエディソンが、うちから車で10分弱のとこで、ずっと研究を続けてた……ちゅうのをつい最近知って、こりゃもう絶対に行かにゃ~ということで、行ってきました。
大興奮して、写真をいっぱい撮りました。
ガンガン並べます。
寝室と書庫のある吹き抜け3階の大部屋。

エディソンはここでなにを考えてはったのか。

映写機の完成品。

これはなんぞな?

こちらも机。

階段までもが美しい……。

こんなちっちゃいベッドで寝てはった。

屋根まで何メートルあるやろか。

では作業部屋に行ってみよう。

化学は超~苦手やったけど、ビーカーやフラスコはだ~い好きやった。

う~ん、これはなんじゃろか……。

設計室。

エディフォン♪

エディフォン全景。

壮大な眺め。

わけワカメでも良し。

このコイルはもしや……。

手洗い場。

かつては大活躍してた方々。

どんなことのために使われてたのか……。

どんなものができてきたのか……。

とにかく圧巻。

こういう色合いが好き。

同じく、撮影に没頭する仲良しさんふたり。

うっとり……。

机に刻まれた歴史。

3階に行く。

音楽室♪!

展示物保管のため、湿度が50%に調整されてる。

じゃ~ん♪

もしかしてこの図は……。

渋すぎっ!録音に使われた、楽器別(多分)ラッパ。


蓄音機の数々。

ピアノかて負けずに渋い!

さてさて、きれいにショーケースの中に展示されてるところには、



弦楽器は、どないしても良い音質の録音ができんかったってんで、楽器に直接つけたそうな……右がヴァイオリン、左がヴィオラ。

ごっついレコード盤?!

このジャバラ、見たような記憶が……。

現像室。

う~ん……。

テープレコーダ~!!

わからんちん。

エディフォンの足踏み。

このレジみたいなレジを絶対に見たことある!と力説するまさこちゃん……マジかっ?!

美し過ぎる……。

バッテリーと真空管?

消防士さんの帽子まで?!

電気アイロンもエディソン?!

ホットサンド作り器やらトースターもエディソン?!

コーヒーメーカーもエディソン?!

マニアの方にはよだれもんかも。



モールス信号か?

怪し気な実験場。

でっかい機具がずらりと並んだ作業所。

ひとつひとつが重々しい。


ここに働きに来た人達の着替え場所。ジャケットと帽子がよいわ~♪

係員のおっちゃんに話を聞く。
1950~1960年の間に、ここにある機械の多くを、日本の企業が買いに来て、それらを持ち帰っては改良し、中国をはじめとする他の国に売ってたらしい。
特に、大きくて分厚い鉄板を薄くする機械に人気があったのやそうな。
おっちゃんは、「アメリカはいろんなことのはじまりを作ったけど、それを改良して広めるのは、日本やらイギリスやらの他の国やった。
そういう知恵と技術を持ち合わせてなかったんやな……」と、ちょっと淋しそうに言うてはった。
「でも、世界はいつもそうやって、人と人、国と国がつながって、いい意味でも悪い意味でも発展していった」とも。
見学者の少ない、静かな、エディソンの『1%のひらめきと99%のしつこさ、もとい、努力』がしみこんだ建物。

また来るしな~。

ここはほんまにお勧めです。

バイバイ。

さて、改めて正面を見ると……こんなんがあった……。



ファンキー仲良し親子の図。

この道路は、生徒の家に毎週通てた道やった……。

あまりに地味で、全く気がつかんかった……。

通りの名前にも電球が。

あの水タンクにもしや……。

やっぱりエディソンっ♪

この春初めてのポカポカ陽気♪家に戻ってきたら……ららら~……ポンちゃんのつぼみにもようやく春♪


このふたり、良い夫婦になる。きっとなる。ほんまに気持ちのよい青年トモくんとミホちゃん。
