ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

戦後ずっと、平和教材として祭り上げ、神話化されてきた絵本『かわいそうな象』の真実

2013年04月13日 | 日本とわたし
Peace Philosophy Centreからの、もうひとつのお話は、『かわいそうな象』という絵本についてです。

わたしはこの本を何回も読んで、そのたんびに泣いてた記憶があります。
なのでよけいに、この本当のことを知って、いやな気持ちになりました。
いやな気持ちというより、なんでこんなことをして子どもを騙さなあかんのか、
それをした当時の大人はきっと、自分らは正しいことをしてると思てたんやと思います。
それが怖い。ほんまに怖い。
そうやって、自分は正しい、ええことしてると思い込んでる、地位も金も権力もある人間が怖い。

日本は今、妙に、あの時期に似た様な方に向こてるような気がしてなりません。

物事を見て聞いて判断する際に、情緒や情念がまず一番おっきな位置を占めがちな傾向がある。
そこを狙て、やつらはつけこんできます。
自分らの思うように物事がすすむように。
悪さしてることがバレへんように。
もっともっと自分らの懐が潤うように。

もう騙されるのはやめましょう。
いつまでも、へ~とか言うてたらかっこ悪い。
見えてないこと、聞こえてないこと、伝えられてないことの中に、真実が隠されてます。
大勢の人が賛成してないことに、正しいことが隠されてます。

この、「かわいそうな象」のほんまの話を読んで、自分の考え方について考えてみてください。

↓以下、転載はじめ

アジア太平洋戦争 もう一つのいわれなき虐殺 
「かわいそうな象」の事実関係は絵本に描かれているものと違った


今春、東京では、上野公園の桜を楽しんだ方も多かったのではないでしょうか。
その上野にちなみ、児童「平和」文学の金字塔とされており、英訳もされている絵本「かわいそうな象」の、背景にある事実関係を解き明かした、論考の紹介をしたいと思います。

ちょうど私は、沖縄戦開始時(米軍慶良間諸島上陸、1945年3月末)の被害者を追悼するために、沖縄に行ってきたところです。
米軍の捕虜になったら、男は八つ裂きにされる、女は乱暴され殺されると騙され、背いたら日本軍に殺されかねない状況の中、
愛する者や自らの命を絶たされた人たちの、無念の死を思うにつけ、
戦争とは、国と国との戦いというよりも、国家による敵、味方を問わない市民殺害の行為である、という確信を新たにして帰ってきました。

1943年半ばの東京、空襲も始まっていない時期に、「戦時」だというだけで、必然性もなく、避難も許されずに虐殺された動物たちのことを思うと、
これは、沖縄における、「強制集団死」をはじめとする、日本軍による住民虐殺のように、そして後に東京を本当に襲う、米軍による大虐殺事件「東京大空襲」のように、
無謀な戦争における、もう一つの、いわれなき虐殺事件と位置付けられるのではないか、と


もうひとつのかわいそうなゾウの話

―戦時の猛獣処分をテーマにした、児童文学に潜む問題について―
小幡 詩子

親子連れで賑わう上野動物園は、1882年(明治15年)に、文明開化と共に生まれた、日本初の動物園。
3月20日は開園記念日で、今年133歳を迎えたが、その長い歴史の一時期、軍事と密接な関係があった。
寺内寿一元帥や東条英機、杉山元参謀総長の名前で、戦地から持ち帰った珍しい動物が、寄贈されていた。
また、戦時中、殺処分された動物たちの慰霊行事は、現在も続いている。

『かわいそうなぞう』は、児童文学作家の土家(つちや)由岐雄によって、太平洋戦争中の上野動物園で、象が殺処分を受けたという実話を元に描かれ、
1951年『愛の学校・二年生』(東洋書館)の中で発表された。
1970年に、金の星社より、「絵本」として出版されるや、大反響を呼び、1998年までに100万部、2005年時点で220万部を超えた。
紙芝居や副読本にも収録されるのみならず、小学年生向けの国語教科書にも採用され、1974年~1986年まで使用され、79年には英訳本も刊行された。
文字や絵を通じてのみならず、評論家の秋山は、ラジオ番組『秋山ちえ子の談話室』で、1970年~2002年の32年間、毎年終戦記念日に、戦争の悲惨さを伝えるために、この絵本を朗読した。
秋山氏によると、この放送が、子どもたちに、戦争はごめんだ!と思う心を育てる役割を果たしてくれる、と願って続けたようだ。

あらすじ
第二次世界大戦が激しくなり、東京市にある上野動物園では、空襲で檻が破壊された際の猛獣逃亡を視野に入れ、殺処分を決定する。
ライオンや熊が殺され、残すは、象のジョン、トンキー、ワンリー(花子)だけになる。 
象に毒の入った餌を与えるが、象たちは吐き出してしまい、殺すことができない。
毒を注射しようにも、象の硬い皮膚に針も折れてしまう。
そこで、餌や水を与えるのを止め、餓死するのを待つことにする。
象たちは、餌をもらうために、必死に芸をしたりするが、ジョン、ワンリー、トンキーの順に餓死していく。
さて、三頭の死に、飼育員たちは泣き叫ぶわけだが、初出では、心の中で叫ぶのに対して、
絵本版では、死んだ象の上を、敵機が何機も飛んでいて、その敵機に向かって、「戦争をやめろ」と叫んでいる。



もうひとつのかわいそうなゾウの話

以上、絵本では、飼育員たちが「戦争をやめろ」と、東京上空を飛んでいる敵機に、こぶしを振り上げ叫んでいるが、
本当に、大空襲の最中での出来事であったのか? 
関連資料を調べると、象たちが殺された1943年の夏、空襲は、まだ切迫してはいなかった。
確かに、42年に、B25爆撃機による空襲はあったが、まだ小規模な奇襲攻撃にしか過ぎなかった。
B29による東京大空襲は、1944年11月から始まるので、空襲で猛獣たちが逃げ出す心配などなかった
猛獣ならともかく、なぜ、おとなしく芸をして、人気者の象まで殺されなければならなかったのか? 
児童文学評論家の長谷川潮は、土家が、殺処分と空襲の時間的経過を明らかにせず、切迫していないのに殺処分は仕方がないと描き、
そもそも、猛獣処分命令の背後にある、真の意味を描き出すことをせず完結させた、と批判し、戦時猛獣処分をテーマにした、児童文学に潜む問題点を追及した。   

そこで、長谷川潮の『戦争児童文学は真実をつたえてきたか』、野坂昭如の『干からびた象と象使いの話』、および小森厚の『もう一つの上野度物園史』に基づいて、
殺処分命令の背後に、一体何があったのか、時系列的にまとめてみる。
これは、仕方のなかった事件ではなく、戦争推進側の人間の勝手によって引き起こされた、
象にとっても、動物園の人々にとっても、戦況を知らされていなかった国民にとっても、悲劇
である。

1943年、上野動物園園長の古河忠道は、陸軍獣医として応召しており、福田三郎が園長代理を務めていた。
8月16日、福田と古河は、東京都公園課長から、
「戦局が悪化したわけではないが、万一に備え、一ヶ月以内に、ゾウと猛獣類を射殺せよ」と命令を受けた。
しかし、射殺は住民に不安を与えるので、毒殺に変更された。

動物園関係者は、動物の一部でも救えないか、と他の動物園に相談した。
8月23日、仙台の動物園が、ゾウの『トンキー』とヒョウの赤ちゃんを受け取ることになり、田端駅貨物係との打ち合わせも済んだ。

ところが、これを聞いた、東京都長官(今の都知事、当時は任命された内務官僚)が激怒し、中止を命令。
9月1日に、猛獣処分はほぼ完了。
でも、ゾウはまだであった。
3頭は、鋭い嗅覚で、毒殺用の餌を嗅ぎ分け、食べなかった。
そこで、絶食による餓死の処置がとられた。
オスのジョンは、餌と水が絶たれ、17日後に死んだ。

でも、メスの2頭は、なかなか死に至らなかった。
芸をすれば餌がもらえると思い、飼育員の前で、覚えている限りの芸を必死に披露する、健気な姿を見て、さすがに飼育担当係は、内緒で餌を与えていたのだ。
それがばれて、飼料倉庫は施錠され、飼育係が倉庫に近づくことすら禁止されてしまった。

ゾウの殺処分が遅れ、戦時猛獣処分の事実が、公表前に世間に洩れることを恐れた都は、9月2日に、この『時局に鑑みての非常処置』を公表し、9月4日に、動物慰霊碑の前で、慰霊法要を行った。
慰霊碑に近い象舎の周囲に、鯨幕が張られ、中には、まだ生きている2頭のゾウが隠されていたのに……。

慰霊祭の7日後、絶食18日後にワンジーが死に、トンキーは9月23日、絶食30日後に死んだ。



さて、殺処分は、『軍からの命令』と語られているが、都ではまだ、戦争は緊迫していなかった。
米軍による大空襲は、この1年以上先、敗戦色濃厚になった1944年秋のこと。
では、誰がこれを命令したのか?
東京都長官に就任したばかりの、大達茂雄(戦後の文部大臣)である。
古河によると、
都長官になる前、シンガポール市長であった大達は、内地に帰って、勝ち戦と思い、戦争の怖さも知らないでいる国民に自覚させるために、
動物園の動物を処分することで、警告を発したかった
」とのこと。
さらに、
「ゾウなどの疎開も、断固許さなかったのは、東京が、戦争切迫に備え、全国に範を垂れるとしてやった」のである。
つまり、殺処分は、大空襲で猛獣が逃げ出し、住民が危険に晒されるのを避けるために、仕方がなかったことではなく、
国民に覚悟させ、戦争を継続させるための、いわば『精神論』として行われ、そのため、葬式を派手に演出する必要があった


この様に、絵本では、大空襲が先で殺処分が後に続くが、実際は、順序が逆であった
文学では、事実に基づく戦記物でも、虚構の導入は当然である。
だがこの場合、前後の関係が逆転することで、意味合いが全く異なってくる。
土家の絵本をはじめ、空襲が始まって、人間を守るために殺処分された、という視点から書かれた児童文学は、
その決定者たちを人道的に描写し、虐殺指示(加害)の責任を、不問に付す傾向にある

虐殺の命令者は、戦争推進者で、戦争を始めた側だ。
虐殺命令に至る過程を明白にし、その責任を追求し、初めて、本当に戦争に抗議することではないか?
敵機に「戦争やめろ」と叫ぶのは、見当はずれではないか。
  
この絵本の他にも、純真な子どもたちの情緒に訴えようと、被害の視点から、戦争に反対する感動作はある。
特に、動物殺処分は、子どもたちの心を切に捉える。
しかし、前後の入れ替えによって、結果として、加害の責任がぼやかされ、被害(犠牲)の面が前面に出され、圧倒的情念に気圧されると、戦争の本質や真実は、捉えにくくなる
情念自体は結構であるが、論理が議論を生み、熱狂がもたらす暴走を防ぐのに対して、
情念は、議論を封じ、論理の破綻を隠蔽することもあるのを忘れてはならない。
さらに問題なのは、戦後ずっと、本作品を代表的戦争児童文学として、平和教材のひとつとして祭り上げ、神話化してきたことだ。
長谷川は、戦争に至る構造を見抜く批判力が、我々(読み手)に必要である、としている。

だが、現政権肝入りの、教育再生実行会議を中心とする、【美しい日本の歴史】観の下で、構造的に見抜く力は育つのであろうか?
一層難しくなろう。
無垢な幼少期より、被害中心の、悲しいけれど健気で感動的な絵本やビデオに触れて、情操が教育されると、加害の視点が育ちにくくなる。
そんなマインドセットの児童たちが、小・中学校の歴史の授業において、自虐史観はいけないとばかり、加害性、残虐性、強制性等薄められた近現代史を教え込まれると、
加害意識はなくなり、その分、尊大な被害者意識が膨れ上がる危険性もある。
もし、被害妄想から他罰的になり、先制攻撃をすることにもなったら、いつか来た道を辿ることになる
そうならないためにも、教科書のみならず、戦争児童文学の批判的読み直しが、焦眉の急であろう。
絵本は、教科書以上にやりにくいだろう。
たかが絵本、されど絵本なのだ。

小幡詩子:
地域ケアを考える【猫の手会】のソーシャルワーカー。
コメント (8)
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家族とわたし

2013年04月13日 | 家族とわたし
旦那の弟ジムの息子アレックが、ロングアイランドにある大学に行くことに決め、説明会に参加しにアリゾナ州からやってきた。
彼は、その大学の奨学金をもらうことになっていて、優秀生徒用の特別の寮に入ることも決まってる。
サイエンスを勉強するつもりやけれども、多分来年に専攻を決める時に、医者を目指すと言う。
ふむ……ついにうちの親族に医者が登場するかも……。

というわけで、わざわざやって来るジムとアレックに会いに、ペンシルバニアから旦那の両親もやって来て、うちで一緒に食事をしようということになった。
丁度、マンハッタンの会社に面接を受けに来た旦那姉のアードリーも参加して、総勢7人、恭平がもし仕事が早う終ったら8人、皆でワイワイ言いながら会食するはずになってたけど、
アリゾナからの飛行機が、到着のニューアーク空港付近に分厚い雲でおおわれてるってんで、1時間以上も遅れてしもた。
ここらで一番!と評判のエチオピアレストランのテイクアウトが、すでに到着してる。

まず、旦那とアードリーが食べ、旦那は弟と甥を迎えに空港に。
丁度それと入れ違いに到着した両親とわたしが、ワインを飲み飲み食べてるとこに、やっとこさジムとアレックが到着した。

なんやけったいな夕飯になってしもたけど、それでもやっぱり美味しいエチオピアン!!

ちょっと早いけど、誕生日おめでとうと、アードリーが面接帰りに買うてきてくれた花束。


ちょっと早いけど、誕生日おめでとうと、母が焼いて持ってきてくれたバナナケーキ。


よう考えたら、生まれてこのかた、誕生日のケーキを焼いてもろたことがなかった。
初めての、手作りのバースデーケーキ……うれしかった。

もしかしたら、誕生日当日に満開になってくれそうなポンちゃん♪


この時期、このべっぴんのポンちゃんを愛でながら、レッスンができる幸せ。
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彼らが私達に期待しているのは、低賃金労働者、戦場に行く兵士、金を騙し取るためのカモになることだけ

2013年04月13日 | 日本とわたし
いつも読ませていただいているブログ『Peace Philosophy Centre』に掲載されていた、ふたつの記事を紹介させていただきます。

ひとつは、アメリカの医療産業、消費者金融、営利目的で運営される刑務所から、いわゆるデリバティブ金融商品の取引、公的教育の民営化、非正規雇用、兵器や傭兵などの戦争ビジネスまでに至る、
一部の権力者、金持ちの人間や企業による、大いなる詐欺行為と病的なサディズムに覆われた社会の姿が書かれた文章。

もうひとつは、わたしが子どもの頃に読んで、涙を流した絵本『かわいそうなゾウ』の、隠されていた本当の話についてです。

ここアメリカの医療保険については、これまでも何度となく愚痴ってきました。
なんせ高い!
高い上に、契約してる保険会社が指定した病院と医者でないと診てもらえんし、
検査待ちの間に、診てもらえたはずの病院や医者が、他の保険会社とつながったりして、またまた予約をし直さなあかんような事態に陥ったりもします。
なので、病院に行く前に、しつっこく、念には念を入れて、あんたとこ(あるいはあんた)は、この保険でええんよねと確認の電話をかけなあきません。
その面倒なことったら……。
そんなんやから、目と鼻の先に、評判のいい病院があったとしても、そこが自分の契約してる保険会社とつながってなかったら行けません。

ひと月10万円以上もの保険料を払てても、救急車を頼んだら100ドルちょっと払わなあきません。
緊急医療なんて受けようもんなら……とんでもない金額の請求書がきます。
さらに、歯と目は、保険には組み込まれてないので、それぞれ別々に保険に入らなあかんのやけど、それもまたべらぼうに高いので、ほとんどの人は保険無しで治療してもろてます。
虫歯治療に何十万、なんて話は全然珍しいことではありません。

そやし、こちらに来てからは特に、病院に行かんでもええよう、自然に気をつけるようになりました。
ありがたいことに、気をつけてさえいたら、とりあえず無事に生きてこれたのは、ほんまに幸運なことやと思います。
息子らが幼かった頃、おっきな怪我をしてよう救急に飛び込んだもんですけど、こっちであんなことをした日にゃあ、何ヵ月分かの生活費がぶっ飛んでしもたやろと、背筋が冷とうなります。

90才過ぎてから、乳ガンの手術をした旦那のおばあちゃんも、手術後3日目に退院して、痛い痛い言いもって暮らしてました。
大腿骨骨折の後もやっぱり、ほんの3日入院してただけ。
そら、できたら、傷口がちゃんと塞がって、普通に生活していけるだけの力がついてから退院したいけど、一日の医療費と入院費を考えたら、一分でも早う出ていかなと、誰もが思うんです。

それと、これはまあ、特殊な例としてですけど、
うちの旦那は鍼灸師やってまして、そやからどちらかというと、医療保険を使てもらう側の人間でもあるんですね。
で、ネットワークに入ってない鍼灸師でもカバーしますっていう保険会社がたまにあって、そういう患者さんへの施術費の請求は、当然その方が入ってはる保険会社にするわけです。
ところが、請求してもなかなか支払うてくれません。
時間がかかるだけならまだしも、難癖つけて額を減らそうとしたり、請求する住所をコロコロ変えて、請求できんようにしたり、
もうなんちゅうか、あんたら詐欺師かっ!と怒鳴りつけとうなるようなことを平気でします。
そやから、たまに、弁護士に頼んで法的に圧力かけなあかんようなことも出てきます。
保険会社っちゅうのは、ほんまに、煮ても焼いても食えん、というのがぴったりの、どうしようもない団体なわけです。

わたしらは、完全に、食い物にされてしもてます。
この、アメリカがすでに晒してる姿をよう見て、あんなんはかなんなあと少しでも思わはるんやったら、
どうか、どうか、両足踏ん張って、立ち向こてください。
今ならまだ間に合います。
けど、人数が必要です。
集めなあきません。
メディアは人食いの手先です。
絶対に味方にはなりません。
あてになんかしたらあきません。
ひとりひとりが、ひとり放送局にならなあかんのです。

「清教徒の神学者たちが酷たらしく描いた地獄が、もし今も存在しつづけているとしたら、それこそ、彼らの多くが堕ちていく先なのだ、と思いたい」

わたしもほんまにそう思います。


↓以下、転載(その1)はじめ
医療:現代アメリカの残酷 Health Care: The New American Sadism

安倍政権の下、日本はTPP交渉に参加しようとしている。
後発国は交渉力を持たず、脱退の自由すらないということを隠したまま、日本が生き残るには不可避であるかのようにマスコミは宣伝し、その内容を国会にも秘密にして、交渉を進めている
これは、民主主義に対する重大な挑戦であるが、この裏で動いているのは、利益追求を唯一最大の目的にしたグローバル企業であって、
あらゆる分野で、無限の力を企業に与えようとする策略
である。
新自由主義と規制緩和の動きは、アメリカに始まって、小泉政権以後は、明らかに日本をも飲み込みつつあるが、その病的な側面はやはり、アメリカで先に露呈している
もし日本が、TPPに組み込まれたなら、その先に待っている将来、サディズムに覆われた社会の姿が、ここに紹介する文章には暗示されている。
 
これは、2013年3月4日付のタイム誌に掲載された、スティーブン・ブリルの記事「苦い薬:なぜ医療費は私達を殺すのか」(Bitter Pill: Why Medical Bills Are Killing Us)に対する、チャールズ・シミック氏の書評である。
米国で定評のある書評誌 『The New York Review of Books』の、オンライン版ブログとして掲載された。
翻訳・前文:酒井泰幸





Health Care: The New American Sadism

医療:現代アメリカの残酷
チャールズ・シミック

「君子は義に諭り、小人は利に諭る」~論語~
(善人は何が正しいかを理解し、悪人は金儲けを理解する)

スティーブン・ブリルがタイム誌に書いた、「苦い薬:なぜ医療費は私達を殺すのか」という優れた長文の記事を、既にお読みになったかも知れない。
もし、自分には関係ないと思うなら、その考えにあまり自信を持たないことだ。
ブリルは書いている。
胸の痛みで救急外来にかかり、それが消化不良だとわかったものの、その請求額は、大学の1学期分の学費を上回ることがある。
2~3日の入院で受けた簡単な検査が、新車1台よりも高いことがある。
製造原価が3百ドルの薬を、製薬会社は3千~3千5百ドルで病院に売り、それが処方される患者には、1万3千702ドルも請求されることがある。

ブリルは、病院の請求明細書に書かれている法外な金額をつぶさに見て、
個別の診療行為の一つ一つに、同じ診療を別々に受けた場合の、2倍から3倍の値が付けられていることを見つける。
その理由は、患者に理解不可能で、病院も説明できない
そして彼が語るのは、何らかの健康保険に加入しており、銀行にお金があり、大した病気ではかかったにもかかわらず、
短期の入院のあと、困窮生活に転落した人々の、恐ろしくなるような物語
である。

要するに、ブリルが書いているのは、このような請求書から分かるのは、私達の医療制度に、自由市場など無いということであり、
痛みに苦しみ、自分の命に不安を抱えた人は、検査や治療に同意する前に、まず価格表を見せてくれ、などとは言わないものだと知っているから、病院は好き勝手に値段を付ける、ということである。
毎年自己破産を申請する、私達アメリカ人同胞の60パーセントは、医療費が原因であるのも不思議ではない。

もちろん、あなたがもし、メディケア(アメリカ連邦政府が管轄する、高齢者、または障害者向け公的医療保険制度)や、高額の医療保険に加入しているのなら、医療費は安くなる。
というのも、病院は、契約で値引きを義務づけられているし、保険会社自身も、医療行為にずっと安い料金を求めて交渉する力を持っているからである。
しかしもし、保険に入っていないか、入っていても不十分な保険であったなら、あなたは最高額を請求される
どちらにしても、製薬会社、医療機器メーカー、病院、それに検査会社は、利益を得ることが約束されていて、
問題なのは、その額がどれだけ大きいか、ということだけである。
そしてこれこそが、医療から政府を締め出したがっている人々が、声を合わせて叫んでいることなのだ。
彼らは、医療産業をはじめとするあらゆる分野での利益追求から、一切の規制を取り除こうと目論んでいるのだ。

今日、財産の獲得、それも、短期間で大金持ちになることが、人間の営みの中で最高位に置かれる時代にあって、
その野望を達成してもなお、あらゆる救急・急病が、金のなる木に見える人々がいる。
アメリカの医療は、世界中の他のどの先進国より高く付く、というのも無理はない。
他国のほうが、医療費がずっと低いだけでなく、アメリカ人より長生きする
アメリカと違って他の国々では、人が互いに支え合って、基本的な人並みの生活を送ることが最優先の問題であるような状況には、
利益の入り込む余地はない、という特別の考えがあり、このため、救命医療や救急医薬品の価格を規制している。
言い換えれば、他国の人々は、アメリカ人ほど欲深くなく、はるかに人道的なのだ。

これは、耳障りに聞こえるかも知れない。
しかし、ブリルの記事を読めば、メディケアとメディケイド(低所得者向け公的医療保険)を、「市場指向」の医療に置き換えることが絶対に必要だ、というワシントンでの談話の真意だけでなく、
このような変化が、人々に何を強いることになるのかも、理解することができる。
もし、政府による数少ない保護制度を、高齢者や低所得者から奪い取ってしまったら、医療産業や保険会社の思いのままになり、
既に得ている巨万の利益は、ますます膨らむことになる。
彼らの言う、これは財政赤字を削減するという、高邁な理想に向けての提案なのだ、という主張や、政治支配層とマスコミによる諸手を挙げた礼賛とは反対に、
今まさに、アメリカ人に押し付けられようとしているのは、見え透いた偽装を施された、金儲けのための詐欺に他ならないということだ。

昔は、最も腐敗した政治家でさえ、時には、人の心を持っているところを見せたものだ。
それも絶えて久しい。
今では、金が、これまで以上に政治を支配するようになり、公益よりも私腹を肥やすことがいつでも重大事であるような者たちが、二大政党に資金をもたらすようになり、
病人やホームレス、高齢者の窮状を口にすることは、政治生命を捨てるようなものになった。
世論調査によれば、社会で不運をこうむっている人々の、苦しみに対するアメリカ政治支配層の薄情さを、多くの米国民は支持していない
しかし、中には共感する人々もいる。
昨年春に、フロリダ州タンパで開かれた、共和党大統領候補の討論会で、自由主義者で元医師のロン・ポール候補が、
保険に入っていない人が昏睡状態で横たわっているなら、何の努力もせず見殺しにする、と発言した時、聴衆の間に沸き起こった歓声を覚えていてほしいと思う。
これこそが、自由とは何かということです。自己責任です」と彼は言った。
「お互いの境遇を見比べて、お互いに面倒を見なければならないというという考え方自体が…」と言った時、数人の聴衆が「いいぞ!」と叫んで、議員の発言を遮ってしまった。

これが、アメリカにおける、新しいサディズムの姿である。
頼る者のなく弱い人々に、痛みを負わせることを考えると、あふれ出る笑いを隠そうともしない。
この冷酷さこそ、私達の社会が、どのように変貌しつつあるかを象徴している、と私は思う。
医療産業、消費者金融、営利目的で運営される刑務所から、いわゆるデリバティブ金融商品の取引、公的教育の民営化、非正規雇用、兵器や傭兵などの戦争ビジネスまで
進行しつつある、何百という詐欺行為の全てに共通するのは、人を食い物にする、という性質である。

あたかも、それは自分の国のことではなく、どこか財産を略奪するために侵略した国で、後先のことなど考えず、住民から金を巻き上げているかのようである。
この利益追求者たちが、私達に期待しているのは、低賃金労働者、戦場に行く兵士、それに金をだまし取るためのカモになることだけである。
ここに、警察国家ができつつあるとすれば、それは、私達が一夜にしてファシズム信奉者になったからではなく、
人々を一斉検挙して、刑務所に入れれば儲かる、と見る人たちがいるということだと、私は考えている。
ジョナサン・エドワーズなど、清教徒の神学者たちが酷たらしく描いた地獄が、もし今も存在しつづけているとしたら、
それこそ、彼らの多くが堕ちていく先なのだ、と思いたい。

2013年4月2日 午後6:15

チャールズ・シミック(Charles Simic)
詩人、エッセイスト、翻訳家。
約20編の詩集、6冊のエッセイ、1冊の回顧録、数々の翻訳書を出版。
ピューリツァー賞、グリフィン賞、マッカーサー・フェローシップを始め受賞多数。
コメント (2)
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