ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「僕たちが、市民が負けてしまったら、あの福島原発事故は何なんだったんでしょう?」by武藤北斗さん

2013年04月17日 | 日本とわたし


これは、過去30日間の、震央分布図。
こんだけガタガタゆらゆら揺れてて、それも震度が5以上なんていうのもぎょうさんあって、
そんな国土のまわりをぐるりと、冷やし続けてなめちゃくちゃ危険な、熱々の核燃料を貯め込んでる。
そんなアホなことがあるかいな!
なんぼ机の上で、パソコンで、計算しても予想しても、自然の脅威っちゅうのは人間の想定なんかで量れへん。
そんなこと、ちっちゃい子どもでもわかってるわ。

何秒間やったらええやの、何メートルまでなら大丈夫やの、アホちゃうか?
そんなこと、この世でいったいだれが保証できるん?
原発を止めとうないばっかりに、悪党どもらが悪知恵寄せ集めてごねてるけど、
そのぶさいくなこと!みっともないったらありゃせんわ。

今だにまったく目処が立ってない原発事故現場。
作業に関わってくれてはる方々の、健康と生活の保全も保証も蔑ろにされてる。

あちこちの地域で、原発停止、廃炉作業開始の要請署名運動が行われ、その数は増えていくばかり。

けど、なんでこんな危機状態でいる日本の、その危機を招いた張本人らに、お願いしたり頼んだりせなあかんわけ?
即刻止めるのが当たり前やのに、なんで署名やの裁判やので闘わなあかんわけ?

国の地盤が揺れてんねん。
毎日毎日揺れ続いてるねん。
せめて司法ぐらい、まともになれ!

ここに、先日紹介させてもろた武藤北斗さん。


ここに改めて、判決に対する怒りの言葉と、裁判に対する抗議声明を載せさせてもらいます。

↓以下、転載はじめ

「大飯原発運転差止仮処分裁判」のひどい判決内容が、マスコミさえも驚かしました。
きっと、関電や国も驚いている事と思います。
ここまでの不当判決が出ると、かえって原発安全神話がいまだに健在だ、という事を明らかにしたともいえます。

電力会社の暴走を、政府が助け、司法が容認してしまった。
容認どころか、原子力規制委員会の調査が継続中の破砕帯について、「地滑りの可能性が高い」などと勝手に決め付けるなど、暴走している。

判決は、関電の意見そのまま、安全無視の福島原発事故前と同じ姿勢です。

私達原告は、高裁に、即時抗告することを決めました。
判決がくつがえる確率は、少ないと言われています。
しかし、私にとっては、そんなことは問題ありません。
裁判長が変わり、良識ある方が正当に判断を下してくれれば、私達の勝訴は間違いないのですから。

懲りないやつ、世間知らず、それとも、現実を直視できないと言われるのでしょうか。
それでも私は、原発事故前の前例にとらわれず、前を向いて、勝訴を目指して行動したい。
福島原発事故を起こしてしまった私達大人は、二度と事故を起こさないために、自分の信念を貫き、それぞれが考え、行動していかなければならないのです。

私は、高裁の裁判長を応援したいと思います。
審尋の日には、裁判所の前で、生の声で、大きな声で、「一緒に頑張ろう」「がんばれ司法」と、司法への応援をしたいと思います。

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★最後に、記者会見での私の発言と、原告声明をご報告します。★
http://www.ustream.tv/recorded/31531499
(1時間15分経過あたりで発言しております)
写真・動画撮影:IWJ_OSAKA 柏原資亮氏
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原告の武藤北斗です。
初めて裁判の原告になりましたけれど、ほんとに悔しいと言うか、腹立たしいというか、情けないというか、
司法、三権分立っていうのは何なんだと、本当に、心の底から、今は怒りでいっぱいです。

関西電力が勝手に言っている数字や理論を、司法や国がそのまま受け止めるのであれば、だれが電力会社の暴走を止めるんでしょうか?
そこに、きちんとメスを入れてくれるのが司法だ、と僕は信じていました。

でも、見事に裏切られました。

あり得ないぐらいに裏切られました。
読んでいただければわかると思いますが、書面に関しては、いままでのやりとりというのは、
どう考えても関西電力が、苦し紛れの数値や理論を出してきているのは、それは裁判長も、明らかに分かっていました。
だから、求釈明を出したんだと思いました。

求釈明を無視して、こんな判決を書けるなんて言うのは、僕にはとうてい信じられません。
負けるにしても、もっと違う負け方が、想像できるかもしれないですけれど、ここまでひどい判決って言うのは、本当に想像できませんでした。

そう言う意味では、これからいろんな原発の裁判がありますけれど、これから先の裁判長たちは、このひどい判決を是非読んで欲しい、
自分たちの司法が、こんなにひどい判決を出したと言うことを、心に刻んできちんと考えて欲しいと、心の底から今思っています。

これから先、僕たちがどういうふうに手続きをとっていくかは、まだ決まってないですけども、こんなことで僕たちは負けません。
僕たちが、市民が負けてしまったら、あの福島原発事故はなんなんだったんでしょう?
あの事故が起きたときに、原子力村のことを批判して、安全神話を批判してきたのは、なんなんだったんでしょうか?
関西電力のこのままの暴走を、僕は絶対に許せませんし、この判決も絶対に許せません。
これからは、自分の出来ることを一つ一つやっていこうと思いますが、とにかく、今日の判決というのは、残念で仕方ありません。


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声明
大飯原発3・4号機運転差し止め仮処分裁判不当判決糾弾!

大阪地方裁判所は本日(4月16日)、大飯3・4号の運転差止を、却下する判決を下した。
余りにも不当な判決である。
このような判決を出したことに、強い憤りをもって抗議する。
この判決は、福島原発事故の教訓から学ばず、多大な犠牲者の心を踏みにじるものである。

判決は、「現時点では、3連動の地震が起きる可能性があるとして、安全性を検討するのが相当である」と、3連動については認めつつも、
それによる当然の結果については、ことごとく関電の主張を認めた。
現行2連動では、1.88秒の妥当性を肯定し、基準値2.2秒は定めでない、とまで判断した。
さらに、大飯原発敷地内の断層は、「地滑りによる可能性が高いと認められる」と、勝手に決め付けた。

裁判の経過では、裁判長自らが、制御棒挿入性問題に焦点を絞り込み、関電に、文書で求釈明を行ったが、あれはいったい何のためだったのか。
福島原発事故では、制御棒が、規定どおりに挿入されても、あれだけの大惨事になった。
大飯周辺の活断層の3連動評価は、福島原発事故を起こした3.11東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)を踏まえている。
活断層が3連動する巨大地震は、明日にも起こる可能性がある。
判決は、緊急安全対策、ストレステスト、4大臣基準について、「現在の科学技術水準に照らして、合理性を有するというべきである」とまで述べている。
「2.2秒は一応の目安であり、債権者らが主張する許容値には該当しない」と、基準値であることを否定している。

このような不当判決があるだろうか。
私たちは、強い憤りをもって、この不当な判決を糾弾する。
あくまでも、大飯原発3・4号の運転を停止させるために、全国の、同じ憤りをもつ人たちとともに闘い続ける。
まずは、大阪高裁に、即時抗告して闘うものである。

2013年4月16日おおい原発止めよう裁判の会
連絡先:美浜の会気付 大阪市北区西天満4-3-3星光ビル3階

判決要旨 http://www.jca.apc.org/mihama/ooisaiban/hanketsuyoushi_20130416.pdf
判決文 http://www.jca.apc.org/mihama/ooisaiban/hanketsu_20130416.pdf
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ポンちゃんといっしょに

2013年04月17日 | ひとりごと
明日からまた雨。
気温も、最高でも15℃の予報が出てる。
けども、今日は気持ちよう晴れて、もう7時過ぎやというのに空はまだまだ明るうて、気温も20℃♪

こんな日は、やっぱ外でごはん!

ソーセージとワインとポンちゃんと♪


あぁかわいい!


チョ~満開!


ポン♪ポン♪ポン♪ポン♪


今年もほんまにありがとう!


お陽さんも葉っぱも元気いっぱい!


芝桜のこの色だけが戻ってきた……他の方々はいずこに……?


我が家のエイリアン?!


お向かいの屋根が、すっかり出来上がってた?!早過ぎっ!!
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ありがとう、さようなら

2013年04月17日 | ひとりごと
昨日は一日中くもり空。おまけに寒かった。
最低気温は6℃で、今だに湯たんぽ入れな足元がスウスウする。

旦那とわたしはとうとう、長いこと一緒に暮らしてくれた車とお別れすることにした。
今月のはじめ、次男坊恭平が、ガールフレンドとドライブ中に、後ろからゴツンとぶつけられたアウディ。
100%相手の過失が認められ、相手側の損保の査定員がやってきて、3千ドル近くの修理代が送られてくることになった。

このアウディは旦那母のお下がりで、彼女が1999年に購入し、とても気に入って乗っていた。
わたしもたま~に助手席に乗せてもらい、ブレーキを踏んだ後、徐々にスピードが弱まっていく時の、なんとも上品な減速音にうっとりしたりした。
多分そんな日は来んやろけども、いつか自分も、こんなクラスの車を買えるような余裕ができたら……などと妄想しながら。

わたしら家族は、2000年の、わたしの誕生日に、このアメリカに移住しにやって来た。
ほんの1年半だけ、高給取りのサラリーマンをやった旦那は、同時多発テロの直前にクビになり、あれこれ思案した結果、鍼灸師を目指して学生になった。
旦那が、息子らとわたしの3人と家族ごっこを始めたその日から、暮らしはたいてい貧しかった。
貧しさの度合いは、かたつむり並みのゆっくりさで、何年か経ってよう考えてみると少しは……、というふうにマシにはなっていったけど、
ふり返って来た道を眺めてみると、その1年半の、旦那が人が変わったように怒りっぽくなってた時期だけが、お金の心配に明け暮れる必要が無かった唯一の年やった。

再び経済が逼迫し、過敏な年頃やった息子らに、フードスタンプなるものを持たせ、学校のカフェテリアで辛い思いをさせてた頃、
出張レッスンをしにまじめに通ってくる教師、という評判を武器に生徒を集めてたわたしには、車が絶対必要で、そやからというてお金も無く困ってたら、
旦那の友人が、「700ドルで中古を売ったる」と言うてくれて飛びついたフォードは、ガソリンがスルスルと入らんわ、電気系統がいっつもどこか故障するわ、なんとも面倒くさい車やった。
それでも無いよりありがたい、感謝せにゃと、自分に言い聞かせて乗ってたら、とうとう、走ってる最中に突然止まる、という恐ろしい故障が始まった。
もうこれは、乗ってること自体が危ないと思たわたしは、旦那に何度か訴えたけど、お金が無いの一点張りで無視された。

そしてあの日。
急な坂道を上ったとこにある十字路で、左折をしようとした時に、車がまた急に止まってしもた。
視界の端っこに、坂道の上から、当然わたしの車が曲がり切るであろうと予想しながら、普通のスピードで下ってくる車が見えた。
もうあかん!と観念しながら、ぶつかるのが助手席の方で良かったやの、ぶつかった勢いで飛ばされるやろけど、横断歩道に人がおらんで良かったやのと考えた。
おっきなクラクションの音が聞こえ、急ブレーキの音が聞こえ、わたしは渾身の力をこめてハンドルを握った。
目は閉じんかった。
起こることすべてを見とかなあかんと思た。

辛うじてわたしの車にぶつかるのを避けた相手の車は、わたしが左折して入っていこうとしてた道に頭から突っ込んで停止した。
もちろん、車から飛び出してきた運転手は、真っ赤な顔をして怒鳴りこんできた。
事情を知って、わたしにも同情してくれたけど、一歩間違えば大事故につながってた可能性もあるんやからと嗜められた。

いつ止まるかわからんような車を、それを承知で乗ってた自分が恥ずかしゅうて、情けのうて、仕事から戻ってからもずっと落ち込んでた。
旦那に無視されようが、支払うお金が無かろうが、修理に出すか、レッスンを休むか、なんでもっと責任のある行動が取れんかったのかと、自分に腹が立った。
泣きたい気持ちで夕飯の支度をしてた時、偶然、旦那の母から電話がかかってきた。
いつも通りに、「ハイまうみ、元気?」と聞かれ、そこでいきなりわたしの心の線が切れた。
「おかあさん、わたし、今日はもうちょっとで大変なことになるとこやったん」
びっくりして、何事が起こったのかと尋ねる母に、日頃からたまってた鬱憤をドドッと吐き出してしもたわたし……。

どんなに大変でも、どんなに困ってても、「元気?」と聞かれたらにっこりと、「元気ですよ~大丈夫ですよ~」と答える。
それがイッチョマエの大人。
そう旦那から叩き込まれながらこれまでやってきた。
親に心配をかけない。頼らない。文句を言わない。弱みを見せない。
それまで、とんでもなく困ったことは山ほどあったけど、そやから絶対頼らんかった。
ほんまは吐いてしまいたい弱音は、舌の上にてんこ盛りやったけど、それを吐き出さんよう気合いを入れてウソついてきた。

そやけどもう、いったん穴が空いてしもたわたしの不満袋は収集がつかず、しまいには、「わたしはあなたの息子に殺されかけた」とまで言うてしもてた。

びっくり仰天した母は、当時、車の買い替えを考え始めてたこととも重なり、わたしにアウディを譲ってあげると言い出した。
自分も運転中に横から酷く当てられて、運転席側のドアに問題が残ってるけれども、その他はまだ5年しか乗ってないからと。

申し訳なかったけど、もう二度とあんな目には遭いとうなかったわたしは、厚かましくもいただくことにした。

それからの9年間、ほんまに毎日一緒に暮らした。
晴れの日も雨の日も、雪の日もかんかん照りの日も、桜の花びらを乗せ、落ち葉を散らし、いろんな景色を一緒に眺めてきた。
ここ数年は、さすがに故障続きで、いったん故障すると修理代がめちゃ高うて、やっぱりわたしらが乗る車とちゃうな、と痛感させられたけど、
修理から帰ってくるたんびに、またよろしゅうね、がんばろね、と言いながら、車体をポンポン叩いた。


事故相手の損保から、車を処分するならあと500ドル足しますよ、というオファーがあった。
今年に入ってから、車については、ずっと家族で話し合うてきた。
特に、恭平が就職して、自分で自分のことをする、という状況になりつつある今、車の持ち方を考え直す必要がある。
家のローンの借り換え手続きも進行してて、そんなこんなのおっきな変化の風が、我が家の中で吹きまくってる。
息子は息子で自分の車を手に入れる。保険も損保も携帯の使用料も、すべて自分で責任を持つ。
我々夫婦は、ひとまず一台の車で暮らしてみる。

そう決めた。

バイバイ、アウディ。今日までほんまにありがとう。これでお別れや。


満開のポンちゃんも見送った。


お向かえの家では、屋根の大修理が始まった。
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