放射線量の高い被災地に、今だ暮らしている子ども達を、なんとか集団疎開させてあげたいと、必死に頑張ってはる方々がいる。
この運動が、なんで全国規模にならへんのか、それが不思議でならん。
先日、仙台高裁で、再び却下されてしもた、子ども達の未来を守りたいという願い。
その顛末について、きーこさんがまた、大変な量の文字起こしをしてくれはった。
この奇々怪々な判決文を理解しようと、柳原弁護士が格闘しはったのやけど、結局1万5千文字もの字数が必要で、それでもやっぱり意味不明。
弁護士にとっても理解し難い、お経みたいな(←こんなこと言うたらバチ当たる?)、わざと分からんようにしてるんちゃうか、と疑いとうなるような、
判決文を考えた側の人間が、ほんまに意味わかって書いたか?と疑いとうなるような、はっきり言うて、腹立ってくる文なんです。
そやし、そのつもりで読んでください。
ただ、いっちゃん大事なことは、
今回もまた、子どもを避難させる権利、避難を求める権利もなければ、郡山市にも避難させる義務はないっちゅう、なんともえげつない判決が出たのやけど、
その一方で、
このまま郡山市、福島県に子どもたちがいては、児童生徒の生命身体健康について由々しい事態の進行が懸念されると、
はっきりと、被ばくの危険性、健康被害の危険性について明言してん、裁判所が。
これはおっきいことやと思う。
けど、判決文として、ここまで言うてることがチグハグでええんか?
被ばくや健康被害の危険性を認めときながら、うだうだとワケの分からん理屈を並べた挙げ句に、自分で逃げなはれと丸投げする。
引っ越しせなあかんような危険な状況になってしもてるけど、あんたが自主的に逃げたらええことであって、それができんというのはあんたの勝手な我がままやと言う。
結局は、状況がかなり悪いことは重々知ってるんやけども、あっちに責任を取らせるわけにはいかんねん、わてらも世話になってんねん、
そこんとこ、察しておくんなはれ、とでも言いたいんか……。
なんかもう、上げたり下げたり、おちょくるのもええかげんにせえって思う。
こんな判決文、郡山の子どもらが読んだらどない思うやろ。
ほんまに困って、切羽詰まって、必死の思いで訴えてんのに、全国の何パーセントの大人が心を寄せてるんやろ?
何人の大人が、実際に助けようと動いてくれてるんやろ?
何人の大人が、この子たちの苦しみや恐怖を、我が事のように想像してるんやろ?
この国は、ここまで冷たかったか。
この国は、ここまで自分さえよかったら人間の集まりやったか。
助けたろうな。支えたろうな。せめて逃げる権利ぐらい持たせたろうな。
<ふくしま集団疎開裁判>「判決文を読み解く」柳原弁護士の解説4/24(会見書き出し)
動画はこちらです⇒http://www.ustream.tv/recorded/31892201
14:32~
柳原:
今日12時過ぎに、仙台高等裁判所から事務所の方に連絡がありまして、
裁判所の判断、これの判決、ま、決定というんですが、仮処分の事件なので、出ましたので取りに来てほしいという事で、
それでいろいろと手続きをしまして、その後この判決内容を入手して、実は検討に時間がかかりまして、参加に遅れて申し訳ありませんでした。
先ほど、井戸弁護士の方から内容があったかと思うんですが、もう一回私の方から、今日の判決について報告させていただきます。
一言で言って、今回の判決は、私や先程の井戸弁護士も含めて、普通の法律家にとってみたら、狐につままれた様な判決です。
と言いますのは、裁判所の判断の理由が大きく二つ分かれていまして、前半がいわば総論部分です。
福島の、郡山の子どもたちが、どの位被ばくの危険があるかという、一般的な判断で、
後半が、それを踏まえて、今回の申立人の子どもたちが避難する権利があるのか、避難させる義務はあるのかという事の個別の判断ですが、
前半の総論の判断では、さっき言いましたように、
このまま郡山市、福島県に子どもたちがいては、彼らの、児童生徒の生命身体健康について、由々しい事態の進行が懸念されると、
ハッキリと、被ばくの危険性、健康被害の危険性について明言しました。
で、その後、結論に入るところでですね、途端に論調が変わりまして、いろんな理由を付けて、
結局この裁判の当事者は避難させる権利、避難を求める権利もなければ、郡山市にも避難させる義務はないという、
前半の結論とどう結びつくのかが、分からないような結論になっています。
これがどうして、このような結論を導くのかについて、少し してきたところを、これから解説させていただきます。
判決の決定が、お手元に届いたと思うのですが、最初の前半部分は、この事案の概要の部分で、
7ページの終わりから、3行目から裁判所の判断になっていまして、このメインテーマは、8ページの下から5行目。
ここからが、この裁判のメインテーマの判断です。
最初に、裁判所はどういう事を言ったか?と言うと、
福島第一原発によって、どのような被害、被ばくが、この福島に住む子どもたちに及ぼす、一般的な認定を行っています。
で、この認定について、基本的には、私たちの主張を、ほぼ9割9分認定をしております。
具体的には、10ページの真ん中に、2というところがあるんですが
私どもは、今回の事故によって、子どもたちの被害というのは、直ちに被害が起きるようなそういった傾向じゃなくて、
晩発制と言って、ある程度、数年経ってから、初めて被害が発生するような、そういう健康被害について、重大な懸念を持っているんだ、という事を主張していました。
それについて裁判所は、この10ページ2のところで、
詳細に、この晩発制被害の症例に関しての事実認定を、私たちの主張で認定しています。
矢ケ崎さんの意見書を基にした、チェルノブイリ事故との対比。
これを基にして、チェルノブイリ事故で発生した甲状腺の被害について、同じような汚染地域である福島県の、これは郡山市ですが、
同等の被害が発生する、という事を認定しています。
その後、松井英介医師のチェルノブイリの、甲状腺以外のさまざまな疾病に関して、
糖尿病とか心臓病の多発に関する、この、最近ですね、日本でも出版されましたヤブロコフレポート。
チェルノブイリの詳細な医療事故の報告、これを基にした松井英介氏の報告書、これも認定して、
こういった甲状腺以外の沢山の病気、糖尿病、心臓病の多発を指摘する意見もある、という事を認定しています。
さらには、今回の甲状腺の検査の結果を踏まえて、北海道の松崎医師が報告書を出しました、
「福島の児童には、被爆から数年後の、チェルノブイリの高汚染地域の児童に匹敵する頻度で、甲状腺がんが発生して、今後もこの癌が激増する恐れがあるという指摘もある」
ということも認定しています。
で、このような晩発の健康被害が発生するという証拠を認定したうえで、他方で、では実際にですね、福島県の学校の空間線量がどうかという事についても、
私どもが主張した、これは、神戸大学の山内教授が、実際にこちらの原告の子どもたちの学校に行って、詳細に空間線量を測った結果、
年間1ミリシーベルトの基準になるような、毎時0.193マイクロシーベルト以下のところは、その測定、152カ所の測定のうち1カ所しかないということ。
環境省によって汚染の基準とされた、0.23マイクロシーベルトを下回ったところは、9か所にすぎなかったという山内報告書を、ここでもきちんと取り上げて認定しています。
空間線量においても、郡山に住む子どもたちは、
年間1ミリシーベルトを遥かに上回る、高い線量のところに暮らしているという事を、裁判所は認定しています。
他方で、郡山市がこの間ずっと主張してきた、校庭の表土除去、校庭での除染作業において、十分な成果が上がっているという主張に対して、こういうふうに認定しています。
一定の成果をあげている事は認めるけれども、いまだ十分な、これは11ページの下から10行目です。
いまだ十分な成果が得られるとは言えないのであるが、その主要な理由の一つとして、校庭外から飛散するガンマ線の影響が表れていると。
山内教授の指摘をいいます。
ガンマ線は、100m以上離れたところから飛来するため、放射線量を下げるためには、半径数100mの地域一帯を除染しなければならない、とされており、
学校周辺、すなわち地域全体の除染を実施しなければ、学校内の放射線量も下がらないか、
除染により放射線量ゼロのためには、屋根瓦や、側溝のコンクリート道のアスファルトなどにこびりついたセシウムは、高圧洗浄によっても除去出来ないため、
屋根のかわらや、アスファルトや、コンクリートを剥がしての工事のやり直しを要するが、ガンマ線の被害を考えると、地域ぐるみの除染が必要であり、
しかも除染は、一回では不十分で、何回もする必要があるという事がされている一方、
除染による汚染土の仮置き場が見つからないため、やむなくこれを、その地域内に置いている(学校内においては校庭の一面に埋めてある)。
こうした仮置き場が容易に見つからない事が、除染の作業が進まない直接な理由とされていると。
このように、除染を理由に、子どもたちの安全を主張する郡山市には、除染の、むしろ限界、様々な未達成の理由について、裁判所は詳細に認定しています。
このような、実際に、チェルノブイリ事故と対比をして被害を認定し、
なおかつ、山内神戸大学教授の測定した、実際の子どもたちの学校の空間線量の高い値を認定し、
なおかつ、郡山市が実施している除染の成果が表れない理由についても、詳細に認定したうえで、
このように結んでいます。
12ページの終わりから6行目。
以上の事実によれば、郡山市に対して、抗告人が通っている学校は、強線量ではないが、低線量の放射線に破断なくさらされていると認められることから、
そうした低線量の放射能に、長期間にわたり継続的にさらされることによって、その抗告人の子どもたちの、生命身体健康に対する被害の発生が危惧されるところであり、
チェルノブイリ原発事故に、一同に発症されたとされる被害状況にかんがみれば、
福島第一原発付近一帯で生活居住する人々、とりわけ児童生徒の生命身体健康について、由々しい事態の進行が懸念されるところである。
このようにハッキリと、今回の原発事故によって、子どもたちの生命身体健康について、由々しい事態の進行が懸念されると、きちんと認定しています。
私どもは、ここまで認定したのは、実は、一審の郡山支部では、こういった認定は全くしておらず、
「100ミリシーベルト以上でなければ、健康に被害の証明はない」といった、例の100ミリシーベルト問題を取り上げて、今回の被害の問題を蹴ったわけですけれども、
それに対して、今回の高等裁判所の認定は、このようにハッキリと、子どもたちの生命身体健康についての、由々しき事態の進行が懸念される、と認定しました。
そこまで読んだところで、私どもは、もうここまで行くと、次のだいたい展開が読めるんですが、さらにこういう展開になっています。
もっとこれを、裁判所は、実は、厳しい目で把握しています。
こう言っています。
放射性物質により汚染された土壌などを除染するため、相手方郡山市などの地方公共団体をはじめとする、各地方団体や法人などが、
今まで、土壌の入れ替えや表土のはく離などに取り組み、多くの費用と様々な努力が傾注された結果、一定の除染の成果をあげるに至ったとはいえ、
なお広範囲にわたる拡散した放射性物質を、直ちに人体に無害とし、あるいはこれを完全に封じ込めるというような科学技術が、いまだ開発されるに至っていない事は公知の事実であり、
またその大量に発生した汚染物質や、これを含む土壌などの保管を受け入れる先が乏しいこともあって、これを付近の仮置き場に保管するほかないまま経過していることから、
今なお郡山市の管轄行政区域内にある各地域においては、放射性物質が放出される放射線の被ばくの危険から、容易に開放されない状態にあることは、長期認定の事実により明らかである
こういうふうに言いまして、郡山市では、除染の技術はまだ完全に解されていないし、除染によって発生した土壌等を保管する場所の問題も解決されていないために、
引き続き郡山市に の放射性物質から排出される放射能による被ばくの危険から、容易に解放されない、極めて危険な状態である事が認定できると、裁判所は言っています。
これはさらに、郡山市の危険性を駄目押しで、健康被害の問題だけじゃなくて、除染の限界についても、こういう厳しい認定をしています。
で、ここまで認定したうえで、普通であれば、子供たちの避難の問題にいくんですが、
ここからが、実は私どもが首をかしげる、キツネにつままれる様なロジックの展開がここから始まります。
そのまま読み上げます。
もっとも、郡山市の管轄行政区域においては、特に強線量の放射線被ばくの恐れがあるとされているわけでも、また、避難区域等として指定されているわけでもなく、
いまなお多くの児童生徒を含む市民が、居住し生活しているところであって、
上記認定にかかる相手方(郡山市)の、管轄行政区域における空間線量率を見る限り、そこで居住生活をする事により、
その居住者の年齢や健康状態などの身体状況による差異があるとしても、この生命身体健康に対しては、放射線被害のしきいちはないとの指摘もあり、
中長期的には懸念が残るものの、現在直ちに、不可逆的な悪影響を及ぼす恐れがあるとまでは、証拠上認め難いところである。
これは先程、井戸弁護士や小出さんが、子どもたちの生命や健康に対して、由々しい事態が進行が懸念されると言っておきながら、
一転して今度は、子どもたちの生命身体健康に対しては、現在直ちに、不可逆的な悪影響を及ぼす恐れがあるとまでは、証拠上認め難いところであるというふうな、
キツネにつままれる様な認定をここでしています。
でその後、次は14ページなんですが、ここもちっともロジックが分かりません。
そのまま読ませていただきます。
14ページ1行目。
このように、福島第一原発から流出した放射性物質から放出される低線量の放射線は、抗告人が現に居住し生活する空間に、あまねく存在しているのであって、
抗告人が現住所に居住して生活し、そこから相手方(郡山市)の設置する、抗告人の中学校に登校する限りは、
その通学する学校外においても、日夜間断なく、相当の量の放射線にさらされている事になる。
ま、これは正しい事実です。
子どもたちは、学校だけではなくて、学校外のその居住地域において、昼夜間断なく24時間、相当量の放射線に当たっています。
実際上、上記認定の郡山市の管轄行政区域における空間線量率もですね、ここで数値をあげています。
平成24年の2月から25年の2月の3回の測定値を見ても、
抗告人が平均被ばく量の上限とする、0.193マイクロシーベルト毎時の倍以上である、0.41マイクロシーベルト毎時以上に達するものであるということで、数値も非常に高いと。
で、この数値を前提とする限り、抗告人が通う中学校において、学校生活を送ると考える8時間を除外した、その後の16時間の、学校外での空間生活での生活をした場合、
被ばくするものと算定される1年間の積算追加放射線量は、抗告人が主張する1ミリシーベルトを、3割以上の超過すると。
ようするに、1.3ミリシーベルト以上の被ばくを、この抗告人は、学校と学校が居合わせたところで、年間で被ばくするんだという事を、裁判所は認定しています。
すなわち抗告人は、郡山市に引き続き居住する限りは、郡山市が設置する学校施設以外の生活空間において、
すでに抗告人が、生命身体健康に対する被害を回避し得る上限値として使用する、年間積算被ばく量、これは年間1ミリシーベルトを超える量の放射線を被ばくすることは、避けられない事になると。
従って、学校生活において被ばく量の多寡(たか)に関わらず、その主張する被害を避ける事が出来ない計算になると。
そしてここにおいて、現在、学校施設外での被ばく量を減少させる事が出来るような施設設備のもとで、日常生活を送ったり、あるいは、送る事が出来る状況にあるとの、特別な事情も認める事が出来ない。
そうしてみると、ここからが結論ですね。
抗告人が、引き続き郡山市に定住する限りは、それを主張するような、教育活動の差し止めを求めてみても、
抗告人が、被ばく線量の年間積算量の上限と称する量(1ミリシーベルト)を超える空間線量の被ばくを、回避するという目的は達成することはできず、
その回避のためには、そうした空間線量率以下の地域に居住するほか、通常取り得る手段はなく、
そうであれば、年間の積算空間線量の被曝回避を目的とする、抗告人主張の差し止め請求権などの発生を、認める余地はない。
というのが裁判所の結論です。
これを読んで、直ちに理解することが出来る人は、天才か常人ではないと思われます。
実は、私ども弁護団も、これが何を言っているのかさっぱり分からず、先ほども井戸さんが解説していたと思いますが、
彼が分からなければ、他の人間でも分からないと思ってもいい位というのが、ちんぷんかんぷんのロジックです。
どうもその…私が思うには、
この、今の郡山市の事態は、学校内における1年間の被ばく量と、学校外におけるその子どもが通う環境での1年間の被ばく量を合計すると、
もう悠に1ミリシーベルトを超えると。
したがって、このような場所にいる以上は、「年間1ミリシーベルト以下で教育をせよ」という事を、実現することは不可能であると。
「不可能であるから私たちは避難させろ」と言っているのだけども、
「不可能であるからそういうことを求める権利はない」というふうに裁判所は結論付けたんですね。
そこがどうしても理解できないんですが、ただ、裁判所の結論は、そういうロジックです。
もうここはとても人が住めるような環境じゃないから、ここで住むような事を求める、
「ここで住んで、教育するような事を求める権利はない」というような事を言っているように思います。
ただ、まァ、それでバッサリ切るんだと、裁判所は本当に無茶苦茶なんですが、後半でですね、もう一回、私どもが、実は主張した問題にも一応答えています。
私どもは、裁判所がそういうような言い逃れをしてくることは想定して、
年間1ミリシーベルト以下の安全な場所で、それは郡山市に限らないで、外でもいいから、そこに避難して教育せよという要求もしているので、
それについて次の15ページの(5)のところで、この問題についても一応、裁判所は回答しています。
これは、ある意味では、ここが本命です。
私どもは、郡山市内で教育を工夫してやれ、なんていうことはもう不可能ですので、そういう主張をするつもりなんてなくて、
「郡山市外の安全な場所で教育をしろ」ということを決めているんで、それに対する回答がここです。
こういうふうに裁判所は言っています。
次に、抗告人は、一定の空間線量率以外の、これは1ミリシーベルト以下の学校施設における、教育活動の実現を請求する。
と言っています。
これについて検討したものが、ここです。
上記(4)で説時したところによれば、
抗告人が、現に居住している、自宅周辺を含む郡山市の管轄行政区域においては、あまねく放射性物質による放射線被ばくが避けられないのであって、
抗告人が主張するような、年間1ミリシーベルト以下という積算空間線量率の環境が確保されるような、学校生活を含めた生活を送るとなると、
抗告人は、自宅を離れた地に転居して、ようするに、郡山市外の場所に転居して、教育活動を受けることは避けることができない。
ま、これはまともな事を言っています。
「抗告人はそうした前提で、上記請求をするようであるが」と。
ま、これも一応行わせ、え、そんな回りくどい事は、「しろ」と言っているんですが、
するようであるが、
他方で、郡山市は、現にその設置する抗告人の中学校で、多数の生徒に教育活動を行っているものであるところ、現に、その学校施設の教育を受けている生徒がそこにおり、
その教育活動を継続する事が、直ちに、その生徒の生命身体健康の安全を侵害する危険があるとまでは、認め得る証拠がないから、
ということで、
郡山市は、現在の学校施設での教育活動を継続する事が、直ちに不当であると言うべき物ではない。
という事を、結論として導いています。
ここが全く分からないんですが、さっき12ページの終わりから13ページのところで、
「福島第一原発付近一帯に居住する人と、とりわけ児童生徒の生命身体健康について由々しい事態の進行を懸念するところである」という事を決めておきながら、
郡山市の現在の学校施設の教育活動を継続することは、
「彼らの生命身体の安全を侵害するほどの危険があるとまでは認め得る証拠もない」という事です。
先ほどの、12ページの1行目で主張している事と、15ページのところがどういう関係になるのか?
小出さんがおっしゃったように、この各論がどう繋がるのか、どう関係あるのかというのが、全く理解が出来ません。
関連性が書いてありません。
で、さらに、16ページでこう言っています。
ところで、抗告人が転居する地域、転校する地域に、郡山市は学校施設を開設して、そこで教育活動を施すという事は、
現に、抗告人が被っている放射線被害から、開放される一つの選択肢であろうけれども
これは認定しています。
抗告人が今被っている、放射線被害から解放される選択肢の一つとして、郡山市が、別の安全な地域に学校の施設を開設して、
そこで教育活動を施す事はひとつの選択肢である、という事を、裁判所は、ある意味初めて、認定しました。
ただしその後がこういう展開になっています
そうした転居先の地での教育は、その地における教育機関によって行われることが原則であり、
遠隔地での公的教育機関が、わざわざ地元の公的機関を差し置いてまで、別の学校施設を開設する必要があるとはいえない。
これは、原則は分かるんですが、私どもは常々、
「今は原則は言っている場合ではない」と、「非常時である」と。
「前代未聞の非常時に対して、どういうふうに決断すべきか」という事を求めているんですが、それについては全く触れていません。
その上で、転居する場合には、転居先での公的教育機関による教育を受けることで、その目的を充分に達する事が出来るはずである。
これは、自主避難という事を前提にした議論です。
なぜなら、「転居先の公的教育機関による教育を受ける」という事は、「子どもたちが自分で自主避難して転校しろ」という意味です。
しかし私どもは、
「郡山市が自ら、子どもたちを安全な所で教育する義務を果たせ。そのために、具体的に、安全な場所で学校施設を開設して、そこで教育活動を施せ」と言っているんだけれども、
その問題に対して答えないで、
「転校するんだったら、転校先の公的教育機関に教育を受けることで、目的は十分に達成できる」と。
まるで郡山市が、転居先の教育機関に転校するかのような議論をしていますが、これはあくまでも、子どもが自主避難する事を前提にした議論であり、全くかみ合っていません。
で、これについて、さらにこう言っています。
抗告人は、この点について、同窓の友人らをはじめとする教育環境を従事するべきであるとして、個人での自主転居(自主避難)に否定的な意見を述べるが、
本件は、抗告人が、現地(郡山地裁)に一貫して主張し、抗告理由においても強調するように、
郡山市の管轄行政区域にいる、全ての児童生徒に対する教育活動に関する請求ではなく、あくまでも抗告人個人の放射線被ばくを回避するため、
その人格権ないし、安全配慮義務の履行請求権に基づく、抗告人個人の請求なのであるから、他の生徒の動向については、当然にこれを斟酌すべき物ではない。
としても、就学希望者や、その収容能力その他の関係上、希望者全員が、同一の施設で教育を受ける事が出来るとは限らないはずであり、
教育上の配慮の要請があると入っても、各個別の対応を取る事さえあり得よう。
これもなんかお経のようで、ほとんど念仏を唱えているようで、え…、わたくしどもは理解が出来ません。
一応続けます。
したがって、何がしたがってか分かりませんが、
抗告人が主張するような集団疎開は、抗告人が主張するような被ばく被害を回避する一つの抜本的方策として、教育行政上、考慮すべき選択肢ではあろう。
こういう認定はしています。
なんか上げたり下げたりなんですが、ここでは初めて裁判所がこういうふうに、私どもが直接裁判の目的ではないんだけど、裁判の暴論としてですね、
集団疎開というものが、抗告人をはじめとする、同じような危険な環境におかれている福島県の多くの子どもたちの、
被ばく被害を回避するための抜本的な方向性だ、という事を主張してきましたが
これを裁判所が自ら
「一つの抜本的な方策の一つとして、教育上考慮すべき選択肢である」ということは認めました。
しかし、ここからまた、「けれども」というふうに文書が続きます。
けれども、もとより、抗告人個人の請求件に係る、本件請求に関する判断の対象外というべきものである
ということで、
「この問題は、個人については、集団避難という事を考慮することはできない」と言っています。
ここに関しては、ちょっとひとこと言わせていただきたい。
実は、「抗告人は何故自主避難しないのか?」について、裁判所から質問がありまして、それに対する回答をした中で、
ようするに、自主避難というのは、お金の問題、経済的な理由の問題も大きいけれども、
友人の問題。
やっぱり自分ひとりだけでですね、仲間を置いて逃げることはできないんだと、同じ様な危険にいて同じような思いをしている子どもたち、仲間と一緒に逃げたいと。
それが実現できるようでなければ、自分は自主避難できないと。
それはあくまでも、自分だけ逃げる事が出来ない事が、困難であることを説明にいったんです。
ところが、裁判所はそういうことをですね、自主避難が困難であるという事を認めるんじゃなくて、
他の友達のですね、他の人間の事を配慮して、この問題を議論してはいけないみたいな事を言うんですね。
私どもはなにも、他の人間も一緒に避難できるようにしろ、という要求をしているんじゃなくて、
ここでその問題になっている、抗告人が、この子どもが、
「なんで自分で逃げられないんですか?」と裁判所に聞かれたんで、
自分はこういう友達関係が非常に大事だから、自主避難する事が出来ないんですよという事、
その、自主避難が困難な理由をいろいろと説明したにもかかわらず、
裁判所はそれを正面から受け止めて、「だから自主避難は困難である」という認定をするんだったらわかるんですけれども、
他の子どもの事を言いだすようなことは、この裁判の問題からは外れる、というような事をですね、言って、
無理やり、他の子どもの事を考える事を、この裁判の事実認定から外すんじゃないかという事は、
この抗告人が自主避難できない理由についての判断を、正面から取り上げるという事はしませんでした。
これは非常におかしな、チンプンカンプンじゃなくて、不当な判断だと思います。
その上でこういうふうに裁判所は結論にもっていきます。
16ページの下から4行目です。
このように、抗告人の主張するような放射線被害を回避するためには、現居住から転居して、郡山市の管轄行政区域外に居住する事を前提とするほかはなく、
その場合には、その転居先での公的教育機関が開設置した学校施設で、学校教育を受けることに何らの妨げもない以上は、
これはもう、「自主避難をすればいいんだ」という議論ですね。
抗告人の人格権に基づく妨害排除請求として、郡山市の管轄行政区域外の地で、相手方に学校教育を行う事を求めることはできず、
ようするに、郡山市以外の地で、郡山市に学校教育を求めることはできないんだと。
相手方(郡山市)は、その管轄行政区域外に移住する事になるものに対する関係で、引き続き教育活動の実施をすべき安全配慮義務を負うものではない
という事を言う訳です。
なぜ、この郡山市がですね、市内で教育する事が危険な時に、市外に、安全な所に行って教育することが、そういう義務がないのか?
その安全配慮義務がないと言っているんですけれども、その理由に関しては、全く書いてありません。
というふうに私は思うんです。
結論としては、郡山市は、郡山市の市内がもう危険であって、
その中で教育すると、子どもたちの生命身体健康に対する、由々しき事態が危惧されるという事を言っておきながら、
それをですね、郡山市外の場所で教育をするような、そのような安全配慮義務がないんだというふうに裁判所は認定して、こちらの主張を退けました。
さらに、これは保全の必要性と言いまして、今回は、本来の裁判と違って、仮処分と言ってですね、緊急の救済を求める裁判なので、
その場合には、緊急の救済を求める必要性について、一応証明をする必要があります。
一般的には、生命身体の健康に関する危害が認められる場合には、もうこれは緊急にですね、この生命身体を守る必要があるので、
わざわざそれ以上仮処分の必要性を議論する必要はないんですが、今回これについて、裁判所は次のように言っています。
17ページの(6)です。
上記(4)(5)のとおり、
抗告人が主張するような被ばくを逃れる環境の下で教育を受けるためには、郡山市が、管轄行政区域外に学校施設を設ける場合を含め、転居する以外には他に方策がない
ということ。
これを、裁判所は認めた訳ですね。
この「安全な環境で教育をするためには、郡山市は市外に出て教育するしかないんだけども」、
証拠によればですね、
今回の抗告人の父親は、抗告人の居住地(郡山市)から通勤する事が出来ないような地に単身赴任をしており、
東北地方太平洋沖地震直後には、抗告人の家族も、父親方に避難することを検討したが、
抗告人が、友人と離れて生活することを嫌がったことなどもあり、実現には至らなかった事が認められる。
そうであれば、抗告人が、郡山市の管轄行政区域外(郡山市外のですね)安全な地に転居して、被ばくを逃れる環境で教育を受けることには、大きな支障があるとはいえず、
これを困難とすべき事情は、証拠上認める事が出来ない。
ま、簡単に言えば、自主避難しようと思えば容易にできるんだと。
従って、この子がですね、「自主避難できない」と言っているのは、理由はないんだと。
ようするに、簡単に言えば、勝手なわがままを言っているににすぎないという、そういう理屈で蹴っています。
さらに結論として、
そうしてみると、抗告人について、その人格権、ないし安全配慮義務の履行請求件に基づいて、教育活動を差し止めてみても
その主張する権利の保全(仮処分のですね)につながるものとは言えず、また、抗告人の主張する、被ばくを回避するためには転居するほかないが、
これは認めているんですね。
「被ばくを回避するためには郡山市にいてはいけない」と、転居するしかないんだけれども、ただし、
転居する事については、抗告人には格別の支障があるとは認められないんだと。
ようするに、簡単に自主避難できるんだと。
しかも、転居先の公的教育機関による教育を受ける事にも、特別に妨げもないはずであるから、
抗告人の主張するような、抗告人に生ずる、著しい損害や危機をもたらすような被ばくを避けるために、抗告人が求める仮処分を出す必要性があるとは認めることはできない
ようするに、自主避難すれば、この子は容易にですね、郡山市から安全な場所に逃げられるんだから、
この裁判で仮処分で救済を求める必要性はないという、以上から、細かい処分というのが認められない、というのが裁判所の結論です。
53:40
二回目なんですが、一回目よりは少しは、中身が理解できたんですが、まだ半分ぐらいチンプンカンプンな判決でよく分かりません。
ただ裁判所は、今年1月22日に、3回の裁判の最終に審議を終えまして、当初私どもは、数週間で結論が出ると思っていました。
2月の終わりか3月の初めには、もう結論は出ると思っていたんですが、それがここまで、さらに二カ月近く、この判断が出るのが延びたというのは、
おそらく裁判所の中で、どういう判断を下すか、喧々諤々の議論があったものだと思われます。
その喧々諤々の議論が、私の率直な感想としては、十分に整理整頓されないまま、放り出されたままですね、
なんか、矛盾したものが平気でというか、並行したまま、判決の中にぶち込まれているという印象を受けます。
簡単に言うと、前半の判決を書いた裁判官と、後半の判決を書いた裁判官が別人間で、ひょっとしたら二人は、全く逆の結論を持っていたんじゃないかと。
前半の裁判官は、子どもを被曝させるという事で、由々しい事態だという事を認定し、
後半の裁判官は、とは言っても、やっぱり子供を避難させるのはいろいろと問題があるよね、ということで、
結論としては、子どもたちを避難させないという結論を打ち出して、したがって、前半と後半では支離滅裂というか、脈略がどうしてもつかめない形になってて、
おそらく、その前半と後半をつなげるために、裁判官で議論をしたんでしょうけれども、
裁判所で、このように判断が割れた理由は、
私どもでこの疎開裁判に期待をかける、子どもを守って欲しいという、その声が非常に大きなものになってきていると、
それにかける思いを、裁判所は真摯に受け止めざるを得なくて、それでここまで厳しい判断を。
内容が、ある意味では、期待をする判断も入っていたように思われます。
~57:00
仙台高等裁判所による判決文(PDF)
http://www.ourplanet-tv.org/files/20130424sokai.pdf
この運動が、なんで全国規模にならへんのか、それが不思議でならん。
先日、仙台高裁で、再び却下されてしもた、子ども達の未来を守りたいという願い。
その顛末について、きーこさんがまた、大変な量の文字起こしをしてくれはった。
この奇々怪々な判決文を理解しようと、柳原弁護士が格闘しはったのやけど、結局1万5千文字もの字数が必要で、それでもやっぱり意味不明。
弁護士にとっても理解し難い、お経みたいな(←こんなこと言うたらバチ当たる?)、わざと分からんようにしてるんちゃうか、と疑いとうなるような、
判決文を考えた側の人間が、ほんまに意味わかって書いたか?と疑いとうなるような、はっきり言うて、腹立ってくる文なんです。
そやし、そのつもりで読んでください。
ただ、いっちゃん大事なことは、
今回もまた、子どもを避難させる権利、避難を求める権利もなければ、郡山市にも避難させる義務はないっちゅう、なんともえげつない判決が出たのやけど、
その一方で、
このまま郡山市、福島県に子どもたちがいては、児童生徒の生命身体健康について由々しい事態の進行が懸念されると、
はっきりと、被ばくの危険性、健康被害の危険性について明言してん、裁判所が。
これはおっきいことやと思う。
けど、判決文として、ここまで言うてることがチグハグでええんか?
被ばくや健康被害の危険性を認めときながら、うだうだとワケの分からん理屈を並べた挙げ句に、自分で逃げなはれと丸投げする。
引っ越しせなあかんような危険な状況になってしもてるけど、あんたが自主的に逃げたらええことであって、それができんというのはあんたの勝手な我がままやと言う。
結局は、状況がかなり悪いことは重々知ってるんやけども、あっちに責任を取らせるわけにはいかんねん、わてらも世話になってんねん、
そこんとこ、察しておくんなはれ、とでも言いたいんか……。
なんかもう、上げたり下げたり、おちょくるのもええかげんにせえって思う。
こんな判決文、郡山の子どもらが読んだらどない思うやろ。
ほんまに困って、切羽詰まって、必死の思いで訴えてんのに、全国の何パーセントの大人が心を寄せてるんやろ?
何人の大人が、実際に助けようと動いてくれてるんやろ?
何人の大人が、この子たちの苦しみや恐怖を、我が事のように想像してるんやろ?
この国は、ここまで冷たかったか。
この国は、ここまで自分さえよかったら人間の集まりやったか。
助けたろうな。支えたろうな。せめて逃げる権利ぐらい持たせたろうな。
<ふくしま集団疎開裁判>「判決文を読み解く」柳原弁護士の解説4/24(会見書き出し)
動画はこちらです⇒http://www.ustream.tv/recorded/31892201
14:32~
柳原:
今日12時過ぎに、仙台高等裁判所から事務所の方に連絡がありまして、
裁判所の判断、これの判決、ま、決定というんですが、仮処分の事件なので、出ましたので取りに来てほしいという事で、
それでいろいろと手続きをしまして、その後この判決内容を入手して、実は検討に時間がかかりまして、参加に遅れて申し訳ありませんでした。
先ほど、井戸弁護士の方から内容があったかと思うんですが、もう一回私の方から、今日の判決について報告させていただきます。
一言で言って、今回の判決は、私や先程の井戸弁護士も含めて、普通の法律家にとってみたら、狐につままれた様な判決です。
と言いますのは、裁判所の判断の理由が大きく二つ分かれていまして、前半がいわば総論部分です。
福島の、郡山の子どもたちが、どの位被ばくの危険があるかという、一般的な判断で、
後半が、それを踏まえて、今回の申立人の子どもたちが避難する権利があるのか、避難させる義務はあるのかという事の個別の判断ですが、
前半の総論の判断では、さっき言いましたように、
このまま郡山市、福島県に子どもたちがいては、彼らの、児童生徒の生命身体健康について、由々しい事態の進行が懸念されると、
ハッキリと、被ばくの危険性、健康被害の危険性について明言しました。
で、その後、結論に入るところでですね、途端に論調が変わりまして、いろんな理由を付けて、
結局この裁判の当事者は避難させる権利、避難を求める権利もなければ、郡山市にも避難させる義務はないという、
前半の結論とどう結びつくのかが、分からないような結論になっています。
これがどうして、このような結論を導くのかについて、少し してきたところを、これから解説させていただきます。
判決の決定が、お手元に届いたと思うのですが、最初の前半部分は、この事案の概要の部分で、
7ページの終わりから、3行目から裁判所の判断になっていまして、このメインテーマは、8ページの下から5行目。
ここからが、この裁判のメインテーマの判断です。
最初に、裁判所はどういう事を言ったか?と言うと、
福島第一原発によって、どのような被害、被ばくが、この福島に住む子どもたちに及ぼす、一般的な認定を行っています。
で、この認定について、基本的には、私たちの主張を、ほぼ9割9分認定をしております。
具体的には、10ページの真ん中に、2というところがあるんですが
私どもは、今回の事故によって、子どもたちの被害というのは、直ちに被害が起きるようなそういった傾向じゃなくて、
晩発制と言って、ある程度、数年経ってから、初めて被害が発生するような、そういう健康被害について、重大な懸念を持っているんだ、という事を主張していました。
それについて裁判所は、この10ページ2のところで、
詳細に、この晩発制被害の症例に関しての事実認定を、私たちの主張で認定しています。
矢ケ崎さんの意見書を基にした、チェルノブイリ事故との対比。
これを基にして、チェルノブイリ事故で発生した甲状腺の被害について、同じような汚染地域である福島県の、これは郡山市ですが、
同等の被害が発生する、という事を認定しています。
その後、松井英介医師のチェルノブイリの、甲状腺以外のさまざまな疾病に関して、
糖尿病とか心臓病の多発に関する、この、最近ですね、日本でも出版されましたヤブロコフレポート。
チェルノブイリの詳細な医療事故の報告、これを基にした松井英介氏の報告書、これも認定して、
こういった甲状腺以外の沢山の病気、糖尿病、心臓病の多発を指摘する意見もある、という事を認定しています。
さらには、今回の甲状腺の検査の結果を踏まえて、北海道の松崎医師が報告書を出しました、
「福島の児童には、被爆から数年後の、チェルノブイリの高汚染地域の児童に匹敵する頻度で、甲状腺がんが発生して、今後もこの癌が激増する恐れがあるという指摘もある」
ということも認定しています。
で、このような晩発の健康被害が発生するという証拠を認定したうえで、他方で、では実際にですね、福島県の学校の空間線量がどうかという事についても、
私どもが主張した、これは、神戸大学の山内教授が、実際にこちらの原告の子どもたちの学校に行って、詳細に空間線量を測った結果、
年間1ミリシーベルトの基準になるような、毎時0.193マイクロシーベルト以下のところは、その測定、152カ所の測定のうち1カ所しかないということ。
環境省によって汚染の基準とされた、0.23マイクロシーベルトを下回ったところは、9か所にすぎなかったという山内報告書を、ここでもきちんと取り上げて認定しています。
空間線量においても、郡山に住む子どもたちは、
年間1ミリシーベルトを遥かに上回る、高い線量のところに暮らしているという事を、裁判所は認定しています。
他方で、郡山市がこの間ずっと主張してきた、校庭の表土除去、校庭での除染作業において、十分な成果が上がっているという主張に対して、こういうふうに認定しています。
一定の成果をあげている事は認めるけれども、いまだ十分な、これは11ページの下から10行目です。
いまだ十分な成果が得られるとは言えないのであるが、その主要な理由の一つとして、校庭外から飛散するガンマ線の影響が表れていると。
山内教授の指摘をいいます。
ガンマ線は、100m以上離れたところから飛来するため、放射線量を下げるためには、半径数100mの地域一帯を除染しなければならない、とされており、
学校周辺、すなわち地域全体の除染を実施しなければ、学校内の放射線量も下がらないか、
除染により放射線量ゼロのためには、屋根瓦や、側溝のコンクリート道のアスファルトなどにこびりついたセシウムは、高圧洗浄によっても除去出来ないため、
屋根のかわらや、アスファルトや、コンクリートを剥がしての工事のやり直しを要するが、ガンマ線の被害を考えると、地域ぐるみの除染が必要であり、
しかも除染は、一回では不十分で、何回もする必要があるという事がされている一方、
除染による汚染土の仮置き場が見つからないため、やむなくこれを、その地域内に置いている(学校内においては校庭の一面に埋めてある)。
こうした仮置き場が容易に見つからない事が、除染の作業が進まない直接な理由とされていると。
このように、除染を理由に、子どもたちの安全を主張する郡山市には、除染の、むしろ限界、様々な未達成の理由について、裁判所は詳細に認定しています。
このような、実際に、チェルノブイリ事故と対比をして被害を認定し、
なおかつ、山内神戸大学教授の測定した、実際の子どもたちの学校の空間線量の高い値を認定し、
なおかつ、郡山市が実施している除染の成果が表れない理由についても、詳細に認定したうえで、
このように結んでいます。
12ページの終わりから6行目。
以上の事実によれば、郡山市に対して、抗告人が通っている学校は、強線量ではないが、低線量の放射線に破断なくさらされていると認められることから、
そうした低線量の放射能に、長期間にわたり継続的にさらされることによって、その抗告人の子どもたちの、生命身体健康に対する被害の発生が危惧されるところであり、
チェルノブイリ原発事故に、一同に発症されたとされる被害状況にかんがみれば、
福島第一原発付近一帯で生活居住する人々、とりわけ児童生徒の生命身体健康について、由々しい事態の進行が懸念されるところである。
このようにハッキリと、今回の原発事故によって、子どもたちの生命身体健康について、由々しい事態の進行が懸念されると、きちんと認定しています。
私どもは、ここまで認定したのは、実は、一審の郡山支部では、こういった認定は全くしておらず、
「100ミリシーベルト以上でなければ、健康に被害の証明はない」といった、例の100ミリシーベルト問題を取り上げて、今回の被害の問題を蹴ったわけですけれども、
それに対して、今回の高等裁判所の認定は、このようにハッキリと、子どもたちの生命身体健康についての、由々しき事態の進行が懸念される、と認定しました。
そこまで読んだところで、私どもは、もうここまで行くと、次のだいたい展開が読めるんですが、さらにこういう展開になっています。
もっとこれを、裁判所は、実は、厳しい目で把握しています。
こう言っています。
放射性物質により汚染された土壌などを除染するため、相手方郡山市などの地方公共団体をはじめとする、各地方団体や法人などが、
今まで、土壌の入れ替えや表土のはく離などに取り組み、多くの費用と様々な努力が傾注された結果、一定の除染の成果をあげるに至ったとはいえ、
なお広範囲にわたる拡散した放射性物質を、直ちに人体に無害とし、あるいはこれを完全に封じ込めるというような科学技術が、いまだ開発されるに至っていない事は公知の事実であり、
またその大量に発生した汚染物質や、これを含む土壌などの保管を受け入れる先が乏しいこともあって、これを付近の仮置き場に保管するほかないまま経過していることから、
今なお郡山市の管轄行政区域内にある各地域においては、放射性物質が放出される放射線の被ばくの危険から、容易に開放されない状態にあることは、長期認定の事実により明らかである
こういうふうに言いまして、郡山市では、除染の技術はまだ完全に解されていないし、除染によって発生した土壌等を保管する場所の問題も解決されていないために、
引き続き郡山市に の放射性物質から排出される放射能による被ばくの危険から、容易に解放されない、極めて危険な状態である事が認定できると、裁判所は言っています。
これはさらに、郡山市の危険性を駄目押しで、健康被害の問題だけじゃなくて、除染の限界についても、こういう厳しい認定をしています。
で、ここまで認定したうえで、普通であれば、子供たちの避難の問題にいくんですが、
ここからが、実は私どもが首をかしげる、キツネにつままれる様なロジックの展開がここから始まります。
そのまま読み上げます。
もっとも、郡山市の管轄行政区域においては、特に強線量の放射線被ばくの恐れがあるとされているわけでも、また、避難区域等として指定されているわけでもなく、
いまなお多くの児童生徒を含む市民が、居住し生活しているところであって、
上記認定にかかる相手方(郡山市)の、管轄行政区域における空間線量率を見る限り、そこで居住生活をする事により、
その居住者の年齢や健康状態などの身体状況による差異があるとしても、この生命身体健康に対しては、放射線被害のしきいちはないとの指摘もあり、
中長期的には懸念が残るものの、現在直ちに、不可逆的な悪影響を及ぼす恐れがあるとまでは、証拠上認め難いところである。
これは先程、井戸弁護士や小出さんが、子どもたちの生命や健康に対して、由々しい事態が進行が懸念されると言っておきながら、
一転して今度は、子どもたちの生命身体健康に対しては、現在直ちに、不可逆的な悪影響を及ぼす恐れがあるとまでは、証拠上認め難いところであるというふうな、
キツネにつままれる様な認定をここでしています。
でその後、次は14ページなんですが、ここもちっともロジックが分かりません。
そのまま読ませていただきます。
14ページ1行目。
このように、福島第一原発から流出した放射性物質から放出される低線量の放射線は、抗告人が現に居住し生活する空間に、あまねく存在しているのであって、
抗告人が現住所に居住して生活し、そこから相手方(郡山市)の設置する、抗告人の中学校に登校する限りは、
その通学する学校外においても、日夜間断なく、相当の量の放射線にさらされている事になる。
ま、これは正しい事実です。
子どもたちは、学校だけではなくて、学校外のその居住地域において、昼夜間断なく24時間、相当量の放射線に当たっています。
実際上、上記認定の郡山市の管轄行政区域における空間線量率もですね、ここで数値をあげています。
平成24年の2月から25年の2月の3回の測定値を見ても、
抗告人が平均被ばく量の上限とする、0.193マイクロシーベルト毎時の倍以上である、0.41マイクロシーベルト毎時以上に達するものであるということで、数値も非常に高いと。
で、この数値を前提とする限り、抗告人が通う中学校において、学校生活を送ると考える8時間を除外した、その後の16時間の、学校外での空間生活での生活をした場合、
被ばくするものと算定される1年間の積算追加放射線量は、抗告人が主張する1ミリシーベルトを、3割以上の超過すると。
ようするに、1.3ミリシーベルト以上の被ばくを、この抗告人は、学校と学校が居合わせたところで、年間で被ばくするんだという事を、裁判所は認定しています。
すなわち抗告人は、郡山市に引き続き居住する限りは、郡山市が設置する学校施設以外の生活空間において、
すでに抗告人が、生命身体健康に対する被害を回避し得る上限値として使用する、年間積算被ばく量、これは年間1ミリシーベルトを超える量の放射線を被ばくすることは、避けられない事になると。
従って、学校生活において被ばく量の多寡(たか)に関わらず、その主張する被害を避ける事が出来ない計算になると。
そしてここにおいて、現在、学校施設外での被ばく量を減少させる事が出来るような施設設備のもとで、日常生活を送ったり、あるいは、送る事が出来る状況にあるとの、特別な事情も認める事が出来ない。
そうしてみると、ここからが結論ですね。
抗告人が、引き続き郡山市に定住する限りは、それを主張するような、教育活動の差し止めを求めてみても、
抗告人が、被ばく線量の年間積算量の上限と称する量(1ミリシーベルト)を超える空間線量の被ばくを、回避するという目的は達成することはできず、
その回避のためには、そうした空間線量率以下の地域に居住するほか、通常取り得る手段はなく、
そうであれば、年間の積算空間線量の被曝回避を目的とする、抗告人主張の差し止め請求権などの発生を、認める余地はない。
というのが裁判所の結論です。
これを読んで、直ちに理解することが出来る人は、天才か常人ではないと思われます。
実は、私ども弁護団も、これが何を言っているのかさっぱり分からず、先ほども井戸さんが解説していたと思いますが、
彼が分からなければ、他の人間でも分からないと思ってもいい位というのが、ちんぷんかんぷんのロジックです。
どうもその…私が思うには、
この、今の郡山市の事態は、学校内における1年間の被ばく量と、学校外におけるその子どもが通う環境での1年間の被ばく量を合計すると、
もう悠に1ミリシーベルトを超えると。
したがって、このような場所にいる以上は、「年間1ミリシーベルト以下で教育をせよ」という事を、実現することは不可能であると。
「不可能であるから私たちは避難させろ」と言っているのだけども、
「不可能であるからそういうことを求める権利はない」というふうに裁判所は結論付けたんですね。
そこがどうしても理解できないんですが、ただ、裁判所の結論は、そういうロジックです。
もうここはとても人が住めるような環境じゃないから、ここで住むような事を求める、
「ここで住んで、教育するような事を求める権利はない」というような事を言っているように思います。
ただ、まァ、それでバッサリ切るんだと、裁判所は本当に無茶苦茶なんですが、後半でですね、もう一回、私どもが、実は主張した問題にも一応答えています。
私どもは、裁判所がそういうような言い逃れをしてくることは想定して、
年間1ミリシーベルト以下の安全な場所で、それは郡山市に限らないで、外でもいいから、そこに避難して教育せよという要求もしているので、
それについて次の15ページの(5)のところで、この問題についても一応、裁判所は回答しています。
これは、ある意味では、ここが本命です。
私どもは、郡山市内で教育を工夫してやれ、なんていうことはもう不可能ですので、そういう主張をするつもりなんてなくて、
「郡山市外の安全な場所で教育をしろ」ということを決めているんで、それに対する回答がここです。
こういうふうに裁判所は言っています。
次に、抗告人は、一定の空間線量率以外の、これは1ミリシーベルト以下の学校施設における、教育活動の実現を請求する。
と言っています。
これについて検討したものが、ここです。
上記(4)で説時したところによれば、
抗告人が、現に居住している、自宅周辺を含む郡山市の管轄行政区域においては、あまねく放射性物質による放射線被ばくが避けられないのであって、
抗告人が主張するような、年間1ミリシーベルト以下という積算空間線量率の環境が確保されるような、学校生活を含めた生活を送るとなると、
抗告人は、自宅を離れた地に転居して、ようするに、郡山市外の場所に転居して、教育活動を受けることは避けることができない。
ま、これはまともな事を言っています。
「抗告人はそうした前提で、上記請求をするようであるが」と。
ま、これも一応行わせ、え、そんな回りくどい事は、「しろ」と言っているんですが、
するようであるが、
他方で、郡山市は、現にその設置する抗告人の中学校で、多数の生徒に教育活動を行っているものであるところ、現に、その学校施設の教育を受けている生徒がそこにおり、
その教育活動を継続する事が、直ちに、その生徒の生命身体健康の安全を侵害する危険があるとまでは、認め得る証拠がないから、
ということで、
郡山市は、現在の学校施設での教育活動を継続する事が、直ちに不当であると言うべき物ではない。
という事を、結論として導いています。
ここが全く分からないんですが、さっき12ページの終わりから13ページのところで、
「福島第一原発付近一帯に居住する人と、とりわけ児童生徒の生命身体健康について由々しい事態の進行を懸念するところである」という事を決めておきながら、
郡山市の現在の学校施設の教育活動を継続することは、
「彼らの生命身体の安全を侵害するほどの危険があるとまでは認め得る証拠もない」という事です。
先ほどの、12ページの1行目で主張している事と、15ページのところがどういう関係になるのか?
小出さんがおっしゃったように、この各論がどう繋がるのか、どう関係あるのかというのが、全く理解が出来ません。
関連性が書いてありません。
で、さらに、16ページでこう言っています。
ところで、抗告人が転居する地域、転校する地域に、郡山市は学校施設を開設して、そこで教育活動を施すという事は、
現に、抗告人が被っている放射線被害から、開放される一つの選択肢であろうけれども
これは認定しています。
抗告人が今被っている、放射線被害から解放される選択肢の一つとして、郡山市が、別の安全な地域に学校の施設を開設して、
そこで教育活動を施す事はひとつの選択肢である、という事を、裁判所は、ある意味初めて、認定しました。
ただしその後がこういう展開になっています
そうした転居先の地での教育は、その地における教育機関によって行われることが原則であり、
遠隔地での公的教育機関が、わざわざ地元の公的機関を差し置いてまで、別の学校施設を開設する必要があるとはいえない。
これは、原則は分かるんですが、私どもは常々、
「今は原則は言っている場合ではない」と、「非常時である」と。
「前代未聞の非常時に対して、どういうふうに決断すべきか」という事を求めているんですが、それについては全く触れていません。
その上で、転居する場合には、転居先での公的教育機関による教育を受けることで、その目的を充分に達する事が出来るはずである。
これは、自主避難という事を前提にした議論です。
なぜなら、「転居先の公的教育機関による教育を受ける」という事は、「子どもたちが自分で自主避難して転校しろ」という意味です。
しかし私どもは、
「郡山市が自ら、子どもたちを安全な所で教育する義務を果たせ。そのために、具体的に、安全な場所で学校施設を開設して、そこで教育活動を施せ」と言っているんだけれども、
その問題に対して答えないで、
「転校するんだったら、転校先の公的教育機関に教育を受けることで、目的は十分に達成できる」と。
まるで郡山市が、転居先の教育機関に転校するかのような議論をしていますが、これはあくまでも、子どもが自主避難する事を前提にした議論であり、全くかみ合っていません。
で、これについて、さらにこう言っています。
抗告人は、この点について、同窓の友人らをはじめとする教育環境を従事するべきであるとして、個人での自主転居(自主避難)に否定的な意見を述べるが、
本件は、抗告人が、現地(郡山地裁)に一貫して主張し、抗告理由においても強調するように、
郡山市の管轄行政区域にいる、全ての児童生徒に対する教育活動に関する請求ではなく、あくまでも抗告人個人の放射線被ばくを回避するため、
その人格権ないし、安全配慮義務の履行請求権に基づく、抗告人個人の請求なのであるから、他の生徒の動向については、当然にこれを斟酌すべき物ではない。
としても、就学希望者や、その収容能力その他の関係上、希望者全員が、同一の施設で教育を受ける事が出来るとは限らないはずであり、
教育上の配慮の要請があると入っても、各個別の対応を取る事さえあり得よう。
これもなんかお経のようで、ほとんど念仏を唱えているようで、え…、わたくしどもは理解が出来ません。
一応続けます。
したがって、何がしたがってか分かりませんが、
抗告人が主張するような集団疎開は、抗告人が主張するような被ばく被害を回避する一つの抜本的方策として、教育行政上、考慮すべき選択肢ではあろう。
こういう認定はしています。
なんか上げたり下げたりなんですが、ここでは初めて裁判所がこういうふうに、私どもが直接裁判の目的ではないんだけど、裁判の暴論としてですね、
集団疎開というものが、抗告人をはじめとする、同じような危険な環境におかれている福島県の多くの子どもたちの、
被ばく被害を回避するための抜本的な方向性だ、という事を主張してきましたが
これを裁判所が自ら
「一つの抜本的な方策の一つとして、教育上考慮すべき選択肢である」ということは認めました。
しかし、ここからまた、「けれども」というふうに文書が続きます。
けれども、もとより、抗告人個人の請求件に係る、本件請求に関する判断の対象外というべきものである
ということで、
「この問題は、個人については、集団避難という事を考慮することはできない」と言っています。
ここに関しては、ちょっとひとこと言わせていただきたい。
実は、「抗告人は何故自主避難しないのか?」について、裁判所から質問がありまして、それに対する回答をした中で、
ようするに、自主避難というのは、お金の問題、経済的な理由の問題も大きいけれども、
友人の問題。
やっぱり自分ひとりだけでですね、仲間を置いて逃げることはできないんだと、同じ様な危険にいて同じような思いをしている子どもたち、仲間と一緒に逃げたいと。
それが実現できるようでなければ、自分は自主避難できないと。
それはあくまでも、自分だけ逃げる事が出来ない事が、困難であることを説明にいったんです。
ところが、裁判所はそういうことをですね、自主避難が困難であるという事を認めるんじゃなくて、
他の友達のですね、他の人間の事を配慮して、この問題を議論してはいけないみたいな事を言うんですね。
私どもはなにも、他の人間も一緒に避難できるようにしろ、という要求をしているんじゃなくて、
ここでその問題になっている、抗告人が、この子どもが、
「なんで自分で逃げられないんですか?」と裁判所に聞かれたんで、
自分はこういう友達関係が非常に大事だから、自主避難する事が出来ないんですよという事、
その、自主避難が困難な理由をいろいろと説明したにもかかわらず、
裁判所はそれを正面から受け止めて、「だから自主避難は困難である」という認定をするんだったらわかるんですけれども、
他の子どもの事を言いだすようなことは、この裁判の問題からは外れる、というような事をですね、言って、
無理やり、他の子どもの事を考える事を、この裁判の事実認定から外すんじゃないかという事は、
この抗告人が自主避難できない理由についての判断を、正面から取り上げるという事はしませんでした。
これは非常におかしな、チンプンカンプンじゃなくて、不当な判断だと思います。
その上でこういうふうに裁判所は結論にもっていきます。
16ページの下から4行目です。
このように、抗告人の主張するような放射線被害を回避するためには、現居住から転居して、郡山市の管轄行政区域外に居住する事を前提とするほかはなく、
その場合には、その転居先での公的教育機関が開設置した学校施設で、学校教育を受けることに何らの妨げもない以上は、
これはもう、「自主避難をすればいいんだ」という議論ですね。
抗告人の人格権に基づく妨害排除請求として、郡山市の管轄行政区域外の地で、相手方に学校教育を行う事を求めることはできず、
ようするに、郡山市以外の地で、郡山市に学校教育を求めることはできないんだと。
相手方(郡山市)は、その管轄行政区域外に移住する事になるものに対する関係で、引き続き教育活動の実施をすべき安全配慮義務を負うものではない
という事を言う訳です。
なぜ、この郡山市がですね、市内で教育する事が危険な時に、市外に、安全な所に行って教育することが、そういう義務がないのか?
その安全配慮義務がないと言っているんですけれども、その理由に関しては、全く書いてありません。
というふうに私は思うんです。
結論としては、郡山市は、郡山市の市内がもう危険であって、
その中で教育すると、子どもたちの生命身体健康に対する、由々しき事態が危惧されるという事を言っておきながら、
それをですね、郡山市外の場所で教育をするような、そのような安全配慮義務がないんだというふうに裁判所は認定して、こちらの主張を退けました。
さらに、これは保全の必要性と言いまして、今回は、本来の裁判と違って、仮処分と言ってですね、緊急の救済を求める裁判なので、
その場合には、緊急の救済を求める必要性について、一応証明をする必要があります。
一般的には、生命身体の健康に関する危害が認められる場合には、もうこれは緊急にですね、この生命身体を守る必要があるので、
わざわざそれ以上仮処分の必要性を議論する必要はないんですが、今回これについて、裁判所は次のように言っています。
17ページの(6)です。
上記(4)(5)のとおり、
抗告人が主張するような被ばくを逃れる環境の下で教育を受けるためには、郡山市が、管轄行政区域外に学校施設を設ける場合を含め、転居する以外には他に方策がない
ということ。
これを、裁判所は認めた訳ですね。
この「安全な環境で教育をするためには、郡山市は市外に出て教育するしかないんだけども」、
証拠によればですね、
今回の抗告人の父親は、抗告人の居住地(郡山市)から通勤する事が出来ないような地に単身赴任をしており、
東北地方太平洋沖地震直後には、抗告人の家族も、父親方に避難することを検討したが、
抗告人が、友人と離れて生活することを嫌がったことなどもあり、実現には至らなかった事が認められる。
そうであれば、抗告人が、郡山市の管轄行政区域外(郡山市外のですね)安全な地に転居して、被ばくを逃れる環境で教育を受けることには、大きな支障があるとはいえず、
これを困難とすべき事情は、証拠上認める事が出来ない。
ま、簡単に言えば、自主避難しようと思えば容易にできるんだと。
従って、この子がですね、「自主避難できない」と言っているのは、理由はないんだと。
ようするに、簡単に言えば、勝手なわがままを言っているににすぎないという、そういう理屈で蹴っています。
さらに結論として、
そうしてみると、抗告人について、その人格権、ないし安全配慮義務の履行請求件に基づいて、教育活動を差し止めてみても
その主張する権利の保全(仮処分のですね)につながるものとは言えず、また、抗告人の主張する、被ばくを回避するためには転居するほかないが、
これは認めているんですね。
「被ばくを回避するためには郡山市にいてはいけない」と、転居するしかないんだけれども、ただし、
転居する事については、抗告人には格別の支障があるとは認められないんだと。
ようするに、簡単に自主避難できるんだと。
しかも、転居先の公的教育機関による教育を受ける事にも、特別に妨げもないはずであるから、
抗告人の主張するような、抗告人に生ずる、著しい損害や危機をもたらすような被ばくを避けるために、抗告人が求める仮処分を出す必要性があるとは認めることはできない
ようするに、自主避難すれば、この子は容易にですね、郡山市から安全な場所に逃げられるんだから、
この裁判で仮処分で救済を求める必要性はないという、以上から、細かい処分というのが認められない、というのが裁判所の結論です。
53:40
二回目なんですが、一回目よりは少しは、中身が理解できたんですが、まだ半分ぐらいチンプンカンプンな判決でよく分かりません。
ただ裁判所は、今年1月22日に、3回の裁判の最終に審議を終えまして、当初私どもは、数週間で結論が出ると思っていました。
2月の終わりか3月の初めには、もう結論は出ると思っていたんですが、それがここまで、さらに二カ月近く、この判断が出るのが延びたというのは、
おそらく裁判所の中で、どういう判断を下すか、喧々諤々の議論があったものだと思われます。
その喧々諤々の議論が、私の率直な感想としては、十分に整理整頓されないまま、放り出されたままですね、
なんか、矛盾したものが平気でというか、並行したまま、判決の中にぶち込まれているという印象を受けます。
簡単に言うと、前半の判決を書いた裁判官と、後半の判決を書いた裁判官が別人間で、ひょっとしたら二人は、全く逆の結論を持っていたんじゃないかと。
前半の裁判官は、子どもを被曝させるという事で、由々しい事態だという事を認定し、
後半の裁判官は、とは言っても、やっぱり子供を避難させるのはいろいろと問題があるよね、ということで、
結論としては、子どもたちを避難させないという結論を打ち出して、したがって、前半と後半では支離滅裂というか、脈略がどうしてもつかめない形になってて、
おそらく、その前半と後半をつなげるために、裁判官で議論をしたんでしょうけれども、
裁判所で、このように判断が割れた理由は、
私どもでこの疎開裁判に期待をかける、子どもを守って欲しいという、その声が非常に大きなものになってきていると、
それにかける思いを、裁判所は真摯に受け止めざるを得なくて、それでここまで厳しい判断を。
内容が、ある意味では、期待をする判断も入っていたように思われます。
~57:00
仙台高等裁判所による判決文(PDF)
http://www.ourplanet-tv.org/files/20130424sokai.pdf