参院選の直前に、JCASTテレビウォッチに書かれた記事です。
「吉田さんたち、現場の人間が立っていたのは、自分だけの『死の淵』ではなく、日本という国の『死の淵』だったのである」
という言葉に、あらためて、当時その場に居合わせていた方々が、直面されていた事態の深刻さに、身の毛がよだつ思いがします。
チェルノブイリの10倍という意味を、わたしは最初、今の状況がすでにそうなのかと勘違いして驚きましたが、
あの現場で、判断を誤り、次々とすべての原子炉がやられてしまった場合、という意味でおっしゃったのでしょう。
それでも、次々と、4基の原発がやられてしまいました。
そして今、湯気という表現で報道されている、妙な現象が続いています。
地震もまた頻発に、起こり始めています。
本当に、全く何も、事故後の問題は解決していないのです。
なのに、原発をまだまだ稼働させようとしている電力会社と、原発を売り歩く現職の総理大臣。
『原発事故の現場で、何度も死ぬ寸前までいった吉田さんは、
どういう思いでこの、日本の『あさましい』姿を見ていたのであろう』
という文章を読んで、ハッと気がつきました。
これまで思い浮かばなかった、安倍氏や、安倍氏の言動をなぞる人間どもを見て感じる気持ち。
まさにそれは、『あさましい』という言葉だと。
今回の選挙は、その『あさましい』人間に票を入れた『あさましい』人たちと、原発事故など遠の昔に終ってしまってる人たちが多かったということでしょうか。
みなさんの周りでは、会話の中に、福島原発の事故現場のこと、作業をしてくださっている人たちのこと、高線量の汚染地に置き去りにされている子どもたちのこと、
いったいどれぐらいの回数、あがってきますか?
原発素通り参院選!
フクイチ吉田所長の言葉なんと聞く?
「隠すことはありません。チェルノブイリの10倍です」
2013/7/18
<「福島第1には、6基の原子炉があります。
ひとつの原子炉が暴走を始めたら、もう、これを制御する人間が、近づくことはできません。
そのために、次々と原子炉がやられて、当然、(10キロ南にある)福島第2原発にもいられなくなります。
ここにも4基の原子炉がありますから、これもやられて、10基の原子炉が、すべて暴走を始めたでしょう」>
『週刊現代』に載っている、東京電力の吉田昌郎元福島第一原発所長の言葉である。
享年58。
吉田元所長の早すぎる死は、深い悲しみとともに、あの頃の『悪夢』を、再び思い起こさせた。
吉田さんのインタビューをした、ジャーナリストの門田隆将氏によれば、
食道がんの手術をして、抗がん剤治療を終えた吉田さんに会ったのは、2012年の7月だったという。
184センチの長身で、やや猫背気味の吉田さんの容貌は、ニュース映像とはまったく違っていた。
だが、吉田さんは、人なつっこい笑顔で、「私は何も隠すことはありません」といい、
「チェルノブイリの10倍です」と続け、冒頭の言葉になる。
門田氏はこう書く。
<「吉田さんたち、現場の人間が立っていたのは、自分だけの『死の淵』ではなく、日本という国の『死の淵』だったのである」>
吉田さんは、全電源喪失の中で、暴走しようとする原子炉を冷却するには、海水を使うしかないと決断し、
すぐに、自衛隊に、消防車の出動を要請して、原子炉への水の注入ラインの構築に着手した。
<彼らは、放射能を遮断する全面マスクをつけて、原子炉建屋に何度も突入し、この作業を展開している>(門田氏)
奇蹟のように日本を救い、風のように去っていった男
吉田さんらしさが最も出たのは、官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェローから、
官邸の意向として、海水注入の中止命令が来たとき、敢然と拒絶したことである。
しかし、東電本店からも、中止命令が来ることを予想した吉田さんは、あらかじめ、担当の班長にこういった。
「テレビ会議の中では、海水注入中止をいうが、その命令を聞く必要はない。そのまま注入を続けろ」と。
この機転によって、原子炉の、唯一の冷却手段だった、海水注入は続行され、
何とか、最悪の格納容器爆発という事態は、回避されたのである。
門田氏は、
<「奇蹟のように日本を救い、風のように去っていった男」吉田さんに、「お疲れさまでした。本当にありがとうございました」>と結んでいる。
電力各社は、赤字を理由に、原発再稼働を申請し、安倍首相は認める方針だ。
彼はまた、原発を世界に売り歩いている。
原発事故の現場で、何度も死ぬ寸前までいった吉田さんは、
どういう思いでこの、日本の『あさましい』姿を見ていたのであろう。
猛暑日が続く中、参議院選挙で、「脱原発」は争点にも上らない。
再び原発事故が起きなければ、福島を除く日本人の多くは、原発の恐ろしさに目覚めないのかもしれない。
だが、その日が来れば、この地に人が住めなくなるのは、間違いないのである。
追加で、昨日見つけた2枚の写真を載せておきます。
『白いのは、捨てられない防護服の山、青いのは除染した土の山。
貯まっていくのは、核のゴミだけじゃないんだぜ』
というコメントが記されていました。
「吉田さんたち、現場の人間が立っていたのは、自分だけの『死の淵』ではなく、日本という国の『死の淵』だったのである」
という言葉に、あらためて、当時その場に居合わせていた方々が、直面されていた事態の深刻さに、身の毛がよだつ思いがします。
チェルノブイリの10倍という意味を、わたしは最初、今の状況がすでにそうなのかと勘違いして驚きましたが、
あの現場で、判断を誤り、次々とすべての原子炉がやられてしまった場合、という意味でおっしゃったのでしょう。
それでも、次々と、4基の原発がやられてしまいました。
そして今、湯気という表現で報道されている、妙な現象が続いています。
地震もまた頻発に、起こり始めています。
本当に、全く何も、事故後の問題は解決していないのです。
なのに、原発をまだまだ稼働させようとしている電力会社と、原発を売り歩く現職の総理大臣。
『原発事故の現場で、何度も死ぬ寸前までいった吉田さんは、
どういう思いでこの、日本の『あさましい』姿を見ていたのであろう』
という文章を読んで、ハッと気がつきました。
これまで思い浮かばなかった、安倍氏や、安倍氏の言動をなぞる人間どもを見て感じる気持ち。
まさにそれは、『あさましい』という言葉だと。
今回の選挙は、その『あさましい』人間に票を入れた『あさましい』人たちと、原発事故など遠の昔に終ってしまってる人たちが多かったということでしょうか。
みなさんの周りでは、会話の中に、福島原発の事故現場のこと、作業をしてくださっている人たちのこと、高線量の汚染地に置き去りにされている子どもたちのこと、
いったいどれぐらいの回数、あがってきますか?
原発素通り参院選!
フクイチ吉田所長の言葉なんと聞く?
「隠すことはありません。チェルノブイリの10倍です」
2013/7/18
<「福島第1には、6基の原子炉があります。
ひとつの原子炉が暴走を始めたら、もう、これを制御する人間が、近づくことはできません。
そのために、次々と原子炉がやられて、当然、(10キロ南にある)福島第2原発にもいられなくなります。
ここにも4基の原子炉がありますから、これもやられて、10基の原子炉が、すべて暴走を始めたでしょう」>
『週刊現代』に載っている、東京電力の吉田昌郎元福島第一原発所長の言葉である。
享年58。
吉田元所長の早すぎる死は、深い悲しみとともに、あの頃の『悪夢』を、再び思い起こさせた。
吉田さんのインタビューをした、ジャーナリストの門田隆将氏によれば、
食道がんの手術をして、抗がん剤治療を終えた吉田さんに会ったのは、2012年の7月だったという。
184センチの長身で、やや猫背気味の吉田さんの容貌は、ニュース映像とはまったく違っていた。
だが、吉田さんは、人なつっこい笑顔で、「私は何も隠すことはありません」といい、
「チェルノブイリの10倍です」と続け、冒頭の言葉になる。
門田氏はこう書く。
<「吉田さんたち、現場の人間が立っていたのは、自分だけの『死の淵』ではなく、日本という国の『死の淵』だったのである」>
吉田さんは、全電源喪失の中で、暴走しようとする原子炉を冷却するには、海水を使うしかないと決断し、
すぐに、自衛隊に、消防車の出動を要請して、原子炉への水の注入ラインの構築に着手した。
<彼らは、放射能を遮断する全面マスクをつけて、原子炉建屋に何度も突入し、この作業を展開している>(門田氏)
奇蹟のように日本を救い、風のように去っていった男
吉田さんらしさが最も出たのは、官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェローから、
官邸の意向として、海水注入の中止命令が来たとき、敢然と拒絶したことである。
しかし、東電本店からも、中止命令が来ることを予想した吉田さんは、あらかじめ、担当の班長にこういった。
「テレビ会議の中では、海水注入中止をいうが、その命令を聞く必要はない。そのまま注入を続けろ」と。
この機転によって、原子炉の、唯一の冷却手段だった、海水注入は続行され、
何とか、最悪の格納容器爆発という事態は、回避されたのである。
門田氏は、
<「奇蹟のように日本を救い、風のように去っていった男」吉田さんに、「お疲れさまでした。本当にありがとうございました」>と結んでいる。
電力各社は、赤字を理由に、原発再稼働を申請し、安倍首相は認める方針だ。
彼はまた、原発を世界に売り歩いている。
原発事故の現場で、何度も死ぬ寸前までいった吉田さんは、
どういう思いでこの、日本の『あさましい』姿を見ていたのであろう。
猛暑日が続く中、参議院選挙で、「脱原発」は争点にも上らない。
再び原発事故が起きなければ、福島を除く日本人の多くは、原発の恐ろしさに目覚めないのかもしれない。
だが、その日が来れば、この地に人が住めなくなるのは、間違いないのである。
追加で、昨日見つけた2枚の写真を載せておきます。
『白いのは、捨てられない防護服の山、青いのは除染した土の山。
貯まっていくのは、核のゴミだけじゃないんだぜ』
というコメントが記されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/e8/266e7f99ac7199c61b4606c279e72a5d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/45/28ad0d0894a2a2fa00871930fd9de55f.jpg)