ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ポンちゃんといっしょに

2013年04月17日 | ひとりごと
明日からまた雨。
気温も、最高でも15℃の予報が出てる。
けども、今日は気持ちよう晴れて、もう7時過ぎやというのに空はまだまだ明るうて、気温も20℃♪

こんな日は、やっぱ外でごはん!

ソーセージとワインとポンちゃんと♪


あぁかわいい!


チョ~満開!


ポン♪ポン♪ポン♪ポン♪


今年もほんまにありがとう!


お陽さんも葉っぱも元気いっぱい!


芝桜のこの色だけが戻ってきた……他の方々はいずこに……?


我が家のエイリアン?!


お向かいの屋根が、すっかり出来上がってた?!早過ぎっ!!
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ありがとう、さようなら

2013年04月17日 | ひとりごと
昨日は一日中くもり空。おまけに寒かった。
最低気温は6℃で、今だに湯たんぽ入れな足元がスウスウする。

旦那とわたしはとうとう、長いこと一緒に暮らしてくれた車とお別れすることにした。
今月のはじめ、次男坊恭平が、ガールフレンドとドライブ中に、後ろからゴツンとぶつけられたアウディ。
100%相手の過失が認められ、相手側の損保の査定員がやってきて、3千ドル近くの修理代が送られてくることになった。

このアウディは旦那母のお下がりで、彼女が1999年に購入し、とても気に入って乗っていた。
わたしもたま~に助手席に乗せてもらい、ブレーキを踏んだ後、徐々にスピードが弱まっていく時の、なんとも上品な減速音にうっとりしたりした。
多分そんな日は来んやろけども、いつか自分も、こんなクラスの車を買えるような余裕ができたら……などと妄想しながら。

わたしら家族は、2000年の、わたしの誕生日に、このアメリカに移住しにやって来た。
ほんの1年半だけ、高給取りのサラリーマンをやった旦那は、同時多発テロの直前にクビになり、あれこれ思案した結果、鍼灸師を目指して学生になった。
旦那が、息子らとわたしの3人と家族ごっこを始めたその日から、暮らしはたいてい貧しかった。
貧しさの度合いは、かたつむり並みのゆっくりさで、何年か経ってよう考えてみると少しは……、というふうにマシにはなっていったけど、
ふり返って来た道を眺めてみると、その1年半の、旦那が人が変わったように怒りっぽくなってた時期だけが、お金の心配に明け暮れる必要が無かった唯一の年やった。

再び経済が逼迫し、過敏な年頃やった息子らに、フードスタンプなるものを持たせ、学校のカフェテリアで辛い思いをさせてた頃、
出張レッスンをしにまじめに通ってくる教師、という評判を武器に生徒を集めてたわたしには、車が絶対必要で、そやからというてお金も無く困ってたら、
旦那の友人が、「700ドルで中古を売ったる」と言うてくれて飛びついたフォードは、ガソリンがスルスルと入らんわ、電気系統がいっつもどこか故障するわ、なんとも面倒くさい車やった。
それでも無いよりありがたい、感謝せにゃと、自分に言い聞かせて乗ってたら、とうとう、走ってる最中に突然止まる、という恐ろしい故障が始まった。
もうこれは、乗ってること自体が危ないと思たわたしは、旦那に何度か訴えたけど、お金が無いの一点張りで無視された。

そしてあの日。
急な坂道を上ったとこにある十字路で、左折をしようとした時に、車がまた急に止まってしもた。
視界の端っこに、坂道の上から、当然わたしの車が曲がり切るであろうと予想しながら、普通のスピードで下ってくる車が見えた。
もうあかん!と観念しながら、ぶつかるのが助手席の方で良かったやの、ぶつかった勢いで飛ばされるやろけど、横断歩道に人がおらんで良かったやのと考えた。
おっきなクラクションの音が聞こえ、急ブレーキの音が聞こえ、わたしは渾身の力をこめてハンドルを握った。
目は閉じんかった。
起こることすべてを見とかなあかんと思た。

辛うじてわたしの車にぶつかるのを避けた相手の車は、わたしが左折して入っていこうとしてた道に頭から突っ込んで停止した。
もちろん、車から飛び出してきた運転手は、真っ赤な顔をして怒鳴りこんできた。
事情を知って、わたしにも同情してくれたけど、一歩間違えば大事故につながってた可能性もあるんやからと嗜められた。

いつ止まるかわからんような車を、それを承知で乗ってた自分が恥ずかしゅうて、情けのうて、仕事から戻ってからもずっと落ち込んでた。
旦那に無視されようが、支払うお金が無かろうが、修理に出すか、レッスンを休むか、なんでもっと責任のある行動が取れんかったのかと、自分に腹が立った。
泣きたい気持ちで夕飯の支度をしてた時、偶然、旦那の母から電話がかかってきた。
いつも通りに、「ハイまうみ、元気?」と聞かれ、そこでいきなりわたしの心の線が切れた。
「おかあさん、わたし、今日はもうちょっとで大変なことになるとこやったん」
びっくりして、何事が起こったのかと尋ねる母に、日頃からたまってた鬱憤をドドッと吐き出してしもたわたし……。

どんなに大変でも、どんなに困ってても、「元気?」と聞かれたらにっこりと、「元気ですよ~大丈夫ですよ~」と答える。
それがイッチョマエの大人。
そう旦那から叩き込まれながらこれまでやってきた。
親に心配をかけない。頼らない。文句を言わない。弱みを見せない。
それまで、とんでもなく困ったことは山ほどあったけど、そやから絶対頼らんかった。
ほんまは吐いてしまいたい弱音は、舌の上にてんこ盛りやったけど、それを吐き出さんよう気合いを入れてウソついてきた。

そやけどもう、いったん穴が空いてしもたわたしの不満袋は収集がつかず、しまいには、「わたしはあなたの息子に殺されかけた」とまで言うてしもてた。

びっくり仰天した母は、当時、車の買い替えを考え始めてたこととも重なり、わたしにアウディを譲ってあげると言い出した。
自分も運転中に横から酷く当てられて、運転席側のドアに問題が残ってるけれども、その他はまだ5年しか乗ってないからと。

申し訳なかったけど、もう二度とあんな目には遭いとうなかったわたしは、厚かましくもいただくことにした。

それからの9年間、ほんまに毎日一緒に暮らした。
晴れの日も雨の日も、雪の日もかんかん照りの日も、桜の花びらを乗せ、落ち葉を散らし、いろんな景色を一緒に眺めてきた。
ここ数年は、さすがに故障続きで、いったん故障すると修理代がめちゃ高うて、やっぱりわたしらが乗る車とちゃうな、と痛感させられたけど、
修理から帰ってくるたんびに、またよろしゅうね、がんばろね、と言いながら、車体をポンポン叩いた。


事故相手の損保から、車を処分するならあと500ドル足しますよ、というオファーがあった。
今年に入ってから、車については、ずっと家族で話し合うてきた。
特に、恭平が就職して、自分で自分のことをする、という状況になりつつある今、車の持ち方を考え直す必要がある。
家のローンの借り換え手続きも進行してて、そんなこんなのおっきな変化の風が、我が家の中で吹きまくってる。
息子は息子で自分の車を手に入れる。保険も損保も携帯の使用料も、すべて自分で責任を持つ。
我々夫婦は、ひとまず一台の車で暮らしてみる。

そう決めた。

バイバイ、アウディ。今日までほんまにありがとう。これでお別れや。


満開のポンちゃんも見送った。


お向かえの家では、屋根の大修理が始まった。
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「大飯原発3・4号機を止める。玄海も止める。そしてすべての原発を止める!」断固として闘っていく!

2013年04月16日 | 日本とわたし
Koji Naganoさんのおかげで、『玄海原発プルサーマル裁判の会』(Facebook)と出会うことができた。



そのページに、大飯原発3・4号機運転差し止め仮処分裁判の判決の結果を受けての、怒りの声明が載せられてた。

いったいどうしたことなんやろうと、心の底から不思議に思う。
大飯原発を動かすのは、なんも電気が足りんからとちゃうというのは、けっこうみなさんも知ってはるんちゃうのん?

原発動かさんかったら、あっちゃこっちゃからオモロいように入ってきてた金が滞る。
研究のため未来のためと誤摩化して、吸い取り続けてきた金も入らんようになる。
原発の発電コストがいっちゃん高かったこと、原発のせいで電気料金がつり上げられてたこと、原発がウハウハ儲かる手段やったこと、処理コストがハチャメチャに高いこと、
そんなこともいっぺんにバレてまう。
それに加えて、廃炉となったら、どんだけ金がかかるか。
まったく意味の無くなった、そやけど、ものすごい放射能やから、作業にめちゃくちゃ手間と注意と時間がかかるお荷物を抱えなあかんのやから。

そやから、なんとしても原発の息の根は止めとうない。
損するだけやもん。
止めさえせんかったらええねん。
ただただそれだけやねん。
電気のことなんか知ったことか。
原発を動かしてる。それだけで金がガッポガッポ入ってくるように法律で決めてんから。

そんなつまらんこと、許さんとこうな。
それでのうても、福島をはじめとする被災地、放射能で汚されてしもた地域から、大勢の人達を逃がすのに、ものすごいお金がかかるねん。
もう無駄遣いさせんとこうな。
一日になんぼ無駄になってると思う?
すごい金額やで。
こんな判決、クソくらえや!

↓以下、転載させていただきます。

「大飯原発不当判決に対する怒りの声明!
私達自身の力と、仲間にたよって、この国の酷いあり方を変えていきましょう!」by Kojiさん。



怒!
大飯原発不当判決に対する、「おおい原発止めよう裁判の会」原告団からの声明です。
また、私達「玄海原発プルサーマル裁判の会」でも、声明を出しました。以下、順に掲載します。

*****************************

●声明
大飯原発3・4号機運転差し止め仮処分裁判
不当判決糾弾!
-福島原発事故の教訓から学ばず-
大阪高裁に即時抗告して闘う


大阪地方裁判所は本日(4月16日)、大飯3・4号の運転差止を、却下する判決を下した。
余りにも不当な判決である。
このような判決を出したことに、強い憤りをもって抗議する。
この判決は、福島原発事故の教訓から学ばず、多大な犠牲者の心を踏みにじるものである。

判決は、
「現時点では、3連動の地震が起きる可能性があるとして、安全性を検討するのが相当である」として、3連動については認めつつも、
それによる当然の結果については、ことごとく関電の主張を認めた。
現行2連動では、1.88秒の妥当性を肯定し、基準値2.2秒は定めでない、とまで判断した。
さらに、大飯原発敷地内の断層は、「地滑りによる可能性が高いと認められる」と、勝手に決め付けた。

裁判の経過では、裁判長自らが、制御棒挿入性問題に焦点を絞り込み、関電に、文書で求釈明を行ったが、あれはいったい何のためだったのか。
福島原発事故では、制御棒が、規定どおりに挿入されても、あれだけの大惨事になった。
大飯周辺の活断層の3連動評価は、福島原発事故を起こした3.11東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)を踏まえている。
活断層が3連動する巨大地震は、明日にも起こる可能性がある。

判決は、緊急安全対策、ストレステスト、4大臣基準について、
「現在の科学技術水準に照らして、合理性を有するというべきである」とまで述べている。
「2.2秒は一応の目安であり、債権者らが主張する許容値には該当しない」と、基準値であることを否定している。

このような不当判決があるだろうか。
私たちは、強い憤りをもって、この不当な判決を糾弾する。
あくまでも、大飯原発3・4号の運転を停止させるために、全国の同じ憤りをもつ人たちとともに、闘い続ける。
まずは、大阪高裁に、即時抗告して闘うものである。


2013年4月16日
おおい原発止めよう裁判の会
連絡先:美浜の会気付 大阪市北区西天満4-3-3星光ビル3階 
TEL:06-6367-6580 FAX:06-6367-6581


*****************************

●大飯原発3・4号機運転差止仮処分裁判
 
不当判決に対する声明

本日、国内で唯一稼働している、関西電力大飯原発3・4号機の、運転差止を求めた仮処分申請で、
大阪地裁は、関西一円の、原告住民からの申し立てを却下しました。

大飯原発付近の、3つの活断層が連動する地震が起きた際に、制御棒の挿入が間に合わないことが、裁判でも明らかにされてきたにもかかわらず、
関電の苦し紛れの言い分だけを根拠として、「安全基準を満たしている」と、裁判所はごまかしの判断を下しました。

新たな「活断層」についても、まだ調査中であるのにかかわらず、「地滑りの可能性が高い」などと、ことごとく関電の言い分を採用したのです。

福島原発事故で崩れ去ったはずの『安全神話』から、抜け出していない不当判決に対して、
同じく、玄海原発の稼働を裁判で闘っている市民として、私達は強い怒りを表明いたします。

そもそも、福島事故を踏まえた新しい安全基準が決定されていない下で、原発を稼働することが大きな間違いです。
大飯はもとより、玄海や、全国すべての原発の、再稼働はありえません。

判決後、「おおい原発止めよう裁判の会」に結集する原告団のみなさんは、大阪高裁に即時抗告することを、力強く表明されました。
玄海原発裁判においても、九州電力を相手に、具体的危険性を徹底して追及する上で力をお借りしている、「おおい裁判」の弁護団のみなさん、原告団のみなさんの怒りとともに、
私達も、「大飯原発3・4号機を止める。玄海も止める。そして、すべての原発を止める!」ために、断固として闘っていくことを、ここにあらためて表明いたします。


2013年4月16日
玄海原発プルサーマル裁判の会
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原発への警鐘は鳴らされ続けてきた、ガンガンゴンゴンと!それを無視してきたのはいったいだれ?

2013年04月16日 | 日本とわたし
フェイスブックの『福島原発告訴団・九州』


そのページに掲載されていた、若松丈太郎さんの詩を紹介させていただく。

原発への警鐘は鳴らされ続けてきた、ガンガンゴンゴンと!
それを無視してきたのはだれ?
人のせいにできん問題を、人のせいにするのはもうやめよう。
誰かが子どもを助けてくれるやろうと、人に任せるのはもうやめよう。

『原発も怪物だが、巨大なエネルギーを食う人間は、それに輪をかけた怪物である』(若松さん、1971年の言葉)

怪物のまま滅するか、人間に立ち戻り未来を作るか。

考えどころやと思う。

↓以下、転載はじめ

【みなみ風吹く日】 若松丈太郎
原発への警鐘を鳴らし続けてきた南相馬市在住の詩人・若松丈太郎さん。
告訴人の一人でもあります。
あらゆる警告が無視され、起きてしまった福島原発事故。
それでも、人々の犠牲を足蹴にして、原発再稼働へと突き進もうする推進勢力。

「われわれが視ているものはなにか-」
「原発も怪物だが、巨大なエネルギーを食う人間はそれに輪をかけた怪物である」(若松さん、1971年の言葉)。

2月17日の告訴団九州報告会において朗読した詩、『みなみ風吹く日』を紹介いたします。
*報告集会における朗読シーンは下記動画1:09:50からご覧になれます。
http://www.youtube.com/watch?v=yoKlRWZgcNQ


【みなみ風吹く日】 若松丈太郎




岸づたいに吹く
南からの風がここちよい
沖あいに波を待つサーファーたちの頭が見えかくれしている
福島県原町市北泉海岸
福島第一原子力発電所から北へ25キロ
チェルノブイリ事故直後に住民13万5千人が緊急避難したエリアの内側

たとえば
1978年6月
福島第一原子力発電所から北へ8キロ
福島県双葉郡浪江町南棚塩
枡倉隆さん宅の庭に咲くムラサキツユクサの
花びらにピンクの斑点があらわれた
けれど
原発操業との有意性は認められないとされた

たとえば
1980年1月報告
福島第一原子力発電所第一号炉南放水口から800メートル
海岸土砂 ホッキ貝 オカメブンブクからコバルト60を検出

たとえば
1980年6月採取
福島第一原子力発電所から北へ8キロ
福島県双葉郡浪江町幾世橋
小学校校庭の空気中からコバルト60を検出

たとえば
1988年9月
福島第一原子力発電所から北へ25キロ
福島県原町市栄町
わたしの頭髪体毛がいっきに抜け落ちた
いちどの洗髪でごはん茶碗ひとつ分もの頭髪が抜け落ちた
むろん
原発操業との有意性が認められることはないだろう
ないだろうがしかし

南からの風がここちよい
波間にただようサーファーたちのはるか沖
2艘のフェリーが左右からゆっくり近づき遠ざかる
気の遠くなる時間が視える
世界の音は絶え
すべて世はこともなし
あるいは
来るべきものをわれわれは視ているか



1978年11月2日
チェルノブイリ事故8年まえ
福島第一原子力発電所第3号炉
圧力容器の水圧試験中に制御棒5本脱落
日本最初の臨界状態が7時間30分もつづく
東京電力は29年を経た2007年3月に事故の隠蔽をようやく認める

あるいは
1984年10月21日
福島第一原子力発電所2号炉
原子炉の圧力負荷試験中に臨界状態のため緊急停止
東京電力は23年を経た2007年3月に事故の隠蔽をようやく認める

制御棒脱落事故はほかにも
1979年2月12日 福島第一原子力発電所5号炉
1980年9月10日 福島第一原子力発電所2号炉
1993年6月15日 福島第二原子力発電所3号炉
1998年2月22日 福島第一原子力発電所4号炉
などなど2007年2月まで隠蔽ののち
福島第一原子力発電所南南西へはるか200キロ余
東京都千代田区大手町
経団連ビル内の電気事業連合会ではじめてあかす

2007年11月
福島第一原子力発電所から北へ25キロ
福島県南相馬市北泉海岸
サーファーの姿もフェリーの影もない
世界の音は絶え
南からの風が肌にまとう
われわれが視ているものはなにか


~詩集『北緯37度25分の風とカナリア』(2010年)より~
「1」は1992年に、「2」は2008年に発表。

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「一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集して下さい!」by高木仁三郎

2013年04月16日 | 日本とわたし
自然の脅威が世界に向けて剥がしとった、近代文明が生み出した巨大科学技術の化けの皮。
そして、近代文明やの、最先端の科学技術やのと、己の力を過信してたニンゲンさまの、なんとも無力で阿呆な実態。

けども、もっともっと無力で阿呆なんは、
せっかく目の当たりに見せてもろたにも関わらず、それを見んかったことにして、これまで通りの生活にしがみついてるニンゲンら。

長年、何十年もの間、いろんな人が警告してきたのに、それをええ加減に聞き流し、無視し、時には邪魔やからと冤罪ふっかけたり脅かしたりして、
原発原発原発と、一心に推し進めてきた政党を、政治の舞台に復活させてしもた日本。
陰謀やら誤摩化しやら不正やら、そこにはありとあらゆる根回しと悪巧みがあったにせよ、復活後の支持の様子を見てると、まんざらでもなかったんかと思えてくる。

あんたをだまそうとしてる人間なんか、数えきれへんほど、この世の中にはいる。
そんな世の中に生きてて、せめて自分で自分をだまさんとこうな。
ほんまのほんまは、気になってるやろ?
ほんまのほんまは、こんなんではマズいなって思てるやろ?
ほんまのほんまは、めんどうやし、なにしたらええかわからんけど、それでもなんかした方がええと思てるやろ?

そんなこと思てもしゃあないから、自分ひとりの影響力なんか、あってものうても変わらんから、自分にはできそうにないからと、
自分で自分に暗示をかけるのはやめような。


『原子力市民委員会』という会が、設立されたという知らせを見つけた。
紹介させてもらいます。

2013年4月15日

「原子力市民委員会」の設立にあたって

認定NPO法人 高木仁三郎市民科学基金
代表理事 河合弘之

東日本大震災と福島第一原発事故から、2年が経ちました。
自然の脅威とともに、近代文明が生み出した巨大科学技術である、「原子力発電」の本質を目前にし、多くの人々が、一日も早い脱原発への政策転換を、望むようになりました。
しかしながら、事故炉の安定の確保にはほど遠く、多くの被災者が故郷に戻れぬ一方、生活再建の見通しも立たないという過酷な状況にある中で、
長年多くの警告を無視して、原子力政策を推し進めてきた政党が政権につき、事故の責任を不問に付したまま、
福島原発事故から目をそむけ、あるいはなかったものとして、原発再稼働への動きを強めています


すでに破綻を来している原子力政策を、再び政府が推し進めようとするのであれば、
われわれ市民は市民の手で、多数の民意に立脚した、脱原子力政策をつくり、実現してゆくよりほかありません

高木仁三郎市民科学基金(高木基金)では、これまで助成活動を通じてつながりのあった、市民グループや自然科学・社会科学・人文科学にわたる幅広い科学者、技術者、弁護士などの方々とともに、
この局面において、市民が取り組むべき課題について検討を行い、
この度、脱原発社会を構築するにあたっての課題を、把握・分析し、政策をつくる場として、「原子力市民委員会」を立ち上げることになりました。
原子力市民委員会では、次の4つの課題に取り組み、今後1年かけて「脱原子力政策大綱」をまとめ、その成果を広く市民に伝えるとともに、
関係機関(主に復興庁、原子力委員会、総合資源エネルギー調査会、原子力規制委員会)等に、提言を行います。


<原子力市民委員会が取り組む4つの課題>:
・東電福島第一原発事故の被災地対策・被災者支援をどうするか
・使用済核燃料、核廃棄物の管理・処分をどうするか
・原発ゼロ社会構築への具体的な行程をどうするか
・脱原発を前提とした原子力規制をどうするか


 
これらの政策をまとめる過程では、市民が現状を認識し、幅広い人々による、民主的な議論が行われる場を、設けていきたいと考えています。
また、緊急的な課題については、随時提言を行っていく予定です。
福島原発事故の収束と、被災者の方々の一日も早い生活の再建、そして脱原発社会の道筋を拓くための政策をまとめ、
その実現をめざすには、あらゆる分野の専門家・研究者、ならびに市民の英知を結集することが不可欠です。
原子力市民委員会の活動に、多くの人々が関心を寄せ、参加してくださることを願っています。

この取り組みは、高木基金の従来の助成活動(調査研究助成、研修奨励、委託研究)の枠組みを超えた、特別事業として実施します。
今後、高木基金は、原子力市民委員会に対する資金、及び運営面での支援を行いますが、
委員会での決定や活動内容は、高木基金から独立して行われます。

脱原発社会の実現の過程では、厳しい議論や提言を、避けて通るわけにはいきません。
この委員会では、全ての子どもたちや将来世代に、「原発のない、豊かで持続可能な日本社会」を手渡すために、
それぞれの立場や意見の違いを超えた、民主的な議論を重ね、知力・知恵を絞ることに力を尽くしたいと考えています。

高木仁三郎は、「友へ」と題した最後のメッセージで、次のように書き残しました。

「原子力時代の末期症状による大事故の危険と、結局は、放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、
今、先に逝ってしまう人間の心を、最も悩ますものです。
後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、
一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを、願ってやみません」


福島原発事故を受けて、高木基金には、多くの市民の方々から会費や寄付が寄せられ、大口の寄付をくださった方もありました。
こうした支援がなければ、原子力市民委員会の発足はありませんでした。
心から感謝を申し上げるとともに、今後とも、原子力市民委員会の活動への、多くの方からのご賛同、ご支援、ご協力をいただけますよう、よろしくお願いいたします。

■高木仁三郎市民科学基金(高木基金)とは
高木基金は、原子力時代の一日も早い終焉をめざして、生涯をかけた核化学者・高木仁三郎(1938-2000)の遺志に基づき、
2000年に発足した、民間の助成団体です。
現代の科学技術がもたらす、負の影響や脅威に対する、科学的な考察に裏づけられた批判のできる、「市民科学者」の育成・支援を目的に、
原発や核の問題にとどまらず、廃棄物や有害化学物質など、現代社会が抱える様々な問題の解決をめざす、調査研究・研修への助成活動
を行っています。
その財源は、一般の市民からの会費や寄付に支えられています
2001年9月、NPO法人として法人格を取得後、2006年4月に、認定NPO法人となりました。

http://www.takagifund.org/
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誕生日と桜公園と爆弾テロと

2013年04月15日 | 家族とわたし
いやもう、50過ぎたらなんもかも一緒、みたいな感じで生きてるのやけど、
それでもやっぱり誕生日っちゅうもんがきたら、ひとつおっきなるわけで、

その日の朝に遊びに来てくれた珍しいお客さん。


わたしの左側の窓からは、ポンポンに咲いてくれたポンちゃん。


というわけで、今年は見事、満開の日と重なった幸せを満喫しようと、隣町の、家から車で10分弱のとこにある、桜公園に行ってきた。

桜の町と銘打ったBELLEVILLE。さすがにこの町の通りには桜がいっぱい♪


道中(というても、ほんの5分ぐらい車で走っただけですが)、よく行くベトナムレストランでエッグヌードルを食べ、いざいざ!

着きました!おぉ~咲いとる咲いとる!


いやもう、ほぼ満開です♪さぶいけど……。


ソメイヨシノちゃんも!




うっとり……。


携帯でパチリ。


なんとも物々しい警察の見張りっぷり!


新しくできてた桜館。




イタリアンのおっちゃん達が盛り上がってた!


ぐるぐると、どこまで歩いてっても続く桜並木。


堂々たる老いっぷりがかっこいい。


青空もうっとりと桜を見下ろしてる。


ああきれい!


この季節に生まれたことに感謝!


てくてく、てくてく歩いていくと、


あ、いたいた、カモさんのカップル♪


こちらのカップルは、黙々と食らう妻と、瞑想する夫。




ここからは、少しだけ遅咲きの桜の園。






絵を描く人。


みんなちがってみんないい。




そんな、桜ばっかし撮ってどないする!けど、けど、撮らずにはいられない!だってわたしは桜の子やから。










車を取りに戻ってくれた旦那を待つ間に。

見事なよだれ、いや、もとい、しだれ桜。


三角おにぎり桜。


ああ、桜が咲いてるとこの空気は、ほんまにおいしい!


気分よく家に戻り、仕事の準備をした。
最後の生徒を迎えに来てくれた父親が、ボストンマラソンで起こった爆弾事件のことを教えてくれた。
今日は4月15日。
確定申告の日。
大人やったら誰しも、この日が来るのをあまり嬉しく思わへん。

けれどもこの日は、1775年に起きた、米国独立戦争の最初の日でもある。
そやからボストンなどでは、『愛国者の日』として定められてる。

なんでこの日の、ボストンマラソンのゴール地点を狙たのか。
誰がやったのか。
なんのためにやったのか。
まだなにもわかってない。
犠牲者の中には、小さな子どもも含まれてる。
どんな思想や事情があっても、こんな暴力で解決できる物事なんて無い。
無差別で、卑怯で、汚らしい。


同じ日にわたしは、旦那姉や母から、ハッピーバースデイの歌を歌ってもらい、旦那から花束や桜の苗木をもらい、息子たちからプレゼントとケーキをもらい、
みんなのあたたかなおめでとうメッセージをもらいして、本当に幸せな一日を過ごした。


戦争もテロも、この世から、消えてなくなれ!
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「自動車や保険は日本自ら譲歩したんやで~日本の農産物に配慮なんかしまへんで~」TPP日米合意原文

2013年04月14日 | 日本とわたし
↑の結果がこれ↓↓……。

千葉だけちゃうねん、全滅や壊滅は!

北海道も岩手も茨城も栃木も滋賀も鳥取も島根も岡山も徳島も香川も高知も熊本も宮崎も鹿児島も、なんやかんやと全滅のんあるやん。
ほんでもって、まだ試算してない都府県がやったら、いったいどないな結果が出てくるか……そんなん、もう簡単に予想できるやん。

なんでこんなことがわかってて、まあしゃあないな~とかいう感じでいるんですか?

日本の一次産業がぶっ壊されようとしてるのに、それってそれって、もう自分らでは生きていく力はなくなるっていうことやのに、

そんなひどい人生を、自分にも他人にも強制するようなもん、なにがなんでも徹底的に反対せなあかん!と、わたしは思てます。




【東京新聞】2013年4月12日

千葉の牛乳「全滅」

TPP 19道県が農林水産業試算

政府が環太平洋連携協定(TPP)に参加した場合を想定し、全国で19の道県が、地元の農林水産業への影響を独自に試算していることが、本紙の調べで分かった。
試算した全道県が、TPP参加で、生産額は減少。
19道県だけで、1兆6千億円減少する計算になる。

政府は、全国の総額で、3兆円減少するとの試算を発表しているが、他の28都府県も試算すれば、国の試算を大きく上回る可能性が高い。
地域の生産量や競争力をほとんど考慮せず、一律に積み上げただけの国の試算と違い、道県別の試算は、TPP参加の影響が、地域によって大きな差があることが浮き彫りになった。


地域差鮮明に
北海道47%減


政府は3月15日、安倍晋三首相がTPP交渉参加を表明した際、農林水産業への影響試算を公表。
19道県は、これを受けて、独自に試算を行った。
政府試算と同様に、交渉参加11カ国との関税が即時撤廃されて、米国などから安い農産品が輸入されるという前提で行ったが、
品目ごとへの影響は、各道県が独自に行った。

農林水産物の減少額を最も多く設定したのは、北海道の4762億円で、道の農業産出額の約47%に達する。
鹿児島、宮崎、茨城、栃木、千葉、岩手を含め、計7道県が、約3~4割にあたる1千億円以上減少するとした。

政府資産は、各品目が、TPP参加により生産が減少する率を、一つの数字に統一して計算した。
例えば、牛乳・乳製品は、減少率45%と計算したため、消費者の人気や品質の差が与える影響が、数字からは見えなかった。

道県の試算は、県内の実情を考慮し、減少率を品目ごとに割り出している。
茨城、栃木、千葉など11県は、牛乳・乳製品を「全滅」と判定。
牛乳・乳製品で生計をたてられる農家は、ゼロになることを意味する。

政府が70%減とする豚肉は、生産額日本一の鹿児島が、減少率を45%としたのに対し、滋賀や高知は「全滅」と試算した。


19県が試算した、TPP参加による農林水産業の減少額

道県名    減少額(億円)     試算の主な内訳

北海道    4762        バター、チーズ、脱脂粉乳、砂糖用テンサイは全滅小麦もほぼ壊滅
岩手県    1015        小麦、牛乳が全滅、豚肉70%減、コメ50%減。水産物はサケ・マス類が57%減。
茨城県    1174        加工用トマト、乳製品が全滅小麦が99%減、大麦が79%減。
栃木県    1088       小麦、乳製品が全滅。牛肉は9割程度減。
群馬県     635        麦類87%減、牛乳81%減。
埼玉県     433        小麦86%減、牛肉75%減、豚肉70%減。
千葉県    1069        麦類、牛乳が全滅。豚肉78%減、牛乳70%減、落花生40%減。
滋賀県     249        小麦、乳製品、豚肉が全滅。コメ49%減。
鳥取県     246        牛乳が全滅。豚肉78%減、水産物はイワシが72%減。
島根県     325        牛乳・乳製品、大麦が全滅。豚肉は9割減。
岡山県     407        大麦94%減、乳製品93%減、牛肉76%減、豆類71%減。
徳島県     213        牛乳・乳製品が全滅、牛肉74%減、コメ50%減。
香川県     178        牛乳・乳製品、サトウキビが全滅
愛媛県     306        豚肉70%減、大麦67%減、コメ50%減。
高知県     158        牛乳、豚肉が全滅。コメは5割以上減。
熊本県     869        牛乳・乳製品が全滅、小麦99%減、豚肉79%減、牛肉70%減。
大分県     332        豚肉70%減、牛肉68%減、牛乳・乳製品45%減。
宮崎県    1254       牛乳・乳製品がほぼ壊滅、豚肉は8割程度減、牛肉は半減以上。
鹿児島県   1372        サトウキビ、デンプン原料用のサツマイモが全滅

計      16085


*交渉参加11カ国を対象に、関税を即時撤廃し、国内対策を何も講じないと仮定して試算



続いて、このTPPに関して、以前からずっと警鐘をガンガン鳴らし続けてくださっている、内田聖子さんという方のツィート発言をここに載せさせていただきます。
内田さんは、アジア太平洋資料センター(PARC)の事務局長をしておられます。
@uchidashoko

ここ一週間にツィートされたものを、ここに転載させていただきます。

4/7/13
「TPP交渉は「裏切り」 自民説明行脚、批判噴出」。
まさに「ガス抜き」以外の何物でもない。
こうして地方を回り、「皆さんの理解を得られた」とでもいうつもりだろうが、それで許されることでは決してない。

4月5日、「TPP政府対策本部始動」の会見。
読んで愕然。
「国益を守る」「タフな交渉になる」「一丸となって頑張る」と、終始抽象的なスローガン。
「タフな交渉」以前に、「事前協議でどれだけ日本の国益を売りとばしたのか、記者も突っ込めよ!

2013/04/05 政府TPP首席交渉官 「日本は『国として』一丸となって交渉に臨むべき」 TPP政府対策本部が本格始動
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/72767

何度でも書くが、TPP交渉に「入る」ために、まさに今、どれだけの前払いをしているのか。
それが明らかにされない限り、「国益を守る」云々の主張は、何も信じられない。
国益を投げ捨て、TPPに入って、「がんばったけどダメでした」と言われても困るのだ。
メディアは、このことをもっと追求してほしい。


『長文御免@TPP・憲法改悪断固反対 ‏@600zoku
自ら壊しといて、「国益守る」とは、大嘘にもほどがある。
保険=混合診療規制緩和、食=BSE全頭検査廃止、牛由来肉骨粉の肥料利用再開、労働=正社員解雇規制緩和、労働時間規制見直し、残業代ゼロ法案。
米国の非関税障壁、保険の要求丸呑み。
交渉前に既にボロボロ』


「TPP 農林水産に壊滅的被害 14道県試算 地域経済も深刻 岩手・小麦100%減 島根・豚肉86%減 高知・米56%減…」(しんぶん赤旗、3/25)。
自民党は全国行脚するというなら、この数字をまず直視しどうするのか説明せよ。http://ow.ly/jP8ER

政府の出した試算に込められた意味は、すなわち「日本に農業・漁業はいらない」という点に尽きる。
これは、現在の農業者・漁業者を、見捨てる行為でもあり、国家の安全保障という観点からも、「主権放棄」そのもの。
他国にとって日本を倒すには、ミサイルも軍隊もいらない。
ただ、食糧の輸出を止めればいいのだ。

「TPP交渉の追加会合、今夏の日本開催案も」(日経) http://s.nikkei.com/ZDYuQ9
ルール作りへの積極的な関与を示す狙いだが、関係国の理解を得るのは難しい、と。
とにかく「入れてもらう」ために、なりふりかまわずふるまう日本政府。
正気の沙汰とは思えない。

第17回TPP交渉(5/15-24)ペルー)の概要が、徐々に明らかに。
国際NGOは、日々、MLやスカイプ会議で情報共有しています。
主要な交渉分野は、労働、紛争処理、原産地規則、電子商取引、知的財産権、競争(政策)、環境(政策)。
特に、知財は焦点化する。
私も、何とか参加を検討中。


4/8/13
ペルーのTPP反対NGO、団体について調べる。
「AISLAC(ラテンアメリカ・カリブ健康のための国際アクション)」は、TPPによって、医薬品へのアクセスが極度に制限される、と指摘 http://ow.ly/jRm1f

ペルーの反TPP団体
「RedGE:Red Peruana por una Globalización con Equidad」も、医薬品アクセス問題に取り組む。
最近、アドボカシーワークショップを開催しており、そこで、TPPと医薬品問題も。 http://ow.ly/jRnS5


4/9/13
IWJが、USTRの文書(3/15リリース)の"Customs"を、「関税」と訳した件。
私なら、自分の経験や感覚、様々な情報から、「税関」と訳します。
しかし、「関税」が「誤訳」と断言できません。
なぜなら、TPP交渉は、文書も議論のプロセスも、まったく秘密だから。
誰も真実はわかりません。

そもそも、TPPに関する文書は、私も含め、みな「周辺情報」をかき集めて、「分析」「想像」「解釈」をするしかないのです。
訳をした人や鵜呑みにした人を、断じるのは自由ですし、「間違った」と思えば訂正されるべきですが、事の本質は、TPPの極度の秘密性にあることを、忘れてはいけないと思います。


4/10/13
「TPP表明参加からの、即時撤回を求める大学教員の会」の記者会見。
手前から、醍醐聡(東大名誉教授)、萩原伸次郎(横浜国立大学名誉教授)、鈴木宣弘(東大教授)、金子勝(慶応大学教授)、大西広(慶応大学教授)、伊藤誠(東大名誉教授)。 http://ow.ly/i/1RjJ8


4/11/13
『日本のTPP交渉参加に関する米国議会調査報告』April 8, 2013 http://ow.ly/jXsCf

【重要!】
5月25日(土)午後、東京・芝公園にて、大規模なSTOP TPP!!集会の開催決定
PARCも参加する、ネットワーク「STOP TPP!!市民アクション」主催です。
詳細後日ですが、みなさん、ぜひ予定をあけておいてください!デモも検討しています。



4/12/13
大学教員の会にて RT @ja_tpp: (再掲)
アジア太平洋資料センターの内田聖子事務局長は、「TPPは、交渉内容などが公開されず秘密主義で、とにかく非民主的。世界各国のNGOはTPPをつぶそうと運動を展開している」と、
日本でも、強力な反対運動を展開することを呼び掛けた。

TPP交渉参加をめぐる、日米事前協議の合意文書を、両国が発表するという。
すでに自動車で、日本は大幅な譲歩を迫られている。
そしてさらに、事前に要求されている内容もあるはずだが、すべてが明らかにされることはないだろう。

事前協議内容の発表は、日本にとってはプラスにはならない。
むしろ、国内では、批判にさらされることになる。
アメリカにとっては、「これだけ日本から奪ったぞ」という話だが、日本にとっては、「これだけアメリカに差し出しました」という話だからね。

にもかかわらず、非対称の事前協議内容を、アメリカと一緒に出して、「こんなに頑張ったんだから、早くTPP交渉に入れてください!」という首相、
政府とは何なのか。
恥を知れ!

核心: TPP 19道県 損失試算 農業打撃「地域消える」(2013年4月12日): http://bit.ly/16Y2GyK


K.Kengo ‏@KKnagomi4月12日
安倍・自民党の、高速売国がヤバい。
もう、愛国とか交渉力とか言うの、禁止な。
恥ずかしすぎる。
TPP反対の有権者の想いをうけて、政権奪取した分際で、たった三ヶ月で交渉参加表明、さらに、今回事前協議で要求に折れまくり。
速攻で、日本を売り渡す国辱。


4/13/13
TPP日米事前協議内容の発表を受けて、最大の怒りを感じている。
これはもう、単なる譲歩や前払いという域を超え、売国行為に他ならない。
しかも、それを米国と「歩調を合わせて」、得意満面に発表する政府は、すでに正気の沙汰ではない。
この後、今まで以上に、徹底的に批判し、糾弾していく。

TPP日米合意の日本政府発表、USTR原文、各種報道を読み比べ分析。
怒りで頭がおかしくなりそうだが、まず日本政府発表は、USTR原文と大きく異なっている
原文には、「自動車や保険で、日本が自ら譲歩した」ことは明記されているが、日本の農産物に配慮することなど、一切ふれていない。

しかし、日本政府は、国内向けに都合のよいように、
「日本には一定の農産品、米国には一定の工業製品、というセンシティビティがあることを認識しつつ、ルールづくり、および市場アクセス交渉において、緊密に共に取り組むことで一致」という、
原文にはどこにもない文面を「捏造」した。


さすがに、このことは、朝日新聞(4月13日朝刊)も取り上げ、USTRのマランティス代表代行による「すべて関税ゼロをめざす」という、米国の本音とともに紹介している。
(しかし、何か客観報道を装っているのか、政府への批判は一切感じられないのだが)。

【TPP事前協議】
政府はこれまでも、「意図的な誤訳」を行ってきているが、これは誤訳の域を超え、「捏造」そのもの。
国民を愚弄するにもほどがある、まさに「狂気の沙汰」である。

新聞各紙もさすがに、これまでの太鼓持ちをしようにもできない状況。
このことは、徹底的に糾弾する。

TPP事前協議の、日本政府の大嘘発表については、ツイッターでは限界あるので、ブログにまとめます。
掲載次第お知らせしますので、ご覧ください。
こんなにひどいことが、平然と行われていることについて、ありとあらゆる方面から、糾弾していく必要があります。
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米国『ここまでゆっくりの春は珍しい』事情

2013年04月14日 | 米国○○事情
玄関口のベンチに座ります。
目の前に、ポンちゃんの上半分が見えます。


立ち上がるとこんな感じ。チビちゃんですがべっぴんです。


風が吹くとさぶさぶっと身が縮みますが、それでもやっとやっと、春の顔がほころび始めました。


ラッパ水仙、黄色と白の逆バージョン。


ラッパかなんかわからんバージョン。


今朝方、日溜まりで寝転んでる家猫の横に座り、ネコろんでる♪と親父ギャグをかました旦那、
これをよだれ桜と言ふ……。


青い空と若葉を見ると、つい深呼吸しとうなります。


ここが水道管があるとこやで、の青い矢印。


渋めの春。


電柱も撮っといたろ。


マグノリアも一気に咲いて、


桜餅も一気に咲いて、


これは、定かではないのやけれど、うわさでは、ワシントンさんが住んではった家やとかなんとか……。


野生の春はケラケラ笑う。


散歩中見っけた鳥さんたち。






家に戻ってきました。
ポンちゃんの手前の桜は満開!


なんでポンちゃんという名前がついたんか(⇒思いっきりのわたしの勝手ですが)、それは、このポンポンさ♪










庭のみどりも元気いっぱい!
  



パクパク。


明日からぼちぼち、暖こうなるみたい。あ~待ち遠しい!
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戦後ずっと、平和教材として祭り上げ、神話化されてきた絵本『かわいそうな象』の真実

2013年04月13日 | 日本とわたし
Peace Philosophy Centreからの、もうひとつのお話は、『かわいそうな象』という絵本についてです。

わたしはこの本を何回も読んで、そのたんびに泣いてた記憶があります。
なのでよけいに、この本当のことを知って、いやな気持ちになりました。
いやな気持ちというより、なんでこんなことをして子どもを騙さなあかんのか、
それをした当時の大人はきっと、自分らは正しいことをしてると思てたんやと思います。
それが怖い。ほんまに怖い。
そうやって、自分は正しい、ええことしてると思い込んでる、地位も金も権力もある人間が怖い。

日本は今、妙に、あの時期に似た様な方に向こてるような気がしてなりません。

物事を見て聞いて判断する際に、情緒や情念がまず一番おっきな位置を占めがちな傾向がある。
そこを狙て、やつらはつけこんできます。
自分らの思うように物事がすすむように。
悪さしてることがバレへんように。
もっともっと自分らの懐が潤うように。

もう騙されるのはやめましょう。
いつまでも、へ~とか言うてたらかっこ悪い。
見えてないこと、聞こえてないこと、伝えられてないことの中に、真実が隠されてます。
大勢の人が賛成してないことに、正しいことが隠されてます。

この、「かわいそうな象」のほんまの話を読んで、自分の考え方について考えてみてください。

↓以下、転載はじめ

アジア太平洋戦争 もう一つのいわれなき虐殺 
「かわいそうな象」の事実関係は絵本に描かれているものと違った


今春、東京では、上野公園の桜を楽しんだ方も多かったのではないでしょうか。
その上野にちなみ、児童「平和」文学の金字塔とされており、英訳もされている絵本「かわいそうな象」の、背景にある事実関係を解き明かした、論考の紹介をしたいと思います。

ちょうど私は、沖縄戦開始時(米軍慶良間諸島上陸、1945年3月末)の被害者を追悼するために、沖縄に行ってきたところです。
米軍の捕虜になったら、男は八つ裂きにされる、女は乱暴され殺されると騙され、背いたら日本軍に殺されかねない状況の中、
愛する者や自らの命を絶たされた人たちの、無念の死を思うにつけ、
戦争とは、国と国との戦いというよりも、国家による敵、味方を問わない市民殺害の行為である、という確信を新たにして帰ってきました。

1943年半ばの東京、空襲も始まっていない時期に、「戦時」だというだけで、必然性もなく、避難も許されずに虐殺された動物たちのことを思うと、
これは、沖縄における、「強制集団死」をはじめとする、日本軍による住民虐殺のように、そして後に東京を本当に襲う、米軍による大虐殺事件「東京大空襲」のように、
無謀な戦争における、もう一つの、いわれなき虐殺事件と位置付けられるのではないか、と


もうひとつのかわいそうなゾウの話

―戦時の猛獣処分をテーマにした、児童文学に潜む問題について―
小幡 詩子

親子連れで賑わう上野動物園は、1882年(明治15年)に、文明開化と共に生まれた、日本初の動物園。
3月20日は開園記念日で、今年133歳を迎えたが、その長い歴史の一時期、軍事と密接な関係があった。
寺内寿一元帥や東条英機、杉山元参謀総長の名前で、戦地から持ち帰った珍しい動物が、寄贈されていた。
また、戦時中、殺処分された動物たちの慰霊行事は、現在も続いている。

『かわいそうなぞう』は、児童文学作家の土家(つちや)由岐雄によって、太平洋戦争中の上野動物園で、象が殺処分を受けたという実話を元に描かれ、
1951年『愛の学校・二年生』(東洋書館)の中で発表された。
1970年に、金の星社より、「絵本」として出版されるや、大反響を呼び、1998年までに100万部、2005年時点で220万部を超えた。
紙芝居や副読本にも収録されるのみならず、小学年生向けの国語教科書にも採用され、1974年~1986年まで使用され、79年には英訳本も刊行された。
文字や絵を通じてのみならず、評論家の秋山は、ラジオ番組『秋山ちえ子の談話室』で、1970年~2002年の32年間、毎年終戦記念日に、戦争の悲惨さを伝えるために、この絵本を朗読した。
秋山氏によると、この放送が、子どもたちに、戦争はごめんだ!と思う心を育てる役割を果たしてくれる、と願って続けたようだ。

あらすじ
第二次世界大戦が激しくなり、東京市にある上野動物園では、空襲で檻が破壊された際の猛獣逃亡を視野に入れ、殺処分を決定する。
ライオンや熊が殺され、残すは、象のジョン、トンキー、ワンリー(花子)だけになる。 
象に毒の入った餌を与えるが、象たちは吐き出してしまい、殺すことができない。
毒を注射しようにも、象の硬い皮膚に針も折れてしまう。
そこで、餌や水を与えるのを止め、餓死するのを待つことにする。
象たちは、餌をもらうために、必死に芸をしたりするが、ジョン、ワンリー、トンキーの順に餓死していく。
さて、三頭の死に、飼育員たちは泣き叫ぶわけだが、初出では、心の中で叫ぶのに対して、
絵本版では、死んだ象の上を、敵機が何機も飛んでいて、その敵機に向かって、「戦争をやめろ」と叫んでいる。



もうひとつのかわいそうなゾウの話

以上、絵本では、飼育員たちが「戦争をやめろ」と、東京上空を飛んでいる敵機に、こぶしを振り上げ叫んでいるが、
本当に、大空襲の最中での出来事であったのか? 
関連資料を調べると、象たちが殺された1943年の夏、空襲は、まだ切迫してはいなかった。
確かに、42年に、B25爆撃機による空襲はあったが、まだ小規模な奇襲攻撃にしか過ぎなかった。
B29による東京大空襲は、1944年11月から始まるので、空襲で猛獣たちが逃げ出す心配などなかった
猛獣ならともかく、なぜ、おとなしく芸をして、人気者の象まで殺されなければならなかったのか? 
児童文学評論家の長谷川潮は、土家が、殺処分と空襲の時間的経過を明らかにせず、切迫していないのに殺処分は仕方がないと描き、
そもそも、猛獣処分命令の背後にある、真の意味を描き出すことをせず完結させた、と批判し、戦時猛獣処分をテーマにした、児童文学に潜む問題点を追及した。   

そこで、長谷川潮の『戦争児童文学は真実をつたえてきたか』、野坂昭如の『干からびた象と象使いの話』、および小森厚の『もう一つの上野度物園史』に基づいて、
殺処分命令の背後に、一体何があったのか、時系列的にまとめてみる。
これは、仕方のなかった事件ではなく、戦争推進側の人間の勝手によって引き起こされた、
象にとっても、動物園の人々にとっても、戦況を知らされていなかった国民にとっても、悲劇
である。

1943年、上野動物園園長の古河忠道は、陸軍獣医として応召しており、福田三郎が園長代理を務めていた。
8月16日、福田と古河は、東京都公園課長から、
「戦局が悪化したわけではないが、万一に備え、一ヶ月以内に、ゾウと猛獣類を射殺せよ」と命令を受けた。
しかし、射殺は住民に不安を与えるので、毒殺に変更された。

動物園関係者は、動物の一部でも救えないか、と他の動物園に相談した。
8月23日、仙台の動物園が、ゾウの『トンキー』とヒョウの赤ちゃんを受け取ることになり、田端駅貨物係との打ち合わせも済んだ。

ところが、これを聞いた、東京都長官(今の都知事、当時は任命された内務官僚)が激怒し、中止を命令。
9月1日に、猛獣処分はほぼ完了。
でも、ゾウはまだであった。
3頭は、鋭い嗅覚で、毒殺用の餌を嗅ぎ分け、食べなかった。
そこで、絶食による餓死の処置がとられた。
オスのジョンは、餌と水が絶たれ、17日後に死んだ。

でも、メスの2頭は、なかなか死に至らなかった。
芸をすれば餌がもらえると思い、飼育員の前で、覚えている限りの芸を必死に披露する、健気な姿を見て、さすがに飼育担当係は、内緒で餌を与えていたのだ。
それがばれて、飼料倉庫は施錠され、飼育係が倉庫に近づくことすら禁止されてしまった。

ゾウの殺処分が遅れ、戦時猛獣処分の事実が、公表前に世間に洩れることを恐れた都は、9月2日に、この『時局に鑑みての非常処置』を公表し、9月4日に、動物慰霊碑の前で、慰霊法要を行った。
慰霊碑に近い象舎の周囲に、鯨幕が張られ、中には、まだ生きている2頭のゾウが隠されていたのに……。

慰霊祭の7日後、絶食18日後にワンジーが死に、トンキーは9月23日、絶食30日後に死んだ。



さて、殺処分は、『軍からの命令』と語られているが、都ではまだ、戦争は緊迫していなかった。
米軍による大空襲は、この1年以上先、敗戦色濃厚になった1944年秋のこと。
では、誰がこれを命令したのか?
東京都長官に就任したばかりの、大達茂雄(戦後の文部大臣)である。
古河によると、
都長官になる前、シンガポール市長であった大達は、内地に帰って、勝ち戦と思い、戦争の怖さも知らないでいる国民に自覚させるために、
動物園の動物を処分することで、警告を発したかった
」とのこと。
さらに、
「ゾウなどの疎開も、断固許さなかったのは、東京が、戦争切迫に備え、全国に範を垂れるとしてやった」のである。
つまり、殺処分は、大空襲で猛獣が逃げ出し、住民が危険に晒されるのを避けるために、仕方がなかったことではなく、
国民に覚悟させ、戦争を継続させるための、いわば『精神論』として行われ、そのため、葬式を派手に演出する必要があった


この様に、絵本では、大空襲が先で殺処分が後に続くが、実際は、順序が逆であった
文学では、事実に基づく戦記物でも、虚構の導入は当然である。
だがこの場合、前後の関係が逆転することで、意味合いが全く異なってくる。
土家の絵本をはじめ、空襲が始まって、人間を守るために殺処分された、という視点から書かれた児童文学は、
その決定者たちを人道的に描写し、虐殺指示(加害)の責任を、不問に付す傾向にある

虐殺の命令者は、戦争推進者で、戦争を始めた側だ。
虐殺命令に至る過程を明白にし、その責任を追求し、初めて、本当に戦争に抗議することではないか?
敵機に「戦争やめろ」と叫ぶのは、見当はずれではないか。
  
この絵本の他にも、純真な子どもたちの情緒に訴えようと、被害の視点から、戦争に反対する感動作はある。
特に、動物殺処分は、子どもたちの心を切に捉える。
しかし、前後の入れ替えによって、結果として、加害の責任がぼやかされ、被害(犠牲)の面が前面に出され、圧倒的情念に気圧されると、戦争の本質や真実は、捉えにくくなる
情念自体は結構であるが、論理が議論を生み、熱狂がもたらす暴走を防ぐのに対して、
情念は、議論を封じ、論理の破綻を隠蔽することもあるのを忘れてはならない。
さらに問題なのは、戦後ずっと、本作品を代表的戦争児童文学として、平和教材のひとつとして祭り上げ、神話化してきたことだ。
長谷川は、戦争に至る構造を見抜く批判力が、我々(読み手)に必要である、としている。

だが、現政権肝入りの、教育再生実行会議を中心とする、【美しい日本の歴史】観の下で、構造的に見抜く力は育つのであろうか?
一層難しくなろう。
無垢な幼少期より、被害中心の、悲しいけれど健気で感動的な絵本やビデオに触れて、情操が教育されると、加害の視点が育ちにくくなる。
そんなマインドセットの児童たちが、小・中学校の歴史の授業において、自虐史観はいけないとばかり、加害性、残虐性、強制性等薄められた近現代史を教え込まれると、
加害意識はなくなり、その分、尊大な被害者意識が膨れ上がる危険性もある。
もし、被害妄想から他罰的になり、先制攻撃をすることにもなったら、いつか来た道を辿ることになる
そうならないためにも、教科書のみならず、戦争児童文学の批判的読み直しが、焦眉の急であろう。
絵本は、教科書以上にやりにくいだろう。
たかが絵本、されど絵本なのだ。

小幡詩子:
地域ケアを考える【猫の手会】のソーシャルワーカー。
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家族とわたし

2013年04月13日 | 家族とわたし
旦那の弟ジムの息子アレックが、ロングアイランドにある大学に行くことに決め、説明会に参加しにアリゾナ州からやってきた。
彼は、その大学の奨学金をもらうことになっていて、優秀生徒用の特別の寮に入ることも決まってる。
サイエンスを勉強するつもりやけれども、多分来年に専攻を決める時に、医者を目指すと言う。
ふむ……ついにうちの親族に医者が登場するかも……。

というわけで、わざわざやって来るジムとアレックに会いに、ペンシルバニアから旦那の両親もやって来て、うちで一緒に食事をしようということになった。
丁度、マンハッタンの会社に面接を受けに来た旦那姉のアードリーも参加して、総勢7人、恭平がもし仕事が早う終ったら8人、皆でワイワイ言いながら会食するはずになってたけど、
アリゾナからの飛行機が、到着のニューアーク空港付近に分厚い雲でおおわれてるってんで、1時間以上も遅れてしもた。
ここらで一番!と評判のエチオピアレストランのテイクアウトが、すでに到着してる。

まず、旦那とアードリーが食べ、旦那は弟と甥を迎えに空港に。
丁度それと入れ違いに到着した両親とわたしが、ワインを飲み飲み食べてるとこに、やっとこさジムとアレックが到着した。

なんやけったいな夕飯になってしもたけど、それでもやっぱり美味しいエチオピアン!!

ちょっと早いけど、誕生日おめでとうと、アードリーが面接帰りに買うてきてくれた花束。


ちょっと早いけど、誕生日おめでとうと、母が焼いて持ってきてくれたバナナケーキ。


よう考えたら、生まれてこのかた、誕生日のケーキを焼いてもろたことがなかった。
初めての、手作りのバースデーケーキ……うれしかった。

もしかしたら、誕生日当日に満開になってくれそうなポンちゃん♪


この時期、このべっぴんのポンちゃんを愛でながら、レッスンができる幸せ。
コメント (4)
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