③ 従軍慰安婦という名称は間違っているという批判について
否定派は、従軍慰安婦という名称にこだわります。
従軍という言葉は、軍属という正式な身分を表す言葉だ。
だが、慰安婦たちは、民間の売春業者が連れ歩き、兵士を客とした民間人である。
従軍というのは間違いで、追軍売春婦だ。
このように言うわけです。
慰安婦制度に国家が関与していたことを、認めたくないからですね。
この意見は、もちろん間違っています。
46年も前の昭和43年に、国会で、慰安婦に関する質問がされています。
第058回国会 社会労働委員会 第21号
昭和四十三年四月二十六日
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/058/0200/05804260200021c.html
日本社会党の後藤俊男衆議院議員が、慰安婦に対する援護法適用について質問しており、厚生省(当時)の政府委員が、こう答弁しています、
「慰安婦に、無給の軍属のような身分を与えていた」と。
軍属だったら、従軍していたのです。
慰安婦は、雇い主から稼ぎを受け取るので、軍が給料を支給しないのは当然ですし。
答弁は「軍属のような身分」ということなので、正式の軍属ではなく、「軍傭員」に類するパート職員扱いだったと思われます。
前回のエントリーに書いた金福童さんは、「軍傭員」の身分でした。
それにしても、軍属なのだし、軍から宿舎を提供してもらっているのだから、追軍売春婦というのは、まったく人を馬鹿にした呼び名です。
厚生省(当時)の政府委員は、こうも答弁して います、
「輸送船が沈められて亡くなった慰安婦は、援護法の対象である」
援護法の対象になるのは、「公務に従事して死亡した場合」に限りますから、慰安婦は公務で輸送船に乗っていた、と認定されているのです。
こういうことだから、「ただの民間人だ」というのは間違いで、「従軍」という接頭語は正しいのです。
大事なことなので、政府委員の答弁を、要約しておきます。
1. 戦地の慰安婦に、軍が、宿舎の便宜を与えていた。
2. 慰安婦には、無給の軍属の身分を与えていた。
3. 戦地で、銃を取って戦ったり、従軍看護婦の役割を果たした慰安婦もいる。
4. 戦場で、軍に協力して死亡した慰安婦は、正式の軍属や準軍属とみなして、援護法の対象になる。
5. 海上輸送中に沈められた慰安婦も、軍属、あるいは準軍属として、援護法の対象である。
政府委員は、つぎのようにも答弁しています。
「立場として申し出にくい場合があるだろう。法律を知らずに泣いている人もあるだろう。一人残らず救うために努力したい」
一人残らずと言っても、それは、
「戦闘協力者として、または輸送船が沈没したことで亡くなり、正式の軍属や準軍属とみなされた慰安婦」、 あるいは死んでしまった慰安婦の遺族のことです。
生き残った慰安婦には、何の援助もありませんでした。
彼女たちは、戦後をどのように生きたのでしょう。
次回は、そのことについて書きます。
2014年7月31日
⑥ 敗戦後の日本人慰安婦たち
前回は、慰安婦が、軍属に準ずる扱いを受けていたことを書きました。
中には、最前線で、戦闘協力者として戦死したり、または、輸送船が沈没したことで亡くなった方もいて、その場合は、遺族年金の対象とされています。
しかし、生き残った慰安婦には、何の援助もありませんでした。
彼女たちは、戦後を、どのように生きたのでしょう。
ネトウヨやバカ評論家は言います。
「日本人は奥ゆかしいから、賠償など要求しない」...
「売春婦が売春禁止反対を唱えるような、韓国人とは違う」
ふざけちゃいけません。
昭和23年11月27日、衆議院で、一通の陳情文が読み上げられました。
陳情者は、大阪府接待婦組合連合会の会長、松井リウ。
接待婦とは、要するに売春婦です。
陳情書で松井は、売春防止法の制定を延期して欲しい、と述べます。
(国会議事録 第003回国会 法務委員会 第10号 昭和二十三年十一月二十七日)
自分たちは、戦時中は、看護婦や慰安婦として、お国に尽くせと言われ、
帰ってみれば何の保障もなく、
あるいは夫が戦死したために、生活に窮し、
女中に行けば、雇い主から犯され、働きに出れば、上役から関係を迫られ、
そんな男の身勝手が、横行している世の中なのに、暮らしのために売春してはいけない、とはどういうことか。
せめて、暮らしていけるぐらいの経済力が身につくまで、また、男たちの性に対する意識が向上するまで、売春防止法はつくらないでほしいと。
「私たち就業婦の中には、戰爭中、白衣の天使として第一線に從軍し、満洲、中支、南支、南方各地域において、また、軍の慰安婦として働きおり、引揚げたる者、その他、夫が戰死し子を持つ者、元ダンサー、女給、看護婦、女店員、女工等と、諸種の前職を持つておる者ばかり」
「現在の接待婦以上のことをいたさねば、生活ができず…、生活もろくにできず、衣類等を賣り盡くして、現在の職業に入つて來ている者が、少くないのであります」
「いかに男女同権とか、基本的人権の尊重が叫ばれましても、現在の社会は、そんな立派なものではありませず、
私たちのうち、女中奉公中、主人に無理を言われ、ビズネス・マンとして、上役の人より無理を言われ、
いずれの職域においても、職業婦人は、横暴なる男性のために犠牲になり、苦労しているのが事実であります」
「経済界が安定して、生活苦が少くなり、一般職業婦人が給料にて生活ができ、
その上、服の一着もくつの一足も買うことができ得るようになり、他面、青年男女が一定年令に達したなれば、
結婚して、主人の收入にて生活ができるよう、また、全國民が、衞生思想が発達し、性教育が今少し普及され、
すべての点につき、世界の水平線まで進み、自他ともに認められる時期まで、今度の法律が出ぬようにしていただきたいと思います」
彼女の言い分が、すべて正しいとは言わないけれど、売春を続けさせて欲しいと言わねばならない境遇に陥ったのは、彼女たちの責任ばかりではないでしょう。
こういった彼女たちに対し、しかし世間は冷たかった。
昭和27年04月25日、参議院法務委員会において、参議院議員宮城タマヨが、売春防止法を早く施行してほしい、と求めています。
「東京の吉原を調べてみましても、現在ざつと、千三百人以上従業員がおります。
そうしてこの様相は、実に驚いたものがあるのでありますが、そういうことが、一体今後、いつまで許されるものか」
「慰安婦として、政府が集めましたその人たちが、まだ随分残つておる。
それで、その人たちは、実に大手を振つて、威張つてこの仕事に従事しておりますのでございます。
政府からもお招ばれしているんですよ、ということを、まだ言つておるのです。
それで一つ、どうしても早い機会に、これは何とかしてほしいのでございますが、これにつきまして、政府の御意見は如何でございましようか」
戦後、日本政府は、連合軍が進駐してくるよりも前に、兵隊には慰安所が必要だろうと勝手に決めつけて、特殊慰安所RAAを設けました。
そこに、戦時中に慰安婦だった女性も、多く応募しました。
彼女たちは、GHQが、慰安所の閉鎖を命令したことで失職したあとも、売春婦として生きていました。
宮城タマヨは、いつまでそんなことをさせているのか、と問うのです。
売春婦風情が大手を振って、大威張りで生きるとは何事かと。
「政府にいわれて売春していたのだ」と、いまだに言っているが、許しがたいと非難するのです。
司法大臣を夫に持つ宮城タマヨは、戦前から、上流社会の名士でした。
戦時中には、こんなことを書いていた人です。
「敵の本土上陸、本土決戦は、地の利からも、兵員の上からも‥‥決して不利ではありません。
一億一人残らず、忠誠の結晶となり、男女混成の総特攻隊となつて敢闘するならば、皇国の必勝は決して疑ひありません」
「大義に徹すれば、火の中、弾の中をものともせぬ献身の徳は、肇国以来の日本婦道でございます」
『主婦之友』1945年7月号「敵の本土上陸と婦人の覚悟」
てなことを書いていた御仁が、敗戦とともに、くるりと手のひらを返して参議院議員におさまり、「平和憲法」「民主憲法」に賛成しました。
戦時中、この人は、夫を兵隊に取られた庶民の苦労など、お構いなしでした。
生活苦を嘆く若妻に、彼女はこう、ご託宣を下していました。
「良人の収入の範囲で、生活を築いていくと言うことが、モットーにならなければ、その家庭は健全に育っていきません。
新家庭がお金に不自由するのは、むしろ当然だと私は思いますよ」
「これからの日本では殊に、厳しいとか辛いとかいうことを、知らないで過ごされるような人を作らなくちゃなりません」
『主婦之友』1941年12月号「戦時下花嫁の生活建設相談会」
厳しいとか辛いとかいうことを知らないで過ごすというのは、苦労を苦労と思わないようになるべきだという意味です。
何でも闇で買える優雅な暮らしを送りつつ、平気でこんなことを書く人でした。
だから、元慰安婦の苦労など顧みることがなかったのは、当然といえば当然です。
元慰安婦たちの、「自分たちだってお国に尽くしたのだ」という、せめてものプライドを切り捨てて、
たかが売春婦が、「大手を振つて威張つて」いるのが許せないと。
こういう人が参議院議員に当選した一方で、松井リウは、紹介議員さえ得ることができなかったために、陳情書を政府専門員に代読してもらった。
日本人元慰安婦は、声を上げなかったのではありません。
声を上げたのです。
兵隊と一緒に苦労したのに、恩給ももらえない身の上でした。
戦史に華々しく飾られることもない彼女たちです。
せめて売春を続けさせて欲しい、としか言えない哀れな立場でしたが、そのような境遇に追いやった政府に向かい、精一杯の抗議をしたのでした。
その声は聞き入れられることがなく、無視されました。
上品でご立派なご婦人から、嘲笑され、見下げられ、切り捨てられました。
彼女たちのその嘆きと怒りの声が、かろうじて、いまも国会議事録に残っているのです。
2014年8月3日
⑦ 慰安婦の働き方と報酬額 1) 慰安婦業者の契約書を確かめる
ネトウヨや右翼評論家によって、慰安婦はとんでもない高給取りだ、というデマが流されています。
その証拠として、元慰安婦の文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳が、引き合いにだされます。
文さんが慰安婦をしていたときに、軍事郵便貯金として、26,145円を貯めていた通帳の原簿が、日本に残っていたのです。
小野田少尉の話では、当時の大卒初任給が40円だったというので、その54年分にあたるそうです。
そこで、「そんなに稼いでおきながら、何が性奴隷だ」という意見になります。
だけど、その意見は間違っているのです。
文さんのことは、別の回で確かめるとして、まずは慰安婦の稼ぎについて、一般的な状況を確かめましょう。
それには、雇用契約を見てみるのが一番確かです。
女性達は、どんな契約を結んで、戦地へ赴いたのでしょうか。
『上海派遣軍慰安所酌婦契約条件(しゃんはい はけんぐん いあんしょ しゃくふ けいやくじょうけん)』という文書が残っています。
慰安婦の募集に歩いていた男を、警察が捕まえて、持っていた契約書を出させたものです。
誘拐の疑いでいったんは逮捕したものの、軍がバックについていることがわかったので、警察は男を釈放してしまいました。
では、中身を見てみましょう。
ひどいものです。 (写真)
前借金で身分をしばって働かせる、いわゆる「身売り」という契約です。
こういうのは公序良俗違反なので、民法上は無効でした。
明治時代に、大審院でその判例が確定しています。
無効な契約なのに、庶民の法的無知に乗じて、有効であるかのように見せかけて結ばせた、詐欺契約です。
契約書は、16才の女子にまで、売春させようとするものです。
こんな子どもに売春させるのは、いくら親の同意があっても、完全に違法です。
前借金の最高は、500円。
都会で働く会社員の初任給が、40円だったというので、その1年分です。
農家には大金でした。
契約書には、前借金のうち、2割を経費として天引きすると書いてあります。
500円借りても、2割を天引されるので、手に乗るのは400円。
2年間働いて返さなければならないのは、元の500円です。
2年で2割は、アドオン金利で年利10%。実質年利はもう少し高くなります。
社内貸付としては、常識はずれの高利と言えます。
慰安婦は、2年間の契約ですが、病気などで中途でリタイアしたら、年利12%をつけて、前借金を返さねばならない。
そのうえ、別に、前借金の1割という、高額な違約金を取ると定めてあります。
これでは、女性は、なにがあろうと辞めるに辞められません。
しかし本当のところ、業者側は、女性に途中でリタイアされたって、痛くもかゆくもないのです。
それは後で計算します。
慰安婦が、月給として手に出来るのは、水揚げの1割でした。
兵が支払った料金は、1回1円ないし1円50銭だったといいます。
1人30分で1日に12時間働けば、24人を相手に出来る勘定です。
実際には洗浄時間も休憩も必要だから、仮に20人としましょう。
1日に20円ないし30円の水揚げということになります。
30日働けば600円ないし900円の水揚げです。
手取りが1割なので、手に出来るのは60円から90円の計算となります。
小野田元少尉によれば、普通のサラリーマンの初任給が40円でした。
普通のサラリーマンの月給は100円とされていました。
100円が50万円にあたるとすれば、慰安婦の手取りは30万円から45万円。
1日12時間、1ヶ月30日も体を酷使して働いて、この金額です。
時間給にして800円から1200円です。
バカバカしいほど安いと思いませんか。
住む、食べる、置き薬代は、業者負担だと書いてあります。
それ以外の経費、たとえば着物や下着や化粧品、日用雑貨、性病以外の医者代、嗜好品、酒、タバコなどは、女性が自分で負担しなければなりません。
彼女たちは、原則として外出も出来ないので、ちょっと手慰みにバクチでもおぼえさせられたら、あっという間にカスられてしまう金額です。
ところで証言によれば、1日40人も、相手をさせられた女性もいたといいます。
これぐらい働けば、女性にも貯金ができるでしょう。
しかし、そういうタフな一部の女性をのぞき、普通の体力、普通の性的能力しかない女性には、経済的実入りは驚くほど少ないのが実情でした。
さて、女性ひとりが月に600円ほども稼いでくれれば、給料を支払ったあとで雇い主が手にできるのは540円。
これなら、500円貸し付けても、1ヶ月で元が取れます。
半年働いてくれれば、ボロ儲けです。
途中でリタイアされたって、なんてことない。
前借金を回収したあとは「維持管理費」を支出するだけで、稼げば稼ぐほど丸儲け。
維持費と言ったって、建物は軍が建ててくれるのだし、食料まで支給された所もあるから、本当の丸儲け。
雇い主側としてはもうかってしかたがない。笑いの止まらない商売でした。
女性さえ集めれば、こんなにおいしい商売だもの、金にあかせた女性の獲得競争が始まったことは、想像に固くありません。
前借金が釣り上げられ、最高で2000円ほどにもなったといいます。
芸者稼業は、すればするほど借金の増える商売だったといい、2年間働けば、その借金がチャラにできるというのは、プロの女性にとってうまみのある仕事だったと言えます。
業者の立場で言えば、2000円ぐらいなら、4ヶ月で元が取れるのです。
これほどうまい商売だから、金にいやしい連中が、女性を集めるのにまともな方法ばかりとっていたかどうか。
現在の闇金業や、ウラ風俗業にたずさわる紳士たちが、どういうことをしているか考えれば、類推できるのではないでしょうか。
今回は、業者と女性の、契約条件を見てみました。
次回は、軍が作った契約書を確かめます。
2014年8月4日
⑧ 慰安婦の働き方と報酬額 (2) 日本軍の契約書マニュアルを確かめる
前回は、慰安所業者の契約書を見ました。
今回は、軍が作成した規則です。
こういう契約を結べ、という決まりです。
資料の名前は、「馬来軍政監」作成の、「規則集」に収録されている「慰安施設及旅館営業遵守規則」。
そこに、「芸妓、酌婦、雇傭契約規則」というのが、定められています。(写真)
軍がこういった規則を作った背景に、無茶な搾取をする業者と慰安婦との間に、トラブルがあったのではないかと、私は推測しています。
では、規則を確かめてみましょう。
慰安婦の給料は、「慰安婦配当金」といいます。
前借金の額により、配当金が異なります。
前借金が大きいほど、業者のリスクが高いから、「慰安婦配当金」の割合が低くされているのです。
身体はいつ壊れるか分からないんだから、借金が多いほど搾取を強めるのは、雇用主としては当然だ、ということでしょう。
1500円以上
雇主が6割以内、本人が4割以上
1500円未満
雇主が5割以内、本人が5割以上
無借金の場合
雇主が4割以内、本人が6割以上
前借金の返済については、「慰安婦配当の3分の2以上」と規定されています。
水揚げの4割~6割の手取りから、さらに、前借金を3分の2もさっ引かれるのです。
米軍が、捕虜にした慰安所経営者に尋問した、いわゆる「ミッチナ捕虜尋問調書」には、
慰安婦の負債額に応じて、経営者が水揚げの50ないし60%を受け取っていた、と記録されています。
軍の規則に合致した内容ですね。
ここまでは、規則の面から、待遇を見てみました。
しかし、決まりごとと実際が異なるのは、いつの時代も同じこと。
そこで、実際はどうだったのかを、別の資料で確認しましょう。
慰安婦の水揚げがわかる資料があります。
「鉄寧派憲警445号 軍慰安所に関する件報告(通牒)」
アジア歴史資料センター レファレンスコード. C13031898700
「南寧方面 慰安所戸数32 慰安婦295 1日1人当り平均売上19円47銭」
こういった記録なのですが、平均売上は、18円から19円程度のようです。
前回、1日の水揚げを、20円から30円と推測しましたが、その低い方の数字なのですね。
1ヶ月なら、600円です。
前出の「ミッチナ捕虜尋問調書」には、水揚げが「300円から1500円」と記録されています。
病気がちなら、300円程度しか稼げない女性もいたでしょう。
日本人慰安婦なら、将校専用となって、1500円稼げたかもしれません。
条件はいろいろですが、朝鮮人慰安婦の水揚げが、平均600円程度というのは、そんなに大きく間違っていないと思います。
かくして、死ぬほど働いて、1ヶ月600円の水揚げを確保したとします。
2000円も借金があったら、水揚げの6割360円が搾取され、手取りは残り240円です。
そこから3分の2の160円を、返済金として天引きされるから、慰安婦の手元に残るのは80円です。
現代の感覚なら、40万円程度になります。
時間給にしたら1100円ほど。
慰安所業者のつくった契約より、ちょっとだけましですが、これが売春という仕事にふさわしい稼ぎかどうか、私はかなり疑問に思います。
文玉珠さんは、ビルマで宝石を買った、と証言しています。
(元慰安婦が語るのは、悲惨な作り話ばかり、という評価が間違っている一例です)
月給40万円なら、宝石も買えたでしょう。
ただ、それは、1日12時間以上、年間7000人もの兵隊との、セックスの代償です。
こういう無茶をすると、計算では、1年で借金が消えることになります。
しかし、身体はもうボロボロでしょう。
女性を監禁して、辞めることも許さず、時間給1100円で、1日に12時間、月の休みがたった1日か半日で売春させたら、これはどう言い繕っても、やはり奴隷待遇ではないでしょうか。
次回はいよいよ、文玉珠さんの貯金について書きます。
2014年8月5日
⑨ 慰安婦の働き方と報酬額 (3) 秦郁彦説を批判する
本日は、文玉珠さんの貯金通帳について書く予定でしたが、予定を変えて、短くて済むものに変更します。
慰安婦は、月に1000円も2000円も稼ぐ高給取りだったという説が、ネットではびこっています。
こんなに高給だったから、応募倍率が高く、強制連行などする必要はさらさらなかったそうです。
この説の大もとは、慰安婦研究の第一人者、秦郁彦教授です。
本を読まない人たちにそれを広げたのは、産経新聞です。
教授は、元防衛大学校教授にしてプリンストン大学大学院客員教授、そして日大教授という、素晴らしい肩書きをお持ちの方です。
このような方が唱えておられる説を、私ごときが批判するのはおこがましいのですが、やはり一言せねばなりません。
教授は、こんなことを書いておられます。
「経営者との収入配分比率は40~60%
女性たちの稼ぎは月に1000~2000円、
兵士の月給は15円~25円。」
「慰安婦と戦場の性」270ページより
これをもとに、慰安婦は、総理大臣の2倍の給料をもらっていた、なんて言われております。
さて、この数字ですけど、ちょっと検算してみましょうか。
仮に女性が、50%を受け取るとします。
2000円稼ぐには、水揚げが4000円なければなりません。
どれくらいの兵隊を相手にしたら、これだけ稼げるでしょうか。
兵が支払う料金が、1回1円から1.5円だったそうです。
4000円にするためには1ヶ月に2600人から4000人の兵を相手にしなければなりません。
30日働いたとすると、1日あたり86人から130人!
こんなこと、できるんでしょうか?
兵の持ち時間は、1人あたり30分だったそうです。
すると、86人を相手するには、1日に43時間必要なんですよね。
130人なら65時間です。
とんでもない仕事ですね。
1000円稼ぐには、21.5時間から32.5時間です。
どんなに慰安婦が頑張っても、1日は24時間しかありませんし、人間は寝なければ死にます。
プリンストン大学院の教授は、数字には強いかも知れないけれど、その数字を現実に適用する想像力がないみたいですね。
ところが、さらに驚いたことに、この程度の検算もしないまま、評論家などによって、「慰安婦高給説」が、テレビで堂々と流されているのです。
そのバカバカしさたるや、本当にお話になりません。
2014年8月6日
⑩ 慰安婦の働き方と報酬額 (4) 文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳【写真】
慰安婦は高給取りだった、とのデマが右派から流されていて、その証拠として、元慰安婦の文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳が、引き合いにだされます。
元慰安婦の文さんが、戦時中に、軍事郵便貯金として26.145円を貯めていた通帳の原簿が、日本に残っていたのです。
小野田少尉の話では、当時の大卒初任給が40円だったというので、その54年分にあたるそうです。
そこで、「そんなに稼いでおきながら、何が性奴隷だ」という意見になります。
だけど、その意見は間違っているのです。
■軍事郵便貯金の正体
まず、「軍事郵便貯金」というのが何か、の説明をしておきましょう。
これは、郵便貯金と名がついていても、郵便局の貯金ではありません。
軍事郵便局というのは、軍の機関です。
預ける通貨は、軍票でした。
文さんのいたビルマでは、ルピーの軍票が発行されていました。(写真)
1ルピーは1円、と数えました。
しかし、本当の円ではなく、ルピーを円に替えることは禁じられていました。
■軍事郵便貯金は、日本円に替えられなかった
軍事郵便貯金が交換できたのは、軍人・軍属だけで、それも、現地で交換できたのではなく、内地への電信送金に限られていました。
金額も、月額100円まででした。
つまり、生活費相当です。
民間人の交換は、禁じられていました。
なぜなら、軍人・軍属の給料は、戦時予算で手当されていたので、円の裏付けがあったけれど、
日本軍が物資を調達するために、大量発行した軍票には、円の裏付けがなかったからです。
円の裏付けのない軍票を、大量発行したので、現地はインフレになりました。
このインフレが、日本国内に波及しないように、政府は、軍票と円の交換を禁じていたのです。
資料1 「南方経済処理ニ関スル件」
昭和17年1月20日 閣議決定
http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00374.htm
資料2 大阪毎日新聞「南方へ邦貨携帯 現地軍で厳重に処罰」1942.7.16(昭和17)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=69155609&comm_id=5973321
現地がどれほどインフレで苦しもうと、日本だけは安泰という、身勝手なシステムを作っていたわけです。
この操作には、横浜正金銀行が使われました。
■文さんがもらったのは紙くずだった
では、軍票の1円は、日本円でいくらになるのでしょうか。
そのことは後にして、先に、彼女が、軍票をたくさんもらった背景について述べます。
彼女はこれを、「兵隊からもらったチップ」だと証言しています。
印字された日付をみましょう(通帳の写真参照)。
1945年4月4日~5月23日の3ヶ月足らずの貯金が、20,360円です。
彼女は、ビルマのマンダレーにいたのですが、ここが陥落したのが45年3月です。
この時点からあと、軍票は使えなくなっています。
3月に価値のなくなった軍票を、4月にもらっているのです。
文さんは、使えないお金-敗戦で紙くずとなった軍票-を、日本軍将兵から、わしづかみで渡されていたのです。
こういう軍票をつかまされたのは、慰安婦に限りません。
在留邦人も同じでした。
その人たちは、日本に引き揚げてきてから、日本円に変えて欲しいと要求しました。
交換できるようになったのは、昭和29年のことでした。
持ち込まれた金額は、10万円が最高、大部分はそれ以下だったそうです。
(昭和29年第019回国会質疑)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/019/0806/01904300806012a.html
文さんは2万6千円だから、かなり下の方の金額です。
1軍票円が、1円に交換されたわけではありません。
換算率は、法律で定められていました。
以下のサイトで、換算表が確認できます。
軍事郵便貯金等特別処理法(昭和29年法律第108号)
http://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hs29-108.htm
その換算表で計算すると、文さんの貯金額は、日本円で3,215円となります。
この年の大卒銀行員初任給は、5,600円だったそうです。
その1か月分にもなりません。
ということで、文さんは全然金持ちではなかったことになります。
この項、つづく
2014年8月10日
否定派は、従軍慰安婦という名称にこだわります。
従軍という言葉は、軍属という正式な身分を表す言葉だ。
だが、慰安婦たちは、民間の売春業者が連れ歩き、兵士を客とした民間人である。
従軍というのは間違いで、追軍売春婦だ。
このように言うわけです。
慰安婦制度に国家が関与していたことを、認めたくないからですね。
この意見は、もちろん間違っています。
46年も前の昭和43年に、国会で、慰安婦に関する質問がされています。
第058回国会 社会労働委員会 第21号
昭和四十三年四月二十六日
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/058/0200/05804260200021c.html
日本社会党の後藤俊男衆議院議員が、慰安婦に対する援護法適用について質問しており、厚生省(当時)の政府委員が、こう答弁しています、
「慰安婦に、無給の軍属のような身分を与えていた」と。
軍属だったら、従軍していたのです。
慰安婦は、雇い主から稼ぎを受け取るので、軍が給料を支給しないのは当然ですし。
答弁は「軍属のような身分」ということなので、正式の軍属ではなく、「軍傭員」に類するパート職員扱いだったと思われます。
前回のエントリーに書いた金福童さんは、「軍傭員」の身分でした。
それにしても、軍属なのだし、軍から宿舎を提供してもらっているのだから、追軍売春婦というのは、まったく人を馬鹿にした呼び名です。
厚生省(当時)の政府委員は、こうも答弁して います、
「輸送船が沈められて亡くなった慰安婦は、援護法の対象である」
援護法の対象になるのは、「公務に従事して死亡した場合」に限りますから、慰安婦は公務で輸送船に乗っていた、と認定されているのです。
こういうことだから、「ただの民間人だ」というのは間違いで、「従軍」という接頭語は正しいのです。
大事なことなので、政府委員の答弁を、要約しておきます。
1. 戦地の慰安婦に、軍が、宿舎の便宜を与えていた。
2. 慰安婦には、無給の軍属の身分を与えていた。
3. 戦地で、銃を取って戦ったり、従軍看護婦の役割を果たした慰安婦もいる。
4. 戦場で、軍に協力して死亡した慰安婦は、正式の軍属や準軍属とみなして、援護法の対象になる。
5. 海上輸送中に沈められた慰安婦も、軍属、あるいは準軍属として、援護法の対象である。
政府委員は、つぎのようにも答弁しています。
「立場として申し出にくい場合があるだろう。法律を知らずに泣いている人もあるだろう。一人残らず救うために努力したい」
一人残らずと言っても、それは、
「戦闘協力者として、または輸送船が沈没したことで亡くなり、正式の軍属や準軍属とみなされた慰安婦」、 あるいは死んでしまった慰安婦の遺族のことです。
生き残った慰安婦には、何の援助もありませんでした。
彼女たちは、戦後をどのように生きたのでしょう。
次回は、そのことについて書きます。
2014年7月31日
⑥ 敗戦後の日本人慰安婦たち
前回は、慰安婦が、軍属に準ずる扱いを受けていたことを書きました。
中には、最前線で、戦闘協力者として戦死したり、または、輸送船が沈没したことで亡くなった方もいて、その場合は、遺族年金の対象とされています。
しかし、生き残った慰安婦には、何の援助もありませんでした。
彼女たちは、戦後を、どのように生きたのでしょう。
ネトウヨやバカ評論家は言います。
「日本人は奥ゆかしいから、賠償など要求しない」...
「売春婦が売春禁止反対を唱えるような、韓国人とは違う」
ふざけちゃいけません。
昭和23年11月27日、衆議院で、一通の陳情文が読み上げられました。
陳情者は、大阪府接待婦組合連合会の会長、松井リウ。
接待婦とは、要するに売春婦です。
陳情書で松井は、売春防止法の制定を延期して欲しい、と述べます。
(国会議事録 第003回国会 法務委員会 第10号 昭和二十三年十一月二十七日)
自分たちは、戦時中は、看護婦や慰安婦として、お国に尽くせと言われ、
帰ってみれば何の保障もなく、
あるいは夫が戦死したために、生活に窮し、
女中に行けば、雇い主から犯され、働きに出れば、上役から関係を迫られ、
そんな男の身勝手が、横行している世の中なのに、暮らしのために売春してはいけない、とはどういうことか。
せめて、暮らしていけるぐらいの経済力が身につくまで、また、男たちの性に対する意識が向上するまで、売春防止法はつくらないでほしいと。
「私たち就業婦の中には、戰爭中、白衣の天使として第一線に從軍し、満洲、中支、南支、南方各地域において、また、軍の慰安婦として働きおり、引揚げたる者、その他、夫が戰死し子を持つ者、元ダンサー、女給、看護婦、女店員、女工等と、諸種の前職を持つておる者ばかり」
「現在の接待婦以上のことをいたさねば、生活ができず…、生活もろくにできず、衣類等を賣り盡くして、現在の職業に入つて來ている者が、少くないのであります」
「いかに男女同権とか、基本的人権の尊重が叫ばれましても、現在の社会は、そんな立派なものではありませず、
私たちのうち、女中奉公中、主人に無理を言われ、ビズネス・マンとして、上役の人より無理を言われ、
いずれの職域においても、職業婦人は、横暴なる男性のために犠牲になり、苦労しているのが事実であります」
「経済界が安定して、生活苦が少くなり、一般職業婦人が給料にて生活ができ、
その上、服の一着もくつの一足も買うことができ得るようになり、他面、青年男女が一定年令に達したなれば、
結婚して、主人の收入にて生活ができるよう、また、全國民が、衞生思想が発達し、性教育が今少し普及され、
すべての点につき、世界の水平線まで進み、自他ともに認められる時期まで、今度の法律が出ぬようにしていただきたいと思います」
彼女の言い分が、すべて正しいとは言わないけれど、売春を続けさせて欲しいと言わねばならない境遇に陥ったのは、彼女たちの責任ばかりではないでしょう。
こういった彼女たちに対し、しかし世間は冷たかった。
昭和27年04月25日、参議院法務委員会において、参議院議員宮城タマヨが、売春防止法を早く施行してほしい、と求めています。
「東京の吉原を調べてみましても、現在ざつと、千三百人以上従業員がおります。
そうしてこの様相は、実に驚いたものがあるのでありますが、そういうことが、一体今後、いつまで許されるものか」
「慰安婦として、政府が集めましたその人たちが、まだ随分残つておる。
それで、その人たちは、実に大手を振つて、威張つてこの仕事に従事しておりますのでございます。
政府からもお招ばれしているんですよ、ということを、まだ言つておるのです。
それで一つ、どうしても早い機会に、これは何とかしてほしいのでございますが、これにつきまして、政府の御意見は如何でございましようか」
戦後、日本政府は、連合軍が進駐してくるよりも前に、兵隊には慰安所が必要だろうと勝手に決めつけて、特殊慰安所RAAを設けました。
そこに、戦時中に慰安婦だった女性も、多く応募しました。
彼女たちは、GHQが、慰安所の閉鎖を命令したことで失職したあとも、売春婦として生きていました。
宮城タマヨは、いつまでそんなことをさせているのか、と問うのです。
売春婦風情が大手を振って、大威張りで生きるとは何事かと。
「政府にいわれて売春していたのだ」と、いまだに言っているが、許しがたいと非難するのです。
司法大臣を夫に持つ宮城タマヨは、戦前から、上流社会の名士でした。
戦時中には、こんなことを書いていた人です。
「敵の本土上陸、本土決戦は、地の利からも、兵員の上からも‥‥決して不利ではありません。
一億一人残らず、忠誠の結晶となり、男女混成の総特攻隊となつて敢闘するならば、皇国の必勝は決して疑ひありません」
「大義に徹すれば、火の中、弾の中をものともせぬ献身の徳は、肇国以来の日本婦道でございます」
『主婦之友』1945年7月号「敵の本土上陸と婦人の覚悟」
てなことを書いていた御仁が、敗戦とともに、くるりと手のひらを返して参議院議員におさまり、「平和憲法」「民主憲法」に賛成しました。
戦時中、この人は、夫を兵隊に取られた庶民の苦労など、お構いなしでした。
生活苦を嘆く若妻に、彼女はこう、ご託宣を下していました。
「良人の収入の範囲で、生活を築いていくと言うことが、モットーにならなければ、その家庭は健全に育っていきません。
新家庭がお金に不自由するのは、むしろ当然だと私は思いますよ」
「これからの日本では殊に、厳しいとか辛いとかいうことを、知らないで過ごされるような人を作らなくちゃなりません」
『主婦之友』1941年12月号「戦時下花嫁の生活建設相談会」
厳しいとか辛いとかいうことを知らないで過ごすというのは、苦労を苦労と思わないようになるべきだという意味です。
何でも闇で買える優雅な暮らしを送りつつ、平気でこんなことを書く人でした。
だから、元慰安婦の苦労など顧みることがなかったのは、当然といえば当然です。
元慰安婦たちの、「自分たちだってお国に尽くしたのだ」という、せめてものプライドを切り捨てて、
たかが売春婦が、「大手を振つて威張つて」いるのが許せないと。
こういう人が参議院議員に当選した一方で、松井リウは、紹介議員さえ得ることができなかったために、陳情書を政府専門員に代読してもらった。
日本人元慰安婦は、声を上げなかったのではありません。
声を上げたのです。
兵隊と一緒に苦労したのに、恩給ももらえない身の上でした。
戦史に華々しく飾られることもない彼女たちです。
せめて売春を続けさせて欲しい、としか言えない哀れな立場でしたが、そのような境遇に追いやった政府に向かい、精一杯の抗議をしたのでした。
その声は聞き入れられることがなく、無視されました。
上品でご立派なご婦人から、嘲笑され、見下げられ、切り捨てられました。
彼女たちのその嘆きと怒りの声が、かろうじて、いまも国会議事録に残っているのです。
2014年8月3日
⑦ 慰安婦の働き方と報酬額 1) 慰安婦業者の契約書を確かめる
ネトウヨや右翼評論家によって、慰安婦はとんでもない高給取りだ、というデマが流されています。
その証拠として、元慰安婦の文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳が、引き合いにだされます。
文さんが慰安婦をしていたときに、軍事郵便貯金として、26,145円を貯めていた通帳の原簿が、日本に残っていたのです。
小野田少尉の話では、当時の大卒初任給が40円だったというので、その54年分にあたるそうです。
そこで、「そんなに稼いでおきながら、何が性奴隷だ」という意見になります。
だけど、その意見は間違っているのです。
文さんのことは、別の回で確かめるとして、まずは慰安婦の稼ぎについて、一般的な状況を確かめましょう。
それには、雇用契約を見てみるのが一番確かです。
女性達は、どんな契約を結んで、戦地へ赴いたのでしょうか。
『上海派遣軍慰安所酌婦契約条件(しゃんはい はけんぐん いあんしょ しゃくふ けいやくじょうけん)』という文書が残っています。
慰安婦の募集に歩いていた男を、警察が捕まえて、持っていた契約書を出させたものです。
誘拐の疑いでいったんは逮捕したものの、軍がバックについていることがわかったので、警察は男を釈放してしまいました。
では、中身を見てみましょう。
ひどいものです。 (写真)
前借金で身分をしばって働かせる、いわゆる「身売り」という契約です。
こういうのは公序良俗違反なので、民法上は無効でした。
明治時代に、大審院でその判例が確定しています。
無効な契約なのに、庶民の法的無知に乗じて、有効であるかのように見せかけて結ばせた、詐欺契約です。
契約書は、16才の女子にまで、売春させようとするものです。
こんな子どもに売春させるのは、いくら親の同意があっても、完全に違法です。
前借金の最高は、500円。
都会で働く会社員の初任給が、40円だったというので、その1年分です。
農家には大金でした。
契約書には、前借金のうち、2割を経費として天引きすると書いてあります。
500円借りても、2割を天引されるので、手に乗るのは400円。
2年間働いて返さなければならないのは、元の500円です。
2年で2割は、アドオン金利で年利10%。実質年利はもう少し高くなります。
社内貸付としては、常識はずれの高利と言えます。
慰安婦は、2年間の契約ですが、病気などで中途でリタイアしたら、年利12%をつけて、前借金を返さねばならない。
そのうえ、別に、前借金の1割という、高額な違約金を取ると定めてあります。
これでは、女性は、なにがあろうと辞めるに辞められません。
しかし本当のところ、業者側は、女性に途中でリタイアされたって、痛くもかゆくもないのです。
それは後で計算します。
慰安婦が、月給として手に出来るのは、水揚げの1割でした。
兵が支払った料金は、1回1円ないし1円50銭だったといいます。
1人30分で1日に12時間働けば、24人を相手に出来る勘定です。
実際には洗浄時間も休憩も必要だから、仮に20人としましょう。
1日に20円ないし30円の水揚げということになります。
30日働けば600円ないし900円の水揚げです。
手取りが1割なので、手に出来るのは60円から90円の計算となります。
小野田元少尉によれば、普通のサラリーマンの初任給が40円でした。
普通のサラリーマンの月給は100円とされていました。
100円が50万円にあたるとすれば、慰安婦の手取りは30万円から45万円。
1日12時間、1ヶ月30日も体を酷使して働いて、この金額です。
時間給にして800円から1200円です。
バカバカしいほど安いと思いませんか。
住む、食べる、置き薬代は、業者負担だと書いてあります。
それ以外の経費、たとえば着物や下着や化粧品、日用雑貨、性病以外の医者代、嗜好品、酒、タバコなどは、女性が自分で負担しなければなりません。
彼女たちは、原則として外出も出来ないので、ちょっと手慰みにバクチでもおぼえさせられたら、あっという間にカスられてしまう金額です。
ところで証言によれば、1日40人も、相手をさせられた女性もいたといいます。
これぐらい働けば、女性にも貯金ができるでしょう。
しかし、そういうタフな一部の女性をのぞき、普通の体力、普通の性的能力しかない女性には、経済的実入りは驚くほど少ないのが実情でした。
さて、女性ひとりが月に600円ほども稼いでくれれば、給料を支払ったあとで雇い主が手にできるのは540円。
これなら、500円貸し付けても、1ヶ月で元が取れます。
半年働いてくれれば、ボロ儲けです。
途中でリタイアされたって、なんてことない。
前借金を回収したあとは「維持管理費」を支出するだけで、稼げば稼ぐほど丸儲け。
維持費と言ったって、建物は軍が建ててくれるのだし、食料まで支給された所もあるから、本当の丸儲け。
雇い主側としてはもうかってしかたがない。笑いの止まらない商売でした。
女性さえ集めれば、こんなにおいしい商売だもの、金にあかせた女性の獲得競争が始まったことは、想像に固くありません。
前借金が釣り上げられ、最高で2000円ほどにもなったといいます。
芸者稼業は、すればするほど借金の増える商売だったといい、2年間働けば、その借金がチャラにできるというのは、プロの女性にとってうまみのある仕事だったと言えます。
業者の立場で言えば、2000円ぐらいなら、4ヶ月で元が取れるのです。
これほどうまい商売だから、金にいやしい連中が、女性を集めるのにまともな方法ばかりとっていたかどうか。
現在の闇金業や、ウラ風俗業にたずさわる紳士たちが、どういうことをしているか考えれば、類推できるのではないでしょうか。
今回は、業者と女性の、契約条件を見てみました。
次回は、軍が作った契約書を確かめます。
2014年8月4日
⑧ 慰安婦の働き方と報酬額 (2) 日本軍の契約書マニュアルを確かめる
前回は、慰安所業者の契約書を見ました。
今回は、軍が作成した規則です。
こういう契約を結べ、という決まりです。
資料の名前は、「馬来軍政監」作成の、「規則集」に収録されている「慰安施設及旅館営業遵守規則」。
そこに、「芸妓、酌婦、雇傭契約規則」というのが、定められています。(写真)
軍がこういった規則を作った背景に、無茶な搾取をする業者と慰安婦との間に、トラブルがあったのではないかと、私は推測しています。
では、規則を確かめてみましょう。
慰安婦の給料は、「慰安婦配当金」といいます。
前借金の額により、配当金が異なります。
前借金が大きいほど、業者のリスクが高いから、「慰安婦配当金」の割合が低くされているのです。
身体はいつ壊れるか分からないんだから、借金が多いほど搾取を強めるのは、雇用主としては当然だ、ということでしょう。
1500円以上
雇主が6割以内、本人が4割以上
1500円未満
雇主が5割以内、本人が5割以上
無借金の場合
雇主が4割以内、本人が6割以上
前借金の返済については、「慰安婦配当の3分の2以上」と規定されています。
水揚げの4割~6割の手取りから、さらに、前借金を3分の2もさっ引かれるのです。
米軍が、捕虜にした慰安所経営者に尋問した、いわゆる「ミッチナ捕虜尋問調書」には、
慰安婦の負債額に応じて、経営者が水揚げの50ないし60%を受け取っていた、と記録されています。
軍の規則に合致した内容ですね。
ここまでは、規則の面から、待遇を見てみました。
しかし、決まりごとと実際が異なるのは、いつの時代も同じこと。
そこで、実際はどうだったのかを、別の資料で確認しましょう。
慰安婦の水揚げがわかる資料があります。
「鉄寧派憲警445号 軍慰安所に関する件報告(通牒)」
アジア歴史資料センター レファレンスコード. C13031898700
「南寧方面 慰安所戸数32 慰安婦295 1日1人当り平均売上19円47銭」
こういった記録なのですが、平均売上は、18円から19円程度のようです。
前回、1日の水揚げを、20円から30円と推測しましたが、その低い方の数字なのですね。
1ヶ月なら、600円です。
前出の「ミッチナ捕虜尋問調書」には、水揚げが「300円から1500円」と記録されています。
病気がちなら、300円程度しか稼げない女性もいたでしょう。
日本人慰安婦なら、将校専用となって、1500円稼げたかもしれません。
条件はいろいろですが、朝鮮人慰安婦の水揚げが、平均600円程度というのは、そんなに大きく間違っていないと思います。
かくして、死ぬほど働いて、1ヶ月600円の水揚げを確保したとします。
2000円も借金があったら、水揚げの6割360円が搾取され、手取りは残り240円です。
そこから3分の2の160円を、返済金として天引きされるから、慰安婦の手元に残るのは80円です。
現代の感覚なら、40万円程度になります。
時間給にしたら1100円ほど。
慰安所業者のつくった契約より、ちょっとだけましですが、これが売春という仕事にふさわしい稼ぎかどうか、私はかなり疑問に思います。
文玉珠さんは、ビルマで宝石を買った、と証言しています。
(元慰安婦が語るのは、悲惨な作り話ばかり、という評価が間違っている一例です)
月給40万円なら、宝石も買えたでしょう。
ただ、それは、1日12時間以上、年間7000人もの兵隊との、セックスの代償です。
こういう無茶をすると、計算では、1年で借金が消えることになります。
しかし、身体はもうボロボロでしょう。
女性を監禁して、辞めることも許さず、時間給1100円で、1日に12時間、月の休みがたった1日か半日で売春させたら、これはどう言い繕っても、やはり奴隷待遇ではないでしょうか。
次回はいよいよ、文玉珠さんの貯金について書きます。
2014年8月5日
⑨ 慰安婦の働き方と報酬額 (3) 秦郁彦説を批判する
本日は、文玉珠さんの貯金通帳について書く予定でしたが、予定を変えて、短くて済むものに変更します。
慰安婦は、月に1000円も2000円も稼ぐ高給取りだったという説が、ネットではびこっています。
こんなに高給だったから、応募倍率が高く、強制連行などする必要はさらさらなかったそうです。
この説の大もとは、慰安婦研究の第一人者、秦郁彦教授です。
本を読まない人たちにそれを広げたのは、産経新聞です。
教授は、元防衛大学校教授にしてプリンストン大学大学院客員教授、そして日大教授という、素晴らしい肩書きをお持ちの方です。
このような方が唱えておられる説を、私ごときが批判するのはおこがましいのですが、やはり一言せねばなりません。
教授は、こんなことを書いておられます。
「経営者との収入配分比率は40~60%
女性たちの稼ぎは月に1000~2000円、
兵士の月給は15円~25円。」
「慰安婦と戦場の性」270ページより
これをもとに、慰安婦は、総理大臣の2倍の給料をもらっていた、なんて言われております。
さて、この数字ですけど、ちょっと検算してみましょうか。
仮に女性が、50%を受け取るとします。
2000円稼ぐには、水揚げが4000円なければなりません。
どれくらいの兵隊を相手にしたら、これだけ稼げるでしょうか。
兵が支払う料金が、1回1円から1.5円だったそうです。
4000円にするためには1ヶ月に2600人から4000人の兵を相手にしなければなりません。
30日働いたとすると、1日あたり86人から130人!
こんなこと、できるんでしょうか?
兵の持ち時間は、1人あたり30分だったそうです。
すると、86人を相手するには、1日に43時間必要なんですよね。
130人なら65時間です。
とんでもない仕事ですね。
1000円稼ぐには、21.5時間から32.5時間です。
どんなに慰安婦が頑張っても、1日は24時間しかありませんし、人間は寝なければ死にます。
プリンストン大学院の教授は、数字には強いかも知れないけれど、その数字を現実に適用する想像力がないみたいですね。
ところが、さらに驚いたことに、この程度の検算もしないまま、評論家などによって、「慰安婦高給説」が、テレビで堂々と流されているのです。
そのバカバカしさたるや、本当にお話になりません。
2014年8月6日
⑩ 慰安婦の働き方と報酬額 (4) 文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳【写真】
慰安婦は高給取りだった、とのデマが右派から流されていて、その証拠として、元慰安婦の文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳が、引き合いにだされます。
元慰安婦の文さんが、戦時中に、軍事郵便貯金として26.145円を貯めていた通帳の原簿が、日本に残っていたのです。
小野田少尉の話では、当時の大卒初任給が40円だったというので、その54年分にあたるそうです。
そこで、「そんなに稼いでおきながら、何が性奴隷だ」という意見になります。
だけど、その意見は間違っているのです。
■軍事郵便貯金の正体
まず、「軍事郵便貯金」というのが何か、の説明をしておきましょう。
これは、郵便貯金と名がついていても、郵便局の貯金ではありません。
軍事郵便局というのは、軍の機関です。
預ける通貨は、軍票でした。
文さんのいたビルマでは、ルピーの軍票が発行されていました。(写真)
1ルピーは1円、と数えました。
しかし、本当の円ではなく、ルピーを円に替えることは禁じられていました。
■軍事郵便貯金は、日本円に替えられなかった
軍事郵便貯金が交換できたのは、軍人・軍属だけで、それも、現地で交換できたのではなく、内地への電信送金に限られていました。
金額も、月額100円まででした。
つまり、生活費相当です。
民間人の交換は、禁じられていました。
なぜなら、軍人・軍属の給料は、戦時予算で手当されていたので、円の裏付けがあったけれど、
日本軍が物資を調達するために、大量発行した軍票には、円の裏付けがなかったからです。
円の裏付けのない軍票を、大量発行したので、現地はインフレになりました。
このインフレが、日本国内に波及しないように、政府は、軍票と円の交換を禁じていたのです。
資料1 「南方経済処理ニ関スル件」
昭和17年1月20日 閣議決定
http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00374.htm
資料2 大阪毎日新聞「南方へ邦貨携帯 現地軍で厳重に処罰」1942.7.16(昭和17)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=69155609&comm_id=5973321
現地がどれほどインフレで苦しもうと、日本だけは安泰という、身勝手なシステムを作っていたわけです。
この操作には、横浜正金銀行が使われました。
■文さんがもらったのは紙くずだった
では、軍票の1円は、日本円でいくらになるのでしょうか。
そのことは後にして、先に、彼女が、軍票をたくさんもらった背景について述べます。
彼女はこれを、「兵隊からもらったチップ」だと証言しています。
印字された日付をみましょう(通帳の写真参照)。
1945年4月4日~5月23日の3ヶ月足らずの貯金が、20,360円です。
彼女は、ビルマのマンダレーにいたのですが、ここが陥落したのが45年3月です。
この時点からあと、軍票は使えなくなっています。
3月に価値のなくなった軍票を、4月にもらっているのです。
文さんは、使えないお金-敗戦で紙くずとなった軍票-を、日本軍将兵から、わしづかみで渡されていたのです。
こういう軍票をつかまされたのは、慰安婦に限りません。
在留邦人も同じでした。
その人たちは、日本に引き揚げてきてから、日本円に変えて欲しいと要求しました。
交換できるようになったのは、昭和29年のことでした。
持ち込まれた金額は、10万円が最高、大部分はそれ以下だったそうです。
(昭和29年第019回国会質疑)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/019/0806/01904300806012a.html
文さんは2万6千円だから、かなり下の方の金額です。
1軍票円が、1円に交換されたわけではありません。
換算率は、法律で定められていました。
以下のサイトで、換算表が確認できます。
軍事郵便貯金等特別処理法(昭和29年法律第108号)
http://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hs29-108.htm
その換算表で計算すると、文さんの貯金額は、日本円で3,215円となります。
この年の大卒銀行員初任給は、5,600円だったそうです。
その1か月分にもなりません。
ということで、文さんは全然金持ちではなかったことになります。
この項、つづく
2014年8月10日