⑮ 慰安所は戦地強姦を防ぐことが出来たのか
慰安婦の真実シリーズは、あと一回、まとめを書いて、一応の終了とします。
慰安婦制度を擁護する中に、慰安所を作ったのは、強姦被害を減らすためだった、という意見があります。
その動機はたしかにありました。
しかし、強姦を減らすために慰安婦制度を作るって、犯罪を防ぐために別の犯罪を犯すってことですよね。
そんな理屈が成り立つものでしょうか。
「俺はムシャクシャしていて、このままでは街頭で、無差別にぶん殴りそうだから、代わりにお前を殴って鬱憤を晴らす。
痛いけど人様のためだ、黙って殴らせろ」
こう言われて、誰がおいそれと殴られるでしょう。
強姦防止に効果があろうがなかろうが、してはいけないことはしてはいけない。
そのうえ、効果さえもなかったというのが、本日の記事です。
戦地強姦に限らず、強姦(および性的犯罪)の多くは、性欲からではなく、支配欲から行われるということは、今や通説です。
戦時において強姦が多発しやすいのも、相手を屈服させる、支配するという要請が、強く働くなかで、
性を通じて、相手を支配しようとするからです。
イラクのアブグレイブ刑務所では、女性兵士が男性捕虜に対して、性的虐待を行っていましたが、
彼女たちが、性欲から性的虐待に及んだ、とは考え難い。
サディスティックな支配欲の発露による、と考える方が、すんなりと納得できるのではないでしょうか?
こういうことなら、いくら慰安所をつくっても、強姦は減らないと見た方がよい。
事実、日本軍の資料を見れば、強姦は減っていません。
1.『支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策』
最初の慰安所が作られてから3年を経た、昭和15年11月、
『支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策』(写真)が作られました。
(金福童さんが、14歳で慰安婦にされた翌年です)
原文に適宜句読点を加え、カタカナを平仮名に直し、読み仮名を添えて転記します。
「事変勃発以来の実情に徴(ちょう)するに、赫々(かくかく)たる武勲の反面に、
掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、
為に、聖戦に対する内外の嫌悪反感を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは、遺憾とする所なり」
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11110762000
このように、慰安所をつくっても、強姦が多発しています。
同じ年月に作られた、『事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)』にも、同じ悩みが漏らされています。
「抗命、辱職、逃亡、殺人、傷害、強姦等依然減少せず」
(アジア歴史資料センター Ref.C11110759600)
『軍紀振作対策』には、開戦後約1年半で、略奪+強姦致死傷で罰せられた兵が420人。
強姦致死傷だけで罰せられた兵が312人。
合計で732人、と載っています。
見つかったのは、犯行のほんの一部、目に余るものだけだろうし、脅して口止めした例もたくさんあると聞きますので、
実数がどの程度なのか、皆目見当が付きません。
しかも、対象となっているのは、「強姦」ではなくて「強姦致死傷」ですから、
強姦は、まだ軽い罪とみなされてか、取締対象にすらなっていません。
対策として、『軍紀振作対策』は、もっと慰安所をつくるべきだという提言をしており、慰安所作りに拍車がかかることになりました。
2.『陸支密大日記 第9号』
大量の慰安所をつくった結果、強姦事件は減ったのでしょうか。
統計資料があったはずなのですが、焼却されたのか、現存していません。
しかし、様子を知る手がかりが、ないではありません。
昭和17年 「陸支密大日記 第9号」です。
開戦以来5年目です。
対策が功を奏しないことに、業を煮やした軍隊司法当局は、陸軍刑法に「強姦罪」を新設し、非親告罪にしました。
軍隊司法は、それなりに、強姦多発に頭を痛めていたのです。
その理由は、強姦が、許しがたい犯罪だからではありません。
討伐に出れば、索敵もそっちのけに、強姦に夢中になって戦闘がおろそかになること、
日本軍への民衆の恨みばかりが増して、占領がうまくいかないからでした。
「戦地における強姦は軍紀を破壊し、軍の爾他の宣撫工作を、一切無効ならしむ。
又、被害者において、御難を恐れ告訴を躊躇する場合、極めて多きをもって、非親告罪として処分するの要あり」(写真)
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04123725700
3.『陸軍軍事警察月報』
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A06030009400
つぎは、昭和20年の資料です。
慰安所を作り、刑法を厳しくして、それでどうなったでしょうか。
『陸軍軍事警察月報』は冒頭で、「多発犯罪左の如く」と上げる中に、逃亡、掠奪、窃盗と並んで、やはり戦地強姦が並んでいます。
巻末にグラフがついていて、昭和20年の犯罪が、群を抜いて多いことが分かります。
昭和20年は、慰安婦の数が最も多かった年のはずですが、そういう状態でした。
日本軍は、戦争中の強姦多発に悩まされ、沢山の慰安所を作りました。しかし、作っても作っても強姦が減らないので、ずっと「慰安所が足りない」「慰安所をつくれ」「慰安婦を呼べ」と言い続けていました。
しかし、どれほど無理をして女性を連れてきても、強姦防止に関して、結局のところ効果的がなかったのです。
効果があっても許せないのに、効果がないことに血道を上げていたのですから、
もはやこれは、どうしようもない愚策であり、あまたの女性に、筆舌に尽くせない苦しみを与えた人道的犯罪でした。
国内法に違反する、奴隷契約でした。
こんなものを擁護し、公文書で明らかな事実さえも否認する、自民党と安倍内閣は、恥ずべき存在です。
一日も早く打倒し、新しい政府に、元慰安婦に対して、これまでの過ちをきちんと謝罪させ、確固たる名誉回復をさせること、
それなしに、地に墜ちた日本の名誉を、回復する手立てはないと思います。
2014年8月12日
⑯ 最終回
できるだけ分かりやすく書くつもりだったのに、だんだん込み入った話になってしまいました。
反省です。
長くて論証ばかりの文章におつきあい下さって、有難うございました。
これで、ネトウヨやクソ評論家の定番ネタに、あらかた反証できたかなと思います。
もしも、慰安婦問題で、ウヨがチャチャを入れてきても、この程度の資料を並べれば、大抵の奴は引き下がるはずです。
まあそれにしても、ウヨたちは、丸っきりのデマを信じ込んで、ヘイトをカマしてくるわけです。
で、ですね、読んで貰ったような、わりと細々した裏付けを背景にして、私は奴らに、街頭でこう怒鳴り上げるのです。
アホ!ボケ!クソ!カス!死ね!
こういった罵倒を良しとしない向きがあることは、重々承知しておりますが、
この程度の罵倒を浴びても仕方がないことを、連中はしてきました。(と私は判断します)
ただ単に、バカ同士が、言葉のうんこを投げ合っているように見えるかも知れません。
けれども、私が「ボケ!カス!」と罵るのには、それなりの下地というか、裏付けというか、根拠があるのであって、
他に言うことを知らないアホが、ただ罵っているわけではないことだけは、ご理解願いたいなと。
まあ、あんまり言い訳にもなりませんが。
なぜそうするか、ですけれどね。
奴らの中の確信犯的イデオローグたちは、奴らの政治目的のために、意図的に歴史をねじ曲げますよね。
そいつらはプロウヨです。
職業的デマゴーグです。
わかっててやっているのだから、いくら批判され論破されても、改めません。
街頭で、日の丸おっ立ててわめいている奴らの中にも、確信犯的差別者がいます。
そいつら行動派も、いくら批判されても、行動を改めません。
この連中は、死ぬまでデマゴーグだろうし、差別者です。
焼かないと治りません。
まともに相手にしたって、不毛でしかない。
こいつらは、何を言われてもされても、屁の河童なんです。
屁の河童に勝つには、陸に上がった河童にするしかありません。
奴らから、支持者を引き剥がして、干上がらせるのです。
理論闘争は、奴らの周りの、付和雷同分子の確信を、揺るがせるためです。
街頭で、中指立てて、コラ!ボケ!とわめくのは、ビビリの付和雷同分子を、物理的に蹴散らすためです。
やり方は全然違いますが、二つの方法は、ちゃんと共通しているのです。
単に騒いでいるだけではない。
ここが、馬鹿ウヨとカウンターの、質の違いというもんです。
この国の頭目たちは、まともに理性的なやり方では、集団的自衛権や改憲を推進できない、と見切っています。
それは、日本に根付いた民主思想、ピースマインドが、強固だからです。
ここを切り崩すために、差別心をあおり、劣情を刺激して、情緒的なところから突破しようとしている。
つまりこれは、日本の進路を左右するたたかいです。
負けるわけにはいきません。
そういうことで、平和運動、民主運動と、反ヘイト運動を結合して、戦う必要があろうと、私は考えております。
これで、慰安婦のことはいったん閉じますが、たたかいは続きます。
シリーズで書いたことは、どのように使っていただいても構いません。
使えるなら、学習会の資料や、ウヨども相手の論争に、役立てていただければ幸いです。
有難うございました。
2014年8月13日
泥 憲和
慰安婦の真実シリーズは、あと一回、まとめを書いて、一応の終了とします。
慰安婦制度を擁護する中に、慰安所を作ったのは、強姦被害を減らすためだった、という意見があります。
その動機はたしかにありました。
しかし、強姦を減らすために慰安婦制度を作るって、犯罪を防ぐために別の犯罪を犯すってことですよね。
そんな理屈が成り立つものでしょうか。
「俺はムシャクシャしていて、このままでは街頭で、無差別にぶん殴りそうだから、代わりにお前を殴って鬱憤を晴らす。
痛いけど人様のためだ、黙って殴らせろ」
こう言われて、誰がおいそれと殴られるでしょう。
強姦防止に効果があろうがなかろうが、してはいけないことはしてはいけない。
そのうえ、効果さえもなかったというのが、本日の記事です。
戦地強姦に限らず、強姦(および性的犯罪)の多くは、性欲からではなく、支配欲から行われるということは、今や通説です。
戦時において強姦が多発しやすいのも、相手を屈服させる、支配するという要請が、強く働くなかで、
性を通じて、相手を支配しようとするからです。
イラクのアブグレイブ刑務所では、女性兵士が男性捕虜に対して、性的虐待を行っていましたが、
彼女たちが、性欲から性的虐待に及んだ、とは考え難い。
サディスティックな支配欲の発露による、と考える方が、すんなりと納得できるのではないでしょうか?
こういうことなら、いくら慰安所をつくっても、強姦は減らないと見た方がよい。
事実、日本軍の資料を見れば、強姦は減っていません。
1.『支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策』
最初の慰安所が作られてから3年を経た、昭和15年11月、
『支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策』(写真)が作られました。
(金福童さんが、14歳で慰安婦にされた翌年です)
原文に適宜句読点を加え、カタカナを平仮名に直し、読み仮名を添えて転記します。
「事変勃発以来の実情に徴(ちょう)するに、赫々(かくかく)たる武勲の反面に、
掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、
為に、聖戦に対する内外の嫌悪反感を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは、遺憾とする所なり」
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11110762000
このように、慰安所をつくっても、強姦が多発しています。
同じ年月に作られた、『事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)』にも、同じ悩みが漏らされています。
「抗命、辱職、逃亡、殺人、傷害、強姦等依然減少せず」
(アジア歴史資料センター Ref.C11110759600)
『軍紀振作対策』には、開戦後約1年半で、略奪+強姦致死傷で罰せられた兵が420人。
強姦致死傷だけで罰せられた兵が312人。
合計で732人、と載っています。
見つかったのは、犯行のほんの一部、目に余るものだけだろうし、脅して口止めした例もたくさんあると聞きますので、
実数がどの程度なのか、皆目見当が付きません。
しかも、対象となっているのは、「強姦」ではなくて「強姦致死傷」ですから、
強姦は、まだ軽い罪とみなされてか、取締対象にすらなっていません。
対策として、『軍紀振作対策』は、もっと慰安所をつくるべきだという提言をしており、慰安所作りに拍車がかかることになりました。
2.『陸支密大日記 第9号』
大量の慰安所をつくった結果、強姦事件は減ったのでしょうか。
統計資料があったはずなのですが、焼却されたのか、現存していません。
しかし、様子を知る手がかりが、ないではありません。
昭和17年 「陸支密大日記 第9号」です。
開戦以来5年目です。
対策が功を奏しないことに、業を煮やした軍隊司法当局は、陸軍刑法に「強姦罪」を新設し、非親告罪にしました。
軍隊司法は、それなりに、強姦多発に頭を痛めていたのです。
その理由は、強姦が、許しがたい犯罪だからではありません。
討伐に出れば、索敵もそっちのけに、強姦に夢中になって戦闘がおろそかになること、
日本軍への民衆の恨みばかりが増して、占領がうまくいかないからでした。
「戦地における強姦は軍紀を破壊し、軍の爾他の宣撫工作を、一切無効ならしむ。
又、被害者において、御難を恐れ告訴を躊躇する場合、極めて多きをもって、非親告罪として処分するの要あり」(写真)
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04123725700
3.『陸軍軍事警察月報』
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A06030009400
つぎは、昭和20年の資料です。
慰安所を作り、刑法を厳しくして、それでどうなったでしょうか。
『陸軍軍事警察月報』は冒頭で、「多発犯罪左の如く」と上げる中に、逃亡、掠奪、窃盗と並んで、やはり戦地強姦が並んでいます。
巻末にグラフがついていて、昭和20年の犯罪が、群を抜いて多いことが分かります。
昭和20年は、慰安婦の数が最も多かった年のはずですが、そういう状態でした。
日本軍は、戦争中の強姦多発に悩まされ、沢山の慰安所を作りました。しかし、作っても作っても強姦が減らないので、ずっと「慰安所が足りない」「慰安所をつくれ」「慰安婦を呼べ」と言い続けていました。
しかし、どれほど無理をして女性を連れてきても、強姦防止に関して、結局のところ効果的がなかったのです。
効果があっても許せないのに、効果がないことに血道を上げていたのですから、
もはやこれは、どうしようもない愚策であり、あまたの女性に、筆舌に尽くせない苦しみを与えた人道的犯罪でした。
国内法に違反する、奴隷契約でした。
こんなものを擁護し、公文書で明らかな事実さえも否認する、自民党と安倍内閣は、恥ずべき存在です。
一日も早く打倒し、新しい政府に、元慰安婦に対して、これまでの過ちをきちんと謝罪させ、確固たる名誉回復をさせること、
それなしに、地に墜ちた日本の名誉を、回復する手立てはないと思います。
2014年8月12日
⑯ 最終回
できるだけ分かりやすく書くつもりだったのに、だんだん込み入った話になってしまいました。
反省です。
長くて論証ばかりの文章におつきあい下さって、有難うございました。
これで、ネトウヨやクソ評論家の定番ネタに、あらかた反証できたかなと思います。
もしも、慰安婦問題で、ウヨがチャチャを入れてきても、この程度の資料を並べれば、大抵の奴は引き下がるはずです。
まあそれにしても、ウヨたちは、丸っきりのデマを信じ込んで、ヘイトをカマしてくるわけです。
で、ですね、読んで貰ったような、わりと細々した裏付けを背景にして、私は奴らに、街頭でこう怒鳴り上げるのです。
アホ!ボケ!クソ!カス!死ね!
こういった罵倒を良しとしない向きがあることは、重々承知しておりますが、
この程度の罵倒を浴びても仕方がないことを、連中はしてきました。(と私は判断します)
ただ単に、バカ同士が、言葉のうんこを投げ合っているように見えるかも知れません。
けれども、私が「ボケ!カス!」と罵るのには、それなりの下地というか、裏付けというか、根拠があるのであって、
他に言うことを知らないアホが、ただ罵っているわけではないことだけは、ご理解願いたいなと。
まあ、あんまり言い訳にもなりませんが。
なぜそうするか、ですけれどね。
奴らの中の確信犯的イデオローグたちは、奴らの政治目的のために、意図的に歴史をねじ曲げますよね。
そいつらはプロウヨです。
職業的デマゴーグです。
わかっててやっているのだから、いくら批判され論破されても、改めません。
街頭で、日の丸おっ立ててわめいている奴らの中にも、確信犯的差別者がいます。
そいつら行動派も、いくら批判されても、行動を改めません。
この連中は、死ぬまでデマゴーグだろうし、差別者です。
焼かないと治りません。
まともに相手にしたって、不毛でしかない。
こいつらは、何を言われてもされても、屁の河童なんです。
屁の河童に勝つには、陸に上がった河童にするしかありません。
奴らから、支持者を引き剥がして、干上がらせるのです。
理論闘争は、奴らの周りの、付和雷同分子の確信を、揺るがせるためです。
街頭で、中指立てて、コラ!ボケ!とわめくのは、ビビリの付和雷同分子を、物理的に蹴散らすためです。
やり方は全然違いますが、二つの方法は、ちゃんと共通しているのです。
単に騒いでいるだけではない。
ここが、馬鹿ウヨとカウンターの、質の違いというもんです。
この国の頭目たちは、まともに理性的なやり方では、集団的自衛権や改憲を推進できない、と見切っています。
それは、日本に根付いた民主思想、ピースマインドが、強固だからです。
ここを切り崩すために、差別心をあおり、劣情を刺激して、情緒的なところから突破しようとしている。
つまりこれは、日本の進路を左右するたたかいです。
負けるわけにはいきません。
そういうことで、平和運動、民主運動と、反ヘイト運動を結合して、戦う必要があろうと、私は考えております。
これで、慰安婦のことはいったん閉じますが、たたかいは続きます。
シリーズで書いたことは、どのように使っていただいても構いません。
使えるなら、学習会の資料や、ウヨども相手の論争に、役立てていただければ幸いです。
有難うございました。
2014年8月13日
泥 憲和