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木下直之『股間若衆 男の裸は芸術か』

2012-07-06 04:53:00 | ノンジャンル
 DVD『怪談新耳袋―開けちゃだめ編』に収録されていた、高橋洋監督の'03年作品、第十二話『庭』を見ました。かおりから自宅に来てほしいという電話を受けた悦子は、虫の羽音が聞こえるため、電話口のそばに虫がいないか尋ねます。かおりの自宅を訪ねた悦子は、嫌な印象を受けますが、かおりの夫が何も感じないと言っているのを聞くと、あまり気にしないほうがいいと言って、帰宅します。かおりが1人になると、突然割れる茶碗。洗い物をしていると、2階から掃除機の音が聞こえて来ます。2階に行ってみると、掃除機がコンセントにつないでありますが、スイッチは切れていて無人です。かがんで掃除機に触れようとすると、掃除機の向こうに青ざめた足だけが見えます。血の気が引いて固まるかおり。勇気を振り絞って頭を上げると、そこにはもう誰もいません。そこへ悦子から電話があり、「庭で何を飼っていた?」と尋ねられます。早く家を出た方がいいと言う悦子。庭を見下ろしたかおりは、そこにある檻に裸の人間の姿が一瞬見え、それが奥に引っ込むのが見えます。以前、この家には殺人鬼が住んでいて、殺された人を猛獣の餌にしていた、とかおりが語る声がして、映画は終わります。檻の中の人間が貞子のぬらぬらした感じにそっくりで、やはりこういうのが高橋君の好みなのかなあ、と思いました。短編としては充分楽しめたと思います。

 さて、朝日新聞で紹介されていた、木下直之さんの'12年作品『股間若衆 男の裸は芸術か』を読みました。
 著者は赤羽駅前に立つ二人の青年の裸像の股間が曖昧にもっこりしているのに気付き、男性の裸像の股間の扱いについて調べ始めます。1908年の第2回文展では朝倉文夫の男性裸体像の股間表現に官憲が修正を求め、像の男根を切り落とす事件があり、それ以降、男根は木の葉などで隠す方法が一般化したことを著者は知ります。そして北村西望の作品に至っては、股間が溶けてしまう状態にまで「進化」してしまいます。
 著者は男性の裸体の写真についても考察を広げ、ポーズによって男根を隠すことが常態化し、やがて舞踏家の裸体を写したり、三島由紀夫のヌード、そして刺青をした男のヌードの写真が多く撮られたことに言及します。また駅前に立つ多くの男性裸像への調査もされます。
 次には、女性ヌードへの言及もされ、明治時代に女性ヌードの絵画が取り締まられた経緯が述べられ、それが女性の裸像にも波及し、「接吻」という言葉の取り締まり、健康の顕彰のための男性ヌードのポスター、進化を表す男性裸像、文化国家を目指す上での裸像の取扱われ方、二科展前夜祭でのヌード、芸術としてのヌード、女性ヌード写真、『薔薇族』に代表される男性ヌード写真などにも言及されます。
 そして最後に、各地での小便小憎像・「股間若衆」の生息地の紹介、様々な男性の股間の表現、各地の「考える人」像、西武池袋線沿線の「股間若衆」を巡る旅・金沢の「股間若衆」を巡る旅の紹介がされます。
 男性裸像の股間の表現について書かれた1册の本という希有な書物であり、ちゃんとした大学教授でありながら、そのユーモラスな文章は宮田珠己さんをも想起させる楽しいもので、一気に読ませていただきました。股間に関しては、現在も「毛が表現されて(写って)いたらアウト」というのが警察での取り締まりの基準らしく、日々目をこらして「毛の存在」を追っている警察官がいると思うと、滑稽と思うよりも「大変は仕事だなあ」というのが率直な感想でした。駅前に立つ全裸像に違和感を少しでも抱く方にはお勧めの本です。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/