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内澤旬子『身体のいいなり』その2

2012-07-11 08:38:00 | ノンジャンル
 昨日、山田五十鈴さんの訃報が大きく報道されていました。期せずして、先日亡くなったアーネスト・ボーグナインと同じ享年95才。蓮實先生が紹介している『マリヤのお雪』をいずれ見ることができることを祈るとともに、心よりお悔やみ申し上げます。

 さて、昨日の続きです。
 著者は病院で検査を受けると、それは癌細胞が吐き出した粘液でした。切除手術を行うこととなり、その際、腋下のリンパ節細胞を3カ所ほど採取して、リンパ節にまで癌が転移していないか、その場で病理診断することにもなります。そして配偶者に立会いを頼み、'05年5月に手術。それまでで一番きつかったのはMRIで、土管のような筒にうつぶせに入れられ、身体はもちろん顔の向きすら変えることを許されないまま、一時間半閉じ込められ、その間、鉄パイプを持ったヤンキーが外から土管をガンガン襲撃するような爆音が響き渡るというものでした。また身体をモノ扱いされるのもきつかったと著者は書きます。手術後は猛烈な不快感と拘束感とともに目覚めますが、幸い腋下のリンパ節には転移がなかったとのことでした。その後、退院まで、妊婦と一緒の入院に居心地の悪さを感じます。
 退院して癌の体験者に「保険に入ってなかったら、300万は見ておいたほうがいい」と言われ、末期になってから緩和ケアを行うホスピスにすぐ転院することは現状では難しいことを知ります。退院後、身体はもうまったく動けなくなり、3ヶ月後には今度は右胸に2つほどビー玉大のしこりを見つけます。'05年10月、二度目の切除手術。残った乳腺には左右ともどもまだまだ癌の芽が散らばっていました。傷に当てるガーゼを固定するテープの痒み、腋下のリンパ節細胞を一部採取したことによる左腕の痛みが続き、やっとそれらから解放されると、今度は癌の再発を防ぐためのホルモン療法の副作用、「のぼせ」と聴覚の異常に悩まされるようになります。それらの副作用が日常となった'06年5月に、ようやく1册目の単著『センセイの書斎』を上梓。トークショーを強行しているうちに、ある晩、難波駅の地下通路で息が苦しくなり、一歩も歩けなくなったりもします。やがて'06年の初秋にヨガを開始。そのおかげで安眠できるようになります。それからどんどん体調は回復していきますが、ヨガにつきものの「祈り」と「菜食主義」にはついていけませんでした。
 ヨガ教室に通うようになってからは、それなりに身だしなみにも気をつけざるを得なくなり、軽石で足の裏を擦る毎日が始まります。そして足裏をつるつるに綺麗にすると、とても気持ちいいことにも気付くようになります。ヨガを始めて半年ほどしたころから、身体の変化が少しずつ現れてくるようになります。睡眠が深くなり、少々の無理がきくようになります。身体の冷えも少しよくなります。一方で、ホルモン療法の副作用は日に日に確実にひどくなっていました。のぼせと音が相まって、狭い場所にいられなくなり、その結果、著者は仕事場と居住空間を分けるため、引越しをすることになります。中古ぼろマンションを買い、'07年1月、引越しを完了します。そして'07年1月末付で『世界屠畜紀行』を刊行。それがきっかけでテレビ番組の企画が入り、3ヶ月、60時間の撮影期間に付き合い、それ以降、仕事量が増え出します。そしてその時からメイクが可能になっている自分にも気付きます。体力もつきますが、やはりホルモン療法の副作用に悩まされ、その結果、乳腺の全摘出手術、同時にその半年後の乳房再建手術も決意します。そして現在、著者は飲めなかったお酒も飲めるようになり、毎月の生理も来るようになりますが、自分は所詮肉の塊であるとの認識を得ることにもなったのでした。

 いろんなことを学ばせてもらった本でしたが、一番勉強になったのはヨガの効用でしょうか。「所詮肉の塊」という言葉も重いとともに、真実の言葉であると思いました。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/