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ポール・オースター『インヴィジブル』その1

2019-05-12 07:09:00 | ノンジャンル
 先日、UPLINK渋谷にて、『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』を観てきました。映画はビル・エヴァンスの生涯を描いたドキュメンタリーで、定員100人ほどの会場は昼の会なのに満員で、映画のラストではそこここからすすり泣く声が聞こえていました。ビル・エヴァンスのファンの方は必見の映画です。

 さて、ポール・オースターの2009年作品『インヴィジブル』を読みました。

 1967年の春、私は彼と初めて握手した。そのころ私はコロンビア大の二年生で、何も知らない、書物に飢えた、いつの日か自分を詩人と呼べるようになるんだという信念(あるいは思い込み)を抱えた若者だった。(中略)ルドルフ・ボルンと彼が名のると、私の思いはただちに彼(か)の詩人へと向かった。(中略)自分がなぜそこにいたのか、私は覚えていない。誰かに誘われて行ったのだと思うが、それが誰だったのかはもうとっくに忘れてしまった。パーティをどこでやっていたのかさえ思い出せないし(中略)そもそも誘いに応じた理由も覚えていない。(中略)覚えているのはこんな情景だ。その晩のどこかの時点で、私は部屋の隅に一人で立っていた。(中略)私が気づかないうちに、ついさっきから、二人の人物がラジエーターの上に腰かけていたのだ。一人は男でひとりは女、(中略)男は三十五歳前後、女は二十代末から三十代前半。彼らは私の目に、釣りあいの悪いペアと映った。ボルンはくしゃくしゃの薄汚れたリネンのジャケットを着て、その下のワイシャツも同じくくしゃくしゃなのに対し、女性は(名はマルゴだとやがて判明した)全身黒ずくめだった。(中略)その姿の気品と洗練は、時代の理想的女性像を体現しているように思えた。ボルンが言うには、自分たちはもう帰ろうとしていたのだが、私が隅に立っているのを目にとめ、ひどく悲しそうな顔をしているものだから、寄っていって励ましてやろうと思ったということだった。(中略)たぶん学生なんだろうね。まず間違いなく、文学部。NYUかい、コロンビアかい? コロンビアです。コロンビアか、と彼はため息をついた。(中略)ご存じなんですか? 九月から国際情勢研究所で教えているのさ。客員教授として一年契約で。有難いことにもう四月だから、あと二か月でパリに帰れる。じゃあフランス人なんですね。境遇、価値観、パスポート上ではそうだ。でも生まれとしてはスイス人。(中略)で、僕らの陰鬱たる大学で何を教えていらっしゃるんです?(中略)具体的には、フランス植民地主義の失敗だ。アルジェリアを失った歴史で一コマを教えて、もう一コマでインドシナを失った歴史をやっている。僕たちの国があなた方から引き継いだ、あの麗しい戦争の話ですね。戦争の重要性を侮ってはいけない。戦争は人間の魂の、もっとも純粋で生々しい表現だ。(中略)やっていることとは? 文筆です。書き綴ることの技芸。そんなことだろうと思った。部屋の向こうから君を見たとき、マルゴは言ったんだ。あの悲しそうな目をした、憂い顔の男の子、見てよ。あの子絶対詩人よって。(中略)ええ、詩は書きます。あと、『スペクテイター』に書評も。学部生の新聞かあ。(中略)書評に原稿料はもらうのかい? もらえやしません。大学の新聞なんですから。(中略)詩人にして時には書評者、とボルンはなおもマルゴに向って言った。そしてあの高台の荒涼たる砦の学生、ということはたぶん我々の近所の住人だね。だが彼に名はない。少なくとも私が認識している名は。ウォーカーです、と私はさっき握手したとき自己紹介を怠ったことに気づいて言った。アダム・ウォーカー。(中略)話はもっとあった。もっとずっと、たっぷり一時間話題から話題へと漫然と跳ねていった。一方、謎の人マルゴは、ラジエーターから立ち上がって私から煙草をねだったあとは、ずっと立ったまま、会話にはあまり、というかほぼまったく貢献せず、こっちが口を開くたびにじっと私の顔を、子どものような好奇心もあらわに、まばたきもせず見据えていた。(中略)いずれ全部話す、だがもっと静かなところじゃないと、とボルンは言った。私のこれまでの、信じがたい人生の話全部だ。いいかい、ミスター・ウォーカー。君はいつの日か私の伝記を書くことになるんだ。保証する。(中略)彼らは私の青春のニューヨーク、もはや存在しないニューヨークのある春の夜に騒々しいパーティで会った二人の見知らぬ人物、それだけだった。断言はできないが、我々が電話番号さえ教えあわなかったこともほぼ確信がある。(明日へ続きます……)