昨日の続きです。
・「1枚ではなくて、2枚持ってきてほしい」
官僚のトップである事務の官房副長官・杉田和博が、首相官邸で最高裁の人事担当者に注文をつけた。協議していたのは退官する最高裁裁判官の後任人事案についてだった。一つのポストに候補者1人だったことに、杉田が不満を示したのだ。
退官するのは地裁や高裁の裁判官も務めた職業裁判官。15人いる最高裁の裁判官は、その出自別に、職業裁判官枠や弁護士枠、行政官僚、法学者枠がおおむね決まっている。
行政官僚については以前から、複数の官僚の中から官邸が決めていた。一方、職業裁判官枠の後任は、最高裁が推薦した1人を内閣がそのまま認めることが慣例だったが、杉田は慣例を覆した。
官邸幹部は言う。
「1人だけ出してきたものを内閣の決定として『ハイ』と認める従来がおかしかった。内閣が決める制度になっているんだから」
弁護士枠でも変化があった。
2017年1月、内閣は弁護士出身の判事・大橋正春の事実上の後任に、同じく弁護士出身の山口厚を任命した。「弁護士枠」を維持した形ではあるが、山口は日本弁護士連合会が最高裁を通じて示した推薦リスト7人には入っていなかった。
数日後、日弁連の理事会でこの人事が話題に上った。会長の中本和洋は「政府からこれまでより広く候補者を募りたいとの意向が示された」「長い間の慣例が破られたことは残念だ」と語った。
それまで最高裁判事の「弁護士枠」は、日弁連が示した5人程度のリストから選ばれており、最高裁で人事を担当していた経験者も今回の人事について「明らかに異例だ」と語った。一方、別の官邸幹部は「責任を取るのは内閣。内閣が多くの人から選ぶのは自然だ」と語った。
・そして3年に1度の交代期となった20年秋、首相の菅義偉は、大西の後任会長の山際壽一(やまぎわじゅいち)が示した会員候補105人のうち6人の任命を拒否した。山際は、大西のような「事前説明」を官邸側にしなかった。
・人事権を握る強い官邸を前に、官僚たちは委縮していく。
官邸がとりわけ嫌ったのは、情報漏れだった。
・ある男性はスタッフになることが決まった直後、こんな経験をした。
「中には監視カメラがありますから」
説明役の参事官から言われた。監視カメラはコピー機の近くを映すようになっている。
採用が決まって数日、居酒屋や喫茶店に入ると、いつも近くに同じ人が座っていた。声をかけられるわけでもない。ただ、近くにいた。
早朝、日課の散歩に出ると、日頃は見かけない場所に黒い車があった。自宅近くに戻ると、また同じ車があった。家族がゴミ袋を捨てた。自宅にもう一つの袋を取りに帰り、ゴミ捨て場に戻ると、直前に出していたゴミが消えていた。それも家族が捨てたものだけだ。
・報道機関でつくる記者クラブ「経済産業記者会」は、施錠や内部文書の撤回を世耕に文書で求め、取材対応は一部緩和されたが、施錠は続いた。取材内容に関わる担当職員の在席が確認できず、取材は制約を受けた。
経産省は通産省時代から、開け放たれた大部屋の入り口から他部署の職員や民間企業の社員まで入ってきて自由に議論を交わし、縦割りの弊害を減らす、そんな気風があった。このときの措置で、それが過去のものとなりつつあることを同省幹部は嘆いた。
・人事局の役割はあくまで、その職にふさわしい人物であるかどうかを内閣として判断する審査であり、官僚の法的な人事権は、各府省の大臣が持ったままだ。松井は「大臣が首相、官房長官と協議することを想定していた。例えば、大臣が『この官僚を使いたい』と言えば、首相や官房長官が『いや、考え直して欲しい』というようなやりとりだった」と語るが、第2次政権では、首相と官房長官が固定されているのに対し、多くの閣僚は毎年交代するため、事務次官らは人事案を大臣に示す前に、官房長官の菅や官房副長官の杉田に示すことが多かった。
そして、菅は担当閣僚よりも個々の官僚に関する人物評価を蓄え、影響力を増していった。
・政権の最終盤、新型コロナウイルスの対応に苦しんだ安倍は、国民に広く協力を呼びかけるために何度も記者会見を開いた。しかし、SNS上には「心に響かない」という批判があふれる。
「何をやってもたたかれる」
官邸幹部からはそんな嘆きが聞かれた。分断はもはや対話が成り立たないほどに深くなっていた。批判者には反撃で応じるという政治手法を繰り返した果てに、安倍は日本社会を統合するリーダーとしての言葉を失っていたのかもしれない。
・安倍は本人すら覚えていなかった野党時代の質疑に触れ、閣僚起用の理由を語った。
「攻撃ができる人は守りもできるからね」
安倍自身も国会で、野党の質問に答えるよりも、相手を言い負かすことに力を割く場面が目立った。
(また明日へ続きます……)
・「1枚ではなくて、2枚持ってきてほしい」
官僚のトップである事務の官房副長官・杉田和博が、首相官邸で最高裁の人事担当者に注文をつけた。協議していたのは退官する最高裁裁判官の後任人事案についてだった。一つのポストに候補者1人だったことに、杉田が不満を示したのだ。
退官するのは地裁や高裁の裁判官も務めた職業裁判官。15人いる最高裁の裁判官は、その出自別に、職業裁判官枠や弁護士枠、行政官僚、法学者枠がおおむね決まっている。
行政官僚については以前から、複数の官僚の中から官邸が決めていた。一方、職業裁判官枠の後任は、最高裁が推薦した1人を内閣がそのまま認めることが慣例だったが、杉田は慣例を覆した。
官邸幹部は言う。
「1人だけ出してきたものを内閣の決定として『ハイ』と認める従来がおかしかった。内閣が決める制度になっているんだから」
弁護士枠でも変化があった。
2017年1月、内閣は弁護士出身の判事・大橋正春の事実上の後任に、同じく弁護士出身の山口厚を任命した。「弁護士枠」を維持した形ではあるが、山口は日本弁護士連合会が最高裁を通じて示した推薦リスト7人には入っていなかった。
数日後、日弁連の理事会でこの人事が話題に上った。会長の中本和洋は「政府からこれまでより広く候補者を募りたいとの意向が示された」「長い間の慣例が破られたことは残念だ」と語った。
それまで最高裁判事の「弁護士枠」は、日弁連が示した5人程度のリストから選ばれており、最高裁で人事を担当していた経験者も今回の人事について「明らかに異例だ」と語った。一方、別の官邸幹部は「責任を取るのは内閣。内閣が多くの人から選ぶのは自然だ」と語った。
・そして3年に1度の交代期となった20年秋、首相の菅義偉は、大西の後任会長の山際壽一(やまぎわじゅいち)が示した会員候補105人のうち6人の任命を拒否した。山際は、大西のような「事前説明」を官邸側にしなかった。
・人事権を握る強い官邸を前に、官僚たちは委縮していく。
官邸がとりわけ嫌ったのは、情報漏れだった。
・ある男性はスタッフになることが決まった直後、こんな経験をした。
「中には監視カメラがありますから」
説明役の参事官から言われた。監視カメラはコピー機の近くを映すようになっている。
採用が決まって数日、居酒屋や喫茶店に入ると、いつも近くに同じ人が座っていた。声をかけられるわけでもない。ただ、近くにいた。
早朝、日課の散歩に出ると、日頃は見かけない場所に黒い車があった。自宅近くに戻ると、また同じ車があった。家族がゴミ袋を捨てた。自宅にもう一つの袋を取りに帰り、ゴミ捨て場に戻ると、直前に出していたゴミが消えていた。それも家族が捨てたものだけだ。
・報道機関でつくる記者クラブ「経済産業記者会」は、施錠や内部文書の撤回を世耕に文書で求め、取材対応は一部緩和されたが、施錠は続いた。取材内容に関わる担当職員の在席が確認できず、取材は制約を受けた。
経産省は通産省時代から、開け放たれた大部屋の入り口から他部署の職員や民間企業の社員まで入ってきて自由に議論を交わし、縦割りの弊害を減らす、そんな気風があった。このときの措置で、それが過去のものとなりつつあることを同省幹部は嘆いた。
・人事局の役割はあくまで、その職にふさわしい人物であるかどうかを内閣として判断する審査であり、官僚の法的な人事権は、各府省の大臣が持ったままだ。松井は「大臣が首相、官房長官と協議することを想定していた。例えば、大臣が『この官僚を使いたい』と言えば、首相や官房長官が『いや、考え直して欲しい』というようなやりとりだった」と語るが、第2次政権では、首相と官房長官が固定されているのに対し、多くの閣僚は毎年交代するため、事務次官らは人事案を大臣に示す前に、官房長官の菅や官房副長官の杉田に示すことが多かった。
そして、菅は担当閣僚よりも個々の官僚に関する人物評価を蓄え、影響力を増していった。
・政権の最終盤、新型コロナウイルスの対応に苦しんだ安倍は、国民に広く協力を呼びかけるために何度も記者会見を開いた。しかし、SNS上には「心に響かない」という批判があふれる。
「何をやってもたたかれる」
官邸幹部からはそんな嘆きが聞かれた。分断はもはや対話が成り立たないほどに深くなっていた。批判者には反撃で応じるという政治手法を繰り返した果てに、安倍は日本社会を統合するリーダーとしての言葉を失っていたのかもしれない。
・安倍は本人すら覚えていなかった野党時代の質疑に触れ、閣僚起用の理由を語った。
「攻撃ができる人は守りもできるからね」
安倍自身も国会で、野党の質問に答えるよりも、相手を言い負かすことに力を割く場面が目立った。
(また明日へ続きます……)