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増村保造監督『黒の超特急』その1

2013-10-16 10:07:00 | ノンジャンル
 増村保造監督・共同脚本の'64年作品『黒の超特急』をスカパーの日本映画専門チャンネルで見ました。
 「これはフィクションである」という意味の字幕。岡山で不動産を営む桔梗(田宮二郎)のところに、東京で東西開発という会社を営むという中江(加東大介)が現れ、大きな工場を誘致する計画があるため、この辺の土地を買いたいので、私と組んで一儲けしようと持ちかけます。20万坪を相場である坪4千円で買うとして8億、資金は三大銀行の一つ、三星銀行が出してくれるので、桔梗は地主との交渉さえしれくれれば言いと中江は言います。証券会社から独立して株の買収に失敗し、先祖の土地財産を失うも、いずれは大企業と肩を並べる存在になりたいという桔梗は中江に協力することにします。タイトル。
 地主たちを新幹線に乗せて東京に連れて来た桔梗は、土地売買の契約を済ませると、中江はそこに現れた女性から封筒を受け取り、その封筒の中から三星銀行の保証小切手を地主に渡し、桔梗には現金で手数料を渡します。坪120円で2400万だったその手数料も数日後、投資先の工場が爆発炎上し、株が暴落して2500万の損を出して失ってしまった桔梗は、中江が買ったのは新幹線の予定地で、彼は地主から買った土地を坪4万5千円で新幹線公団に売り、19億も儲けたという話を地元の地主から聞くと、中江を訪ね新幹線公団の話をして1千万を貸せと言いますが、中江は相手にせず、桔梗は証拠は必ず集めてやると言って、降参したくなったら神田の錦という宿にいると言って去ります。
 桔梗は契約の際に現れた女を尾行し、彼女が病弱な母と暮らす田丸陽子であり、2年前まで新幹線公団の理事・財津(船越英二)の秘書をしていたことを知ります。中江は桔梗を訪ね、先日のことを詫び、百万を渡そうとしますが、桔梗は1千万でも嫌だと言い、情報源は新幹線公団だろうと言うと、中江は怒リだして桔梗に岡山に帰れと言い出し、桔梗は5千万もってこいと言い返します。また陽子を桔梗が尾行すると、陽子は高級マンションの一室に入っていき、桔梗は近所での聞き込みで、そこで財津が陽子を2号として養っていることを知ります。桔梗は陽子の部屋を訪ね、警察に電話しようとする陽子に対し、陽子が愛人であることを母や近所にいいふらすぞと脅し、財津と中江の関係などの質問に答えさせようとしますが、陽子は答えず、桔梗はベッドで自分と遊んでくれたら帰ると約束し、陽子はそれに応えます。桔梗は病気の母を悲しませたくないなら、財津や中江をゆすって俺と組んで一儲けしようと言いますが、陽子は断り、桔梗は自分の宿を教えます。
 中江は財津を呼び寄せ、桔梗の動きに対抗して、マンションを売って陽子と別れてくれと言いますが、財津は即答できません。中江は陽子にも財津と別れ、2度とマンションに来るなと言いますが、陽子は財津が私を離さず、私も財津が好きだと言い、それでも別れろと言うのなら口止め料として1千万を要求します。陽子は桔梗の許を訪れ、中江がケチなので分け前は半分という条件であなたと組むと言います。陽子は、中江は3年前に財津に巧みに取り込み、金に困っていた陽子に財津を誘惑するようにけしかけ、600万のマンションと50万の手当てを保証したと言い、自分は男に頼らず1人で生きていきたいと語ります。そして中江は陽子の件で財津をゆすり、財津の舅の大物代議士の工藤を通して新幹線の第2次計画が岡山のどこを通るのかを調べ、三星銀行への口利きも頼み、舅には儲け全体の半分を渡したのだと言います。桔梗はこうなったら財津も工藤もゆすってやると言い、証拠を集めるため、倍返しにするから50万を貸してくれと陽子に言います。
 陽子は理事さんのために理事さんと別れろと中江に言われたと言い、記念に写真を写したいと財津に言います。そこへ中江が来ると、あわててカメラを持ち去り、この女は金のために何でもやる女で、私のゆすりの道具だったのだと財津に言い、この女とは別れてもらうと言いますが、陽子は「ごめんなさい。始めはそうだった。でも今は好き。私の言葉を信じて。もう一晩だけ一緒にいて」と言います。中江は「桔梗と一緒に我々をゆすろうとしてるんなら、2度とマンションに来るな」と言い、財津も去ります。
 中江は桔梗の滞在先を訪れ、宿主を買収し、陽子が来て、彼女からの電話もあったことを知り、自分が来たことに対する口止め料を宿主に払います。一方、写真に失敗した桔梗は、今度はテープに汚職の証拠を録音しようと言い出しますが、財津は2度とマンションには来ないと陽子は言います。(明日へ続きます‥‥)

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天童荒太『歓喜の仔』

2013-10-15 08:40:00 | ノンジャンル
 今日は木住野佳子さん誕生日! 今度も素晴らしい演奏をしてほしい思いをこめて、Happy Birthday!!

 さて、天童荒太さんの'12年作品『歓喜の仔』上下巻を読みました。
 信道は両親と弟を交通事故で失い、その後、伯父夫婦の家に預けられますが、早い独立を求められ、高校生になると新聞配達所に住み込んで働き、奨学金を借りて工業大学を出て、技術者として就職します。一方、その会社のオーナーの娘である愛子は一人娘ということもあり、厳しい父の監視下に置かれ、男女交際もほとんどないまま、信道と出会い、二人はデートを重ねます。しかし信道は家族を一気に失った心の傷が癒えずに、また家族を守る自信もなく、なかなか愛子にプロポーズができません。それを見かねた信道の従兄は、愛子の24歳の誕生日に無理矢理彼女を犯した上で、ちゃんとした相手を探せと彼女に言い、愛子はその日のうちに信道を呼び出し、強引に彼をベッドに誘います。そして妊娠4ヶ月の時に二人は結婚式を挙げます。
 しかし従兄と愛子の関係を知った信道はうつ病になり、会社を休職し、一人でできる仕事として鍼灸師の資格を取り、やがてその道で成功します。そこへまた従兄が現れ、自分は今まで恵まれない人生を送ってきたが、やっとチャンスが来た、知り合いの証券マンが会社合併の情報を手に入れ、資金があれば大儲けできるので、客を紹介してほしいと言ってきます。信道は言われるままに、鍼灸院の上客である社長夫人を紹介し、彼女も知人を何人か紹介すると、従兄が言っていたように株価は急上昇し、信道は社長夫人らに感謝されますが、彼らは欲をかき、新たな投資先を探した結果、それまでの儲けを全て吐き出すこととなり、従兄はそれを取戻すため、必要な見せ金を金融会社から借り、信道は連帯保証人のサインと押印をさせられてしまいます。
 証券マンは金を持ち逃げし、社長夫人らからは「先生だから信用していたのに」と文句を言われ、やがて詐欺事件として起訴され、従兄はもちろん、信道も事情聴取され、鍼灸院も悪い噂が流されて客足が遠のくようになります。
 ある日、二人の男が連帯保証人の証書を持って現れ、借金を返すように信道と愛子に迫ります。信道は自己破産を考えますが、従兄はとりあえず逃げた方がいいと言って、信道と愛子、そして彼らの子供、長男の誠、次男の正二、一番下の娘・香とともに東京のアパートに住まわせます。しかし、結局そこも取立て屋の知られることとなり、信道は女と逃げ、愛子は神経を病んで窓から飛び降り、植物人間になります。残された3人の子供は取立屋の言うままに働くこととなり、誠は高校を中退して、午前中は生活費のために市場で働き、午後から夜にかけては取立屋の指定した中華料理店で、そこから帰宅してからは正二と一緒に、これまた取立屋から命じられた覚醒剤の袋詰め作業をさせられます。やがて占領軍の町で運び屋をする少年を夢想するようになる誠は、取立屋に紹介されたヤクの売り子の少女と親しくなります。正二は学校で虐められるようになりますが、ぎりぎりのところで対処し、自宅のアパートの前の工場跡に立つプレハブ小屋で体を売る少年のルスランと親しくなります。香は幼稚園で、母に殺されそうになったカデナと親しくなり、死んだ人が見える2人は一緒に町を歩くようになります。
 やがて、ルスランは帰国して敵と戦うことになり、正二は彼を助けてくれるように、教会で保護されている指名手配の犯人を密告しようとします。一方香は、カデナの母が福島の刑務所にいることを知り、幼稚園の仲間と一緒に、カデナの母に会いに行くことにします。そして‥‥。

 あらすじを書こうとしてメモをしていたら、数十ページの文章を書くこととなり、天童さんの文章の無駄のなさ、魅力に改めて気付かされました。詳しいあらすじ、上記以降のあらすじに関しましては、私のサイト「 Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)」の「Favorite Novels」の「天童荒太」のところにアップしておきましたので、興味のある方は是非そちらをご覧ください。大人が支配する世界の中で、傷つきながらも懸命に生きている少年少女の物語でした。

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アレクサンドル・ソクーロフ監督『ファウスト』

2013-10-14 07:01:00 | ノンジャンル
 アレクサンドル・ソクーロフ監督・共同脚本の'11年作品『ファウスト』をWOWOWシネマで見ました。
 “ゲーテの原作を自由に翻案した”との字幕。雲の中を揺れる鏡。雲をすぎ、カメラは山々をとらえ、やがて山の裾の町へ降りていきます。臓物を引き出して死体を解剖し、魂や命の在り処を探すファウスト教授と助手のワグナー。死体の処理をワグナーに任せた教授は医師をしている父の許を訪ねますが、男の背骨を伸ばす拷問のような治療を行っていた父は、生きる意味など教えてやれんと言います。帰途、物取りに会う教授。鶴がいる庭で会社の所有者であると名乗るミュラーは、賢者の石を教授から買おうとしますが、ミュラーの声は教授には2重に聞こえます。生にも死にも価値はないと言う教授は、ミュラーから自分の著作へサインを求められます。聖セバスチャンの遺骨に言及する教授は、時間も金も使ってしまったと言います。“ヨハネの黙示録”の“はじめに言葉ありき”の部分を読む教授。自分が死んだら寂しいかと教授はワグナーに聞きます。
 賢者の石を返しに来た男は毒ニンジンを飲んでも死なず、自分は悪魔だと言います。望遠鏡を覗き、月に猿を見る悪魔。彼は教授に知らないことを教えてやると言って、2人で町に出ると、洗濯女の集まる場所に行きます。そこでマルガレーテという娘を見初める教授。父に「失せろ」と言われた教授は、悪魔に羽が痛むと言われます。次に地下の酒場に繰り出すと、終戦を祝って若者たちが宴会をしていて、店の主人は教授に彗星はガスの塊だと教わります。若者といざこざを起こした悪魔は、棒を壁に突き立て、そこからワインが流れ出ると、その騒ぎに乗じて酒場を教授と逃げ出しますが、その際、教授は過って1人の青年を刺し殺してしまいます。その青年がマルガレーテの兄だと知る教授。兄の遺体は鹿がいる実家に運び込まれ、それを見ていた教授は悪魔に先に帰ってると言われます。悪魔はマルガレーテの母に貨幣を与えて慰め、葬列に教授も加わります。埋葬の際にマルガレーテの手に触れる教授と、それを受け入れるマルガレーテ。柩に野犬がまつわりつき、柩はすぐに埋葬されます。悪魔はマルガレーテの母と、教授はマルガレーテと森の中を帰りますが、森には熊がいます。死は存在し、学問は空しさを埋めるためのものだと言う教授。母は教授と一緒にいたマルガレーテを叱り、1人に許したら町中の男に狙われると言います。自分は清純で純潔だと語る悪魔。
 人の心は懺悔を聞けば分かると悪魔に聞いた教授は、マルガレーテが毎日のように教会に来ると聞き、先回りして待ちます。母に添い寝するマルガレーテ。神父と悪魔は親し気に語り、ワグナーはマルガレーテに自分が本当のファウストで、その証拠に人工生命体の創造に成功したと言ってビーカーを見せますが、マルガレーテは逃げ出します。ビーカーが割れ、岩の上で呼吸する生命体。教会の懺悔室で「母を愛せない」と語ったマルガレーテに、教授も自分の母に嫌悪感を抱いていたと語ります。形見を握りながら40日間祈るのが過去の習慣だったと言うマルガレーテは、兄の形見を教授に渡し、教授は兄を殺したことを認めます。アヒルがいる中、ファウストの許をマルガレーテは訪ますが、教会の鐘が鳴ると去ります。教授が兄殺しであると母が気付いたと言うマルガレーテ。破産した者の抵当を運び出す悪魔。教授は悪魔に1晩だけでいいからマルガレーテと2人きりで過ごさせてほしいとネズミが這う部屋で言い、悪魔は魂が肉体を離れたらそれを引き渡すという契約書に血の署名をさせます。地下道を通ってマルガレーテの許へ向かう2人。池にいたマルガレーテを教授が抱き締めると、2人は池に沈んでいきます。マルガレーテがベッドに横たわる家に、まだ入るなと悪魔に言われる教授。時計は止まり、服は拘束服に代えられ、家を出ると、悪魔に鎧を着せられ、無理矢理馬に乗せられ、偉業をなすべき人間にされてしまいます。馬を降り、天国への階段だという岩場を登り、やげて流れの早い川に着くと、そこにいたワグナーにしがみつかれ、やっとふりほどいて先に進みます。魂をよこせと言う悪魔に、岩を投げつけ、押しつぶした教授は、悪魔に「どうやって出ていく?」と聞かれ、「どこへ行くの?」というマルガレーテの声が聞こえてきます。「あっちだ」と言う教授は氷河に向かって進み、カメラは上昇して映画は終わります。

 幻想的であり、科白がやたら多く、黄色っぽい(ラストは白黒の)画面が特徴的な映画でした。

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高野秀行『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』その2

2013-10-13 09:12:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 1日5回のお祈りは、普段は自宅や職場などで行ってもかまいませんが、金曜日の昼は「金曜礼拝」といって、極力モスクに集まってお祈りすべしと定められています。ただし、日本では金曜日が平日のため、代わりに土曜日に集まる人が多いといいます。その際、男女は別々の場所で礼拝します。敬虔なムスリム女性は親戚以外の男性と話をしてはならず、外出も夫と一緒でなければいけないので、日本社会には溶け込まないようです。
 横浜市鶴見区には沖縄系ブラジル人のコミュニティがあり、というのも昔から小さな「町工場」の連なるエリアで、沖縄出身の人が出稼ぎに来たり、移住したりしていて、いっぽう、ブラジルに移住した日系移民のうちで最も多かったのも沖縄出身者だったのだそうです。高野さんはコシーニャの旨さを堪能します。ブラジル人はパーティが大好きで、そこでブラジルが多民族多人種の移民国家であることを知ります。また鶴見区以外のブラジル人は「出稼ぎ」なので、いずれブラジルに帰ると思っているから日本語を学ぼうとせず、地元の日本人社会と隔絶して生活していることも教わります。
 西葛西にあるIT系インド人のコミュニティで、インドの新年祭「ディワリ」が行われるというので出かけ、南インドのベジタリアン・レストランのテントで、タワ・マライ・チャプ、レモンライス、湯葉入りカレー、アルコール売り場で「オマル・ハイヤーム」なるスパークリング・ワインを堪能し、故郷を思う気持ち、嫁に行く娘を思う気持ちなど、こぶしをきかせるところやメロディーも、歌を聴くとインドと日本の文化が近いことが分かると教わります。在日インド人の歴史は幕末に遡り、1935年、日本で最初に作られたモスク「神戸ムスリムモスク」はイスラム教徒のインド人の手によるものだったし、同じく神戸にはインドの宗教、ジャイナ教の寺院「バグワン・マハビール・スワミ・ジェイン寺院」もあります。しかし意外なことにインドに信者が十億人もいるヒンドウー教の寺院は長いことなく、なんと2011年になってやっとできたといいます。しかしそこの僧侶は新興宗教イスコンの信徒だと言い、取材を進めるうちに、イスコンはインドでは普通に受け入れられていて、自分とはちがうものが同居しているのが常態である「排他的でない」インドの姿を知ることになります。ヒンドゥーのしきたりでは食事は神様に捧げる供物で、僧侶しか作ることを許されていません。
 ロシア正教では西暦ではなくユリウス暦を使用しているので、クリスマスは13日遅れでやってきます。そして教会でのお祈りや説教の間は、ごく一部の高齢者以外は全員がずっと立ったままです。彼らがお茶の水のニコライ堂に行かないのは、大平洋戦争のあと、米占領軍の指示で「アメリカ正教会」の指導下に組み込まれ、日本人のための教会になってしまい、1970年、東西の正教会が和解し、ニコライ堂はモスクワの指導下に戻った後も、教会のトップは日本人で、事実上独立して運営されることになったのだそうです。ロシア正教では一般的にクリスマスの6週間くらい前から肉を断ちます。そして「ロシア人というだけで仕事がない」のが日本の現状なのだそうです。
 中国の朝鮮族(朝鮮半島出身で、中国に住みついた民族)である整体の先生を取材します。男は家の中では威張っていて、料理などまずせず、料理店を持っても厨房は使用人や妻任せなのだそうです。
 スーダン人のアブという友人から知ったことは、ムスリムにはことのほか寿司好きが多いこと、ムスリムの人と会食してると飲んでもないのに酔ったように多幸感に浸れること、スーダンでは午前7時頃軽食をとり、午前十時頃、サンドウィッチやウガリ(トウモロコシやキャッサバの粉を練ったもの)を食べ、「昼食」は午後3時か4時にたっぷり食べ、そのあた九時か十時、遅いときには12時に夜食みたいなものを食べること、などでした。
 そして取材の結果、この20年で日本人の外国人への差別や偏見は激減したことが分かったのでした。

 いつもの高野さんの本のように、楽しく一気に読んでしまいました。是非手に取ってほしい本です。

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高野秀行『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』その1

2013-10-12 10:20:00 | ノンジャンル
 高野秀行さんの'12年作品『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』を読みました。「日本に暮らすふつうの外国人の食生活を見る」という目標から始まり、それは「ふつうの○○人の食事会」の取材となり、最後には「日本に移り住んだ外国人を食とコミュニティから見る」ことになった本です。
 先ず最初は「どこで何を食べてもうまい」タイ料理から。成田にあるタイ寺院「ワム・パクナム日本別院」へ。タイの僧侶は227にもわたる戒律を守って暮らしていて、正午を過ぎたら固形物は一切口にすることができません。そして寺は24時間開かれていて、寝るところや食べ物もあり、相談すべき人もいる、いつでも誰でも困った人を受け入れる場所です。また「タンブン(功徳を積む)」というタイ人にとって最も重要なことを行う場でもあり、いちばん一般的なのはお寺や僧侶へのお供え物やお布施です。タンブンは自分の功徳を積むこともそうですが、その徳が両親のためになると信じられています。そして聞き取りの結果、日本に住むタイ人の食べ物は人それぞれでした。高野さんは豚の内臓のラープ(肉を細かく刻んだ料理)の美味しさに驚きます。
 次に取材したのは、かわいい子がいるところということで、美人かつ超セクシーなベリーダンサーであるミーナ・サレーさんの属するイラン人のコミュニティ。高野さんは以前旅した時にいい印象は持っていませんでした。イスラム革命後、屋外での歌も踊りも禁止されましたが、屋内では違いました。イランには24の民族があり、ダンスも同じ数だけあるそうです。そしてイスラムはアラブの文化、イランにはイランの文化があるというのが大方の意見でした。高野さんはイランの「おふくろの味」である「ゴルメ・サブジ」を特に気に入ります。そしてイランの人は外食する習慣がないので、以前の旅の時食事がまずかったことを知ります。
 さて、東日本大震災では'11年4月25日現在、外国籍の犠牲者も23人が確認され、行方不明者の数は把握されていません。日本にはモスクが北は北海道から南は九州まで全部で百カ所以上もあり、おそらくその8割はパキスタン人が中心になって建設、運営されているのだそうです。パキスタン人は信仰心に篤く、また中古車販売会社を営む人が多く、そういう人たちは比較的生活にゆとりをもっていると聞いていました。高野さんはぜひムスリムの人たちの支援活動を取材したいと思い、ヒンドゥー教徒であるネパール人を西葛西のインド人の寺が助けたことを知ります。また北欧系の国の大使館員は、デニッシュのベーカリーで知られる「アンデルセン」の本社がある広島へ「疎開」していたことも知ります。
 南三陸町でフィリピン人女性が何人も被災していて、世話役であるアメリアさんたちを取材するため、彼女の指示に従い、赤羽にあるフィリピン雑貨店で合流し、彼女らの炊出しを体験させてもらいますが、特に焼そばのバムイーに舌鼓を打ちます。彼女からフィリピンでは嫁は嫁で好きなようにやるが、日本では全て姑の言うことを聞けと言われたことにショックを受けたと聞きます。
 次に、神楽坂にあるフランス人のコミュニティを訪ね、チーズ専門店でコルシカのチーズ「恋の芽生え」を買い、チーズ・バーにも行き、スタッフ3人が皆フランス人であることで“本場感”を味わえる「プチ・パリ」に行き、神楽坂のフランス人には助け合うコミュニティが存在することを知ります。そして「国際化」が「各国もしくは各民族のコミュニティがあり、その中で自分たちの言語や文化で生活ができる」という意味だと教えられます。赤ワインに合うコンテというチーズも味わい、ヴァシュラン・モン・ドールが一番のチーズとも教わります。
 次は取材が楽だということで台湾を選び、中華学校で新入生を歓迎する「園遊会」に呼ばれますが、体育館には屋台が出ていました。「台湾式ハンバーガー」、「担仔麺」、「ちまき」、鶏の足や牛のすね肉の煮込みを堪能し、教室に弁当の保温器があることを知ります。
 食べ物の禁忌に厳しいムスリムでは、豚肉は食べず、イスラムの作法にのっとって屠畜した動物の肉しか食べてはいけません。(これを「ハラル(合法な)」肉、ハラルミートと呼びます。)館林は2カ所もモスクがある「在日ムスリムの町」です。(明日へ続きます‥‥)

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