おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

心配性

2006年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム
自分の事ながら、呆れてしまう程の症状である。

僕は極度の“心配性”なのである。
都合のいい事に、すべての事柄に対して“心配”するわけじゃないが、
気になりかけると、異様に執着してしまう。

(タバコの火、消したかな?)

車に乗り込み、仕事場へと出掛けた瞬間、頭の中を過る不安。
こうなると、もうどうしようもない。
引き返して火の確認をする。

まぁ、これは確認しておく事に越した事はないが。

(トイレはちゃんと流したかな?)

就寝前、トイレを済ませ、コップ一杯の水を一気に飲み干し布団に
潜り込む。うとうとして、もう直ぐ眠る!という時、ふと頭の中を不安が過る。

オカンが頻繁にトイレに向かう。その時、僕の出したモノが残っいたら。
こうなると、もうどうしようもない。
あわててトイレに走り、確認する。

実は、トイレの確認はすでにやっているである。
いつもトイレを出る時には便座の蓋を明け、指差し確認をする。

「流し残しなぁ~し!」

そうしていながら、布団の中で

(待てよぉ?)

となる。

電話を受ける。休日の待ち合わせの時間を伝える。

「ほな、よろしく!」

電話を切ったあと、ふと不安が過る。

(待ち合わせ場所は言ったか?)

もうこうなると、不安がどんどんと膨らんでいく。
あわてて、電話をかけなおす。
相手はびっくりしているが、それでもかけ直さずには居られない。

借りていた三千円を返す。
「これ、前借りてた金ね!」
相手は僕から金を受け取ると、確認もせずに、そのままポケットに仕舞い込む。
僕を信頼しているからだし、改めて確認する額でも無いのかも知れない。

ただ、ここで僕の“心配性”が目を出すのである。

(あれ? いま、4枚なかったか?)

こうなると、いてもたっても居られない。

「三千円やったかな?」

相手は僕が何をいいたいのかわからない。
僕としても、相手を疑っていることにも成りかねないので、慎重に言葉を
選ぶが、それでも僕の不安は拭いきれない。

「ちょっと」

一応断わりを入れてから、相手のポケットに手を突っ込む。

実力行使。

こんな事までしてしまう、“心配性”の解決策はないもんだろうか?








コメント
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