夏休みも後わずか。そろそろ焦りだす頃だろう。
お盆に親戚と騒ぎまくったり、高校野球なんかに盛り上がっていると、
気がつけば、あんなに長く思えた夏休みもあと一週間となっている。
(やばい!)
大量の宿題を目の前に、いまさら「予定表」なんか組んでみたり。
(これで、なんとか間に合いそうだ!)
40日間の宿題を6日間に振り分ける。算数ドリルなんて半日でしなければ
ならない強行日程になっているものの、
(6日もあれば何とかなるさぁ!)
予定表通りにやればと、取りかかるのは明日からなのである。
これでは、今月中に宿題をやり遂げる事は不可能!そんな学生時代を過ごしていた。
小学校も高学年になって行くと、イロイロと悪知恵だけは身についていく。
9月1日。2学期の初日に提出するはずの宿題ではあるが、
「忘れてきました!」
と、あたかも「やったけど、持ってくるのを忘れた!」的演技で乗り切る。
先生によっては、提出されたモノを確認した後、
授業中にそれぞれに返却して、答え合わせをする先生もいた。
こんな時は、どうするのか?
僕の場合はこうだ。
まず、問題が簡単なページはする。そして、難解なページにぶち当たると、
次のページへと進む。
時には、ご飯粒をつけてみたりして、そのページは
「開かなかった」事にする。
先生に突っ込まれれば
「2ページいっぺんに捲ってしまいました」とか「くっついていました」
そして、答え合わせの時は、席順から逆算して、当たりそうな問題だけを
解いておけばいい。
しかし、中には、返却をアトランダムにして、幼気な僕の努力を弄ぶ
悪魔のような先生もいた。
小学生の頃、絵画の宿題は両親とも、結構絵心があったんで頼めなかったが、
図工、とりわけ「貯金箱」は毎年オカンの力作を持っていったものだ。
そして最後に残るのが「読書感想文」である。
まず、“残り1日”で本を読む気力は残っていない。
読みたいと思う本も勿論ない。
苦心の末、あみ出した戦法は、
“一回だけ読んだ本の感想を毎年書く!”
作戦だった。
選ばれた本は「十五少年漂流記」
僕の記憶が確かなら、高校時代にも“読書感想文”の宿題があったと思う。
そして、この本を買ってもらったのは、確か「小学4年生」の時だった。
それから“読書感想文”と言えば、“十五少年漂流記”の生活が
実に9年間も続いたのである。
よく落ち入りがちな「読書感想文」は、あらすじの説明に大半の時間をつかって、
肝心の「感想」が欠如してしまう。
僕の場合も、小学4~6年の間はまだまだ稚拙な「あらすじ発表文」だっただろう。
しかし年々表現方法は進歩するし、同じ事を書いていても言い回しも変わってくる。
同じ事を書いていても面白くないとも思い、自分で読んでいても楽しい
「感想文」
に仕上がって行くのがわかる。
ただ、これには“ひとつ”だけ欠点があった。
この「十五少年漂流記」を読んだのは、一度しかいない。
表現方法や文法が進歩していくに反比例して、僕の記憶の中から物語が消えていく。
“前年の感想文の感想文”か“焼き増し”的な感想文へと進化していき、
高校3年の夏に提出した感想文は、すでに原作の色はなかった思う。
いま一度「あの本」を読んでみたいと、ふと思った。
お盆に親戚と騒ぎまくったり、高校野球なんかに盛り上がっていると、
気がつけば、あんなに長く思えた夏休みもあと一週間となっている。
(やばい!)
大量の宿題を目の前に、いまさら「予定表」なんか組んでみたり。
(これで、なんとか間に合いそうだ!)
40日間の宿題を6日間に振り分ける。算数ドリルなんて半日でしなければ
ならない強行日程になっているものの、
(6日もあれば何とかなるさぁ!)
予定表通りにやればと、取りかかるのは明日からなのである。
これでは、今月中に宿題をやり遂げる事は不可能!そんな学生時代を過ごしていた。
小学校も高学年になって行くと、イロイロと悪知恵だけは身についていく。
9月1日。2学期の初日に提出するはずの宿題ではあるが、
「忘れてきました!」
と、あたかも「やったけど、持ってくるのを忘れた!」的演技で乗り切る。
先生によっては、提出されたモノを確認した後、
授業中にそれぞれに返却して、答え合わせをする先生もいた。
こんな時は、どうするのか?
僕の場合はこうだ。
まず、問題が簡単なページはする。そして、難解なページにぶち当たると、
次のページへと進む。
時には、ご飯粒をつけてみたりして、そのページは
「開かなかった」事にする。
先生に突っ込まれれば
「2ページいっぺんに捲ってしまいました」とか「くっついていました」
そして、答え合わせの時は、席順から逆算して、当たりそうな問題だけを
解いておけばいい。
しかし、中には、返却をアトランダムにして、幼気な僕の努力を弄ぶ
悪魔のような先生もいた。
小学生の頃、絵画の宿題は両親とも、結構絵心があったんで頼めなかったが、
図工、とりわけ「貯金箱」は毎年オカンの力作を持っていったものだ。
そして最後に残るのが「読書感想文」である。
まず、“残り1日”で本を読む気力は残っていない。
読みたいと思う本も勿論ない。
苦心の末、あみ出した戦法は、
“一回だけ読んだ本の感想を毎年書く!”
作戦だった。
選ばれた本は「十五少年漂流記」
僕の記憶が確かなら、高校時代にも“読書感想文”の宿題があったと思う。
そして、この本を買ってもらったのは、確か「小学4年生」の時だった。
それから“読書感想文”と言えば、“十五少年漂流記”の生活が
実に9年間も続いたのである。
よく落ち入りがちな「読書感想文」は、あらすじの説明に大半の時間をつかって、
肝心の「感想」が欠如してしまう。
僕の場合も、小学4~6年の間はまだまだ稚拙な「あらすじ発表文」だっただろう。
しかし年々表現方法は進歩するし、同じ事を書いていても言い回しも変わってくる。
同じ事を書いていても面白くないとも思い、自分で読んでいても楽しい
「感想文」
に仕上がって行くのがわかる。
ただ、これには“ひとつ”だけ欠点があった。
この「十五少年漂流記」を読んだのは、一度しかいない。
表現方法や文法が進歩していくに反比例して、僕の記憶の中から物語が消えていく。
“前年の感想文の感想文”か“焼き増し”的な感想文へと進化していき、
高校3年の夏に提出した感想文は、すでに原作の色はなかった思う。
いま一度「あの本」を読んでみたいと、ふと思った。