おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

それで?

2006年08月24日 | 日記・エッセイ・コラム
情報社会の中、自分に必要なモノを選択するのは自分自身だ。

テレビやラヂオ。新聞・雑誌にインターネット。
日常には様々な情報が溢れている。洪水のように溢れている。

大量の情報の中には、

“自分には必要のないモノ”もあれば、“興味の無いモノ”もある。
“生活の糧にならないモノ”もあれば、“関係の無いモノ”もある。

早い話が

“どうでもいい”

情報も流れてくる。

例えば、「芸能人の恋愛事情」

どうでもいいのである。
どれぐらい“どうでもいい”かを数値で表すとすれば

“実際に食べる事が出来ない「どっちの料理ショーの勝敗」”

ぐらいの数値となる。
誰と誰が付き合おうが、誰と誰が別れようが

(へぇ~、で、それが?)

としか思わない。

よゐこのハマグチェとゆうこりんの交際が発覚したところで、

(しまったぁ! 先を越されたぁぁぁ!)

とは思わない。


「もし、結婚する事にでもなれば、濱口は“こりん星”の両親に御挨拶に行くのか?」


って思う程度の話なのである。

“こりん星”と言えば、最近“太陽系惑星の数”のニュースも連日報道されている。


「惑星の“定義”によって、太陽系の惑星が9個から12個に増える可能性がある。」


と言われても、僕の生活には何の変化もないのである。


(そうか、来年の夏休みには新しい惑星にでも行ってみるか!)

って言う予定を組む事もない。そんな暇もない。


「異論が続出した結果、冥王星を惑星と認めない案が出てきた」


と言われても、明日の生活には何の支障もない。


冥王星に親戚も居なければ、得意先もない。もちろん別荘もない。
太陽系の惑星が8個に減っても、僕は一銭の得にもならないである。


想像出来ない程の物事を

「天文学的数字」

と表現する事がある。

元広島東洋カープの大野豊。
生涯防御率は“2.90”だが、1年目の防御率は“135”

135である。まさに「天文学的数字」だ。

日夜、研究している人には申し訳ないが、僕にとっては
天文学自体が“どうでもいいこと”なのである。

ただ、

「冥王星の代わりに、新たに発見された星を惑星に認定し、太陽系の惑星とします。」

その新たに発見された星が


“こりん星”


だったら・・・・・










やっぱり“どうでもいい”ことなのである。


















コメント
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