常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

葡萄

2017年09月24日 | 漢詩


葡萄がおいしい季節である。最近、品種改良が進み、多くの高級品種が生まれている。詩吟で吟じる詩に「涼洲詞」があるが、初句に「葡萄の美酒、夜光の杯」とブドウ酒が出てくる。葡萄は漢代に西域から中国に入ってきたものだが、涼洲は今の甘粛省で、その西域と境を接している。夜光の杯は恐らくワイングラスであろう。初めて葡萄を食べた中国の人々は、異国の珍果を喜び、それで醸造した酒に異国情緒を味わった。

明の李夢陽に「葡萄」とその名もずばりの詩がある。

万里の清風雁過ぎる時 

緑雲玄玉影参差たり

酒酣にして試みに氷玉を取りて噛めば

天南に茘枝有るを説くかず

玄玉は葡萄の黒い玉。緑の葉陰にびっしりと葡萄に玉が並んでいる。氷玉は清らかでつやのある玉。ここでも葡萄をさしている。茘枝は南方特産の果物で、かの楊貴妃が好み、華南省から早馬で運ばせたことで有名である。葡萄はその茘枝とも比べものにならないほどおいしいと絶賛している。
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立秋

2017年08月11日 | 漢詩


台風が去ると、涼しい風が吹く。やり切れない暑さを、忘れることができる瞬間だ。昨日、立秋を迎えた。もう夏が去るのかとと思うと、何となくさびしい気もする。和歌にも、そんな瞬間をとらえた歌がたくさんあるが、中国の漢詩にも、その境地を詠んだ詩がある。古今東西、詩を作る人は、季節に敏感であった。

 秋風の引  劉禹錫

何処よりか秋風至る

蕭蕭として雁群を送る

朝来庭樹に入るを

孤客最も先んじて聞く

劉禹錫は中唐の役人である。出世とは縁遠く、20年を超える左遷生活を送っている。詩のなかで孤客と自分を表現しているのは、長く都に帰れない淋しい境遇の故であろう。雁の群れが都のある南へ飛び立つのも、自分にはできない帰郷を、言外に表現している。

この左遷の地のさびしい境遇の詩人に配して、先日白馬岳に咲いていたシモツケソウを添えて見た。厳しい環境のなかで咲いているが、その美しには目を見張るものがある。逆境のなかにあっても、人はきよらかな生を実現することができる。
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本能寺

2017年06月02日 | 漢詩


天正10年(1582)6月2日、早朝、明智光秀は本能寺に織田信長を襲った。その日、備中高松城(中国地方)を攻略中の秀吉から援軍の依頼を受けた信長は、京都・本能寺に側近を連れて宿泊していた。出陣の命を受けた光秀は、丹波・亀山城から自軍を率いて、備中に向かったいた。織田軍団の武将たちは、天下統一を果たすため、各地で交戦中であった。光秀が反旗を翻したのは、その幸運と言える信長の隙をついたものであった。

頼山陽は、その時の光秀の心中を詩に詠んでいる。「吾れ大事を就すは今夕にあり。茭粽手に在り茭を併せて食らう」つまり、この大事をなすことに気も動転し、皮を巻いた粽を皮ごと食う始末であった。やがて、丹波から出てきた光秀は、京都と備中の分岐する老の坂に至る。

老の坂西に去れば備中の道

鞭を揚げて東に指せば天猶早し

吾が敵は本能寺に在り

敵は備中に在り汝能く備えよ

頼山陽の律詩「本能寺」の後半である。老の坂を西に取れば、秀吉の援軍として行く備中の道。東には信長の泊まっている本能寺である。ここで光秀は自軍に向かって、「敵は本能寺にあり」と叫ぶ。初めて、反乱の意思を全軍に知らしめたのである。空はようやく白んでくる早暁であった。多勢に無勢、明智の謀反を知った信長は自害する。だが、歴史家でもあった頼山陽は、結句で、光秀の真の敵は、備中にいる秀吉であることを詠んでいる。謀反を知った秀吉は、いち早く敵と講和を結んでとって返し、光秀軍を葬り去った。

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夕陽

2017年03月15日 | 漢詩


未明に雪、春は逡巡してとどまっている。一昨日の夕方にには、山の端に夕陽が美しく沈んでいった。幕末の女流漢詩人に、亀井少琴がいる。福岡の漢学者亀井昭陽の娘で、少女のころから詩作に才能を現していた。少琴が漢詩の素材にしたのは、自らが住んでいた博多の姪の浜の自然であった。漢学者の家に育ったとはいえ、その詩才には目を見張るものがある。

 江春晩望

古寺の疎鐘 水湾を渡り

紫煙偏に鎖す 夕陽の山

春江練の如く 流光遠し

一片の蒲帆 月を帯びて還る

詩の意味を見てみると、疎鐘はかすかな鐘の音。遠くからかすかに聞こえてくる古寺の鐘の音が入江の水を渡ってくる。紫の霞が夕陽に照らされた山の姿を隠そうとしている。春の入江の波は練り絹のように白く輝き、光となって遠ざかっていく。おりから一隻の帆舟が、月を背にして港に戻ってきた。

夕陽と出たばかりの月、海の波は白く輝き、その上を一隻の船が帰ってくる。この故郷の景色を少琴は、余すところなく詠みこんである。この詩は少琴が18歳のときの詩稿である。

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杜甫の春

2017年02月22日 | 漢詩


24節気の雨水が過ぎても、春は停滞している。昨日は凍てつく寒気、そして今日は日差しがある。こんなとき、春を先取りして杜甫の春の詩を読むのも心楽しい。昭和の財界で指導的位置にあった鈴木治雄の『古典に学ぶ』に、杜甫の詩の読み方が書かれている。それによると、碩学である吉川幸次郎の『新唐詩選』を未読するべきとある。その『新唐詩選』の冒頭に掲げられているのは、杜甫の「絶句」である。昔の高校の教科書にも載っていた詩である。

江碧鳥逾白 江碧にして鳥逾よ白く

山青花欲然 山青くして花然えんと欲す

今春看又過 今の春も看のあたりに又過ぐ

何日是帰年 何の日か是れ帰る年ぞ

絶句は一句五言で、20文字の短い詩である。吉川の解説によれば、江とは揚子江の本流または支流で、西南中国の大河はみな江と呼ばれている。碧は碧玉の深緑の水面。日本の川の水面のはばを想像すべきでない。なぜなら中国は大国で川の幅も広く、瀬戸内海の海峡のような広さと考えるとよい、と説いている。そして、その水面の上を飛ぶ真白な鳥。その色の対比によって、くっきりと白さが強調される。この白い鳥は、見る旅人の悲しみ誘う白さを誘う色、と想像をふくらませる。

承句では、江ののぞむ背景の山々を描写している。青は壁の鎮静は青さであるのに対して、青は発散的な勢いのある青としている。吉川は壁が中国言語で短くひきしまった音であるのに対して青が跳ね上がる音であることに注目している。わきあがるような新緑の山々、加えてその景色をめざましくするのは、火のような赤さで、あちこちで開く花たちである。

転句では、季節や時間の移りへと視点が変わる。この春もたちまち、次の季節へと移っていくであろう。吉川さらに説く。この推移は、自然ばかりではなく、それを看過ている己もまた推移する。そして老いていく。この推移を押しとどめようとする意欲が、風景の熟視となってあらわれる。かくて結句では、詩人は、おのれの悲しみを述べる。来る春も、来る春も、おのれの生命は旅人として推移する。帰る日は近づくのではなく、むしろ遠ざかっているような気さえする。

杜甫の危惧は現実のものとなり、帰京を果たせぬまま湖南省の舟のなかでなくなる。たった20字の詩のなかに、自然のうつくしさ、それを見る旅人の悲しみを、あますところなく表現し尽す。

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