大寒に入って雨が降ると
いう日があり、今日は雪になった。
雪が降る日。何故か心楽しい気がする。
小さな雪の粒は天から落ちて来る
季節の便り。
雪の日には、本を読むという楽しみが
ある。選ぶ本も思い切って古典。
兼好法師の『徒然草』を手にする。
つれづれなるままに、日ぐらし、
硯にむかひて心にうつゆく
よしなし事を、そこはかとなく
書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。
小林秀雄は「ものぐるほしけれ」
という心境について、
書くことで眼がさえかえって、
いよいよ物が見え過ぎ、物が分かり
過ぎる辛さであるとした。
兼好法師はその見え過ぎる眼で
己の死を見つめている。
[我等が生死の到来、ただ今
にもあらん。」
このことを忘れて日を暮らすことは
愚かなことである、と書く。
西洋にもメメントモリという
ことわざがある。
古典は深いところで生命の本質を
教えてくれる。雪の日の一日を
掌中の古典のページを繰る
ことで過ごすのも楽しみのひとつだ。