我が家から見える一番高い山は、蔵王山
の外輪山の瀧山である。標高1362m、母
なる山というよりは、威厳を示す親父のよ
うな武ばった姿を見せる。朝この山の姿を
見ると、弱い自分を鼓舞するような父親の
姿がそこにある。
斉藤茂吉は、幼少から見てきた三吉山を、
毎日眺めて、見れども飽かずと、歌に詠ん
だが、石川啄木は、
ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
と故郷の山への心情を吐露している。啄
木の故郷は生まれ育った渋民村である。
啄木は長じて故郷を捨て、北海道、東京
へと生活の拠点を変え、文筆の道を志し
た。ペンを握りながら苦悩している時に思
い浮かぶのは、幼い自己を育んでくれた
故郷の山であり、美しい自然であった。
このブログを読んでくれた、同郷の友が、
山の姿はいいね、とコメントをくれた。私
にとって、故郷の山は、丸くなだらか音江
の山である。昭和7年8月24日、斎藤茂吉
は兄富太郎を訪ねて、深川の鬼川病院
に立ち寄り、音江山を歌に詠んだ。
降りつぎし雨の晴れまに人居りて
音江山べに麦刈りにけり 茂吉
私は北海道を離れてもう60年近くになる
が、いまだに脳裏から離れないのは故郷
の山である。音江山から季節の移り変わ
りを知り、人々の営みを知らされてきた。