太平洋が見える地まで、車で1時間も走れば行ける。雪国と雪のない場所では、冬に対する感覚は大きく異なっている。ものの本によれば、積雪地は日本全土の53.3%で、そこに住む人は2000万弱である、ということだ。雪国を離れて、雪のない街に移住する人の話をよく耳にする。道路の除雪、屋根の雪降ろしなど、雪国の生活は技術の進んだ今でも厳しいものがある。雪のある景色を求めて、海外から観光にくる人も多い。反対に雪を見なれている者にとっては、見渡す限りの青空と光る海は、ぜひとも見たい景色である。
松川浦は仙台から常磐道を上り丸森町へ進むと、やがて相馬。道に面した内湾だ。もう50年以上も前になるが、子どもたちがバスに乗って潮干狩りに出かけた場所だ。陸をふり返れば山が見える。今日歩く鹿狼山が見える。太平洋に面した地域と、日本海の影響を受ける奥羽山脈で区切られる天候と環境の差。それはあまりに大きい。2011年の大震災では、この付近は津波の被害を受けた。その傷跡はようやく癒えたように見える。さんさんと降りそそぐ太陽の光が、地域一帯をキラキラと輝かせている。
鹿狼山の山頂から海を眺めながら、雪国に育った者の感懐を偲んでみた。同じ海であるが、そこに降りしきる雪を眺めたのは、雪国育ちの高田宏である。
「街から4㌔ばかりの海辺に立って、際限もなく海に降りしきる雪を見ていた。夢幻の時間が目の前にあった。人間などに目もくれず、波が砕け雪が舞っていた。春先、雪どけ水で水量の豊かな川辺に立つと、まだらに雪の残る平野の遠くに山山が白く光ってまばゆく、季節の移りが一望された。」高田宏『雪日本心日本』)
わずか数十キロ、山で隔てられた表日本と裏日本。どちらに住んだとしても、環境に大きな変化があるわけではないが、そこに流れる空気、風の音、海の光など心に語りかけてくるものには大きな違いがある。心のなかに積み重なっていくものが、長い時間のうちに大きく違ってくる。裏日本という言葉が、人々の心に刻む陰影は想像以上に大きい。
しろがねの雪ふる山に人通ふ
細ほそとして路見ゆるかな 斎藤茂吉