7月1日、二日岩手山(標高2038m)。4度目の登頂である。入梅後、一週間ほどで山の天気は雨模様が続く。今年の計画は、前泊して、翌日に登頂下山に決めてある。コロナの感染を避けるため、各地から集まる山小屋の利用を早くから諦めたからだ。登山口は一番短い馬返しである。それでも標準のコースタイムで頂上まで5時間。お鉢を廻ると、下山を始めるまでには食事間を含めると6時間半ほどの時間を要する。前日に網張温泉休暇村に宿泊して、早朝5時半から登ることにした。1日夜は宿は雨に降りこまれていた。9時の就寝のころになってやっと雨が止んだ。しかし朝、4時頃はなお小雨の状況である。何度も天くらで山の天気を確認しても、登山指標はA。登るころには天気が回復するのを信じて登山口に向かう。登山口まで10㌔ほどの距離だが、車で向かうと空は明るさを増してきた。
本日の参加者10名のパーティー、女性6名、男性4名。60代半ばから70代、80歳を最高齢としている。体力を考えても8合目の山小屋に泊まるべきだが、コロナの状況で前泊で、標高差1400mを往復することになる。朝の時間に飛ばし過ぎると体力を奪われ、気力が萎えることを恐れる。コースは単調で、ひたすら高度を稼がねばならない。「ゆっくり」を基本に歩を進める。樹林帯を過ぎると石と砂利の多い歩きにくいコースだ。その登りで、我々を迎えてくれたのは初夏の高山の花たちだ。
高度や環境によって花の種類が異なってくる。エゾツツジの赤い花、イチヤクソウやハクサンチドリの可憐な花、湿気の多い所に咲くシラネアオイ。展望が開けて緑が広がるところにコバイケイソウの群落が見える。その花の一つ一つが疲れた身体を癒してくれる。やがて高度1800ⅿ付近では、黄スミレ、ミヤマキンポウゲ、キンバイなど小さな黄色い花の大群落が現れる。登山開始してほぼ6時間、8合目の避難小屋で弁当を開く。小屋から頂上礫地につけられたジグザグの道を足を引きずるようにして登る。火山礫地にコマクサの可憐な花。このコースとは別の焼き走りコースの礫地に日本一と言われれるコマクサの大群落が見られるが、今日はそのコースはとっていない。
薬師岳を過ぎ、鉢の周りを岩手山に向って歩く。奇跡が起きた。垂れこめた雲が風に払われれて火口の全貌が目の前に姿を現すと、眼下に小岩井農場と森に囲まれた集落が見えてきた。これこそ宮沢賢治の童話の世界だ。
「小岩井農場の北に黒い松の森が四つあります。一番南が狼森で、その次が笊森、次は黒坂森、北のはずれは盗森です。」賢治の童話『狼森、笊森盗森』はこんな書き出しで始まっている。岩手山が噴火をくり返し、灰に埋もれた野原や丘に草が生え、柏や松が生えると四つの森が出来あがった。そこへ鉈や鍬を持った4人の農民がやってきた。この森のある台地を拓いて農地にしよういうのだ。話が決まると顔の赤いかみさんが三人と子供が九人。一同は森に皆で声をかけた。「ここへ畑起こしてもいいかあ」すると四つの森が「いいぞう」と一斉に答える。こうして畑づくりが始まるが、毎年冬の初めに異変が起こる。最初の年は子どもが四人いなくなる。森へ子供を探しに行くと、狼が九匹、子ども一緒に踊っていた。そこで森の名が狼森。農民は採れた粟で餅を作り、狼たちに持っていった。次の年に無くなった農機具が見つかったのは、次の森の笊のなか。粟を盗んだ森には盗森の名がつけられる。農夫と自然の交感を描きながら地名の由来が説かれている。賢治ワールドここにある。
鉢の周りを巡ること1時間。薬師岳から登山口へ、下山を始めたのは1時過ぎ。疲れた足をいたわりながら、森の中にある新道をひたすら下る。これほど長時間の山歩きを一日でこなしたのは何年ぶりか。やはり、経年とともに足の弱りはかくせない。しかし、一同10名事故もなく下れた幸せを噛みしめる。
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